2015/12/7

ONE LIFE

昨日の気付きは大きいです。今日は早速、止まっていた訓練を開始することに成功しました。本当に偏ってるなって思いますけど、結局僕はITと音楽が取り柄です。そしてその2つの訓練をまた開始した、というわけです。しかし訓練も大切ですが、それ以上に大切なのは何をとっても仲間でしょう。今日のブレイキング・バッドのエピソードを観て思いました。何をやろうと、それを共有できる人がいなければ、世間からしてみれば何もしていないと同じ。自分勝手な考えからどんどん仲間を省いていったところで、残るのは惨めさと孤独だけです。と書いておきながらも、真逆の視点も存在し、それもそれで重要です。それとは、人生というものは誰にとっても、その人主観の自分中心な体験であり、自分を喜ばすことは何よりも大切である、ということです。エジソンには、電球の開発の過程で仲間が居たかどうかはわかりませんが、彼は常に、彼と共に居ました。自分自身です。そして自分しか自分の人生に責任を取れないのであれば、時と場合によって、本当に自分勝手な決断が必要なときもあり得るのです。その決断に対して、周りがどう思うか、周りがどうジャッジするかは、本人の懸念することではありません。自分ではないのですから。某クライアントのサイトに、このような文言を載せろと指示をいただきました。
教えてください、あなたは何をするのですか。その激しくかけがえのない1度きりの人生で。by.メアリーオリバー
That’s right. You read that right. One life.
毎日みみっちく、遅くても確実に(Slowly but surely)進むことが、人生に唯一深みを与えてくれるのではないのでしょうか?

2015/12/7

レベルアップの原理

ひとつ自分のパターンに気付きました。ずばり、ある程度のところまで行くと成長がストップする、です。何でも一気に上達する反面、一気に上達しすぎるんです。自分でも自分の上達に驚くことがあります。経験ゼロから、まぁまぁ出来るくらいまで、の進化を数値として分析してみると(100をプロレベルとします)、0から50までの成長が、かなりの短期間で行われます。例えば、毎日1ずつ成長するとしたら、毎日1の成長を実感できることになります。それが50日続き、レベルが50に到達、そしてまぁまぁ出来るんじゃねぇかってレベルに到達します(ピアノでもWeb技術でもなんでもいいですが)。50日でレベル50です。おお、自分って出来るじゃん。さすがじゃん。この調子じゃん。こう思い始めます。しかし世の中そんな甘くはありません。プロレベル、さらにはマスターレベルになるには、1万時間の練習と努力が必要です。前述の50の成長が、1日1時間の取り組みで達成されたとしたら、プロレベルになれるまで、10,000マイナス50で、9,950時間残っています。一応レベル50に達していますから、残るはあと半分の50から先の100までの50です。しかし良く考えてみてください。レベル50割る50日で、毎日1の成長を感じることの出来た最初の50日ですが、残りの50のレベルアップをするには、9,950時間必要であるため、計算すると、50割る9,950で、以前は1の成長を感じることの出来たものが、0.005の成長を感じることしか出来なくなってしまうのです。極端な話ね。つまり、ある程度までのレベルに達してからの成長のカーブが、レベルアップするごとに緩やかになる。結果、自分の成長があまり実感できなくなるため、取り組みに意味を感じなくなるようになり、気付いた時には止めてしまっているか、同じレベルのことを永遠と繰り返し、成長を避けるようになるのです。わかりますかね?!You guys with me!? わかりますよね。さらなる極端な話、レベル99からたった1つ上のレベル100にレベルアップするためには、もしかすると9,950時間の半分の約5,000時間が必要かもしれないってことです。ポケモンとかFFなどのRPGをやったことのある人であればわかりやすいと思いますが、キャラクターのレベルアップも、この原理が適用されています。レベルが低い時は経験値が溜まりやすく、レベルが上がりやすい。レベルが上がれば上がるほど、経験値が溜まりにくく、どんなに闘っても経験値がマジでホンの1ピクセルしか動かないため、レベルが上がりにくい。あー。早く気付けよこれ。人間もRPGも同じだよこれw

