自己嫌悪: 酒タバコ運動不足より体に悪いもの

酒タバコ運動不足、ゲームや動画三昧より体に悪いものがあるのをご存知でしょうか。そう、それは自己嫌悪です。自分が自分を嫌うことが体に一番悪い。自己嫌悪が一番体に悪いんです。では自己嫌悪とは一体何なのか。「自分を嫌って悪く思う」と書きますが、そんな一言で表現できるほどシンプルなものではありません。

自己嫌悪とはずばり、小さな自己否定が年月をかけて積み重なったものです。自己否定が潜在意識と変わってしまった状態で、全てを「自分を嫌わないようにするため」という基準で生きるようになってしまっている状態です。

自分のここがダメでここが嫌い。だからそれを補うために何かをする、何かを得る。すべての行動が、中性(ニュートラル)な場所からの判断ではなく、負(マイナス)を埋めるための行動となってしまう。これが自己嫌悪という状態で伴う症状であり、自己嫌悪を無くしていかなければならない最大の理由です。マイナスや劣等感という感覚を起因とする行動に、良い結果が伴うわけがないのです。

お酒をたくさん飲んだり、タバコを吸ったり、一日中ソファに寝転んでダラダラしたり、一日中ゲーム三昧動画三昧でジャンクフードしか食べない。これら全てはかなり体に悪そうな生活習慣ですが、それをする自分が嫌いでなければ、身体的悪影響を除いて、何の問題はありません。

自分が自分を嫌うことが体に一番悪い。自己嫌悪が一番体に悪いんです。

いやいやいや、自分のことなんて別に嫌いじゃないし、自己嫌悪なんか自分には無関係、そう思われるかもしれません。しかしこの自己嫌悪は、自分で気づくことが非常に難しい意識状態なのです。自己嫌悪という状態が「普通」になりすぎてしまって、自分が自分を嫌っていることすらわからなくなってしまう。これが自己嫌悪の最大の問題であり、厄介なところです。

この記事では、自己嫌悪の仕組みの解説、そして自己嫌悪をどのように乗り越えて、どのように自分本来がもつクリエイティブパワーを取り戻していくことができるのかを解説していきたいと思います。

自己嫌悪の原因と最大の問題

自分を嫌ってしまう原因は、言い方がこれしかないのが歯痒いですが、ありのままの自分を認められないことに起因します。自己嫌悪は、どんなに人も、どんな状況下においても起こりうるものです。どんなスーパースターでも陥ってしまう可能性がある、ごく身近なものです。

ありのままを認められないということは、下記のいずれか、もしくはすべてが当てはまっているということと定義しています。

自分を認められない思考パターン

  • 自分はまだまだと思っている
  • 自分には欠落があると思っている
  • 他人と比べないと自分の価値を見いだせない
  • 自分の価値を自分ではないもので埋めようとしている
  • 勝手な思い込みで、勝手な常識を作り、勝手に自己否定している

これらが自己嫌悪の根本的原因となる思考パターンです。これらを、人それぞれが、人それぞれに頭の中でお話を膨らませて、自分で自分を勝手に嫌っているという状態が、自己嫌悪の根本的原因です。完全に自動で行われるので、自分が自分を勝手に追い込んでいることに気づけません。

自己嫌悪には2種類あります。プラスな視点から自分を嫌うパターンと、マイナスな視点から自分を嫌うパターンです。

プラス視点からの自己嫌悪

プラス視点からの自己嫌悪は、自分に厳しい完璧主義者や理想の高い人によく見られ、何を達成しようと自分に欠落を見出してしまう人が陥りやすい症状です。

  • 結果を残せていない自分を嫌う
  • 自分との約束事を守れない自分を嫌う
  • 他人と比較して自分を嫌う

マイナス視点からの自己嫌悪

マイナス視点からの自己嫌悪は、過去を手放せていなかったり、被害者意識の高い人によく見られます。過去を浄化できず、それに依存してしまっている自己嫌悪です。

  • あの時あれが出来なかった自分を嫌う
  • 過ちを犯してしまった自分を嫌う
  • 誰かに嫌な事された自分を嫌う

プラス視点もマイナス視点も、入り口は異なるものの、行き先は一緒です。多大なる自己否定です。これでは私たち人間が持つ可能性と創造性を表現できるわけがありません!繰り返しますが、自己嫌悪の最大の問題は、この自己嫌悪という状態が「普通」になりすぎてしまって、自分が自分を嫌っていることすらわからなくなってしまうことです。

