行動力をモチベーションに頼っている人の4つの特徴

モチベーションとは一体何か?

モチベーションとは、あなたが取り組みたい取り組みに取り組むための燃料、つまり、あなたのやる気です。

モチベーションが上がらないということは、やる気がないという意味で、その取り組みに意義を感じられない、取り組む意味を感じられないということ、であると言えます。

あなたのモチベーションが上がらない時、やる気が出ない時はどのような時でしょうか。モチベーションを維持できたらずっと続けられるのに!とか、自分の行動をモチベーションのせいにしていませんでしょうか。

この記事は、モチベーションを上げるためではなく、なぜモチベーションが上がらないのか、なぜやる気が出ないのかを解明して、根本治療をしようというものになっています。ぜひ参考にしていただければと幸いです。

行動力をモチベーションに頼っている人の4つの特徴

要因1: 自分のためにやっていない

取り組みたい取り組みが、自分以外の何かのためになっている場合、モチベーション維持は難しくなります。

例えば、あなたがダイエット、またはシェイプアップのために筋トレを始めたとします。それが自分のためであれば良いのですが、それが人にどう見られるかを変えるため、という動機から始めてしまうと、自分のためではなく人のためになってしまいます。

他にも、お金のためであったり、見栄のためであったりと、自分主体ではなく、自分以外の何かが動機となっていると、やはり途中で続かなくなってしまうものです。

要因2: そもそもやりたくない

もしあなたの取り組みが、あなたが本当にやりたいことであるのならば、モチベーションという概念に囚われなくても取り組みたくなるとは思いませんか?

モチベーションが上がらないのは、自分がそもそもやりたくない場合が大半です。本当はやりたくもないのに、自分のためではなく見栄のためとなっているものは、やはり続かないものです。自分がやりたいと勘違いさせているだけかもしれません。

要因3: 結果をすぐ求めすぎ

とにかく早く結果が欲しい。これは大人になってから事を始めると思いがちなことで、取り組みそのものよりも、自分の求める結果のほうが大事になってしまう。そうなると理想と現実の差に耐えられなくなってしまい、結果モチベーションが下がってしまうのです。

どんな取り組みでも、ちゃんと自分のものにするためには時間がかかります。結果よりも続けることを意識して、まずは3ヶ月、次に1年、そして3年、とにかく続けることで、気づいたら形になっていた、というくらいの気持ちでいいと思います。

続けることが難しい?続けられれば苦労しない?と思うのであれば、前項の「自分のためにやっていない」場合や、「そもそもやりたくない」場合があるので、そこは自分の意志を確認しましょう。一体何のためにやっているのかを確認しましょう。

要因4: 最初から無理をしすぎ

燃え尽き症候群です。最初から飛ばしすぎです。特に前項のように結果をすぐ求めすぎていると、最初からアクセル全開で取り組んでしまい、そして結果がすぐ出ずに落胆し、やっても意味ない!と思ってモチベーションが下がってしまうのです。

ここでご提案です。新しく始める取り組みは、最初こそ気楽にやるべきなのです。最初こそ10分を毎日とか、15分を一日置きとか、とにかく触れる量を増やして、自分に馴染ませていくことが大切です。(学習や成長には取り組みそのもの重要ですが、睡眠時に自動で行われる脳内での情報整理があるからです)

それを続けていると、気づいた頃にはできなかったことができるようになっていたり、自分の求める結果が見え始めてきたりと、「頑張っている」よりも「楽しく」なってきたりするものです。

まとめ

  • 誰かのためではなく、見栄のためではなく、自分のためにやろう!
  • やりやくないならやらないでも大丈夫!モチベーションが関係ない取り組みを見つけよう。
  • やるなら続けることだけを意識しよう!結果は自然と付いてくるから、結果の求めすぎに注意!
  • 最初からアクセル全開はやめよう!特に新しく始める取り組みは「気楽に少しづつ」が鍵!

安定と一定の違い。安定した人生は内面から実現する

巷で定義されている安定は一定

安定した生活を送りたい。安定したお給料を貰って、なんの心配もない人生を送りたい。これが大半の方が思うことでしょうか。

その「安定」という定義は合っているように聞こえて、実は的外れです。それは安定ではなく、一定です。変化のない生活、変化のないお給料を貰って、変化に晒されることない人生を送りたい。それが巷で言われている「安定した生活」です。

安定というコンセプトは、巷では、何も心配しなくてよいと言いますか、決まった給料を毎月もらい、何かに追われることもなく、生きていけるようなことと定義されているような気がします。

安定と一定の違い

しかしながら、その定義は僕は間違っていると思うというか、皆さん勘違いしちゃっているのではないかと思っています。なぜかと言うと、安定とはまずバランスと言う意味ですから、心配がなくなるという意味ではありません。さらにバランスとは、対極しているもの(プラスとマイナス)の両方があって初めて成り立つもので、一定の何かが保たれるという意味ではありません。

巷で言われている安定は、「不変」、すなわち、「一定の状態を保つ」という風に定義されてしまっています。バランスではなく、コンスタントという意味です。

安定はバランス。バランスを取る。 一定はコンスタント。コンスタントな収入を得る。

安定を一定と勘違いしてしまうと、本当の安定、心の安定は訪れません。

本当の意味での安定とは?

安定を和英辞典で引いてみてください。Balanceと書いてあるはずです。バランスです。バランスを取ると言います。平均台です。自らバランスを取らないと落ちます。

私たちが求めるものは、一定の何かを保つことではなく、本当の意味でのバランスです。ハーモニー、それはこの物質社会の法則である、プラスとマイナスのバランスです。どちらも、どちらかなくして存在することは出来ません。

男女、音と静寂、物と空間、火と水、地と天、どちらも、どちらかなくして成り立つことは出来ないのです。ということは、本当のバランスというものは、こう定義できます。

プラスとマイナス、両方とうまくお付き合いしていくということ

物質世界には、このプラスマイナスが付き物です。しかし人間は、何故かプラスだけを欲しがり、マイナスを怖がる。プラスを良い者扱いし、マイナスを悪い者扱いしする。極端な話、どちらにも良い悪いはないのです。

今後意識してもらいたい事

安定は自分で作り上げるもの。一定の給料は会社がくれるもの。前者は自分。後者は誰かがしてくれることです。

誰かがしてくれることに自分の心のバランスを委ねていないか。あとは、一定を崩したくないがために、自分の行動を制限していないか。一定の呪縛からの脱出、つまりは不確実な旅路に出ることを恐れていないか。ぜひ自分を観察し、意識してみてください。

最後に

大企業に務めていて、安定した給料をもらっていても、会社自体の売上や利益は、安定することはありません。大きなお金の山から小分けして給料を貰っているので一定しているように感じますが、それはプールから桶一杯の水を貰うようなものです。

一定、そして一定が自分の安定を実現してくれるであろうという古い価値観を捨てて、是非不確実でエキサイティングな人生を送っていただきたいと思います。

不確実さを恐れず、自分の人生は自分で作り上げる。この姿勢を自分の人生に取り入れることが出来るかどうかが、自分のポテンシャルを活用できるかどうかにかかっているのです。

SO GO AND LIVE YOUR F*CKING LIFE!!!

