スティーブ・ジョブズの名言は、彼の死後、あらゆる場所で紹介され、多くの人々を励ましています。彼の功績は多岐にわたりますが、伝説のスピーチと呼ばれる、2005年のスタンフォード大学の卒業式に行ったスピーチ、ご存知でしょうか。彼はそのスピーチにて、3つのストーリーを語ったのですが、そのひとつに「点を繋げる」というストーリーがありました。内容は至ってシンプルで、人生で経験する様々な物事を点とするならば、未来を展望しては点は繋げられず、過去を振り返ってからでしか繋げることができない、というものでした。僕もこのスピーチは何回か見たことがあるので、この「点を繋げる(Connecting the dots)」というストーリーはもう既に知っているものでした。
点は過去を振り返ってからでしか繋げられない。そう言われれば、そりゃそうだ、としか思わなくありませんか?人生の道のりをカーナビに喩えたら、自分の通った場所にしか、点を落とすことが出来ませんから。僕もこう思っていました。
しかしそれにはもっと深い意味があったのです。今日の気付きだったのでシェアさせてください。彼がその喩えをスピーチにて紹介した本当の理由は、「人生にて経験、体験すること全てを、将来の何かに無理やり繋げようとするな」ということです。大人になると、行動の大半が、将来のためになるかどうかで選択されるようになってきますので、どうしても「結果」や「成果」を考えた上での行動になってしまいがちです。それらの行動は、人間の頭脳が行っている指令であり、自分の心に沿った行動ではないことを理解する必要があるのです。
頭脳は、将来を考え予定を立て、それを着実にこなせば、成果が出ると信じているのだが、宇宙の法則はその逆であり、なんの成果も期待しないでする行動こそが、本当の意味での「成果」を生み出すようになっている。だ・か・ら、点は過去を振り返ってからしか繋げられないのです。無意味に見えるようなことでも、それが必ず何かに影響を与えている、っと。
今やっていることを、将来の何かに繋げようとしないことこそが、宇宙に繋がる生き方になる。
繋げようとすればするほど、何も繋がんねーっていうね!面白いでしょ?
恐れは半透明のお化け
ブログを書いていく上で、僕の記事を読んだ人が、僕のことをどう思うのかと気にしてしまって、100%の自分を表現できない時があります。しかし、これだけは極端な話、完全なる幻想であります。幻想であり、自分が恐れているものでもあります。この恐れは、僕がこのブログを書く時に浮上するもの、という風見えるのですが、実はブログ執筆は単なる行動ですから、それ以前の意識のお話ということになるわけです。すなわち、この意識はブログ執筆だけでなく、僕の日常的な生活の中や、仕事、趣味、人間関係の中でも適用され作動していることになるのです。
いやまぁこれは大きな発見でした。恐れの定義については、また後日しっかりと地球人のためのスピリチュアルレッスンにアップするとして、今日はこの気付きが大きかったなと、思ったわけです。これに気づいて生きるのと、知らずに生きるのとでは、大きな違いがあると思います。目標達成の前に自分を生きることは、非常に大切です!
さてもう11月にも入りまして、寒くなってきました。今日はジュニアハイから一緒だったコリアンの友達からFBメッセージが来て、ちょっとLAな気分。来週日本に来るらしいので、もしかすると会うかもだって!やっぱり縁って凄い!
ちなみにですが、僕は記事のタイトルを必ず文章を書いた後に付けるんです。理由は最初に決めちゃうと話題が制限されちゃうからなのですがw オススメです。
Love yourself.
