そろそろまたブログ執筆の勢いが付いてきたと言ってもいいんじゃないでしょうかね。またいつ止まるかはわかりませんがw そうか書いてみたいことか。自伝書くのも面白そう。
1989年8月5日、毎年恒例、年を通して一番暑い日に、東京のコンクリートジャングルの中で生まれたそうです。しかも皇室御用達のA病院。親父は仕事でワイハにいたそうで、誕生の報告と同時に帰国便を手配したんだとか。母親と父親は空の上で出会ったそうで、正に翔んでる最中。翔樹という漢字も、スッチーだった母親が好きだった漢字だそう。まぁ記憶と聞いた話を混ぜながら30歳までのストーリーを書いてみましょうか。どうなることかはわかりませんが。書くことで点と点が繋がるかもしれないし、自己分析にもなるかも。僕実は記憶力が無駄に良くて、覚えている映像の容量は多分人並みじゃないレベルテラバイト。なので自分の中に保存されている映像を言語化していくのがこの自伝執筆というものになるかと思います。毎日少しずつ、みみっちく書いていきます。今日のところはみ。
集中力と無駄の省略
人生で一番大変なこと、それは自らの意志で事を進めるということだと思います。いや、これを書いていて思った。違う。違うわ。自分以外の何かが自分より大切になってしまっている時、人は自分を生きるのではなく、その「何か」のためにしか生きれなくなってしまう。ということですね!やべぇやべぇ。というか、そうなっちゃうっしょ、このアンバランスな世の中に生きていたら。だからこそ自分の軸の強さが重要になっていく時代に突入していくこと間違いないです。長野の避暑から戻って10日ほど経ったからか、ようやく本気モードに入って来ています。何かが変わるってものでもないんですが、徐々に可動域を増やして、いろいろなプロジェクトの世話を本格化しています。いろいろなプロジェクトの世話を本格化させると、何が課題になってくるかというと、集中力と無駄の省略です。あとは時間配分。いつどこにどう時間を費やすか。それが年末にかけての課題になるかと思います。あと夏が終わって涼しくなってくると、あの悪夢を思い出します。一生忘れることのないあの悪夢を。
OMENS OF LOVE
永遠に美しくに続き、またとある僕の中のミッシングピースが埋まりました。T-SQUAREの曲だったのか… まさしく先日松川で辿り着いた神社のように、まさかあの曲はT-SQUAREだったのか!?というような、驚きの感覚とマジかというか、そうです、僕がアメリカに立った年、小学六年生だった僕は金管バンドに所属しており、その最後の年にオーメンズ・オブ・ラブを演奏したのでした。2年目の僕はコルネットセクションから打楽器セクションに移転しており、僕はその時はコンガを担当していましたが、そうです、一番最後におれが金管で演奏した曲、それはT-SQUAREのオーメンズ・オブ・ラブだったのです!なんてことでしょうか!いや、当時からなんかキャッチーでいい曲だなとは思っていましたが、まさか2001年から20年後にやっとそのアーティストが判明し、さらにそれが僕の大好きなTRUTHでおなじみのT-SQUAREだったとは… 青天の霹靂です。f*ckkkkkkkkって感じです。マジですか!?って感じです。いや、気づく遅いとか関係ないんですよね。僕はただ僕の人生を歩んでいるだけで、僕が過去に触れたが認知までに至らなかったものが最近多々形になるという面白い現象、偶然かつ必然な点と点の繋がりを感じている今日このごろでございます。
あと一点、文章書くのも筋肉なんだなとも思いました。またブログを再開したものの、しばらく文章を書いていないからかやはり衰えを感じるわけです。当時は毎日書いていたからか、全くもってそれを感じませんでしたが、やめて初めて文章力は筋肉だったんだなとわかりました。マジでそろそろリアルにアウトプットしまくる準備をしているので、ブログ執筆で頭の体操。良きウォームアップでしょう。