2015/12/5

ソーカルブリーズ

昨日は何ヶ月ぶりかの「休日」をいただきました!多分前回の長野遠征以来?ですね。まぁロス時代の旧友Aちゃんが来日しておりまして、昼から日暮れまで東京ハングアウトに付き合ってあげたって感じです。それにしても久々に「お出掛け」っていう感覚になりました!!天候は晴天。季節は冬。電車に乗る人皆がジャケットやセーター等を着ていて、ほんのり香水の香りが漂っている感じは、正に「お出掛け」でありました!幾度も書いていますが、花より団子精神で、LAからのビジターを必ず連れて行く渋谷村の某お寿司屋さんへとまずは行きました。多分ですが、日本に帰ってきてから、そこの渋谷の寿司屋と、新橋の美登里以外、寿司屋という寿司屋に行ったことがありません。というのはどうでもいいですが、まぁそこそこ美味いので、マイフレンドは毎度ビックリしてくれるのですが、そ・こ・ま・で、食にこだわりがないらしく、フツーな感じでした(笑)喜んでいるのはおれだけw なーんてことはありませんが、聞いてみると食は昔から細いとのことでした。んで結局まぁ東京出身なのに東京での遊び方が全くわからない僕は、ランチの後とりあえず表参道へ繰り出し、念願のBBC(ブルーボトルコーヒー)へ!そりゃまぁさすが最先端のカフェでしたわ!コーヒーもまぁまぁ美味かったですね。Aちゃんは昔から、謂わばドラマクイーンでしたから、まぁガールズトーク的な話題がメインでした。頷くことしか出来ないようなストーリーの演説です(笑)まぁいんですけどね!会うだけでいいんですから、ソーカルブリーズ。前に母にも言いましたけど、別の人生で再会しているような感覚でした。友と縁は面白いね!

2015/12/4

チーハタ

まだまだ咳が収まりませんが、その他に支障をきたさないところまで復活してきましました。自分でも毎度思うのですが、回復のスピードはやはり早い気がします。体調を崩した時には、なんて言ったって強力わかもととビオフェルミンにマルチビタミン、緑茶とココナッツオイルを大量に摂取しますから、風邪なんて吹っ飛ぶに決まっています。寝込んでいる暇なんてありませんからね!やることは腐るほどあります。
さて今日は弟のヒロキくんの誕生日です。チーハタですチーハタ。誕生日おめでとう。彼もいよいよ魔の20代に突入です。来年には学校を卒業し、とうとう社会人としての人生を歩み始めます。今はフニフニ生きていますが、あやつのことですから、いつかはでっかい華を咲かしてくれることでしょう。というか咲かしてもらわないと困ります!奴の目指していることは、かなーり門の狭い道です。グランドラインに入れるかどうかレベルの狭い門です。兄として少なからず懸念はしていますが、あいつのことですから、道を曲げることは魂レベルで許容することが出来ないでしょう。ということは必ずそうなってくれると思います。ぶっちゃけ、後から生まれてくる人間は、先祖を越えなければなりません。俺は親父超え、ということはヒロキは翔樹超えです。ルフィはエース超えですよね!?サポートはするので、是非とも頑張っていただきたいです。

2015/12/2

風邪

風邪引きました。多分このブログ始めてから初じゃないですかね。多分ここ数年風邪はやってないので、2,3年ぶりだと思います。とにかく喉は痛いわ咳出るわでノックアウトです。熱はないようなのでまだ助かりました。風呂でよく温まって寝ます。

2015/12/1

Hello December!

連日の徹夜でブログ執筆まで手が回りませんでした。とにかく疲れたの一言!まだまだやることが腐るほど残っておりますが、峠は越えることが出来たと思います。でもさすがに連日徹夜すると体が悲鳴を上げ始めてきます。風邪まではいかないけれど、生命がエンジンブレーキをかけ始めている感覚でしょうか。そんなこんななので、やはりレッドゾーンでの仕事は長く続けるものではありませんね。無理がたたって、本当にKOしてしまいますって。それでも前に進むしか無いのは、地球人としてのライフの難易度を物語っています。自分だけが苦労をしていると思ったら大間違い。皆誰でも苦労し悩んで苦しんで生きてるんです。とか言いながら、本当にそうなのか?と疑問も湧いてきました。決して苦しくはないですね、よくよく考えると。「挑戦」という言葉のほうがしっくり来ます。課題は山積み。課題があることはいいこと。そして課題はなくならない。課題があるからこそ、人生は面白い。のだと思います。今は常に完璧である。しかし改善を求めることは悪いことではない。何かに向かうこと、それはある場所からある場所へ移動するのと同じで、ただやりゃいいんです。う〜ん、闘ってるなぁ〜おれ。最近こんなことばっかり書いているような気がするもん。もっと楽しく行こうぜ楽しく。遊びも取り入れてさ!仕事だけが人生じゃないから。

2015/11/29

独り言

時差ってます。約4時間遅れの就寝時刻なので、インドあたりですか。せっかくついこの前朝型人間になれると思ったのに、太陽光が気象の関係で浴びれなくなり、さらに仕事も重なりこのざまです←太陽光と仕事のせいにするアホ。しかし弟のヒロキくんの彼女がワイハに行ってきたそうで、おみやげにあの誰もが知っているグァバジュースを買ってきてくれたのですが、いやぁ早速飲んでみると海外旅行の味がするではありませんか!ラウンジ?機内サービス?なんでもいいです。とにかく海外旅行という記憶の一部分になっていて、アメリカ便の記憶が蘇ります。来年の頭に久々にロス行きたいなぁって思ったけど、う〜ん、際どい感じです。行きたいのは山々ですが、30歳になるまでは遊んでいる暇などありません。体力があるうちにガッツリ働いて、30になるまでに一旗揚げる!家族そして世を潤わせる。これが先決です。それにしても来年は楽しみだなぁ。だって2015年は学びの年だったから、来年はこの学びを全て糧にして実践できるんですよ!?どれだけぶっ飛べるのか、自分でも楽しみであります。そんなこんなでとうとう11月も明後日で終わり。12月に入ったとしても、気付けばヒロキの誕生日←気付けばチーハタ、気付けば中盤、気付けばクリスマス、気付けば大晦日であります。2015年、悔いを残さず終えられますか?僕は終えられそうです。失敗やミスは沢山犯しましたが、いずれの失敗からも、失敗の苦以上の学びがあったので、結局は失敗ではないんですね。空気を吸えているだけで幸せではありませんか。そろそろギアチェンジして年末ぶっちぎりモードに切り替えます。