エッチな動画は好きですか?インターネットポルノがあなたの頭脳を破壊する

日本全国、いや世界中のレディースアンドジェントルメン、エンジョイしていますか、アダルトビデオ鑑賞。今の時代はアダルトビデオなんて言わなくなったのでしょうか。AV?エロ動画?ですかね。

今回の記事は「エッチなコンテンツ鑑賞」という、ちょっとデリケートでプライベートだけど、本当はみんな気になっている内容について、真っ向からお話するものになっています。

著者は男ですが、これは男に限った話ではなく男女共通のトピックですので、女子にも読んでいただきたいです。

インターネットポルノに頭脳を破壊された

冒頭から正直に申し上げますと、今でもエロ動画、大大大好きです。多分インターネットで見れるものの中で一番好き、と言い切れるくらい好きです。毎日毎時毎分毎秒でも観たいくらい大好きです。

しかし著者は数年前からアダルトコンテンツは一切観ておりません。嘘だろと思うかも知れませんがリアルガチに見ておらず、それ以降人生の質が向上した気がするので、改めて自分の考えを記事にしたいと思ったまでです。

エロ禁の理由は、禁欲で自分を高めたいとか、オナ禁でモテるようになるとか、エロ禁を自慢したいとか、全くそういう話ではありません。

「自分の頭脳がインターネットポルノに破壊されかけたから」です。

エロ動画は性欲のジャンクフード

本物のセックスが性欲における健康食であれば、エロ動画は性欲におけるジャンクフードです。エロ動画鑑賞を毎日して、毎日抜いているのであれば、それは毎日ファストフード店のハンバーガー食べているのと同じことになります。

毎日食べてると太るし、体に悪いし、カロリー高いだけで栄養価は少ないし、食べてるのに食べてる気がしない。美味しいのは食べてる時だけで、食べ終わるとなぜ食べたかったんだろう、なぜ欲していたのだろう?と思うほどの後悔しか残らない。

でも次の日にはまた食べたくなって食べてしまう。無限ループで体を蝕んでいくのです。

エロ動画は脳で食べるジャンクフード

ではエロ動画は私たち人間の体のどこで食べるか。脳です。ファストフードのハンバーガーは口で食べておなかで消化します。エロ動画は脳で食べて脳で消化します。頭に負担がかかるのです。

これを繰り返していると、脳がひん曲がっていきます。エロ動画の事しか考えられない頭脳に変形していくのです。これがインターネットポルノ中毒です。

てな感じで、ある日「あっ、エロ動画鑑賞ってあんまり体に良くないんだ」「あっ、おれの頭ぶっ壊れてるわ」って気づいたの発端に、アダルトコンテンツ鑑賞はピタリとやめました。

ジャンクフードは語られるのにエロ動画は語られないのはおかしいということで、著者がエロ動画を観なくなったストーリーと理由をご紹介します。

理由を解説させていただく前に、ポルノ鑑賞が一体なぜ、これほどに私たち人間を機能不全に陥れるのかを詳しく見ていきましょう。

ポルノは世界のインターネットアクセスの3分の1

インターネット上でダウンロードされるコンテンツの3分の1が、ポルノデータという事をご存知でしょうか。これはヤバい数字です。3回に1回のクリックで性的なコンテンツが画面上に表示されていることを考えると血の気が引きます。

クリック
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クリック(エロ動画)
クリック
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クリック(エロ動画)
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クリック(エロ動画)

他にもインターネットポルノ関連の統計が公開されていますのでご紹介します。

  • インターネット検索の25%はセックスに関連したキーワード
  • 18歳から24歳までの男性の7割が最低月1回はポルノサイトにアクセスすると回答
  • アメリカの4000万人の男性が日常的ににポルノサイトにアクセスすると回答
  • 35歳から49歳までの男性が市場における一番の消費者
  • ポルノサイトにアクセスする3分1が女性ユーザー
  • 日曜日にポルノサイトのアクセスが増加

人類がポルノサイトに飲まれていることがよく分かる統計です。

そもそも私たち人間は(男女問わず)なぜこんなにもエロ動画に飲まれるようになってしまったのでしょうか。

性欲は人間の本能

何を隠そう、私たち人間はエロの産物です。誰かと誰かがセックスしたから僕たちが居るわけです。否定も肯定もありません。紛うことなき事実です。

人間の三大欲求はご存知の通り、食欲、睡眠欲、性欲です。どれも命に繋がる事柄であるため、人間はこれら3種類の事を欲する、つまり食べ物、寝ること、セックスに欲(よく)を感じる仕組みになっています。

おなかが空いたらご飯が食べたい。眠くなったら寝たい。そして誰かセックスしたい。水臭いかもしれませんが、これが人間の本能なのです。

食べなければ死ぬ。寝なければ死ぬ。でもセックスしなくたって死なないだろ!って思う方もいらっしゃるかもしれません。

確かにセックスしなくても死にはしません。ただ、セックスして子孫を残さなければ、人類は終わります。ですので直接は死に直結はしませんが、死の逆である「生」を生むためには、セックスは必須であると言えます。

性欲は理性を越えた動物的本能

しかしこれが人間の本能と言っても、人間は動物ですから、これらは動物的な本能という事になります。

本能ですから、私たちの持つ知能や理性はこれらの三大欲求には影響しづらい。腹が減ったら食えるもんなら何でも食う、眠いもんなら山手線の床でも寝る、セックスできるもんなら誰とでもする等と言った、生理現象としての行動が生まれるのが、本能というものです。

この人間の本能こそ、僕たちがエッチなコンテンツが大好きになってしまう理由です。理性を越えた意欲があるからです。

カワイイ女の子が画面上でセックスしているのを観れるのであれば、そりゃ喜んで観るわけです。イケメンマッチョの男子が画面上でセックスしているのを観られるのであれば、そりゃ喜んで観るわけです。

そりゃ本能でしょうよ。そんなの当たり前って思うかも知れません。しかしこれを本能であることをちゃんと認めることが、後に重要になってきますので、一旦はこの本能と言うことを頭の片隅に置いておいてください。

人間であれば誰でもエロは好き

ちなみに私の周りには結構ずば抜けた野郎がいるんですが(ハーバード行ったやつから最強のクリエイター、自給自足のプロフェッショナルまで色々居ますが)そいつら全員自ら認めるAV好きでした。

頭がいいとか感性豊かとか関係ない。
人間の仕組みだから仕方ないのです。
エロという言い方がいけないのはわかっています。
ただ人間であれば誰でもエロは好きなんです。
これは動物界における動物の仕様なのです。

人間がポルノに溺れる理由1: ポルノは人間の本能的な欲求を誘発させるコンテンツ

ハイクオリティなコンテンツが簡単に見れてしまう

昔はエッチなコンテンツに辿り着くのって大変だったんですよ。今みたいに高速インターネットも無ければ、スマートフォンもなかった。でも今や片手に世界中のエロ動画にワンクリックいやワンタッチです。

昔はどのようにしてこの性欲を人は満たしていたのでしょうか。

レンタルビデオ屋さんか、秋葉原のAV専門店まで足を運び、AVのVHSテープかDVDを実際に借りるか購入し、それを家に持って帰り、家族共用のテレビしか無いから家族全員寝るまで待ち、夜中こっそりヘッドホンを付けて鑑賞する。

エロ本を本屋まで買いに行って、家に持って帰ってコソコソ読む。

みたいな感じでしょうか。僕はインターネットポルノ世代ですからそれは体験していませんが。

または

ちゃんとした実際の異性(人)とセックスする!

