わからないからと言って挑戦をやめたら、わからないままで終わる

どんな取り組みにおいても、一生懸命取り組めば取り組むほど、歓びと情熱を帯びて自分の技量が上がっていく。

一方で、一生懸命取り組めば取り組むほど、何をどうすればいいのか全くわからないような問題や課題、つまりは試練に遭遇する確率は上がっていく。

それはRPGゲームに喩えるならば、定期的にエリアのボスが現れるのに似ている。

次の面白いステージ、そして自分そのものを次のレベルに到達させるために避けては通れぬ試練である。

そのエリアのボスは、雑魚キャラを苦なく倒せるだけの力量では倒せない。

強いて言うならば、エリア攻略に費やしたすべての力を合わせた以上の力が、そのボスを倒すために必要ということになる。

ではそのボスはどうやって倒すのか?

とにかく本気でぶち取り組む。

それだけです。

それだけと言っても、本気で取り組むというのは言葉で言うのは簡単です。

何回ぶっ叩いたら壊れるかわからない鉄壁を壊れるまで叩き続ける。

それが何万回になるかなど関係ない。

ドリカムのあの曲です。

何度でも!

1万1回目に何か変わるかもしれないんです。

ただやればいいんですよね

なんでやらないんですか?

そのあなたがしたいと思っていること、なんでやらないんですか?

やっても意味ないからですか?

やっても報われないと思っているからですか?

どうせ無理って言われたからですか?

それが図星で、自分も実はどうせ無理って思っているからですか?

実は人生って、やったもん勝ち。

才能があるとか、センスがないとか関係ない。

実際問題、あなたより下手な人でも、一生懸命取り組んでいる人がいるってことです。

その人のベストで在ればいい。

あなたのベストを尽くせばいい。

その育てた花(あなた)を立ち止まって見てくれる人もいれば、貶す(けなす)人も出てくることでしょう。

ただそれは一瞬の出来事。

あなたの人生は、あなたが生きている限りずっと続きます。

あなたを本当に見れるのはあなただけ。

あなたを本当に知れるのはあなただけ。

だからなんでもやってみよう。

ただやればいいのです。

目の前の仕事をこなせない奴に宇宙は大きな仕事を与えない

家事、職場で与えられた仕事、誰かから依頼された仕事、どんな事でも構いません。

あなたに課された、または与えられている目の前の仕事がこなせないのであれば、それ以上の仕事があなたにこなせる訳がありません。

もっと大きく、やりがいのある仕事は、自分が求めて授かるものではないのです。

あなたにその仕事をこなせる準備が出来て、初めてあなたにその大きな仕事が与えられるのです。

目の前の仕事をこなせない奴に宇宙は大きな仕事を与えない。

文句を言う暇があったら、目の前の仕事をすべてこなして、本当に暇になった時に文句を言いましょう。

ToDoリストに書くものはやりたくないもの

ToDoリストを仕事管理に使うのは良いです。

しかしその他のこと、例えば「本当はやりたくもないのに、嫌いな自分を好きになるために自分に課したこと」をToDoリストに追加したとしましょう。

そのToDoをやり遂げられた時は、あなたの自己肯定感にプラスに作用します。

しかし、やり遂げられなかった時は逆に自己嫌悪感を生んでしまいます。

つまりは、実用性のあるToDo以外は「より自分を好きになるためToDo」であり、それらは不自然かつ、本当はやりたくはないがやったらもっと幸せになれると感じているToDoなのです。

そもそも、本当に自分がやりたいことだったらToDoリストに書かなくたって自分で進んでやるんです。

ToDoリストに追加されたToDoにチェックを入れられない自分を嫌いになっていませんか?

今の自分、今の状況を感謝せず、常に将来の自分を気にしてToDoを作ってはいませんか?