自分って、稼ぎがないと自分の価値が無いように感じてしまうんです。最近は仕事があっても、後払い系の仕事が多くて、資金繰りがちょっと厳しい。こういう時はいつもモチベーションが下がってしまう。今回に限っては、この在り方はいい加減ダメだろ、って思って、今日はちょうど遥翔と二人で終日留守番だったので、この感覚と向き合ってみたのでした。自分と思われる自分も、この感覚があまり好きではない、というか面と向かいたくないらしく、向き合おうとすると逃げに入るんです。逃げのパターンは様々ですが、いつまでも逃げていたら一生繰り返しになってしまう、だからその感覚に便乗して、根本的な要因を探ってみたのでした。
すると出てきたのは、記事のタイトルの通り、「I’m not good enough(僕は未熟で不十分)」という感覚。その感覚は以前からも気づいていましたが、やはりこれは侮れない傷だなと、本日改めて感じました。あとは、たまたま読んでいたサイトに、「自分を愛しましょう」みたいな記事があって読んでいたのですが、もしかすると俺って、自分のことあんまり好きじゃないかも!とも気づいてしまいました。自分が取り組んでいるあらゆるものを保つためのモチベーションが、全て自分の不十分さを補うためのもの、と言えば分かりやすいでしょうか。もう本当に幼少期をそのまんまリピートしてるんでしょうね、っもうバカみたいです。ココだけの話、僕ってあんまり褒められたことってないんです。あったとしても、覚えてないんです。翔樹は出来て当たり前、みたいな暗黙の常識の上で育ったんでしょう。だから何かを言われるときは、ほぼ全てダメ出しだけ。多分そういう経験が、「I’m not good enough(僕は未熟で不十分)」に繋がっているんだと思います。何を達成しようと、不十分な訳ですから・・・。
今まで色々な課題を僕自身に課し(仕事とかウェイトトレーニングとか音楽)、その進展をここのブログにて発表してきましたが、それらの課題は二次的な課題であったことに気づきました。
僕の真の課題は、自分自身を愛すことです。
みなさま、自分自身を愛してる、と言えますか?
日本の意識は世界に劣る
本日の時事で目に飛び込んできたのは、アップルのCEOティム・クック氏がゲイだとカミングアウトしたという記事でした。僕はアメリカ育ちということもあって、同性愛に対して何の抵抗もありません。レズの友達もゲイの友達も、バイの友達も普通にいましたから(笑)。だからティム・クック氏自身がゲイどうこうと言うよりも、その事実を公にすることが出来るアメリカ、世界って素晴らしいなって思います。人それぞれが持つ独自性を尊重する、まだこの意識が日本人には足りないなと、ニュースなどを見て感じるわけです。先日の矢口真里さんの復帰ニュースの件もそうですけど、不倫騒動?が、そこまで叩くべき要因なのかも、理解できませんし、何故世間はそのひとつの不備だけさえも許すことが出来ないのか、疑問に思います。なぜならば、ニュースに取り上げられるくらいの人であれば、それなりの社会貢献をしてきた方であることは間違いありません。なのに巷では普通に起こっているようなことに一度でも遭遇しただけで、一瞬にして悪者扱いです。当事者の気持ちを、騒ぐ前にもう少し考えていただけないのかなぁって。乃木坂46のあの子も(名前忘れました)メッチャクチャ辛い思いをしてると思います。可哀想ですね。このような事を許せるような世間にならない限り、日本は終わるでしょう。そして優秀な人間は全員日本を去ることでしょう。断言します。
生きる意味
なんで僕は生きてるんだろう。何に向かって進んでいるんだろう。同じような日々を繰り返し、最近はこうまで思うようになりました。自分には夢があります。それは、音楽を通じて人々へ夢と感動を届けることです。人々の夢を叶えるための燃料になる。音楽を通じて、これを達成できたら、それ以上のことはありません。ただ、毎日音楽をやって生活できるまでの領域には達していないのが現実で、生活費を稼ぐための仕事と、夢への投資を両立しなければなりません。実はこれが結構大変なんです・・・。ビッグになった人達は、みんなこの苦労を乗り越えてきたんだと信じるしかありません。だって本当にちゃんと正しい方向に進んでいるのかさえわからないんですから!手探り状態です。いつか光が見えるドアノブに触れるんじゃないかなって思いながら、もがいている感じ。今の平山翔樹は、この状態であると断言できます。親のサポートがあった十代の時にテレビとかを見ていて、ミュージシャンでも俳優さんでもビッグになった方が「僕には腐り果てた下積み時代があった」なんて言ってたのを思い出しました。当時は、その言葉の重みがわからなかったのです。軽くは捉えていませんでしたが、やっぱりそのくらいの経験があってこそなのかな?なんて思った程度だったんです。もっと頑張らなくては。俺はまだこんなところでくたばっていられない!