次に自己嫌悪が私たちに及ぼす悪影響について掘り下げていきましょう。

自己嫌悪が及ぼす悪影響

自己嫌悪は、精神的、そして身体的に様々な悪影響を及ぼします。ただ自分を嫌っているだけという状態で済まされるものではなく、実感できる症状が伴うものが自己嫌悪なのです。慢性的な疾患と言えます。

精神的な悪影響「行動力の低下」

精神的な悪影響は、行動力の低下です。自分の思考で言葉になっていなくても、潜在的に「どうせ無理」「やっても無駄」という制限を自ら作り出してしまっている状態です。これは人間として生きる上でめちゃくちゃ勿体ない。

本当はできること、本来は楽しめることでさえも、自ら自分でSTOPをかけてしまい、一切取り組まなくなってしまう。これではせっかく生きているのに勿体ないとは思いませんか?あなたの勝手な思い込みが、あなたのハンドルさえも奪ってしまっているということです。

行動力低下は「あなたの夢に関わるものだけ」

ここで気をつけなければならないのが、この行動力の低下は、自分が本当に取り組んでみたいと思っていることへの行動力であるというところです。「あなたの夢に関わるもの」のみ、取り組むことができなくなってしまうということです。

嫌と思っていても、義務だからできる行動はある。しかし「あなたの夢に関わるもの」は一切の義務ではありません。あなたの夢を追えるのはあなただけなのです。

自己嫌悪は現実逃避への行動力を増幅させる

そして怖いことに、義務だからできる行動以外に、自己嫌悪を避けるための行動が増えてしまうのです。つまり、逆の行動力、自分を避ける力がみるみるアップしてしまうのです。

自己嫌悪を補うための自己破滅型の行動が増えてしまうのです。これが自己嫌悪の一番恐ろしいところかもしれません。おっかないです!

代表的な自己破滅型の行動

  • 中毒(酒タバコ過食インターネット)依存(過剰な刺激と現実逃避)
  • アンチ化(自己嫌悪のない人を嫌う)
  • 八つ当たり(嫌悪の行き先を親類に当てる)
  • 物欲の増加(物で自己嫌悪をなくせると思ってしまう錯覚)
  • 不自然な異性への求愛(自分を見なくて済む)

これらはどれも自己嫌悪を感じさせなくしてくれるものです。自己嫌悪そのものをなくすわけではなく、とある行動を通じて自己嫌悪という感覚を麻痺させているというもの。本人が気づいていなくても、これらの無意識なオーバードーズは、自己嫌悪から目をそらしている状態で、残念ながら自己嫌悪を増幅させてしまっています。

(だから何をしても満たされないし、ネットで調子よくやってそうなやつがムカつくし、唯一の本当の仲間であるべき家族を敵に回すし、物を買っても長くは幸せでいられないし、異性と付き合っても幸せが続かないのです)

身体的な悪影響「不調と怪我」

次に身体的な悪影響です。身体的な悪影響は、自分が嫌いな自分を、さらにもっと嫌いにしてくれるような症状が現れるということです。

これは全く科学的根拠のないお話で、あくまでも著者の実体験でしかないのですが、風邪などではない、慢性的な自己免疫疾患や自律神経失調症の起源には「こんな自分嫌だ!」という潜在的な感情が潜んでいるのではないか、と思うのです。

