人に当たる時は自分に当たっている

人がムカつく時ありますよね。

何をしてもムカつく。

何をしてなくてもムカつく。

何を言ってもムカつく。

何も言わなくてもムカつく。

そしてその人にあたる。

自分の苛立ち、自分の怒り、自分の不満を人にぶつける。

そういう時ありますよね。

八つ当たりってやつです。

誰でも八つ当たりはしてしまうものです。

八つ当たりは人に迷惑だし、する側もされる側も心地よいものではありません。

される側も理解に苦しむと思いますが、実は人にぶつけている自分の方が末期なのです。

自分の苦しみを人のせいにするなんて、終わってます。

ですので、もしあなたが人に当たっているなと感じたのであれば、それをすぐさまキャッチする必要があります。

他人に当たる自分をキャッチして、すぐに軌道修正をしなければなりません。

自分への苛立ち、自分への怒り、自分への不満を、自分で消化せずに他人にぶつけている自分を正さなければならないのです。

でないとあなたのその苛立ち、怒り、不満は膨れ上がる一方。

人に当たれば当たるほど、どんどん負の渦に飲み込まれていくことでしょう。

自分の感覚は自分で責任を持ちましょう。

他人の特定の行動に繰り返し気付く場合、その行動に何かヒントが隠されている可能性がある

職場でも学校でもどこでもいいです、家庭内でもいいです、誰かの行動が気になる時ってありませんか。

嫌な行動、やめてもらいたい行動とか、変えてもらいたいこと、やけにうざく感じること等、人の行動が気になって気になって仕方がない時ってありませんか。

そう思うことが一般常識からの判断なのか、あなたの個人的な価値観からなのかはさておき、なぜあなたはその人のその行動が気になるのでしょうか。

大衆的に見ても、その気づいた行動はおかしい行動かもしれません。

百歩譲ってもその人のその行動は異常な事かもしれません。

しかしそれに気づく人と気づかない人がいるということは、それに気づいたあなたは、その行動がもたらす感情に共鳴する何かを持ち合わせていたということになります。

例えば、著者の経験からすると、初対面なのにも関わらず、私はその初対面の人と話したこともなく、一言も声をかけていないのにも関わらず、後々聞いてみたら、その人は自分(著者)のことをうざい、むかつく、気に食わないと感じ、話しかけることができなかった、という言われたことがあったのです。