寒さ到来
いや寒いっす。末端冷え性発症です。寒いと水の摂取量も減るし、足が冷えて集中出来ないし、水を飲んでないのにトイレが近いし、夏生まれの僕にとって寒さは天敵です。今日は先日の書類作成の件の郵送手続きを無事終えて、完璧に終了。かなりスッキリです。書類作成で追い詰められていたこともあり、ここ数日ジムに行けていなかったので、今日は夕方からナイターでジムってきました。トレーニング自体は7月頭から再スタートして、ジム通いは8月の頭からでしょうか。もうすぐ10月も終わるので、まるまる3ヶ月が経とうとしています。さすがに3ヶ月も通うと、スタッフさんとか、常連のトレーニーの方々と顔見知りにもなって、以前より気楽になってきます。大学生で比較的若いスタッフさんもいて、本当僕と同世代。2個下だから、1991年度です。普通に話してたんだけど、向こうは僕のことを30代だと思っていたらしく(僕は絶対実年齢より上に見られるので慣れているのですが)、実年齢がたったの2個上だったということでかなり驚いていました・・・爆 僕より年上の27歳の方まで僕が年上だと思ってたんだとか・・・笑。年齢っていう要素も、昨日話した時間のアレじゃないですけど、よくわかんないっす、マジ。もうすぐハロウィンですね!僕にはあんまり関係ないお話ですけどw
時間という錯覚
やったぜ!やっつけたぜ!あとは明日起きてファイリングして投函するだけだぜ!フー!とか言ってますけど、本当はこういうのは無しに淡々と物事進めていきたいものです。はい、先日の徹夜の続きの件、無事完了いたしました!道のりが長かっただけやり切った時は本当に気が楽になりました。肩の荷が下りるってやつです。ありがとうございました。
やり切ったからと言って、完璧にこなせたわけではありません。内容的には完璧にしたつもりですが、やっぱり自分は時間に弱いなと、思うわけです。ここで言う時間に弱いというのは、遅刻しやすいとかではなくて、時間という要素に左右されやすい、もしくは時間という空想的概念を逆手にとって、やるべきことを後回しにしたりしてしまう、という意味です。要はですね、今回の提出書類の準備を例にすると、実はもっと時間には余裕があったはずなのです。というかかなりの余裕がありました。約1ヶ月の準備期間がありました。それなのにも関わらず、月の最後の最後まで取り掛からず、最終的に締め切り前に詰めに詰め込むということになってしまったわけです。
自分なりに分析してみますと、1ヶ月の時間がある時には僕は、「まだまだ余裕だ。時間なんて山ほどある。これだけの時間があるんだから問題なく締め切りには間に合う。」って思うパターンがあるんです。でもそう思ってしまう結果、結局締め切り直前までダラダラして取り掛からないということで、「時間がない!ヤバイ!間に合わない!」という逆のパターンに陥り、徹夜まで要するまでにエスカレートしてしまう。ですからここで僕が僕自身に言いたいことは、「時間がある」と思うことは錯覚であり、「時間がある」とポジティブに感じ思ってしまう時点で、既に「時間がない」という現実も同時に作り上げているんだよ、ということなのです。「時間がある」と思う裏側には「時間がない」も、くっついている。
この錯覚は結構しぶといです。人生まだまだ時間がある!なんては思わないのですが、もし思っていたとしたら、それはどういう意味かお分かりですよね。人生死ぬまでなんもしないです。
締め切り
英語では「DEADLINE(デッドライン)」と言うんですね。今考えてみると恐ろしいです。生死の狭間か!ってくらいの意味合いなのでしょうか。日本語だと、まぁタイムリミットね、的な感覚にしかならないですよね。でもこと締め切りって、不思議だと思いません?時間はあるようでない。でも時計という時間はある。そして締め切りは、時計の上の時間の上で成り立っている。例えば今書いているこの記事も、ぶっちゃけた話、自分の中では「今日(27日)」に書いているつもりですが、時計はとっくに0時を切って、28日になっています。なので、こんな他愛のない時間差も、僕の掲げている毎日のブログ更新が、昨日にてまた途絶えてしまったわけです。1秒でもズレれば、何か大事なことさえも逃してしまうかもしれない。でも「今」しかない。とりあえず人間の頭脳では理解できないもののひとつなんだろうな、としか言いようがありませんが、非常に不思議です。(ちなみに人間の頭脳では理解できないことを数点:何故宇宙は存在しているか。生命とは何か。)
んでもって昨日か一昨日かに書いた例の面倒くさい件、今日久々に徹夜して9割型完了しました!1時過ぎた辺りはメッチャクチャ眠かったけど、それが過ぎてからは結構冴えて、思ったより捗りました。途中何回投げ出して寝ようと思ったことか・・・。自分に負けずに取組めて良かったです!