ですよね!?

昔はエッチなコンテンツに辿り着くためには色々と手間がかかりました。

しかし今はどうでしょう。この時代のインターネットポルノアクセスは楽、簡単すぎるんです。さらに速いし高画質。人類がこれに溺れていくのがよく分かるレベルのドラッグ感。人間の仕組みを逆手に取った現代のドラッグ。正に麻薬であります。

昔話: 1990年代のインターネットポルノ事情

例えば90年代後期、著者が小学高学年(思春期)のころのインターネットポルノと言えば、当時親父に買ってもらったi-modeの携帯電話(mova P503i = 初期のガラケー)でアクセスできる、i-modeの裏サイトでどうにかおっぱいの画像が見れるような時代です。

しかも解像度は120×160で256色。その携帯画面の実際の大きさはWikipediaで見ていただきたいですが、横3センチ縦4センチくらいのマジで極小スクリーン。ネット速度も遅いから電波によっては数ミリずつ上からロードされていって、たまにロードの途中でi-modeアクセスが切れ、ロードし直し、ロードし直したらペチャパイ。みたいなケースなんてザラなわけです。

それで2020年のインターネットポルノはどうでしょうか。解像度は3840×2160もしくはVRポルノであれば視覚の許す限りでしょうか。しかも高速ストリーミング。まとめサイトでポルノ画像が300枚羅列。最高です。アクセスするの簡単すぎだしクオリティ高すぎて最高です。

人間がポルノに溺れる理由2: ハイクオリティなコンテンツに片手間に(スマホで簡単に)アクセスできる

無料です!お金を払わなくても十分楽しめます!

エロコンテンツにお金払ったことはありますか?僕はあります。余裕であります。まぁでもトータル3万くらいかな、生涯で。平均が分かりませんが少ないほうでしょう。(無料で十分なはずのエロ動画なのに、さらに金を払ってもっと見たいと思うなんて、どんだけ〜って感じです)

しかしどんなエロサイトに行っても、ほとんどが無料です。これ全部無料ですか!?ってくらいのレベルで全部無料です。

そりゃタダだったら誰でも食べるでしょう。道端の食品サンプル。

えー何々うまそー、食べるー、えーうまー。

SHOKI
Breakthrough Logo

そうなんですよ美味しいんですよ〜。他にも無料サンプル沢山ありますよ〜どうですか?

あっ、いいんですか!?じゃあお言葉に甘えて〜

SHOKI
Breakthrough Logo

どうぞどうぞ!

こんな感じで無料サンプルを漁りまくるのが、マルチタブインターネットポルノサーフィンというものです。マルチタブとはブラウザのタブのことです。

たまに職場でタブを開きまくってる人いませんか?タブのサイト名が見えなくなるまで沢山開いていて、サイトのアイコンだけがズラーっと並んでいる人。これが全部エロサイト+エロ広告ポップアップタブと化すのが、マルチタブインターネットポルノサーフィンです。最高です!

もちろん金を出しまくってる信者がいるから、無料サンプルを配り続けられる訳です。有料コンテンツのヤバさ(最高さ)はまた別の機会に紹介するとしますが、無料なのでそりゃ誰もアクセスしますよねって話です。

人間がポルノに溺れる理由3: 大抵の場合無料。お金がかからない。

無限のコンテンツ&満腹にならない

エロコンテンツは無限です!毎日数万という新しい無料コンテンツが追加されています。これは我々にとっては朗報!自分らがリクエストをしなくても新しいコンテンツが追加される。さらに過去20年分のエロコンテンツも見放題。

これは一生かけても見れきれないほどの量です!

さらにこの無料コンテンツは、実は実在するアダルトコンテンツの氷山の一角。数千円でもお金を払えば、氷山の一角ではなく、氷山の海の底までアクセス出来てしまう!なんて素晴らしい時代なんでしょうか。

インターネットもテレビも雑誌も無かった時代は、生涯見れる異性の裸の数の平均値はどれくらいだったのでしょうか。10人?それより少ないですかね。

でも今は凄いです。1分というか、一瞬でしょうか?アダルトサイトをパソコンの大画面で開くのであれば、一瞬で10人の裸は余裕で拝めるでしょう。インターネットポルノのヤバさはこれです。

無限のコンテンツ=無限の裸体鑑賞

底なし沼とはこのこと。更に食欲や睡眠欲のように、満腹と感じたり、よく寝たと感じたりすれば、食べ続けることや寝続けることはしなくても良いです。しかし性的満足感に関しては、人間はオーガズムに達さない限りエンドレスに鑑賞を続けることが出来てしまいます。

要するにオーバードーズ(過剰摂取)をしても何ら人体的な悪影響を感じないのです。

人間がポルノに溺れる理由4: 一生かけても見れないほどの無限のポルノコンテンツが存在している&どんだけ見てもポルノでは満腹にならない

エッチなコンテンツを観なくなった理由に続く

次の記事では、著者がポルノを観なくなった理由について解説していきます。

このコンテンツのアイディアを記事に起こそうと思った時、この「観なくなった理由について」のみ書くつもりだったのですが、やはりその前に本記事で解説している「なぜ人間がポルノに溺れるのか」という根本的を原因を書かなければならないと思い、この記事執筆に至りました。

エッチなコンテンツを観なくなった理由は下記の通りで、近日中に記事にしたいと考えておりますが、正直著者はこのポルノ中毒にかなり悩まされた過去があります。

  • 好きすぎて仕事に支障をきたし始めた
  • 実際の女に興味がなくなった
  • ちんこが勃たなくなった
  • オナると人生のやる気が無くなった
  • AV観てオナってる自分が嫌いだった

タバコや酒の摂取とは異なり、あからさまに見える症状がなく、さらにこのポルノ大好き症状を「中毒」と認めることも難しいこのポルノ中毒。

この記事を通じて、私以外でこの中毒に苦しんでいる方がいるのであれば、少しでも手助けになれば幸いです。

つづく

君は新しい時代の成功者になれるか?真の成功者が実践する7つの法則

私たちは今、人類の持つ価値観に変化が起きる分岐点に立っています。この2010年から2020年にかけて、私たちはインターネットの素晴らしさを知りました。それと同時に、インターネットがどのように我々の人生を奪っていくかをも目の当たりにしてきました。

これからの時代、今までのような後付け価値を重視する価値観は滅んでいきます。自分が体で感じる満足感を重視する価値観に変えていかなければ、価値観どころか、自分の意志、そして体までを滅ぼしていってしまうのです。

