ニュースとYouTubeしか見てないやつは暇

暇というか、ニュースとYouTubeを見ている時は何も進展していないということを認識しなければなりません。

つまり自分が本当にニュースやSNSを見たくて見ているのか、YouTubeを見たくて見ているのかを自問しろということです。

その理由がもし「別に何もすることがないからとりあえずニュースをチェック」であったり、「何もやる気が起きないからYouTubeを見る」であった場合はやばいです。

ニュースとYouTubeがなかったら何するんですか?

ニュースやSNS、YouTubeがなかったら人生一体何するんねん。

これこそが人生における真の課題なのです。

あなたは何をして人生を過ごしたいですか?

あなたの好きなことはなんですか?

それがSNS活動やニュースチェック、YouTube鑑賞であると心底から自身を持って言えるのであれば問題ないですが。

もし言えなければ、SNSもニュースチェックもYouTube鑑賞も、自分を濁して、今を紛らわせているだけかもしれません。

ToDoリストに書くものはやりたくないもの

ToDoリストを仕事管理に使うのは良いです。

しかしその他のこと、例えば「本当はやりたくもないのに、嫌いな自分を好きになるために自分に課したこと」をToDoリストに追加したとしましょう。

そのToDoをやり遂げられた時は、あなたの自己肯定感にプラスに作用します。

しかし、やり遂げられなかった時は逆に自己嫌悪感を生んでしまいます。

つまりは、実用性のあるToDo以外は「より自分を好きになるためToDo」であり、それらは不自然かつ、本当はやりたくはないがやったらもっと幸せになれると感じているToDoなのです。

そもそも、本当に自分がやりたいことだったらToDoリストに書かなくたって自分で進んでやるんです。

ToDoリストに追加されたToDoにチェックを入れられない自分を嫌いになっていませんか?

今の自分、今の状況を感謝せず、常に将来の自分を気にしてToDoを作ってはいませんか?

人生は今です。

今自分がしたいことができればそれで完結。

ToDoなんか使わないで、自分のしたいことをして、自分を愛して生きていきましょう。

「こうなったら大変だからこうしよう」を「そうなってから考えよう」に変える

恐れなく生きる。

ただそれだけです。

恐れなく生きる。

どうすれば恐れなく生きれるようになるのか。

非常に簡単です。

「こうなったら大変だからこうしよう」

と考えるのをやめて

「そうなってから考えよう」

にするだけです。

つまりは、私達はその時その時の状況に応じて生きることしか出来ないため

将来を操作することは不可能なのです。

いやいやいや18時のハワイ便に乗るって決まっているんだから将来は操作できるでしょうに!