ちなみにOMENS OF LOVE, 作曲した和泉さんがピアノで演奏されているのを見つけて、最初は変なおっさんがOMENS OF LOVEピアノで弾いてる上手だななんて思っていたのですが、まんまと作曲者かつT-SQUAREのメンバーだったとはマジ勘弁してくださいって話です。そして20年前の疑問が一つなくなったと。
もしよかったらオーメンズ・オブ・ラブ、聴いていってください。
あと最後に、足立区立鹿浜小学校 音楽の宗像先生、オーメンズ・オブ・ラブをありがとうございました。
永遠に美しく
先日ふと、死んだ親父が観ていた映画を思い出したので観てみました。「永遠に美しく」という映画です。1992年に公開された映画で、原題は「Death Becomes Her」訳しまして「”死”になった彼女」です。邦題の通り、誰も避けることのできなかった「老いること」を、とある秘薬を飲むことで老けることがなく、そして死ぬことのない体を手に入れる、という描写が出てくる映画です。人間は、特に女性は、若さと美しさを男性よりも追い求める傾向があるようで、その人間性を描いたブラックジョーク作品と言えます。一応コメディという部類らしいです。
この映画、多分僕が小学低学年の頃でしょうか、父親がレンタルビデオショップ(ウェアハウス)で借りて観ていたんです。その時はなんか怪しい映画を観ているなくらいしか記憶がなかったので、どんなストーリーかまでは覚えていませんでした。調べてみるとちょうどアマゾンプライムであったので観ちゃったわけなのですが、この「死」というテーマについて考えさせられました。
まず人間の感じる恐れですが、これはどんな恐れであろうと、死に直結しているから感じる恐れだと言われています。その死を人間から取ったら恐れなく生きれるようになると思いますよね。そう思う方は是非一度、永遠に美しく、観てみてください。絶対死にたくなるはずです。おれもぶっちゃけ、あー死ねるいい〜って思いました。心底。
その数日後にまた死に関する作品をYouTubeで観たのですが、それはまた別の記事に。そして死のインプットをまとめた記事はbreakthroughにアップ予定です。
ブログ再開!
breakthroughにブログ記事を全部移管してたのを戻して、Shoki.jpを復活させました。理由は、ぶっちゃけ僕のブログ記事とbreakthroughのコンテンツは無関係だからですw インデックス数を増やしてbreakthroughのサイトオーソリティをアップさせるのが目的で、Shoki.jpの記事を全部breakthroughに移した訳なのですが、それがやはり無駄だったというか、ちゃんと面倒を見れないとどちらも腐っていってしまうわけです。
もちろん自分のためにできればそれでいいのですが、一応誰かが読むであろうメディアである以上、読者のためにもなっていないとどうしようもない、ということで、個人的な記録と目的を持った執筆をやはり分けることにした、ということです。あとは自叙伝も書きたいなって感じ。
ではでは。
「何かしなきゃ」という感覚を手放す
何かしなきゃ。
何かしなくちゃ。
こう思ってしまう状態は、何かをしていない自分に不安が生じる時です。
何かをしていないと、自分が自分でなくなってしまう。
取り組みそのものが自分の存在より大きくなってしまっている証です。
自分の存在より大きくなってしまっているというよりは、自分が取り組みそのものより小さくなってしまっているのが正解かもしれません。
取り組みは取り組みで絶対なはずです。
自分が取り組むという状態であれば一切の問題はありませんが、自分のために取り組まなければならないという状態では、取り組みの方が自分よりも優ってしまうのです。
「何かしなきゃ」と思っている状態では、何をあがいても積み重なる取り組みにはなりません。
その状態は、その何かを達成することで、自分が見つかると信じ込んでいる状態だからです。
取り組みを通じて、自分を探している状態です。
自分が自分を探すなんて矛盾しているとは思いませんか?