自由、お金、名声、承認、持ち物、影響力などの成功イメージに囚われている限り、永遠にそのイメージの餌食となってしまいます。

この記事ではその渦から自分を開放し、新しい時代の、新しい成功者として生きるための様式を7つご紹介いたします。

物事に良し悪しを付けない

日々人生を生きていれば、良いことだけでなく、嫌なことだって起こります。想定外のこと、納得いかないこと、ムカつくこと。様々な事が起こるのが人生です。

人間の特性として、プラスの出来事よりもマイナスの出来事の方が強調されて感じてしまうということがあります。日々起こった出来事の9割が良いことでも1割嫌なことが起きてしまうと、嫌なこと10割に感じてしまうのです。

ここで面白い考察です。マイナスに感じたり、嫌に思ってしまう出来事ですが、実はマイナスに感じないでも対処できる場合がほとんどという事。もし行動が必要なのであれば行動に移せば良いだけであって、物事に良し悪しを付けるということは、実は行動するだけよりもエネルギーを消費し、体には負担(ストレス)となるのです。

感情を抱くことが悪いのではありません。起こった事に抵抗をする(レジスタンスを感じる)のか、起こった事を受け入れ、許容の感覚で対処するのかで、体そして精神的に感じるストレスは大きく変わってくるのです(すべきことが同じだとしても)。

物事に良し悪しを付けると、良い時はいいですが、悪い時は自分が惨めに感じてしまいます。起こった事は過ぎたこと。やるべきことと嫌悪感を切り離して、事を淡々とこなすことが出来れば、思考や感情の渦に飲まれること無く生きることが出来るようになります。

新しい時代の成功者の特徴1: 物事に良し悪しを付けずに対処する

怒りを手放す方法についてはこちら

お金はツールだと思っている

お金が安心感や幸福度とリンクしている(繋がっている)と、お金が減るたびにダメージを感じてしまうようになります。ダメージとは自分の何か大切なものが無くなってしまったという、幻想的な喪失感のことです。

ただの感情に見えるこの喪失感ですが、実は我々人間の力を奪ってしまう。落ち込んだり、気にかかったり、後ろめたい気持ちになったりするこれらの感覚は、人間の創造性を奪い、人間が唯一体験できる「今」というこの瞬間とのリンク(接続)を遮断し、人間を思考(静止)の渦の中に連れ込むのです。

人間の力、変化を生み出す力や全ての創造性は「今」にあり、変化は「行動」な訳ですから、そのパワーの源から「遮断」され、人として「静止」することは無力と同義であることはご理解いただけるかと思います。

ではこのパターンから脱却するためにはどうすればよいか。

お金がすべての人生ではなく、お金を人生の一部、つまり人生において活用できるツールとして付き合えるようになる必要があるのです。

お金は必要なものを手に入れるためのツールに過ぎない。

これを心得るのです。

お金が減る(お金を使う)イコール、価値を頂いているという事。お金が減ってストレスを感じるのは、ちょっとおかしな事とは思いませんか?本来であれば等価交換ですから、ありがたくお金が使えれば良いものの、消費がストレスになってしまっては本末転倒。使うお金1円1円に、感謝の気持を添える必要があるということです。

また、お金がない事を理由に、行動が制限される事はストレスに感じやすいですが、これもよくよく観察すると出来る出来ないの2択です。買えるのであれば買えばいいし、買えないのであればそれを受け入れるだけ。抵抗する必要はありません。

お金と健全な関係性を保つ。これが新しい時代を生きる成功者であるために必要となります。

新しい時代の成功者の特徴2: お金はツールだと思っている

自分の特徴・特性を理解している

この時代にストレスなく美しく生きている人の特徴として、自分が自分の理解者であることが挙げられます。自分がどのような人間であるか、自分で良く知っているのです。

逆に自分を知っていないとどうなるかと言うと、様々な支障をきたします。

自分の限界に気づかず無理をしてしまったり、自分の癖に気づかず同じ過ちを繰り返してしまったり。ここで注目していただきたいキーワードは「気づかず」です。気づかないという事は、自分を理解しきれていない。自分の特徴、特性に無意識であるということ。

スポーツの世界では、強者のプレーを「隙がない」と形容しますが、これは「無意識がない」ということ。自分の無意識を補うためには、自分の弱点や癖を理解する必要があるのです。

ストレスなく生きるためには前述のように強くなる必要があるわけではありませんが、自分自身を理解し、自分をストレスに晒す以前に、ストレスにならないような回避術(無理を回避、同じ過ちを回避する術)を身につける必要があるのです。

そのためには自分を俯瞰して(観察して)、自身の特徴・特性をより深く理解することが必要となります。

新しい時代の成功者の特徴3: 自分の特徴・特性を理解している

アイデンティティと常識に左右されず自分を生きている

アイデンティティとは、自分が履歴書に書く内容です。自分に”ついて”書く内容がアイデンティティ。

自分に“付いて”いる概念のことです。

  • 名前
  • 性別
  • 年齢
  • 配偶者ありなし
  • 子供ありなし
  • 住まい
  • 出身地
  • 最終学歴
  • 出身校
  • 職歴

自分の生きた人生を紙に書き出せるものが、あなたのアイデンティティ。あなた”の”アイデンティティ。あなたではないことが留意点です。

では新しい時代の成功者はアイデンティティに左右されないとはどういう意味かというと、自分に付いている内容に左右されずに生きているということです。

例えば、これらの内容はいずれもコンプレックス(自分だけが気にする欠点)になりがちな内容です。

  • もう何歳にもなるのに結婚していない
  • 子供もいない
  • 住まいは誰も知らない田舎
  • 出身地も田舎
  • 学歴は高卒
  • 大学は行っていない
  • ろくに働いた経験もない
  • 容姿に自信がない
  • LGBTである

しかしこれを気にしたところで何ともなりません。

さらにこのアイデンティティに加え左右されやすいのが常識というもの。実はこの常識の方が、履歴書の内容に左右されるよりタチが悪い。

  • これは常識はずれ
  • これをしたら世間の目が気になる
  • この選択は非常識

自分のすべての言動を他人の目で判断するようになってしまいます。このインターネット時代では特に他人の目を気にする傾向にあります。(日本ではこの世間の目が他国より群を抜いて厳しいです。新しい感覚を持つ人が海外にどんどん移住していくのはこのため)

自分ではOKと思っていることでも、他人の目を気にしてOKを出せない。これは自己表現の抑圧以外の何物でもありません。

自分の大事なものは自分で決めよう。それがアイデンティティと常識に囚われずに生きるということです。

新しい時代の成功者の特徴4: アイデンティティと常識に左右されず自分を生きる

過去を囚われずに生きている

過去に囚われて生きるとは、悔いを持って生きているという事です。

  • もっとこうしておけば良かった。
  • あれはしなければ良かった。
  • あの時のあれがなければ。

過去とは、過ぎ去ったと書きます。 過ぎて去ったのにも関わらず、戻せない過去を悔やんでいては、何事も真摯に取り組むことは出来ません。

これは人生の出来事に適用されます。

  • 誰かにされたこと
  • 誰かにしてしまったこと
  • 何かに巻き込まれてしまったこと
  • 何かを引き起こしてしまったこと

されるもするも同じです。悔やむことは自分の人生を否定すること。どんなに納得のいかない出来事があったとしても、悔やみの意識状態から、輝く未来を創り上げることは不可能なのです。