てかまたまた曲を紹介していいでしょうか。先日、公園で歩いていたオッサンのラジオから流れていて、即座にSOUND HOUNDで奪取!イイ曲に巡り合えました。洋楽です。味のあるイイ雰囲気出してますよ。是非聴いてみてください。ANGEL IN BLUE JEANS by TRAIN!
420だ!おやすみ!
Eckhart Tolle
久々にエックハルトの動画を観てみました。実は最近はですね、まぁちょっと法律的&プライバシー的関係でブログには内容を載せられないのですが、まぁ面倒な書類関係のタスクがありまして(裁判ではないですよ爆)、マジでめんどくせーんです!仕事が山積みになっても、僕は正直ほんの少しも面倒くさいとは思わないのですけれど、これに限ってはマジで面倒くさい。自分がしたくもない事をしてると本当嫌になってくるんです。しかし自分の尻ぬぐい的な要素も含んでいるので、やらなければなりません。本当は他のことに取り組みたいのに、別のことが優先されると、自分自身の唯一の責任、意識状態の責任が取れなくなってくるんです。こういう時は許容という形で乗り切るしかないのですが、やはり自分の中にはまだまだ焦りがあるから生じるものだと思います。こんなんやってる場合じゃねーよ!ってどうしてもなってしまうから。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言うことわざの通り、さっさと過ぎ去っていただきたいです。明日明後日で片付けます!WISH ME LUCK!!!
んでもって頭の中は今までにないくらいのキャパシティで、CPUに例えると3ギガヘルツの6コア位でしょうか。結構処理能力もグンとアップしております。でも使いすぎるとアッチッチになりますから、こういう時にこそ、エックハルトみたいなスピリチュアル・ティーチャーのレクチャー視聴の出番となるわけです。いやぁしかし久々に観たけど、やっぱりブレを調節してくれますね。自分の頭の中のストーリーが全部無意味であるという認識になりました。最近取り入れている習慣化種目の中に、静寂性アップの空間も取り入れていきたい所存です。皆様も自己管理、頑張ってください。
世界の終わり:新世界の始まり
作曲を始めてから大きく変わったことと言えば、今まで聴かなかったアーティストの曲を聴くようになったことです。作曲はリズムと音程を使った設計作業ですから、他の人がどのように曲を設計したか、分析したくなるのです。様々な曲を分析してわかってきたのは、耳に残りやすい旋律はどの程度の跳躍が使われているとか、語りメロディ(AメロBメロなど)は必ず隣接した音で作られているとか、何がどこで繰り返されるかとか、まぁ色々なパターンがあることです。特に、どのキーでも構わないので、ベース音からアルペジオを順番に鳴らして、4つ目の音に3つ目から1度上げた音を鳴らす(ファ・ラ・ド・レ)パターンは、誰でもどこからで必ず耳にしたことのある旋律だと思います。
まぁそんなことはどうでもいいのですが(自分へのノートです)、最近気になっているバンドを紹介したいと思います。はい、「SEKAI NO OWARI」です。まぁやはり僕は音楽は幅広く聴いてきたのにも関わらず食わず嫌いなのですが、最近はかなり話題になっているということで、SEKAI NO OWARIさん、聴いてみました。曲の旋律は、非常に馴染みやすいパターンで構成されているように感じました。そこで何が魅力的になっているかは、やはり音作り、及び世界観作りが独特なものになっているからだと思います。彼らが取り上げられていた情熱大陸を拝見したのですが、ひとりひとりの個性がハッキリしていて、さらにバンド活動への意気込みの裏に、興味深いストーリーがある。なかなか素晴らしいなって思いました。メンバー同士の友情と愛情が凄く感じられたのはサオリさん。深瀬さんとサオリさんは、二人共幼少時代にイジメにあったらしく、その経験者からしか湧き出てこない愛情と、生き様には感服しました。僕個人はイジメする方でもイジメられる方でなかったので、どちらの辛さも理解することが出来ません。辛さや苦しさを乗り越えたからこそ、神がSEKAI NO OWARIというバンドに使命を託しているのだと思います。あれだけのパワーを持っていれば、アンチが多いのも理解できます。それだけ、今の日本人の懐(無意識で潜在的な怒りや憎しみ)に触れられる力を持っているのだから。本当、今存在している腐り果てた世界に、終わりを告げてくれるのかもしれません。これからも頑張っていただきたいです。
ではお聴きください、RPG。