「自分が嫌いだったらもっと嫌いにさせてあげるよ」と言わんばかりに「こんな自分嫌だ!」という感情を増幅させる症状が現れるのです。

さらには定期的に怪我をするという事を引き寄せている人々もいるようです。体調不良と怪我さえあれば、行動しない言い訳にピッタリです。この身体的な悪影響も、結局は精神的悪影響に繋がっており、最終的には「自ら自分を思い通りにさせない」「自ら自分を行動から遠ざける」という行動力低下状態になります。

一番は精神的悪影響(行動力の低下)ですが、身体的な悪影響も、精神的悪影響と同じように作用することを覚えておきましょう。

自己嫌悪を越える方法

ではこの自己嫌悪に解決策はあるのか。この魂にこびりついた手強いフィルターをどう掃除すれば良いのか。自己嫌悪を越える方法はあるのか?

ここまでを読んで、もしあなたに、長い期間自己嫌悪を続けてきてしまった、というお心当たりがあるのであれば、それは今日明日に自己嫌悪を手放せるというものではありません。冒頭にもあるように、自己嫌悪は慢性的な意識状態で、自分を嫌っていることすら気づかなくなってしまうことがあります。

第一に、自己嫌悪は結果であることに気づくことです。気づいたら自分を嫌いになっていた。ということは、自分を嫌いでも好きでもなかった、元の状態が必ずあるということです。

つまりは、自己嫌悪は越えるものではなく、気づくだけでいいのです。気づくだけでいい。気づけないから負のスパイラルに入ってしまうわけで、気づくことができれば、そこから自分の本来の意志に耳を傾けて、行動に変えていけばいいのです。

自己嫌悪に気づく方法

自己嫌悪にどれだけ私たちがコントロールされているかは、どれだけ前述の「自己嫌悪感をなくすための代表的な行動」をしてしまっているかが指標となります。「自分が本来持っている意志がどれだけ消されてしまっているか」の大きさです。

ということは、自分が目指す自分の最高の姿から遠ざけている行動パターンに気づくことができれば、それは自己嫌悪に気づくことと同義であると言えます。

自分はどのような時に自分から逃げたくなるのか。自分はどんなシチュエーションで自分から逃げたくなるのか。その逃げたい感覚こそ、あなたの自己嫌悪ということになります。

常にそのアンテナを張って、自分に自己意識の光を当て続ける。それが自己嫌悪に気づく唯一の方法です。

さいごに

人生は人として生きると書きます。人として生きているのに、その本人を嫌っていては本末転倒。自己嫌悪は私たちの人生の豊かさを阻んできます。

自己嫌悪を一瞬で手放せることが出来たらそれがベストですが、自己嫌悪は慢性的な意識状態です。自分が日々生きていく中で、どのように自己嫌悪が自分を制限し、コントロールしてしまっているかを、まずは自己観察できるようにならなければなりません。

観察できるようになるにはまず、自分が自分を嫌っていることを認めることからスタートです。成長は自分を認めることからスタート。自分が下手であると認められない人は、何事も上達できないのと同じです。

人生、結局自分自身と一生生きるのです。自分との関係性が結局一番大切、ということ。自分を愛せ、自分を好きになれとは言いません。ありのままの自分を認めて、自分なりに一生懸命生きればいい、ただそれだけです。

怒りとムカつきを減らして人生のクオリティを上げる方法

怒ることって悪いこと?

怒りとムカつきはあなたの力を封じ込める

喜怒哀楽の中の一つである「怒り」という感情。人間だけでなく、自然界の生き物にはこの怒りという感情は誰もが持っています。そして人間の持つ怒りには2種類あります。ひとつは全ての生き物に共通する、威嚇や自己防衛としての怒り。そしてふたつは、何の目的を果たすこともない、自分の中で感じる他人や出来事への苛立ちです。この記事では後者の怒りについてとなります。