前を向いて、頭を上げて、過去ではなくこれからの人生、いや体感できるこの今を生きよう。

新しい時代の成功者の特徴5: 過去は過去。過ぎ去ったものはスッキリ忘れて生きている

人のせいにする生き方をやめる

過去に囚われて生きる事にどのような弊害があるかというと、すべてを人のせいにする生き方になってしまうのです。自分にとってマイナスな出来事が起こるたびに人のせい。自分の望まない事が起きると他人のせい。

傍から見ると、人のせいにする事は至って普通に思えるかも知れません。

そりゃそうだよな。 そりゃあいつのせいだよな。 そりゃあの一件のせいだよな。 仕方ないよ。

という風に思えるかも知れません。

しかしこの考え方には、個々の可能性を封じ込める重大な欠陥が潜んでいます。

「自分の人生を歩めなくなってしまう」のです。

他人のせい、出来事のせい。「せい」を漢字で書くと、「所為」と書きます。「しょい」とも読めるこの熟語ですが、仕業(しわざ)という意味があります。

他人の仕業。出来事の仕業。

他人のせいにするということは、他人に自分の人生を明け渡すということ。人にせいする時は後ろめたい気持ちになるのはそれが理由です。

自分の人生、自分で責任を取らずに誰が取るのでしょうか。 人のせいにするのは簡単です。 そして人にせいにする人は自分に正直に生きていない人が大半です。

人のせいにする癖があるのであれば、今日やめましょう。

自分の人生を自分で歩むために。

新しい時代の成功者の特徴6: 何事も人のせいにしない

将来を心配せず今日を一生懸命に生きている

将来に不安を感じ、心配をしたくなる気持ちは分かります。しかしこの不安と心配という感覚には実用性が全く無く、不安になろうと心配しようと残念ながら結果は変わりません。

では将来なんて気にせず、今日という1日を一生懸命に生きることが今できる最大限のこと、ベストな事かもしれないとは思いませんか?

本当に将来が不安であれば、今行動に移すべき。不安に感じる何かがあるのであれば、それを変えるべく今日行動に移すべきですが、将来への不安が慢性的なものとなっている場合は要注意。

不安と感じる事そのものが、実は安心に繋がっているという、矛盾が発生している場合があるのです。

不安なのに不安を感じることで安心している??

意味が分からないと思いましたか。確かにこの文は矛盾しています。しかし人間のエゴの仕組みからすれば、これは理にかなった方程式なのです。

では何故か。 これは、不安と感じることで、自分が何かをしている気分になってしまうことが原因です。

心配することで不安要素から逃れられると勘違いしてしまう。 心配をやめてしまえば、不安要素がすべてのしかかってくると勘違いしてしまう。 不安と感じなければ、自分はなんのために生きているのかがわからなくなってしまう。

これが不安と心配の仕組みです。

不安と心配を手放すことは大変です。一番難しいことかもしれません。しかしこの感覚には実用性が全く無いのです。これは紛うことなき事実です。

不安と心配を手放すことは怖いです。でも大丈夫です。手放しても大丈夫です。本当に状況は変わりませんから。

もっと安心して生きてください。 安心できるのは今しかない。

新しい時代の成功者の特徴7: 不安と心配が無意味なことを心得ている

さいごに

お金、名声、権力、自由などと定義する「成功者」の時代は終わりました。これからの成功者は、どれだけ自分の人生を「自分主体」で生きれるかどうか。これは良く言われる自己中心的な生き方ではありません。そのジコチューは「他人を一切気にせず生きるKYピープル」を指すので、「自分主体」とは意味が違います。

自分主体で生きるとは、人生で感じられる全ての価値を自分に置き、自ら自分の世界を創り上げて生きるということです。

自分の人生を感じられるのは自分しかいません。

さぁあなたも自分の人生を創り上げよう。

一生かけてあなただけの世界を創り上げよう!

自殺したい人への僕の思い。海ゆかば

僕は18歳の時、親父を自殺で失いました。この記事は、そんな僕が家族を自殺で失った当事者として、自殺をしたい人への思いをまとめたものです。

自分が自殺してしまったら何も書けませんが、この上なく親近な父親が目の前で自ら命を絶ったという経験をしていますから、少しはこの自殺と命についてを語れる気がするのです。そしてこのメッセージを今まだ命がある貴方に捧げたいと思います。

別にあなたに生きてもらいたいとも死んでもらいたいとも思っていません。だってあなたが生きようと死のうと私には関係ありませんから。あなたも僕を知りませんし、僕もあなたを知りません。そしてこの記事は自殺したいあなたを説得するものでもありません。あなたの自由ですから。

ただの読み物です。死ぬなら読んでから死んでください。

お前が消えて喜ぶ者にお前のオールをまかせるな

中島みゆきさん作詞作曲、TOKIOの唄の宙船(そらふね)という曲をご存知でしょうか。大海原、いやこの大宇宙を進む船を人に喩え、お前の船はお前が漕げ!お前の舵はお前が握れ!というメッセージが込められた、元気づけられる曲です。

その曲中に「お前が消えて喜ぶ者にお前のオールをまかせるな」というフレーズがあります。オールとは「舵」。つまり意志を指します。

お前が死んで喜ぶやつにお前の意志を預けるな

という意味です。

自分は自分の船を進めるために生きている。自分の進みたい方向、自分の進みたい方角を自分で選択する旅が人生というもの。

ここで自分に尋ねていただきたいのが、自分の舵はちゃんと切れているか?という質問です。ちゃんとした判断を下して、変えるべきルートはちゃんと変えているでしょうか。無理矢理に険しい道を進もうとはしていませんでしょうか。

死んだ親父を見ていた限り、プライドの高さ故に、ルート変更が苦しかったように見受けられました。家族に迷惑をかけるとか、今の幸せが失われる等という心配から、意地でも舵を切らずに進もうとした結果、道に耐えきれず、自ら命を断つに至ったと。

人生で大切なのは進む道ではなく、自分の意志です。自分の状態を知り、過信しないことを心がければ、危険な航海はしないで済みます。自分第一に。安全第一に進んでください。無理矢理に突き進もうとしなくてもいいのです。自分が進めるルートを見極めることも大切なのです。

自分の人生と自分の意志は別物

あなたの意志だけが、船の特性を知り、船の行き先を知り、船の状態を知っています。あなたの意志以外、船の状態を知ることは出来ません。

これがどのように自殺と関連するかというと、自殺してしまう人は、この自分の船の状態を把握しているにも関わらず、無理な航海を続けてしまい、気づいた時には溺れ、手遅れとなってしまうということなのです。

残念ながら、現実世界の海で溺れているとはワケが違います。自分の世界での海に溺れている訳ですから、他人である救助隊が助けることは不可能なのです。

ですから今この記事を読んでいるあなたは、もし本当に自殺を考えていたとしても、まだ溺れてはいないので幸運です。自殺を考えるイコール、自分の船が自分の意志とは違った方向に進みすぎてしまったために、船が操縦士に向けて警告音を出している状態と言えるでしょう。

その死にたいという感情は、「死にたい」という感情でしか認識できない、船から操縦士へのメッセージなのです。

まだ間に合う。舵を切れ!