って思いましたか。

いやいやいや。

それはだたの行動です。

別に将来を操作している訳ではありません。

とにかくやる。

私達に人間に預けられた力はそれ以外ないんですよね、残念ながら。

私達が思う以上に、私達は無力よ。

反骨心は要らない「あいつはプロになる気かと笑われた」

僕の尊敬するあのイチロー選手ですが、彼の発言で唯一僕が賛同できなかったものがあります。

それが、彼がプロを目指している最中に周りの人間から言われた事に遺憾したというものです。

「あいつはプロになる気かと笑われた」

これを言われた事が悔しくて頑張ったんだとか、ある記者会見でイチロー選手が発言されておりました。

別にこの反骨精神、悪くはないと思います。

しかし人の取り組みを鼻で笑うようなゲスな人間を見返して何になるのでしょうか。

「あいつはプロになる気かと笑われた」

バカにされて悔しかったのではありません。

実際問題、まだプロになっていなかったから悔しく、反骨心を抱いてしまったのでしょう。

誰も見返す必要はない。

自分が納得すればそれでいい。

ただ凄いと思うのではなく、何がどう凄いかがわかるようになったら成長している証

美味しい店で美味しいごはんを食べて、美味しいと感じるのは普通です。

でもそれが何故美味しいのか。

美術館で画家の作品を見て、凄いのはわかるけど何故凄いのかがわからない。

でも料理を勉強して、味を「読む」練習をすれば、それが何故美味しいのかがわかるようになる。

たくさんの美術に触れて、自分でも絵を書いたりして、他の人の作品を「読む」練習をすれば、その作品が何故凄いのかがわかるようになる。

だから、もしその道を進みたいのであれば、何がなぜどう凄いかをわかるようになれば良いのです。

何故凄いかが説明できれば、あなたもそれを具現化できる。

食事に対する意識が同じ人は波長が合いやすい

これはかなり重要なポイントで、要するに同じ道を進むためには同じ種類のガソリンで走れないといけないのよ。

どんなに性格やら人間性やらの相性がよく見えても、食事に対する意識が同じでない人とは長く一緒には付き合えない。

その次に味覚。

食事に対する意識が同じ人は波長が合いやすいというか、食事に対する意識が同じで初めてその人と同じ方向を向ける。

そんな感じ。

自分が楽しむ以外答えはない

何をしてもいいんです。

何をやろうといいんです。

それが何のためであろうと、関係ありません。

しかしあなたがそれをエンジョイ出来ていないのであれば、ちょっと一時停止をしなければいけません。

何故ならば、それが人生で一番優先されるべきものだからです。

自分が楽しむということ。

それ以外はすべておまけ。

自分がエンジョイ出来ていれば、それ以上もそれ以下でもなく、それでその取り組みは完結します。

何かに繋げようとするから、よくわからないことになるのです。

繋げようとしてもいいんですけどね。

ちゃんと楽しめているのであれば。

真の成功者は我慢がゼロ

何かを我慢してまで何かを手に入れたいと思いますか?

自分の自由、自分のプライド、自分の個性を捨ててまでも得たい何かはありますか?

自分を殺してまで何かを得たいなんて、正気の沙汰ではありません。

一番大切にしなければいけないことは自分自身の感覚です。

それを捨てるのであれば、それは自分はその得たい物以下ということを認めていることと同義になります。

これでは自分の持つ力は奪われていく一方です。

我慢という言葉は「あたかも自分のためにしている投資」のように聞こえるかもしれませんが、それはただの自己正当化に過ぎません。

我慢するくらいならやめたほうがいい。

我慢という概念を無くし、自分にやさしく、そして生きたいがままに生きればいい。

いつでもどこでも100%の愛情と信頼を与える

あなたが日々触れ合う人全員にです。

それで裏切られたり去られたりしたら、それはしょうがない。

運命です。

何より大切なのは、自分がその愛情と信頼を常に心で感じるということ。

人を愛そうと、人を信頼しようと、人から憎まれようと、人から裏切られようと、それらは全て自分の現実。

自分の内面で感じることが現実ということです。

つまり人から憎まれたとしても平気な人もいれば、愛されていても愛を感じない人もいるということ。

ですからあなたには自分の持つ現実を選択できる権利があるのです。

であれば愛情と信頼を感じ、それを与えたほうが(GIVEしたほうが)良いに決まっています。

自分の内面的エネルギーを意図的に健全化するのです。

ですから愛情と信頼は誰と関係なく100%与える。

太陽のように、ものの種別に関係なく、無差別に愛を与える。

それでいいのです。

愛情と信頼が返ってくるなど期待しないくて良いのです。

自分が感じることだけが真実ですから。

停止は一度に多くをこなそうとしているサイン

やりたいことがないわけではない。

やりたいことがたくさんあるので、どれから手を付けていいのかわからないのである。

暇なわけではない。

やりたいことがたくさんあるので、どれから手を付けていいのかわからないのである。

これは頭の中で風呂敷を広げすぎて、結果何も行動に移せないという状況です。

欲張んじゃねーって。

欲張るなって!

あなたが話せる人はひとりだけ。

ひとりと話せないやつが、世界を取れると思うなよ。