この考察における興味深い事実は、後者の場合、その他人がその場に居なかったり、その出来事が過ぎ去ったとしても、怒りを継続して感じる人がいるということです。つまり、その怒りを感じたところで、今この瞬間を脅かす出来事を回避できるわけでも、シチュエーションを変えることが出来ることもない「怒り」があるということです。果たしてこの怒りを感じることに意味や目的はあるのでしょうか。

さらに面白いのが、この怒りは自分で抜け出すのが困難であるという点です。なぜ自分が奴にムカついているのか、そしてなぜ自分は正しくて相手は間違っているのか等など、自分の思考で自分の怒りを正当化しようと、頭の中で架空のストーリーを語り始めます。その架空のストーリーは「自分」にとってのお話で、誰もが同じことを考えない可能性もあるのですが、怒りの行き先が無いため、「とにかく自分が正しいことを自分に繰り返し言い聞かせる」という罠にハマってしまいます。この罠こそ、「目的を果たさない怒り」の正体なのです。

POINT: 目的を果たす怒りなのか、ただ単に自分の正当化したいだけなのか。その違いを意識!

怒りをなぜ減らしたいのか

邪魔だからです。その感覚を持って生きることが、私達の創造活動にとって邪魔でしか無いのです。別の言い方をするのであれば、目的を果たさない怒りは全て無駄なエネルギーの消費、エンジンの空ぶかしとなってしまうということ。自分の燃料を使うと同時に、エンジンにもダメージがある。良いこと一つありません。そのエネルギーを別の創造に使えるのに、意味のない怒りで消耗してしまっては本末転倒。我々は他にすることが山ほどあるのです。

スティーブ・ジョブズがあの有名なスタンフォード大のコメンスメントのスピーチで「他人の人生を生きている暇はない」と言いましたが、今回のお話に通じるものがあります。それは、他人を自分の中で作り出し、それに怒っている暇などない、ということなのです。どう考えても無駄な消費であることが分かります。他人への怒りを減らすということは、より自分の人生を生きれるようになること、とも言えます。

感情に負けない自分を作る

感情は思考に対する体の反応です。思考と体が同一化している場合に、感情に飲まれてしまうという現象が起こります。しかし「負けない」という表現になると、感情と戦わねばならないという風に捉えがちですが、ここで言う負けないは「感情と同一化せずに、感情を俯瞰できるようになる」ということです。本記事にで取り上げている感情は「怒り」ですが、怒りという感情はどんなシチュエーションにおいても、取り組みの質を下げてしまいます。

情緒を安定させる

思考がブレるならまだしも、感情が不安定になってしまうと、体の機能そのもの、人生そのものが不安定と感じてしまいます。怒りの根本は自分を自由にさせていない場合や、とある状況を勝手な決めつけで悪者扱いしている場合が挙げられますが、四六時中何かにムカついていたら、物事が捗るわけがありません。生活的な安定の前に、感情的な安定を維持することが、健全な生き方の基礎となります。

人や物事に左右されなくなる

自分の人生、自分の取り組み、自分の体。一番知っているのはあなた本人です。怒りは大抵、外的要因、つまりに他人や出来事によって引き出される感情ですが、この怒りが全くもって意味をなさないことが分かれば、人や物事に反応しなくても良いことがわかるようになります。外的要因は外的要因に過ぎず、それらにトリガー(引き起こ)されるのが「怒り」の感情になります。些細なことで振り回されていた時の自分は、それを無意識に「気になるものリスト」に追加していたのです。この気になることがどうあなたの人生に役立つことなのか、振り返ってみてください。役に立つことはないでしょう。

怒りとムカつきの根源

ではこれらの感情はどこから発生しているのか。それがわかると怒りという感情の正体がわかるようになります。仕組みが分かれば良いのです。どういうプロセスで怒りという感情が発生するのかがわからないから、戸惑い、怒りに乗っ取られてしまいます。