と。

船のダメージは操縦士のダメージではない

ここで気をつけなければならないのが、人生においての真の問題は、状況が問題でないということです。船(状況)と操縦士(あなた)は別物です。船の状態や船の場所は、自分の人生における状態や状況のことで、あなたにはこれらを変える力があります。

  • 私は恵まれていない
  • この職場、仕事が嫌だ
  • パートナーと一緒にいるのが嫌だ
  • 私はもう人生を変えられない
  • 誰も理解してくれない

これらは状況であって、意志(操縦士)では無い内容です。あなたではないのです。あなたは船を操る意志なのです。意志が完全になくなった時、無意識(無”意志”気)となり、自ら命を絶ってしまう。これが自殺です。

自殺する人は完全に無意識です。意志が完全になくなってしまうから、自分自身を来た場所(あの世)に戻すしか出来なくなってしまうのです。

自殺を事前のカウンセリングなどをしても止められないのはこれが理由です。

自殺者は死にたいなんて思っていないんです。自ら命を絶ってしまうほど、意志がなく(舵を切れなく)なってしまっているんです。意志があったら自殺しないでしょう、どう考えても。

死んで損するのはお前だけ!

宙船の歌詞にある「お前が消えて喜ぶ者」という意味を詳しく見ていきましょう。一体どう言う意味なのか。それは一体誰なのか?

これは私の勝手な解釈ですが、消えて喜ぶという表現は比喩で、実際に消えて喜ぶ人は居ないはず(戦争は除く)ですが、それくらいの気持ちを生きる上で持てという意味だと思うのです。

逆の言い方をするのであれば、死んで損するのはお前だけ!という事。

損するものなんて何もない。もう損しまくった。だから私が死のうと生きようと意味はない!と思いましたか?

残念ながら死ぬことは大損です。何故ならば、人間何をもがこうと結局は死ぬんです。これから逃れられた人は一人といません。誰だって最後には死ぬんです。宇宙の法則、生物の法則に基づき、必ず我々人間は死にます。

それをわざわざ自分で急ぐ必要があるのでしょうか。この世の中、生きたいのに死んでしまう人が大勢います。若くして交通事故、若くして難病、さらには記憶すらないまま、生きたことすら実感できぬまま去る小さな子もいます。

生きてるだけで丸儲け。さんまのオッサンの言葉です。丸儲けという意味は、別にお金を儲けるというだけの意味ではありません。別に望んだわけではないこの人生だが、生きることそのものが価値のあること。その人生の中で得る価値は、生きるそのものの価値には到底値(あたい)しない、という意味を込めて放った言葉だと私は解釈しています。

自殺した親父は大損です。2008年以降、何も知らないんですから。何も食べてないんですから。あーもったいない。悲しいとか残念とかいうレベルの話ではないです。素直にもったいない。生きないともったいないんです。

生きれる限りは生きたほうが、絶対良い。

他人を見すぎる日本。自分を失う日本

次に日本という国、日本人という人種の特性から、自殺との関係性について掘り下げてみましょう。

日本は裕福な国なのにも関わらず、先進国の中でも特に自殺率が高いことで有名です。これは生命に関わる境遇にさらされることがほぼ無い事に起因していると私は考えています。

日本という国では日常の生活において、飢餓や暴動など、自らの命が脅かされる事態が起こりにくいのです。となると、日々を生きる上で、この尊い生命を感じることはほぼゼロと言っていいほど無くなります。食べて寝て生きるという基本は当たり前ですから。

この状態で生きていると「生きる事そのもの価値」よりも「人生の中で得る価値」の方が上回ってしまう。

朝起きてご飯を食べ、夜に寝るという人生の基本があっての人生なのに、そんな自分が生きてる事なんて関係ないと思えてしまうほど、後付けの価値が自分の人生になってしまっている。それに加え後付けの価値での比較が始まり、さらなる不満足を生む。これが日本の現代人の心の現状です。

これを自分が失われている状態と言います。

自分が何故失われるのか。それは、生きる事そのものが「自分」だからです。生きていなければ自分はいません。自分がいるからこその人生体験であり、喜怒哀楽なわけです。

死んだ親父は確かに頑張った。僕たち家族に良い思いをさせてくれた。でもその創り上げた価値が、自分の命の価値を上回ってしまった。親父にとっては敗北だったのでしょう。

実はこの生きている時の方が夢

私たちが生まれる前、世界は存在しませんでした。私たちが死ぬ時、世界は消えてなくなります。

人間という肉体ありきの、この人生体験です。この肉体を持ってこの世にいると、人間主体の考え方が絶対となります。人間の考えなのですから当たり前です。この有限な体を持つと、有限な思考や思い込みをしてしまうのは当然なのです。

さてこの現実と思い込んでいる人生体験ですが、生まれた時から死ぬまでが人生体験ですから、前述の通り有限であることに皆さん同意していただけるかと思います。

では生まれる前と死んだ後など、この人間の肉体に意識が宿る前と後は、いわゆる私たちはあの世に居ることになります。あの世はどう形容すれば良いでしょう。有限の反対である無限、つまり永遠とでも言えば良いでしょうか。

人間として生きていると、この世がホームであの世がアウェイと感じますが、実はあの世側の方が魂レベルではホーム(故郷)という事になります。

永遠が、肉体という媒体を通じて、この地球という物理的体験(有限な世界)を体験しに来ているという事。今流行りのVRってあるじゃないですか。ゴーグルかけるやつ。あんな感じです。人間という肉体に意識が入ると、超鮮明なVRが再生されるのです。この夢が人生体験です。

結構凄いシステムだと思うんですけど、どうですか?

この記事を読んでいる時点で安泰

まだあなたには生きたいという気持ちがあるようです。なければこの記事には辿り着いていないでしょう。さらに、自殺する大半の方は前述の通り無意識です。自殺は自分で抑えられるような行動ではないのです。

自ら自分の命を絶てるなど正気の沙汰でないです!明らかに頭がイカれてます!おかしいです!

ということで、あなたの人生をより良くするためのおまじないをお教えしましょう。

Life is good!
ライフ・イズ・グッド!