ずばり、矛盾しているんです。
見つかるわけないんです。
メガネを頭に掛けてメガネを探している状態と同じです。
探しものはあなたにもうすでに付いてますけど〜!っていう。
何をしてもいいんだ。
何もしなくてもいいんだ。
あなたはあなたに何を足さなくても完璧なんだ。
これをぜひ心得て生きてみてください。
自分が自分に見出す意味や幸せ、価値は取り組みを通じて得るものではなく、生きるそのものに備わっているもの。
あなたには、今この瞬間にだけ感じることの出来る「生きる歓び」を、今、感じる権限があるのです。
生きましょう。
ビジョンは自分の出来る範囲のものしか描けない
ビジョンとは、今はまだ実現されていないものの、いつかは実現したいと考えている未来予想図のことです。
このビジョンを描く時、どこまでのスケールを描くかは、書く人によって異なるのはごく自然なことかと思いますが、実はこの描くビジョン、自分の出来る範囲までしか描けない仕組みになっています。
もしあなたが、世界チャンピオンになりたいというビジョンを描いているのであれば、あなたには世界チャンピオンになれる素質が備わっている、ということ。
自分の中に「不可能」さえなければ、ひたすら真っ直ぐに突き進むだけで、本当に世界チャンピオンになれます。
しかしそのビジョンを信じ、取り組みを行っていく中で、誰もが直面するのが試練です。
あなたの描いたビジョンを壊してくるような、逆境です。
それを勢いよく乗り越えることが出来たのであれば、そのビジョンは生き続けますが、少しでも怯んでしまうとその描いたビジョンのスケールが小さくなってしまいます。
つまりは、最初から出来ないと思っている人は本当に出来ないし、出来る人でも、そのビジョンがなければそこに行くことも行けることもないということ。
逆にビジョンさえも描かずに生きる人もいるということです。
Whatever the mind of man can conceive, it can achieve. – W Clement Stone
人が考えられることは実現できる。- W クレメント・ストーン
とにかく手を動かせ。手数が勝負。
立ち止まって悩むよりも、無駄だと思って停止するよりも、無駄だとしてもとにかく手を動かすことが限界突破をするために必要です。
理由は簡単です。
無駄と思っていることさえ無駄だからです。
無駄と決めつけているのは思考であり、実際の進歩が起こる時は、思考を超えた脳細胞レベルでの変化が生まれる時です。
あなたが無駄と思う取り組みでさえも、この脳細胞の変化に影響を及ぼしているのです。
さらに付け足すと、成長というものは、取り組みの最中に自分で実感できるものではありません。
筋トレと同じで、筋トレそのもので体が成長するのではない。
筋トレ後に、損傷した筋肉細胞が体の仕組みとして再生されることが、実際の「成長」ということになります。
出来なかったことが出来るようになるということは、その原理と全く同じです。
もちろんあなたの取り組みなしには実現されないものの、あなたの実際の成長は、あなたが寝ている間などの無意識の状態で行われているのです。
無駄かもしれなくても、どうすれば次のレベルに到達できるかわからなくても、とにかく手を動かす以外、我々人間に出来ることはないのです。
宇宙の叡智(Universal Intelligence)に身を委ねるしか、我々人間に与えられた術はないのです。
手を動かす以外。
人生を生きる前に読んでおきたい『生きる上での注意事項』
どんな取説にも書いてあること、それは注意事項です。
これはしてはいけませんよ。
この部分にはこう注意してください。
これをすると壊れてしまいますよ等など、その物を使う前に必ず読む必要のある、または読んだほうが良い知識です。
取説には沢山の機能説明が書いてある中、注意事項は飛ばしがちな項目かもしれません。当たり前の事が書いてあるのがほとんどだからです。
ですが、この人生という体験への理解を確実なものにするためには、この当たり前な注意事項をしっかりと落とし込む必要があります。
この人生という体験を生きるための基礎とも言えるでしょう。
2つ注意事項カテゴリー
人生における注意事項は2つのカテゴリーに分類されます。
1つ目は「人生体験そのものについての注意事項」。
2つ目は「人として生きる上で気をつけなければならない注意事項」です。
これらの注意事項を予め知っておけば、人生で物事がうまくいかないときや、自分自身に苛立ちを感じた時にその原因がわかるようになります。原因がわかればすぐに軌道修正ができるので、無駄な時間を問題解決に費やさずに済むのです。
あなたの人生体験をより一層豊かな体験とするための心得と言えるでしょう。
「人生体験そのものについての注意事項」とは