無力感

むりょくかん。これは自分に現状を変える力が無い時に感じるものです。自分ではどうにもすることが出来ない。だから怒るしか出来ない。さてその怒りに実用性はあるのでしょうか。怒っている先は大抵の場合人になりますが、その人に怒り、なぜそうなってしまったのかを問い詰めたくなるようです。問い詰めたところで、時遅しであったのであればどうでしょう。果たしてその怒りに意味はあるのか。もし現状を変えられる、または打開策があるのであれば、怒らずに交渉すれば一番健全です。

高慢・傲慢

人は大抵、目上の人や、立場的に上の人には怒らないものです。この場合、どうにかして怒りの感情を言葉に変えて、感情をぶつけるのではなく、論理的に言及をすることでしょう。ということはです。怒りを誰かにぶつけている場合、あなたは勝手に上下関係を作り上げているのです。私のほうがあなたよりは上であるという幻想を作り上げています。それが友達同士であろうと関係ありません。あなたはその人より偉いから、その人に怒りをぶつけられる。そう思ってはいませんか?

過去の再生

これは共通の原因からトリガーされるものではなく、人それぞれがもつ過去の実体験やトラウマによってトリガーされる怒りです。そして注意しなければならないのは、これらの怒りは怒りの感情そのものが再生されている(繰り返されている)のではなく、自分が特定のイベント(出来事)と「自分」が同一化してしまっているためにトリガーされているということです。

「またか」「何度も言ってるじゃないか」などの思考が出てきた場合は要注意です。その出来事と怒りは別物で、そう感じるのは、出来事の内容からではなく、出来事どう捉え、どのような解釈をしたから、その怒りが浮上したのかを観察しなければなりません。

演出

自分と相手二人だけでいるときは怒らないのに、観客(家族のメンバー、友達、通行人など誰でも)がいる場合に怒りを見せびらかしたくなるようです。「見たまえ!『私』は『コイツ』のした『悪い』ことに腹が立っている!『みんな』見ろ!『コイツ』は許せない!『私』が『正しい』ことを証明してやる!」

不必要な怒りです。

ここで注目すべきは二重括弧の部分です。
『私』『コイツ』『正しい』『悪い』『みんな』

怒り演出のプロセスのひとつに、
「正しい私 対 悪い相手」
という式があり、さらに周りの人々(みんな)の同調を求めるという傾向があるようです。

欲望

欲望の裏にあるものが奪取です。半沢直樹1の東大阪スチール社長の東田がクラブで追い詰められたシーンを覚えていますでしょうか。東田は不正取引で12億円を溜め込み計画破綻。しかし半沢はそれを突き止め、その12億円を回収します。それが分かった東田は取り乱し、怒りの感情を半沢にこうぶつけました。

「オレの金返せぇ!」

欲望とも言えますが、自分以外の何かが「自分」と同一化してしまっていると(この場合はお金)、その対象が無くなると、自分がなくなったかのような喪失感に駆られ、怒りとして現れるようです。

自分を生きれていない

自分を生きるの意味は一体何なのか。自分の言動が下記のいずれかに該当すれば、自分を生きていない可能性があり、その自分への嘘が怒りの原因となる可能性があります。

  • 誰かを見返すために物事を選択している
  • 誰かの期待に応えようとしている
  • 今の私は不十分で、完成するには何かを達成しなければならないと思っている

時間の幻想

あなたが追われているその時間は、実在する期限に基づいたものでしょうか。例えば、明日16時のフライトが決まっていれば、その時刻には確実に遅れてはならない、実在する期限であると言えます。もしそのフライトに間に合わないようなことがあれば、怒りとは関係ないレベルで「私は今行かなければならない」という選択ができます。切迫した状況でも冷静に決断できるのです。

しかしこれが時間の幻想となると「私には時間がない」という思考が、実用性のない怒りを浮上させ、あなたをコントロールし始めます。特にこの怒りは、想定外の出来事が起こった時などによく現れるようで、この仕組みを理解するためには、まずこの「私には時間がない」という感覚は、常に起動しているがとある出来事が浮上するまで感情がトリガーされれない、潜在意識的な状態であるということを理解しておかなければなりません。