と言いましょう。言霊です。 翻訳すると「生きてるだけで丸儲け」って意味です。

今日も生きてください。

ダメゼッタイ!このIT時代を生き抜くために「してはならない」5つのこと

皆さん!スマホとインターネット、まさか赤ちゃんのおしゃぶりみたいな感じで毎分毎秒しゃぶりついてないですよね?大丈夫ですよね?w

いや、この便利なスマホとインターネットですが、便利さよりも人間を堕落させているようなケースが増えているようなのです。

インターネットが始まり、そしてこの2020年であのGoogleは22周年を迎えました。しかし2010年から2020年までの10年間の進歩はその前の10年よりもさらにスピードを増し、テクノロジーは脅威を振るう一方です。

ダメゼッタイ!このIT時代を生き抜くために「してはならない」5つのこと

この記事にこのタイトルを付けた理由は、スマホとインターネットがある種新しいドラッグ(麻薬)になりつつあるからです。私たちの体を蝕み、感情のセンサーを鈍感にし、人間力が吸い取られていくのです。

皆様であれば御存知の通り、様々な悪影響が報告されています。集中力が散漫になるADHD。現代病と言われるうつ病やパニック障害などの精神疾患、つまり脳を起源とする症状。体にももちろん影響があります。自立神経失調症、花粉症、便秘や過敏性腸症候群などの慢性疾患や、皮膚病などの自己免疫疾患。これらの病気は昔には存在していませんでした。

ではいつどこで人類は進路を間違ってしまったのか。

いいえ、進路は間違っていません。

自らが作り上げたテクノロジーが凄すぎて、自らに対応することが出来ていないということなのです。

多くの要因はありますが、まずは今日から出来るこの「テクノロジーとの付き合い方」として、このIT時代を生き抜くために「してはならない」5つのことを紹介したいと思います。

YouTube観ながら食事

「それじゃ食っていけない」

どこかで聞いたことがあると思います。

食う=稼ぐ という意味ですね。

それじゃ稼げないという意味です。

いわゆる比喩を使った表現なのですが、「食べる」ということは、人間が生きる上で非常に大切なことであるからこそ、「食っていけない」というような表現になったわけです。

ということはです。食べることは非常に大切なこと。食べることは、人間を飢餓から守るための大事な行動なのです。

なのに今となってはテレビを観ながら食事。YouTubeを観ながら食事。Netflixを観ながら食事。

一番大切な行為なのに「ながら」ですか?

食欲は人間の三大欲求のひとつです。三大欲求とは、睡眠欲、食欲、そして性欲のこと。

何かしながら寝ますか? 何かしながらセックスしますか?

そういう事です。

観ながら食事がもたらす悪影響

自分の意識が、テレビやYouTubeなどに向いている状態でご飯を食べるとどうなるか。

食べる行為の他に、視覚と聴覚そしてコンテンツ楽しむという感情が同時に発生します。頭が混乱してしまいます。食べているのか動画を観ているのか、どっちに体のモードを切り替えていいのかわからなくなってしまうのです。

咀嚼回数も減りますし、唾液の分泌も減ります。

消化は胃から始まると思いがちですが、実は消化は口、つまり咀嚼から始まります。消化という全体のプロセスの一番最初の大仕事、食べ物を細かくするという作業が口で行われる訳ですが、これを「ながら食事」でやってしまうと、食べ物が細かくならないまま胃に運ばれてしまいます。さらに胃での消化を助ける唾液も分泌されないまま運ばれてしまいます。

すると胃から先の消化器官、十二指腸、小腸、大腸のバランスがすべて崩れてしまうのです。

このアンバランスさが引き起こす機能不全は人によって変わるようですが、便秘や下痢、食欲不振または増進、肌荒れなど、いわゆる自立神経失調や自己免疫疾患が引き起こされるのです。

この記事を読んでくれているあなたが、改めて食事と食べる行為そのものの大切さに気づき、あなたの噛みしめるご飯の一口を、全身全霊で感じながら食べていただけるようになってくれたら嬉しいなと思います。

スマホと寝る

スマホは別部屋で。アラームは目覚まし時計で寝ましょう。

まず寝る前のスマホチェックはダメです。寝る前のYouTube鑑賞に、SNSチェック、ニュースチェック。画面を見ながら睡魔を待つという不思議な行為。スマホの睡眠管理アプリを起動しながら寝て、睡眠から目覚めるのはスマホのアラームが鳴ってから…

さらに続きます。スマホのアラームが鳴ってもスッキリ起きれるわけでもないので、スヌーズをタップ。布団でぬくぬくしながら夜間に見過ごした通知一覧をチェック。5分後10分後にやっと起きたと思ったらYouTube鑑賞をスタート。SNSをチェック。ニュースをチェック。やばい出発の時間だ。起きよう!

慣れてしまうと、このようにスマホと一緒に寝てスマホと一緒に起きるというサイクルを繰り返していても何も感じませんが、スマホを知らない人にとって、このようなサイクルは正気の沙汰ではありません。異常です。

スマホと寝ることがもたらす悪影響

  • 睡眠の質が下がりまくる
  • スマホ依存症になる
  • 思考をOFFにすることができなくなる
  • 生活は一人なのに幻想の他人を作り上げてしまう
  • 人生のツールであるべきスマホが、人生になってしまう

スマホはもう私たちの生活の一部、常識となってしまっています。スマホやインターネットはもちろん毎日使うもので、便利で素晴らしいものですが、寝る時ぐらいは別の部屋で充電させて寝ませんか?寝る時ぐらいはスマホちゃんにも休んでいただきましょ?

無駄なニュース/SNSチェック

情報収集をしたい。そう思ってニュースやSNSをチェックしているかと思います。情報収集という明確な目的があれば良いですが、今というこの瞬間がつまらないから、とりあえずスマホをチェック!という習慣となっていたらヤバいです。

自分よりも、あなたに一切関係ない他人や世の中で起こっていることが何故か大切になってしまっています。別に大切ではないかもしれません。でもよくわからないけどチェックしたい。要するに無駄な情報中毒になっているのです。

タバコと一緒です。ニコチン切れで吸いたくなる。スマホも刺激不足でチェックしたくなる。必要以上のスマホチェックは、思考を鈍くさせ、人生のクオリティを下げるので要注意です。

無駄なニュース/SNSチェックがもたらす悪影響

  • 集中力散漫
  • 情報オーバードーズ(過剰摂取・役に立たない情報のインプット)
  • 比較や嫉妬が生まれる

ゲームやりすぎ

ゲームはやっても良いと思います。気分転換のためのゲーム、友達と楽しむゲーム。どちらも素敵です。ただ、大人になってからのゲーム没頭はちょっと危険性を伴います。

ゲームをやる以上、その時間は楽しさという価値と引き換えに、全く意味をなさない時間となっているということを忘れてはいけません。あなたがゲームをしている間、頑張って作業を積み重ねている人がいることを忘れてはいけません。

ゲームをやる以上、あなたがあなた自身に対する文句を言う権利は無くなる、ということです。

ゲームやりすぎがもたらす悪影響

  • 人生がつまらなく感じる
  • 自分のやりたいことがわからなくなる
  • 時間はあっという間に過ぎ去る
  • 何も残らない

エロ動画見すぎ

人間の三大欲求の3番目、性欲からの衝動で観てしまう、みんな大好きエロ動画です。インターネットアクセス全体の1/3がエロ動画サイトというのですから、人間がどれだけエロ動画が好きなのかが良く分かります。

しかし本当のセックスが自炊した美味しい食事だとしたら、エロ動画はジャンクフードに値します。毎日食べるものではないし、たまに食べるから美味しいのであって、毎日食べていたら太るわ味覚はおかしくなるわ、頭はおかしくなるわでもう大変です。