2015/11/27

疑え

我々が必要なもの、それは事を疑う目です。メディア(テレビやニュース)、人から聞くこと、自ら得にいく情報などなど、全てを一度必ずフィルタリングする必要があるということです。メディアを喩えにしてみると簡単です。なぜならば我々庶民は、情報が本当に正しいかどうかを検証する能力がないのです。ニュースは一方的に情報を発信していますが、それが本当に事実なのかどうかがわかりません。ですから私たちは、「へぇそうなんだ」から、「そうらしい」という解釈に変える必要があるのです。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、本当にそうです。メディアは人間の思考をコントロール出来る力を持っています。世界で最大の宗教はテレビであり、テレビが世界を支配するとも言われているくらいです。ここで面白いのは、コントロールされるかどうかは本人次第で、メディアには全く非がないということ。メディアはとある会社の事業であり、事業目的に沿って淡々とことをこなして(コンテンツを配信)しているだけですし、しいて言えば、メディアの制作者は、上層部からの指示を行動に移しているだけです。一生懸命仕事をしているだけです。すなわち、映るものをどう解釈するかは自分次第。常に疑いの目を持つことが大切です。医療のセカンドオピニオンに似ています。一人から言われたことを100%信じてはならないのです。反対に自分は100%信じる必要があります。自分の中で疑いが浮上してきたら、その「疑い」を疑うべきです。結局自分であろうと外部のものであろうと、まずは疑って検証しないといけないってことですね。人を疑えとは言っていません。自分の解釈を疑えと言っているのです。

2015/11/26

プレッシャー

昨夜はエンプティランプ点灯で何も書けなかったので、今日は倍書くとしましょう。
そうですね〜、なんでしょう、何日か前にこのブログにはもう何も書くことがないとか書いたと思いますが、なんだかんだ書き続けられそうです。多分ですが、自分の中の何かに変化が起こっていた最中だったのだと思います。最近は仕事に関することで毎日奮闘していますが、どうにもこうにも先が真っ暗にしか見えなかったんです。先の見えないことをやり続けるのは、普通の人間にとって苦痛以外の何物でもありません。何を何のためにやっているのかわからないから。自分のためでもなければ他人のためとも感じられない。さらに仕事上のプレッシャー、所謂外圧とボリュームに押されると、空腹時に頭が冴えてくるように、プレッシャーに耐え切れんばかりに、逆にHighになってくるのです。
さてここで疑問が残ります。よくスポーツ選手等のインタビューなどで、「プレッシャー」の話になりますが、この「プレッシャー」とは一体なんなのでしょうか。巷における「プレッシャー」の定義は、たぶん恐らく「周囲の期待に応えなければならないという義務感」です。野球に喩えればわかりやすいです。日本シリーズ第7戦、9回裏2アウト満塁の場面でもし僕がバッターボックスに立ったとしたら、僕は莫大なプレッシャーを感じることになります。ではこの9回裏の同じシチュエーションが敗戦処理的試合であったら、そこまでプレッシャーは感じないでしょう。ダーツの試合でもそうです。名手フィル・テイラー(←神)は、自分の試合映像に後付けで解説をするとき必ず「相手にプレッシャーを与え続ける」と言っていますが、周りの期待や自分自身の自分自身への期待や約束がなければ、プレッシャーなどは存在しません。
そう、プレッシャーを与えるのは自分自身の他あり得ないのです。でもプレッシャーは感じて当然です。自分の更なる向上を目指すのであれば当たり前。そして他人の歓びのためならばそれも当たり前だし、原動力にもなります。結論、プレッシャーを感じるのも感じないのも自分次第。プレッシャーを感じても感じなくても、全力を尽くすしかない。しかし目指すところはプレッシャーを一切感じること無い精神力と意識状態、ですね。プレッシャーなんて要らないです。全身全霊で事に取り組む以外術はないのですから。
ちなみにあの新庄剛志はプレッシャーを全く感じることがないそうです。どんな重圧に置かれる場合でも、緊張を全くしないようで、もっと緊張しなきゃ、と思ったくらいだとか。
色々と書いたけど、結局人生ずっとプレッシャーですよ。これからも圧力鍋に強火をかけ続けていく所存です。プレッシャーかけてかけまくって、最強になればそれで良いんです。
いつかは大爆発しますから。