よくよく話を聞いてみたら、その人は私を見てすぐに、このような感情が湧き出たといいます。

「自由に振る舞っているのがムカつく」

しかしこの思考、共鳴は、その場にいたその人にしか起こらなかったです。

つまりこの共鳴は、自分が自分に与えている制限を、他人(今回の場合は私)を通じて知ることとなった、という現象になるのです。

他人に思うことは自分に思うこと。

いえ、思うことは自由ですが、他人を通じて感じる感情は、あなたの真実なのです。

だからこそ、人は全員神様であると言われるのです。

あなたの真実を見せてくれるからです。

エゴは何をやらかしたよりも、何もしてないということを嫌い、反応する

エゴって一体なんなのって話ですが、自分を見ることが出来ず、他人からの反応を常に伺い、他人に自分の幸せを委ねてしまう、あなたの中に住む、意識体?です。

エゴは英語でEGOと書きますが、辞書で調べてみると「自我」などという意味が出てきます。

自分を自分と思える意識のことです。

このエゴさん、自分のルールに反する行動や出来事に対して文句を言う癖があります。

いわゆる面倒くさいヤツほどエゴが強いのですが、エゴが実はルール違反以上にもっと嫌うことがあるのです。

「特に親密な関係にあればあるほど」という条件の上でなのですが、「あなたが何もしていない」ということをエゴは一番嫌うのです。

しかし面白いのが、この「何もしていない」というのは、その人のエゴさんの錯覚に過ぎず、本当のところは、「何もしていない」ように見える、というのが正解です。

つまり、エゴの文句たれモードがONになってしまっている人が「あなたは何もしていない」という風に言ってきたら、それは実はこういう意味なのです。

「あなたは『私の満足させること』を何一つしていない」

ですので、エゴの文句たれモードがONになってしまっている人には残念ながら、何をしても、その人満足させることが出来ないということです。

謝っても謝っても、謝罪しても謝罪しても許さないし、気分が変わらないのはこのためです。

その人が創り上げている世界だからです。

いつでもどこでも100%の愛情と信頼を与える

あなたが日々触れ合う人全員にです。

それで裏切られたり去られたりしたら、それはしょうがない。

運命です。

何より大切なのは、自分がその愛情と信頼を常に心で感じるということ。

人を愛そうと、人を信頼しようと、人から憎まれようと、人から裏切られようと、それらは全て自分の現実。

自分の内面で感じることが現実ということです。

つまり人から憎まれたとしても平気な人もいれば、愛されていても愛を感じない人もいるということ。

ですからあなたには自分の持つ現実を選択できる権利があるのです。

であれば愛情と信頼を感じ、それを与えたほうが(GIVEしたほうが)良いに決まっています。

自分の内面的エネルギーを意図的に健全化するのです。

ですから愛情と信頼は誰と関係なく100%与える。

太陽のように、ものの種別に関係なく、無差別に愛を与える。

それでいいのです。

愛情と信頼が返ってくるなど期待しないくて良いのです。

自分が感じることだけが真実ですから。

人を変えようとしたり、変化に期待すると自分が苦しむ。人間関係は自分との関係。

ポイントは、「人」が問題なのではなく、あなたの「感覚」が問題なのです。人に変化を求める。人があなたの気持ちを変えてくれると期待することが本来の問題なのです。

人が人へ変化を求める時、それは人が自分に持つ「感覚」に嫌気が指している時です。自分が惨めになっている。自分が調子よくない。選択を持って生きれていない。その責任が自分にあることに気づいていないため、他人を変えることでそれらの問題が解決されると勘違いしているのです。

対人関係からのストレスが生まれる原因

あなたが日々ストレスや負担を感じていて、次のようなことを思ったことはありますでしょうか。

  • 協力してくれたらもっと楽になれるのに
  • 理解のある人だったらもっと楽になれるのに
  • もう少し稼いでくれたらもっと楽になれるのに

気持ちはわからなくもありません。実際人間は協力しあって生きる生き物です。ですがこれらの内容をよく読み直してみると、自分の心の安定と平和を他人に委ねていることがわかります。「楽になれる」という言葉です。

協力、理解、そしてお金、どれも生活には欠かせないものです。

  • 日々の仕事
  • 人からの理解
  • お金

これらは私たちの人生においての内容であり、自分で上手くコントロールしながら日々暮らせることがベストだと思います。しかしこれらがあなたの感覚や感情と同一化してしまっていると、それらの要素に自分がコントロールされてしまいます。コントロールされているの事に嫌気がさし、他人をコントロールしようとしまう。それが人が人に変化を求める根本的な原因です。

私はこれだけ協力している→あなたももっと協力してよ
私はこれだけ理解している→あなたももっと理解してよ
私はこれだけ稼いでいる→あなたももっと稼いでよ

このスタンスでは「私」と「あなた」があります。私がいるから、あなたもいる。この分離感もあなたの優れない感覚の原因でもあります。

自分の感情と課題を切り分ける

今度は自分の期待する「楽になりたい」という気持ちと、事実を切り分け、事実ベースでの解決策を見てみましょう。

日々の仕事

やるべきことが多い

一緒にやろうと誘う

人からの理解

情報共有が足りていない

責任感や負担があるのであれば伝える

お金

お金が少ない

節約するか仕事を増やす

課題への健全なアプローチは本来このように事実ベースで行われるべきで、私とあなたという概念は無いほうが良いです。自分、そして他人を惨めにせずに済みます。

ポイントは、「何」が問題なのではなく、あなたの「感覚」が問題なのです。人に変化を求める。人があなたの気持ちを変えてくれると期待することが本来の問題なのです。

人に変化を求める原理

人が人へ変化を求める時、それは人が自分に持つ「感覚」に嫌気が指している時です。自分が惨めになっている。自分が調子よくない。選択を持って生きれていない。その責任が自分にあることに気づいていないため、他人を変えることでそれらの問題が解決されると勘違いしているのです。

1 私はこれだけしている。

2 誰に?

3 あなたに。

4 だから?

5 あなたも私のために変わって。

この一連の流れが、自らを自分を惨めにする根本原因です。人のために生きるのではなく、もっと自分のために生きれば良い。もし人のために生きたいのであれば、自分の人生の中で自分のできる貢献として、見返りを求めず与えたらすぐに手放しましょう。与えるものは返ってくる。それが宇宙の法則です。

すべての人々が自分のために生きて、自分のできることがあればを協力し合う。お互いにその人らしく生きれることを願う。自分らしく、自分のために生きることを自己中心的と捉えるのではなく、それをお互いに認め合うのが本来あるべき人間の姿です。

一生懸命生きている時
何かに没頭している時は変化など求めない

あなたが赤ちゃんに愛情を注ぐ時は、あなたは一切見返りを求めません。でも大人になって社会的な思考が芽生えると、どうにもギブアンドテイクや損得の概念があなたの邪魔をしてしまいます。