この「時間の幻想」についての考察は、ここでは到底書ききれるものではないので、別の記事で改めて解説するとしますが、「こんなことやってる場合じゃない」とか「なんで今?」のような、心理的な時間からトリガーされる怒りが浮上した場合は、とあるあなたの決める重要なことを今やらなかったとして、本当に重大な損失があるのか?もしくは、本当にそこに「時間」はあるのか?自問してみると良いでしょう。

怒りを減らす方法

ここまでに書いた内容が理解できれば、どのように自分の怒りと付き合っていければ良いのかがわかるはずですが、怒りの感情コントロールをさらに上手に行うための心得を別の角度から見ていきましょう。

内容と感情を分けて捉える

内容とは、出来事のことです。同一の出来事を10人が経験したら、10人全員が同じ感情を感じるとは限りません。ということは感情はあなただけのもの、という方程式が成り立ちます。怒っても怒らなくても状況が変わらないのであれば、感情を切り離してその問題に向き合ったほうが楽だとは思いませんか?怒りそのものには役割はありません。そして怒ることが悪いというわけでもありません。

一人で怒ったところで何も得られることは無いと知る

これを心底から認めることが、怒りという感情を越えるために必要となります。自分の怒りを人のせいにして、一体何が得られるのでしょうか。相手も自分も気持ちよくはないでしょう。その上何が残りますか?気持ち悪さだけです。それよりも、なぜ今自分に怒りの感情が浮上したのかを掘り下げてみましょう。決して相手のせいではないと思います。自分が勝手に作り上げたルールを守れていない自分に嫌気が指しているだけだと思います。

怒りは自分の中からしか出てこないと知る

感情のスイッチは自分の中にある。この事実をあなたは認められるでしょうか。感情の仕組み自体はこちらの記事にて解説していますが、感情は思考と体がぶつかったときに発生する波動です。とある出来事を見て、感じて、初めて感情の波が出来上がります。怒っているのは相手のせいだ、と言いたくなるのはわかります。しかし本当のところは、相手の言動もしくは出来事を通じて、自分の中の怒りが浮上した、というのが正解になります。

さいごに

私自身も多くの怒りに悩まされてきました。自分の場合、大半の怒りはやはり、自分が自分を自由にさせていないことが一番だったと思います。さらにもう一つ重要なポイントとして、自分自身への怒りがほとんどであるということです。これはどういうことかと言うと、自分の持っている思考や、自分の持っているルール、自分の持っている善悪など、自分が決めつけたことが怒りの原因となっているということです。

さらに、まだ起こってもいないことに怒りを感じることもあります。これも自分が勝手に未来がこうなると決めつけ、存在もしていないその「確定したと見える未来」に怒りを感じたりと、巧妙なまでにこの怒りの感情は私たちを追ってきます。

しかし大丈夫です。この怒りの感情があるからこそ、私たちは私たち本来の姿に気づき、人間として成長できるようになります。この感情をコントロールし、自分を生きるためのアラート(目覚まし時計)と捉えることが出来れば、怒りは怒りではなく、本当に大切なこと(心から自由に生きること)のサインポスト(道しるべ)となってくれることでしょう。

人を変えようとしたり、変化に期待すると自分が苦しむ。人間関係は自分との関係。

ポイントは、「人」が問題なのではなく、あなたの「感覚」が問題なのです。人に変化を求める。人があなたの気持ちを変えてくれると期待することが本来の問題なのです。

人が人へ変化を求める時、それは人が自分に持つ「感覚」に嫌気が指している時です。自分が惨めになっている。自分が調子よくない。選択を持って生きれていない。その責任が自分にあることに気づいていないため、他人を変えることでそれらの問題が解決されると勘違いしているのです。

