ここ数日は真夜中にブログのことを思い出して、めちゃ眠い状態でブログを書いており、ろくでもないことしかかけていなかったので今日は22時に書くことにします。久々に戦メリが弾けるようになったということで、これ以上戦メリを観ずに戦メリを弾き続けることは出来ないと思い昨日と今日にかけて、戦場のメリークリスマス、映画を鑑賞しました。舞台は第二次世界大戦中のジャワ島。俘虜収容所のストーリーです。ストーリーらしきストーリーはなく、歴史的な学びを得られる、そういう類の映画でした。日本対アメリカ。国レベルでは敵だとしても、戦っている人は皆同じ人間。収容所では、もちろんエゴ任せの暴力的なシーンが多々ありましたが、人間同士の心は何があっても通じ合える。そのようなメッセージを、僕個人は感じました。坂本龍一が映画音楽担当として初めて手がけた映画ですし、キャストもかなりユニークな構成。各界の大御所であるビートたけし、坂本龍一を始め、イギリスのミュージシャン デビッド・ボウイらの1983年の状態を観ることで、言葉に出来ないのですが、なんというか現代の芸能界の黎明期的なイメージを受けました。あとは坂本龍一が出演していたのは知っていましたが、かなり主演的な立ち位置で出演していたのには驚きましたw ヨノイ大尉ですよ!笑 たけしも坂本龍一も二人共めっちゃくちゃ若いし、当時から化け物だったことを思うと、ある意味ヤバイです。良いインスピレーションになりました。映画はいいですね。
平和な月末
今月もやはくも月末到来です。なんだかんだ月末という区切れにはそれなりのウェイトが乗っていまして、やっつけなければならない曲者が現れる時期です。しかしバタバタには慣れたものです。バタバタするときって結局バタバタしてもどうしようもないということを学びましたから、別にどうってことありません。今月末はどんだけやることが溜まっていようとリラックスして物事に取り組むことができており、意識状態は安定しています。まず「自分に課された仕事を全て終わらす」ことを第一に、少しずつ少しずつ前に進んでいければと思います。
最近は特に何もないですね。本当に。家族は長野で、洋樹はほぼ家にいないということで、ルーとレッサー君と3人で平和に日々を過ごしています。
毎月こうして乗り越えることが出来ている事に感謝いたします。ありがとうございます。
与えられた仕事を淡々とこなせ
昨夜は珍しく記事アップを忘れました。う〜む、自分のやる気を物語っているのでしょうか。先日モリ君とモチベーションという概念について話し合っていたのですが、モチベーションという概念が頭のなかに存在してる事自体がおかしいのではないかという結論に至りました。まず第一に、エックハルト流に言うと「何かのことのために行動を起こす(Means to an end)」ことは、エラーです。「将来の何かを得るために」行動を起こすと、焦点が今ではなく、存在しない架空の未来に焦点があっているため、真のチカラを発揮することが出来なくなります。モチベーションという言葉はそのエラー通りで、ある向かう先、もしくは求めるものがない場合だとやる気が起きないため、将来に焦点がないとモチベーションが成り立たないという方程式の上に成り立っている言葉なのです。要は、「向かう先がなかったら、それはやりたくないものなのでは?」という事。
答えは、与えられた仕事を淡々とこなせ、です。
クラシックあな恐ろし
ここ一週間は、嵐の前の静けさという感じなのかはわかりませんが、アクティブなクライアントワークが少なく、比較的余裕のある時間を過ごしています。ピアノの練習は続いておりまして、とりあえず高校時代にマスターしたEnergy Flowと戦メリ、FFXのザナルカンドにての3曲の暗譜を完了させました。高校時代にピアノを触っていた時は、独学ということもあり、クラシックの練習曲などには全く手を触れなかったのですが、今回は少し本格的に極めてみようと思い、エチュードなども弾くようにしました。しかしながら練習曲は鬼畜なのです。チェルニー(Czerny)という作曲家の練習曲集を始めたのですが、もう戦メリとは比べ物にならないほど難しい。譜面は簡単でも、ダイナミックスとアーティキュレーションを全て正しく弾くとなると話は別なわけで、ピアニストの歩む道の恐ろしさを改めて感じました。別にピアニストになるわけではないですが、極める価値はあると思います。恐らくチェルニーの30番と40番の2冊を終える頃には、かなりのものが弾けるようになると思います。言葉では伝えられないほど神経を使うので、上達には僕のプレゼンスが試されるということです。実際ピアノを弾いていると、結構おれってピアニスト体質だなって感じるんです。ギターはいつも練習が途絶えちゃうんですよね〜。あとトランペットもまた、吹き始めたいです。