そしてまた面白いことに、普段あなたが一生懸命何かに没頭している時には、人に変化を求めるような思考は出てきません。むしろ自分が自分らしく生きている時は、みんなが喜ぶことなら何でもするという普遍的な愛と情熱のエネルギーで満ち溢れ、人に変化を求めるという惨めな感覚が入れる余地がありません。自分が自分らしく生きれていない時や、将来への不安という時間をベースにした概念が出てくる時のみ、これらの思考が回ってしまうのです。

他人へ思うことは自分へ思うこと

これを心得ることが出来ると、自分の内面を受け入れ、自分のさらなる進化に繋げることができます。自分が自分の理想に到達していないから、他人に自分を見てしまい、自分が出来ていないことに嫌気が指してしまう。自分に厳しすぎると、他人にも厳しくなってしまう。人生では一生懸命生きることが大切です。そして自分に厳しく、高みを目指すことも大切です。しかしその厳しさが自分への劣等感となってしまうことが問題なのです。

人生で唯一責任を持つべきもの、それは自分の感覚です。他人を思いやることも大切です。ですがその「思いやり」と錯覚する「強制的な変化への期待」が、人間関係における歪みを生み出すこととなってします。

全ての思考と感覚は自分の責任。
他人との関係を改善する3つの選択。

人に思うことが何であれ、その思考は100%自分に責任があります。「私だったらこうするのに」「私だったらこう思うのに」「何であなたはそうするの?」等の感覚は、あくまでも自分ベースの考えです。これらがまず絶対的な真実かどうかも疑う必要があります。

さらに、他人に変化を期待する感覚でさえ、本当に必要なのか?ということも考えなければなりません。

他人との関係においては、許容するか、実用的に協力をお願いするか、関係をやめるかの3択です。

許容

もし長期に渡って同じことをその人に伝えていて、変わらないとしたら、それはその人のあり方であると認めてあげるしかありません。それが私たちがその人に出来る最善のことです。人を認めて生きるのか、変わらないものを変えようと抵抗して生きるのか。どちらが心地よいでしょうか。人を認めた方が心地よいのです。

実用的に協力をお願いする

消極的な人には、実用的に協力をお願いしましょう。ポイントは「何もしないあなたを見てるとムカつく」から依頼するのではなく、事実ベースで「今日はやることが多くて手が付けられないから、やっておいてくれない?」という風にアプローチすることです。あくまでも、あなたの感覚を変えたい故の依頼ではなく、事実ベースです。

あなたのイラつきやムカつきは、やるべきこととは別物です。それらの自分を惨めにしている感覚はあなたの問題で、人生におけるすべきこととは無関係です。自分に全ての責任があると思うことも勘違いですし、内面的に抵抗しているのもあなたである事を心得て「人に変化を求める」という肩荷を下ろしてしまいましょう。

どのような感覚を持って生きたいのか。そしてその感覚は自分で選択できる、ということも覚えておきましょう。

関係をやめる

その人を許容することも出来なくて、実用的に協力もしてくれない、そしてあなたの内面的な感覚も冴えない。ここまでの状況であれば、さっさと関係をやめましょう。人生一度きりです。なぜ泥沼にはまったまま動かないのでしょうか。選択を持って生きましょう。

関係がやめられない・環境的に制限されている場合

特に家族関係、親子関係など、切っても切れない関係の場合は、その人を認めてあげるしか他ありません。

人生における第一優先の事柄は、私たちの内面的な感覚です。他人や外的要因がたとえ理想とかけ離れていたとしても、事実と内面的な感覚は別物であることを心得なければなりません。

例えば刑務所に収監され、3年の懲役で服役しているとします。3年もの間、出たいと抵抗しつづけるのもありですが、抵抗する意味はあるのでしょうか。今この瞬間はこの状況であり、認めるしかないと思ったほうが、内面的には断然平穏でいられるはずです。外的要因が究極の制限である場合でもです。

自分の感覚を制御できた時、初めて自分の人生が始まる

人を変えようとする時、変化を期待する時は、他人に問題があるのではありません。他にやりたいことがあるのに、違うことをやらなくてはならない、どうにもこうにも調子よく自分と向き合えない、などの自分の感覚の問題です。人のせいする時は、大体自分のせいなのです。

まずやるべきことは、なぜ自分はこのような感覚を感じているのかを、自分に問いかけることです。自分の感覚(感情と思考)は他人の言動とは無関係です。自分の感覚と向き合うことが出来るようになれば、人に変化を期待することもなくなります。

一度きりの人生、他人のせいにしている場合じゃありません。他人を変えようとしている場合じゃありません。自分の描きたい人生を自由に描けるのが人生です。自分の全ての感覚に責任を持てて初めて、あなたの思い通りの人生を生きることが出来るようになるのです。