対人関係からのストレスが生まれる原因

あなたが日々ストレスや負担を感じていて、次のようなことを思ったことはありますでしょうか。

  • 協力してくれたらもっと楽になれるのに
  • 理解のある人だったらもっと楽になれるのに
  • もう少し稼いでくれたらもっと楽になれるのに

気持ちはわからなくもありません。実際人間は協力しあって生きる生き物です。ですがこれらの内容をよく読み直してみると、自分の心の安定と平和を他人に委ねていることがわかります。「楽になれる」という言葉です。

協力、理解、そしてお金、どれも生活には欠かせないものです。

  • 日々の仕事
  • 人からの理解
  • お金

これらは私たちの人生においての内容であり、自分で上手くコントロールしながら日々暮らせることがベストだと思います。しかしこれらがあなたの感覚や感情と同一化してしまっていると、それらの要素に自分がコントロールされてしまいます。コントロールされているの事に嫌気がさし、他人をコントロールしようとしまう。それが人が人に変化を求める根本的な原因です。

私はこれだけ協力している→あなたももっと協力してよ
私はこれだけ理解している→あなたももっと理解してよ
私はこれだけ稼いでいる→あなたももっと稼いでよ

このスタンスでは「私」と「あなた」があります。私がいるから、あなたもいる。この分離感もあなたの優れない感覚の原因でもあります。

自分の感情と課題を切り分ける

今度は自分の期待する「楽になりたい」という気持ちと、事実を切り分け、事実ベースでの解決策を見てみましょう。

日々の仕事

やるべきことが多い

一緒にやろうと誘う

人からの理解

情報共有が足りていない

責任感や負担があるのであれば伝える

お金

お金が少ない

節約するか仕事を増やす

課題への健全なアプローチは本来このように事実ベースで行われるべきで、私とあなたという概念は無いほうが良いです。自分、そして他人を惨めにせずに済みます。

ポイントは、「何」が問題なのではなく、あなたの「感覚」が問題なのです。人に変化を求める。人があなたの気持ちを変えてくれると期待することが本来の問題なのです。

人に変化を求める原理

人が人へ変化を求める時、それは人が自分に持つ「感覚」に嫌気が指している時です。自分が惨めになっている。自分が調子よくない。選択を持って生きれていない。その責任が自分にあることに気づいていないため、他人を変えることでそれらの問題が解決されると勘違いしているのです。

1 私はこれだけしている。

2 誰に?

3 あなたに。

4 だから?

5 あなたも私のために変わって。

この一連の流れが、自らを自分を惨めにする根本原因です。人のために生きるのではなく、もっと自分のために生きれば良い。もし人のために生きたいのであれば、自分の人生の中で自分のできる貢献として、見返りを求めず与えたらすぐに手放しましょう。与えるものは返ってくる。それが宇宙の法則です。

すべての人々が自分のために生きて、自分のできることがあればを協力し合う。お互いにその人らしく生きれることを願う。自分らしく、自分のために生きることを自己中心的と捉えるのではなく、それをお互いに認め合うのが本来あるべき人間の姿です。

一生懸命生きている時
何かに没頭している時は変化など求めない

あなたが赤ちゃんに愛情を注ぐ時は、あなたは一切見返りを求めません。でも大人になって社会的な思考が芽生えると、どうにもギブアンドテイクや損得の概念があなたの邪魔をしてしまいます。

そしてまた面白いことに、普段あなたが一生懸命何かに没頭している時には、人に変化を求めるような思考は出てきません。むしろ自分が自分らしく生きている時は、みんなが喜ぶことなら何でもするという普遍的な愛と情熱のエネルギーで満ち溢れ、人に変化を求めるという惨めな感覚が入れる余地がありません。自分が自分らしく生きれていない時や、将来への不安という時間をベースにした概念が出てくる時のみ、これらの思考が回ってしまうのです。

他人へ思うことは自分へ思うこと

これを心得ることが出来ると、自分の内面を受け入れ、自分のさらなる進化に繋げることができます。自分が自分の理想に到達していないから、他人に自分を見てしまい、自分が出来ていないことに嫌気が指してしまう。自分に厳しすぎると、他人にも厳しくなってしまう。人生では一生懸命生きることが大切です。そして自分に厳しく、高みを目指すことも大切です。しかしその厳しさが自分への劣等感となってしまうことが問題なのです。