人生は今です。

今自分がしたいことができればそれで完結。

ToDoなんか使わないで、自分のしたいことをして、自分を愛して生きていきましょう。

「こうなったら大変だからこうしよう」を「そうなってから考えよう」に変える

恐れなく生きる。

ただそれだけです。

恐れなく生きる。

どうすれば恐れなく生きれるようになるのか。

非常に簡単です。

「こうなったら大変だからこうしよう」

と考えるのをやめて

「そうなってから考えよう」

にするだけです。

つまりは、私達はその時その時の状況に応じて生きることしか出来ないため

将来を操作することは不可能なのです。

いやいやいや18時のハワイ便に乗るって決まっているんだから将来は操作できるでしょうに!

って思いましたか。

いやいやいや。

それはだたの行動です。

別に将来を操作している訳ではありません。

とにかくやる。

私達に人間に預けられた力はそれ以外ないんですよね、残念ながら。

私達が思う以上に、私達は無力よ。

反骨心は要らない「あいつはプロになる気かと笑われた」

僕の尊敬するあのイチロー選手ですが、彼の発言で唯一僕が賛同できなかったものがあります。

それが、彼がプロを目指している最中に周りの人間から言われた事に遺憾したというものです。

「あいつはプロになる気かと笑われた」

これを言われた事が悔しくて頑張ったんだとか、ある記者会見でイチロー選手が発言されておりました。

別にこの反骨精神、悪くはないと思います。

しかし人の取り組みを鼻で笑うようなゲスな人間を見返して何になるのでしょうか。

「あいつはプロになる気かと笑われた」

バカにされて悔しかったのではありません。

実際問題、まだプロになっていなかったから悔しく、反骨心を抱いてしまったのでしょう。

誰も見返す必要はない。

自分が納得すればそれでいい。

ただ凄いと思うのではなく、何がどう凄いかがわかるようになったら成長している証

美味しい店で美味しいごはんを食べて、美味しいと感じるのは普通です。

でもそれが何故美味しいのか。

美術館で画家の作品を見て、凄いのはわかるけど何故凄いのかがわからない。

でも料理を勉強して、味を「読む」練習をすれば、それが何故美味しいのかがわかるようになる。

たくさんの美術に触れて、自分でも絵を書いたりして、他の人の作品を「読む」練習をすれば、その作品が何故凄いのかがわかるようになる。

だから、もしその道を進みたいのであれば、何がなぜどう凄いかをわかるようになれば良いのです。

何故凄いかが説明できれば、あなたもそれを具現化できる。

自分が楽しむ以外答えはない

何をしてもいいんです。

何をやろうといいんです。

それが何のためであろうと、関係ありません。

しかしあなたがそれをエンジョイ出来ていないのであれば、ちょっと一時停止をしなければいけません。

何故ならば、それが人生で一番優先されるべきものだからです。

自分が楽しむということ。

それ以外はすべておまけ。

自分がエンジョイ出来ていれば、それ以上もそれ以下でもなく、それでその取り組みは完結します。

何かに繋げようとするから、よくわからないことになるのです。

繋げようとしてもいいんですけどね。

ちゃんと楽しめているのであれば。

真の成功者は我慢がゼロ

何かを我慢してまで何かを手に入れたいと思いますか?

自分の自由、自分のプライド、自分の個性を捨ててまでも得たい何かはありますか?

自分を殺してまで何かを得たいなんて、正気の沙汰ではありません。

一番大切にしなければいけないことは自分自身の感覚です。

それを捨てるのであれば、それは自分はその得たい物以下ということを認めていることと同義になります。

これでは自分の持つ力は奪われていく一方です。

我慢という言葉は「あたかも自分のためにしている投資」のように聞こえるかもしれませんが、それはただの自己正当化に過ぎません。

我慢するくらいならやめたほうがいい。

我慢という概念を無くし、自分にやさしく、そして生きたいがままに生きればいい。

停止は一度に多くをこなそうとしているサイン

やりたいことがないわけではない。

やりたいことがたくさんあるので、どれから手を付けていいのかわからないのである。

暇なわけではない。

やりたいことがたくさんあるので、どれから手を付けていいのかわからないのである。

これは頭の中で風呂敷を広げすぎて、結果何も行動に移せないという状況です。

欲張んじゃねーって。

欲張るなって!

あなたが話せる人はひとりだけ。

ひとりと話せないやつが、世界を取れると思うなよ。