1つ目の注意事項「人生体験そのものについての注意事項」を解説していきます。
もしあなたが、これから「人生」というアトラクションに乗れるとしたら、スタート地点の看板に書かれている注意事項に一応目を通しておきたいものです。もちろん注意事項を読まなくてもアトラクションを体験できますが、人生は比較的複雑かつ人それぞれに体験が異なるので、共通する注意事項は知っておいて損するものではありません。
人生がもしアトラクションだったら、知っておきたいもの、それが「人生体験そのものについての注意事項」です。
人生体験そのものについての注意事項 5か条
- あなたの人生を生きれるのはあなたしかない
- あなたの人生における幸せは自分しか作れない
- あなたの人生は100年以内に終わる
- あなたの人生には意味はない
- あなたの人生は内容に関係なく完璧である
「人間として生きる上での注意事項」とは
次に2つ目の注意事項である「人間として生きる上での注意事項」についてです。
人生というアトラクションは、体験でありながらも、さらにその中の人を操作しなければならないという仕組みになっています。そう、その人とは「あなた」のことです。
あなたは、あなたの人生で与えられた人間という体を駆使して、この人生体験アトラクションを進まなければなりません。
人生体験アトラクションの中に入ると同時に、人間という機体に入ることになる。そしてその機体の入り口に書かれているのが「人間を生きる上での注意事項」と言えるでしょう。
違いは何か。「人生体験そのものについての注意事項」と「人として生きる上で気をつけなければならない注意事項」の違い。
人生体験とは別に注意事項がある理由は、人生は人間という機体ありきの体験だからです。人生という体験は、人間に乗り込まないと体験できないということ。
となると、人生という体験そのものへの理解の他に「人間という生き物そのものの理解」も必要になるということです。
人として生きる上で気をつけなければならない注意事項 5か条
- 人生を他人のせい、物事のせいにしている限り、自分の人生を歩むことは出来ない
- あなたが人に思うことはあなたが自分に思うこと
- 時間はあるようでない
- 急げば急ぐほど急がなければならなくなる事が起きる
- 向かうべきは疑問のない領域 (納得するまで人生への質問は問い続けること)
人生体験そのものについての注意事項
注意事項の2つの分類がわかったところで、早速1つ目の注意事項を詳しく見ていきましょう。人生体験そのものについての注意事項です。
あなたの人生を生きれるのはあなたしかいない
当たり前のように聞こえるかもしれませんが、あなたの人生を生きれるのはあなたしかいません。これはどういう意味かというと、あなたの体験を出来るのはあなたしかいないし、誰かの体験を出来るのはその人しかいない、つまり、自分の人生と他人の人生を比べることは無意味、ということ。
自分の人生のほうが良い人生だ、と思うことも錯覚。
あの人の人生のほうが良い人生に見える、と思うことも錯覚。
自分の人生なんて最悪だ、と思うことも錯覚だと言うことです。
注意事項1: 自分の人生は自分だけが体験できるもの。他人の人生と比べることは無意味。
自分の人生自分でしか生きれないし、自分でしか自分の人生を創り上げることは出来ない。自分の生き方が人生という体験に直接繋がっているので、どれだけ自分を生きれるかが豊かさを感じるために必要な鍵となってきます。
何事も自分次第。自分の特性(自分の個性や癖や特徴)をどれだけ理解して、どのように自分の人生体験を作っていくかがポイントです。
あなたの人生における幸せは手に入れるものではない
あなたの人生における幸せは、自分以外の何かを通じて手に入れるものではありません。後付けとなるもの全て、あなたを満足させることはないということ。
例えば、好きなことを仕事にするとか、お金持ちになって金銭的自由を手に入れるとか、素敵なパートナーと結ばれる等など、いわゆる世間的に「成功」と呼ばれているようなものは全て、あなたに永続的な満足感や幸せを与えることはないということです。
注意事項2: 幸せは手に入れるものではない。手に入る物と勘違いしてはいけない。あなたの幸せは「生きること」そのもの。
これを聞くと、一体何のために生きているのかわからなくなってしまうかもしれません。自分の夢を叶えるために生きている、自分の目標、自分の掲げる理想に到達するために日々日頃から努力しているのに、何を手に入れても幸せにならないという注意事項があっては一体何のために生きればいいのか。そう思われるかもしれません。