人生で唯一責任を持つべきもの、それは自分の感覚です。他人を思いやることも大切です。ですがその「思いやり」と錯覚する「強制的な変化への期待」が、人間関係における歪みを生み出すこととなってします。

全ての思考と感覚は自分の責任。
他人との関係を改善する3つの選択。

人に思うことが何であれ、その思考は100%自分に責任があります。「私だったらこうするのに」「私だったらこう思うのに」「何であなたはそうするの?」等の感覚は、あくまでも自分ベースの考えです。これらがまず絶対的な真実かどうかも疑う必要があります。

さらに、他人に変化を期待する感覚でさえ、本当に必要なのか?ということも考えなければなりません。

他人との関係においては、許容するか、実用的に協力をお願いするか、関係をやめるかの3択です。

許容

もし長期に渡って同じことをその人に伝えていて、変わらないとしたら、それはその人のあり方であると認めてあげるしかありません。それが私たちがその人に出来る最善のことです。人を認めて生きるのか、変わらないものを変えようと抵抗して生きるのか。どちらが心地よいでしょうか。人を認めた方が心地よいのです。

実用的に協力をお願いする

消極的な人には、実用的に協力をお願いしましょう。ポイントは「何もしないあなたを見てるとムカつく」から依頼するのではなく、事実ベースで「今日はやることが多くて手が付けられないから、やっておいてくれない?」という風にアプローチすることです。あくまでも、あなたの感覚を変えたい故の依頼ではなく、事実ベースです。

あなたのイラつきやムカつきは、やるべきこととは別物です。それらの自分を惨めにしている感覚はあなたの問題で、人生におけるすべきこととは無関係です。自分に全ての責任があると思うことも勘違いですし、内面的に抵抗しているのもあなたである事を心得て「人に変化を求める」という肩荷を下ろしてしまいましょう。

どのような感覚を持って生きたいのか。そしてその感覚は自分で選択できる、ということも覚えておきましょう。

関係をやめる

その人を許容することも出来なくて、実用的に協力もしてくれない、そしてあなたの内面的な感覚も冴えない。ここまでの状況であれば、さっさと関係をやめましょう。人生一度きりです。なぜ泥沼にはまったまま動かないのでしょうか。選択を持って生きましょう。

関係がやめられない・環境的に制限されている場合

特に家族関係、親子関係など、切っても切れない関係の場合は、その人を認めてあげるしか他ありません。

人生における第一優先の事柄は、私たちの内面的な感覚です。他人や外的要因がたとえ理想とかけ離れていたとしても、事実と内面的な感覚は別物であることを心得なければなりません。

例えば刑務所に収監され、3年の懲役で服役しているとします。3年もの間、出たいと抵抗しつづけるのもありですが、抵抗する意味はあるのでしょうか。今この瞬間はこの状況であり、認めるしかないと思ったほうが、内面的には断然平穏でいられるはずです。外的要因が究極の制限である場合でもです。

自分の感覚を制御できた時、初めて自分の人生が始まる

人を変えようとする時、変化を期待する時は、他人に問題があるのではありません。他にやりたいことがあるのに、違うことをやらなくてはならない、どうにもこうにも調子よく自分と向き合えない、などの自分の感覚の問題です。人のせいする時は、大体自分のせいなのです。

まずやるべきことは、なぜ自分はこのような感覚を感じているのかを、自分に問いかけることです。自分の感覚(感情と思考)は他人の言動とは無関係です。自分の感覚と向き合うことが出来るようになれば、人に変化を期待することもなくなります。

一度きりの人生、他人のせいにしている場合じゃありません。他人を変えようとしている場合じゃありません。自分の描きたい人生を自由に描けるのが人生です。自分の全ての感覚に責任を持てて初めて、あなたの思い通りの人生を生きることが出来るようになるのです。