プロジェクトX
人間の可能性を最大限に引き出す。これが僕の今世の使命です。何か特定なものを一つ極める人は、やはりプロフェッショナル度が違います。でも僕は、その「特定のもの何か一つ」を意識していません。折角の人生、やれるものだけ極めればいいのではないかと思うからです。「何か一つ」は無いと書きましたが、上記のニュアンスでの「何か」がないだけで、実は僕にも「何か一つ」というものはあるのです。「全てに全力を尽くす」という事ひとつです。これを達成するには、人間のもつ思考というツールを超越していかねばなりません。何故ならば思考は「無理」と呟いてくるからです。人間はそもそも、過去に達成されていないこと全てに対し、ほぼ悲観的です。誰も出来なかったのだから、私にできっこないと思うのです。しかしその思考が真実がどうかは誰にもわかりません。誰にもわからない以前に、その思考は過去に基づいたものでしかありません。人類最強プロジェクト、始動です。
宇宙の使命
昨夜は家に戻ったのが3時過ぎで、さすがにブログを書く気力がありませんでした。てか俺は何故ブログを書いているんでしょうか?謎です。不思議です。まぁなんか記録できればいいな的な?よくよく思い返してみても、ブログを書き始めた理由さえも忘れてしまいました。今この瞬間の感覚的には、継続は力なりを少しでも感じられればいいのかな?という答えが出ましたが、人生山あり谷ありを綴って何の意味があるんでしょう。これも不思議です。意味なんてないっぽいです。では僕達人間が生きている意味は何でしょうか?恐らくこちらも無意味だと思います。宇宙の使命は、「宇宙が、宇宙は宇宙ではなく、宇宙を描き出している意識だということを、全創造物を通して”意識”する」ことです。それを達成するまで過程を、僕らは宇宙の創造物の一環として体験しているのです。制限された「頭脳」というツールには、理解の限度がありますから、我々「頭脳」に支配されて生きている人間は、自分たちが宇宙の一部だということも理解できていないようです。ただの人間とでしか自分を定義できないということは、大変勿体ないことであります。宇宙の中に億千の銀河が浮き、銀河の中の億千の惑星群があり、その中の太陽系の地球という星に、僕たちはこうして命を授かったわけです。文明の中で生きていると、前述の事実を素直に受け取める以前に、その事実が存在することさえもわかっていないのではないのでしょうか。逆算すれば僕たちは宇宙だということは、誰に聞いてもNOとは言えない事実であることは間違いありません。宇宙=宇宙空間&宇宙空間に存在するもの全て、という定義があるからです。まぁそれはいいんですが、要は言いたいのは、宇宙の使命を宇宙の一部として、我々個人が進んで実践しなければ、宇宙の使命達成への道のりが縮まないわけです。なので「自分」という媒体を、頭で考える「自分」ではなく、「心で感じられる生命」としての自分という風に、考えを変えなくてはなりません。それが出来る人類が増えれば、あと百年後には、ユートピアが地球に訪れること間違いなしです。動機は必ず「心」に聞くこと。それさえ出来れば、使命達成です。
リミッター解除
何故かはわかりませんが、一軍デビューしたような気分です。月曜日くらいで、古い翔樹はいなくなります。時効です。覚悟を決めます。自分に課された使命を達成するために必要な技術を身につけるため、シャボンディ諸島からクマに吹っ飛ばされて、2年位行方不明になってきます。ブログは続けたいと思うけど、その他のインターネットアクティビティは、仕事に関すること以外全て絶ちます。なんていうのかな、言い方はちゃっちぃけど、もうちょっと本気になってみようと思います。今誰かに「お前は本気で人生生きているのか」と聞かれたら、YESって答えることができませんから、まだまだ全然余力があると思うのです。自分の100%を出していないのは確か。でも100%出せばどの程度まで行けるのかは自分でも理解しているつもりです。出力の100%の内、今は50%も出していないと思います。33%くらいです。なのでこれからリミッター解除ということで、120%でかっ飛ばします。底力を出す時が来たんです!最高です!IT’S SHOWTIME!