しかし人間の特性として、ないものを求めることはごく自然なことです。欲しい物がある。達成したいことがある。行きたい場所がある。ただ、その欲求はあなたの人生の一部に過ぎないということ。欲しいものは手に入れればいいし、達成したいことがあれば達成して、行きたい場所があれば行けばいいのです。
しかしそれら無くして自分が自分でなくなってしまっては本末転倒。「生きる」という大きな括りの中の「楽しみ」であればいいのであって、欲求そのものが自分の人生となってしまうと、不幸という感情を生むのです。
求めることだけが生きることではない。与えるも生きる。止まるも生きる。動くも生きるです。
あなたの人生は100年以内に終わる
大人になると、こう嘆く人が増えます。「この10年あっという間だった」と。実際の話、10年も100年も変わりありません。人生あっという間なのです。あなたが今どんな試練と立ち向かっていようと、あなたが今どんなに人生をエンジョイしていようと、人生は大体100年以内に終了します。長く感じるかもしれませんし、短く感じるかもしれません。
しかしこの終わりへの進行は、実感、体感できるものではないため、生きている間はいつまでも生きていられるような気がしてきます。それが錯覚なのです。この有限から逃れられた人間は誰ひとりいません。
注意事項3: 人生はいつか終わる。永遠と続くものと勘違いしてはいけない。
やりたいこと、してみたいことがあったら直ぐに行動に移しましょう。本当にいつ終わるかわかりません。生きているうちにやっておきましょう。
あなたの人生には意味はない
人間は地球上の生き物で唯一、動物的本能以外に「思考」を持つ生き物です。頭を使って物事を考えたりすることが出来るということ。
この思考は便利な半面、自分の人生に意味を付けたがります。果たして自分の人生に意味はあるのだろうか。自分の存在に意味はあるのだろうか。そう思ってしまうのです。
人生は体験です。体験とは、映画を観ているのと同じようなもので、始まりがあり終わりのある、連続的な描写のこと。ただそれだけです。意味を追い求めたところで、しっくりくる答えは出ないし、意味を付けたところで何も変わらない。
生きているから生きている。ただそれだけなんですね。
注意事項4: あなたの人生には意味はない。ただの体験だから。
あなたの人生は内容に関係なく完璧である
あなたの人生がどんなに美しくても、あなたの人生がどんなに過酷でも、それは人生という体験の一部として起こっているものです。あなたの人生というストーリーを作り上げているだけで、何が起きてもそれはただの物語。良いも悪いもなく、一瞬一瞬があなたというストーリーを作り上げる完璧な体験なのです。
人生で起こる出来事に良し悪しを付けることは、自分の物語を批評しているのと一緒。この人生における体験は全て、完璧なのです。人生は、自分の思い通りにならないものでもなく、思い通りにするものでもないということ。
注意事項5: 人生はどんな内容であろうと完璧である。それがあなたしか体験することのできない「あなたの人生」だから。
完璧という言葉を聞くと、文句の付けようがない、とか、素晴らしいなどという肯定的な意味を連想されるかもしれませんが、ここでいう完璧は否定的でも肯定的でもありません。
ここで言う完璧は、ありのまま、という意味の完璧です。完全という言葉の方が適しているかもしれません。頭で識別できる物事の良し悪し関係なく、あなたの人生体験そのものはあなたの生きた体験の通りであるため、それ以上でもそれ以下でもない。だから完璧、ということです。
人間として生きる上での注意事項
次の記事につづく…
(2021年6月リリース予定)
中毒は傷跡に塗る麻酔薬
傷跡と言ったら大げさですが、やはり誰でも弱みを隠したくなるもので、大人になるといつの間にか、どう自分の弱点を見て見ぬふりをするかを意識するようになります。
その見て見ぬふりをするために有効活用しているものが、中毒というものです。
何かに依存すると言ってもよいです。
何かに中毒になっている状態とは「自分の弱みが感じなくなるように、とある行動に依存すること」を言います。
ということは、何かに中毒になっている状態では、一生その心の傷跡は治らないということになります。
「自分の弱みが感じなくなるように」するということは、麻酔薬を塗布するようなものですから、治癒には繋がっていません。
あくまでも「感覚を鈍らせている」というものです。
自分が求める自由、本当の自由、心から解き放たれる開放感を持って生きる感覚を手に入れるには、どうにもこうにも中毒を脱却しなければなりません。
中毒に依存している限り、あなたの傷跡は癒やされないだけでなく、より手ごわい治りにくいものに変化してしまいます。
そしてさらなる依存が別の依存を生む可能性もあります。
中毒の状態で、あなたの体と心のエネルギーバランスがわかります。
あなたの思い当たる中毒は何ですか?