この日本という国で生きていく中で、本当に自分を自由にするということは、ある意味宣戦布告です。この日本という国は、他人の目を気にして行動、決断をするということが「普通」となってしまっています。「普通」ならまだしも、他人に合わせることを「美徳」とし、自分をどんどん不自由にしてしまってる人々が多く存在しています。
しかしこの他人の目を越えることは容易ではありません。社会全体が「他人の目を気にしている」状態で成り立っているため、その他人の目を気にし合うゲームから離脱することは、ほぼすべての人へおさらばをする、ということと同義となってしまうからです。
自分を自由に表現することは恐い。でも試しにこの恐さを恐さだと思わず、自由に表現することを試してみてください。恐いことが一番やりたいこと、なんて聞いたことがあると思います。いざやってみると、別に世界は変わらず、周りの人も変わらず、別に周りの人におさらばをすることにもなりません。もっと気持ちよく振る舞い、もっと周りの人に本当の自分をさらけ出すことができ、気持ちが良くなるはずです。
ただ、逆にあなたとおさらばする人が出てくるかも知れませんが・・・それは致し方ありません。宇宙の仕組みです。
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稼いでいない人がムカつく!? お金以外の価値を認めないと自分が苦しむ
はい、ということで100日ブログ連続投稿チャレンジは1記事で終わりましたw 次です。次というか、ブログを書くよりも動画撮ったほうが楽だし続けられるしと思ったんですけど、そんなの言い訳にしか過ぎません。どれだけ自分がその取り組みに自分を捧げられるかだと思うのです。
例えば、ご飯を食べない日はないと思うんです。断食中以外は。では何故毎日欠かさず食べるかと言うと、自分の中での「食事」が重要であり、必要であり、さらに食べたいから、毎日欠かさず食べるわけです。食べることに関しては少々究極な喩えになりますが、どれだけ自分の中でそれをしたいのか、という気持ちが、「続ける」ということに直結している気がします。
なので数日前にほざいたにしても、こうして3日後にまた書けている自分が居ることが素直に嬉しいです。自分の中でまた少しずつ、このブログ執筆の大切さや価値が大きくなってきてる証です。
さて昨日は自分のEvernoteに溜めているライフレッスンノートのひとつを動画として撮ってみたんです。ノート名は「お金以外の価値を認める」ということについてです。実際に動画を観ていただければ内容はその通りなのですが、要するにこの拝金資本主義社会に、僕も飲み込まれてしまい、人として失格、太宰治と言わんばかりの人間失格状態に僕は陥ってしまったことがあったのです。人間失格ならまだしも、自ら自分を滅ぼすまでの機能不全に陥りましたから、それはまさに苦い薬。
でもその薬は効果抜群で、その1年後には自分でも胸を張り、どんな人とでも向きあえるようになりました。どんな人とでも向き合える、というのは、言い換えれば「自分のすべてを認め受け入れられるようになった」ということで、内面と外の世界がリンクしているところに注目です。