彫刻
そろそろ新しい時代の始まりっぽいですね。7年のサイクルは確実です。今月の23日で、帰国して丸々7年が経ちます。必ずしも7年ピッタリで流れが変わるというわけではないですから、既に変化のプロセスの最中だと感じています。まず母由紀子とハルトと世良くんが近々長野県に疎開し、おそらく完全なる一人暮らし(洋樹はいますが)が始まりそうな流れです(ちなみにハルトは長野県の幼稚園に通うことになるそうです)。となると僕も、完全に自分の道を進むことになります。既に自分の道を進んでいますが、もっと自分の人生というものの彫刻を広め深めていく時が来たのではないかと思っています。
彫刻を本格的にし始めるということで、自分自身も覚悟を決めて、変化を高速化させ、磨きに力をいれていかなければなりません。20代って、別に10代の頃に想像したわけではないのですが、そこまで楽しくないです。まぁ僕にとってですがね。20代でも思いっきり楽しんでいる人はたくさんいるかと思いますが、僕は別のルートを進んでいるらしく、いわゆる楽しいことはありません。逆に修行中のような感覚です。20代は、大人になったように見えて、実は社会的には赤ちゃん的な立ち位置なわけです。だから思うように生きることが出来なかったり、事を上手く伝えることが出来なくて当たり前だと思います。たまに「30までに好きなことをして〜」とか「30になるまで遊んで〜」みたいなことを言う人がいますが、僕は基本的にこの考えには賛成しません。金もロクに稼いでないのに、思いっきり遊べるわけないじゃないですか。だから僕の考えは逆です。30まで修行して遊ばないで、30になるまでに最強になればいいと思います。書いていて思いましたが、別に僕は30になっても遊ばないと思いますw It ain’t my thing. 自分の人生を彫刻したほうが、よっぽど楽しいですもの。
東の国の眠らない夜
最近はヒップホップを車の中以外で聴くことがなくなってしまい、家で作業している時は、ようつべにアップされている作業用BGM的なもののプレイリストを永遠と流しています。プレイリストは、落ち着いた集中力アップ系の音楽で構成されていて、久石譲から映画のサントラ、JPOP、ゲーム音楽までと、幅広いジャンルの音楽に渡ります。誰かしらの手によってピアノorストリングスにアレンジされていて、どこかで聞いたことのある音楽を記憶に触れること無く聴くことができ(原曲ではないから)、なかなかのいい音楽をリラックスして聴くことができるのです。例えば久石譲であればジブリ系、JPOPだったらあゆのDearest、ゲーム音楽はエースコンバット、東方文花帖などがあるのですが、ゲーム音楽マジでバカに出来ないと思いました。というかゲーム音楽最強ですね。名曲と優秀なクリエーターは、ゲーム音楽に在るのかな。ゲームをしない人にも是非聴いてもらいたいし、ゲームを知っている人しか知らないなんて本当に勿体無い。僕の知らなかった曲で、耳に残って離れない位キャッチーで綺麗な曲もありました。ちなみに最近ハマっているプレイリスト動画は、これなんですが、13:43から始まる「東の国の眠らない夜」という曲は、いやぁハマりました。心に語りかけてくるようにデザインされている旋律は、素晴らしいなと思いました。感情を音楽で表すことが出来るって、ヤバイですよね。
エイプリル15
こうも毎日仕事して、まぁ一日の最後の最後にこうしてブログを記事を書くわけですが、何気に続けられていることは非常に良いことだと思います。特にこういうブログ記事は、書くことがなくなるという事が続かない要因だと思うのですが、幸いな事にキーボードを打つことだけは永遠と出来る僕ということで、どうでもいい事が大半ではございますが続けることが出来て光栄です。目指すは5000記事ですからねw 何こんなところで気取ってんのかって感じですが、まぁいいんです。小さな達成感は大切です。
今日から弟の洋樹くんの学校がスタートしました。2年制の専門学校ですから、今年で最後です。ということは彼にとって学生最後の年ということになります。声優・俳優という茨の道を進むことを決めた彼ですから、兄としてもちょっと先が心配ではあります。しかし彼は不可能を可能にし、奇跡を起こしてきた人間です。頭では考えられないことが、また彼の卒業時辺りに起こり、彼に相応しい道が開かれていくのだろうと予測しています。学費を払うことしか出来ませんが、出来るだけのサポートはこれからもしていくつもりです。洋樹ファイト!
明日は流山おおたかの森で、朝10時半から某団体の理事長と打ち合わせです。朝10時半に現地ですから、会社というか家を1時間前には出なくてはなりません!朝早起きするいい機会ですね。帰りはもちろん、柏のラーメン屋に寄る予定ですwww ではおやすみなさい。