無駄なニュースチェックやゲームと一緒で、スマホからいつでもどこでもこのジャンクフードにアクセスできちゃうから困ったものです。

観てもいいです。やめろとは言いません。でも週1くらいにしてください。

エロ動画見すぎがもたらす悪影響

  • ​性機能不全になる(実際の行為で勃たない、濡れない)
  • 裸体オーバードーズ(過剰摂取・裸の見すぎで脳がひん曲がる)
  • 異性とのコミュニケーションが苦手になるまたは避けるようになる
  • 誰にも潜入されないプライベート空間、時間に中毒になる(誰にも何も言われない娯楽は快感と変わります)

すべてをいっぺんにやめるのではなく、「無意識な行動」を「意識的な行動」に変えていきましょう。

紹介した5つのことは、どれも悪いことではありません。それが無意識に行われてしまう、つまり自分が制御できない状態にあることが問題なのです。

そしてすべての無意識な行動の根本にあるのが「現実逃避」です。

もし自分が紹介した5つのどれかをしようとして、それが意識的にしたいことなのか、もしくはただ現実逃避したい(今を紛らわせたい)だけなのかを感じてみると良いでしょう。

無意識を意識的に変えることで、心技体すべてがクリアになり、より質の高い取り組みが実施できるようになるはずです。

人を変えようとしたり、変化に期待すると自分が苦しむ。人間関係は自分との関係。

ポイントは、「人」が問題なのではなく、あなたの「感覚」が問題なのです。人に変化を求める。人があなたの気持ちを変えてくれると期待することが本来の問題なのです。

人が人へ変化を求める時、それは人が自分に持つ「感覚」に嫌気が指している時です。自分が惨めになっている。自分が調子よくない。選択を持って生きれていない。その責任が自分にあることに気づいていないため、他人を変えることでそれらの問題が解決されると勘違いしているのです。

対人関係からのストレスが生まれる原因

あなたが日々ストレスや負担を感じていて、次のようなことを思ったことはありますでしょうか。

  • 協力してくれたらもっと楽になれるのに
  • 理解のある人だったらもっと楽になれるのに
  • もう少し稼いでくれたらもっと楽になれるのに

気持ちはわからなくもありません。実際人間は協力しあって生きる生き物です。ですがこれらの内容をよく読み直してみると、自分の心の安定と平和を他人に委ねていることがわかります。「楽になれる」という言葉です。

協力、理解、そしてお金、どれも生活には欠かせないものです。

  • 日々の仕事
  • 人からの理解
  • お金

これらは私たちの人生においての内容であり、自分で上手くコントロールしながら日々暮らせることがベストだと思います。しかしこれらがあなたの感覚や感情と同一化してしまっていると、それらの要素に自分がコントロールされてしまいます。コントロールされているの事に嫌気がさし、他人をコントロールしようとしまう。それが人が人に変化を求める根本的な原因です。

私はこれだけ協力している→あなたももっと協力してよ
私はこれだけ理解している→あなたももっと理解してよ
私はこれだけ稼いでいる→あなたももっと稼いでよ

このスタンスでは「私」と「あなた」があります。私がいるから、あなたもいる。この分離感もあなたの優れない感覚の原因でもあります。

自分の感情と課題を切り分ける

今度は自分の期待する「楽になりたい」という気持ちと、事実を切り分け、事実ベースでの解決策を見てみましょう。

日々の仕事

やるべきことが多い

一緒にやろうと誘う

人からの理解

情報共有が足りていない

責任感や負担があるのであれば伝える

お金

お金が少ない

節約するか仕事を増やす

課題への健全なアプローチは本来このように事実ベースで行われるべきで、私とあなたという概念は無いほうが良いです。自分、そして他人を惨めにせずに済みます。

ポイントは、「何」が問題なのではなく、あなたの「感覚」が問題なのです。人に変化を求める。人があなたの気持ちを変えてくれると期待することが本来の問題なのです。

人に変化を求める原理

人が人へ変化を求める時、それは人が自分に持つ「感覚」に嫌気が指している時です。自分が惨めになっている。自分が調子よくない。選択を持って生きれていない。その責任が自分にあることに気づいていないため、他人を変えることでそれらの問題が解決されると勘違いしているのです。

1 私はこれだけしている。

2 誰に?

3 あなたに。

4 だから?

5 あなたも私のために変わって。

この一連の流れが、自らを自分を惨めにする根本原因です。人のために生きるのではなく、もっと自分のために生きれば良い。もし人のために生きたいのであれば、自分の人生の中で自分のできる貢献として、見返りを求めず与えたらすぐに手放しましょう。与えるものは返ってくる。それが宇宙の法則です。

すべての人々が自分のために生きて、自分のできることがあればを協力し合う。お互いにその人らしく生きれることを願う。自分らしく、自分のために生きることを自己中心的と捉えるのではなく、それをお互いに認め合うのが本来あるべき人間の姿です。

一生懸命生きている時
何かに没頭している時は変化など求めない

あなたが赤ちゃんに愛情を注ぐ時は、あなたは一切見返りを求めません。でも大人になって社会的な思考が芽生えると、どうにもギブアンドテイクや損得の概念があなたの邪魔をしてしまいます。

そしてまた面白いことに、普段あなたが一生懸命何かに没頭している時には、人に変化を求めるような思考は出てきません。むしろ自分が自分らしく生きている時は、みんなが喜ぶことなら何でもするという普遍的な愛と情熱のエネルギーで満ち溢れ、人に変化を求めるという惨めな感覚が入れる余地がありません。自分が自分らしく生きれていない時や、将来への不安という時間をベースにした概念が出てくる時のみ、これらの思考が回ってしまうのです。

他人へ思うことは自分へ思うこと

これを心得ることが出来ると、自分の内面を受け入れ、自分のさらなる進化に繋げることができます。自分が自分の理想に到達していないから、他人に自分を見てしまい、自分が出来ていないことに嫌気が指してしまう。自分に厳しすぎると、他人にも厳しくなってしまう。人生では一生懸命生きることが大切です。そして自分に厳しく、高みを目指すことも大切です。しかしその厳しさが自分への劣等感となってしまうことが問題なのです。

人生で唯一責任を持つべきもの、それは自分の感覚です。他人を思いやることも大切です。ですがその「思いやり」と錯覚する「強制的な変化への期待」が、人間関係における歪みを生み出すこととなってします。

全ての思考と感覚は自分の責任。
他人との関係を改善する3つの選択。

人に思うことが何であれ、その思考は100%自分に責任があります。「私だったらこうするのに」「私だったらこう思うのに」「何であなたはそうするの?」等の感覚は、あくまでも自分ベースの考えです。これらがまず絶対的な真実かどうかも疑う必要があります。

さらに、他人に変化を期待する感覚でさえ、本当に必要なのか?ということも考えなければなりません。

他人との関係においては、許容するか、実用的に協力をお願いするか、関係をやめるかの3択です。

許容

もし長期に渡って同じことをその人に伝えていて、変わらないとしたら、それはその人のあり方であると認めてあげるしかありません。それが私たちがその人に出来る最善のことです。人を認めて生きるのか、変わらないものを変えようと抵抗して生きるのか。どちらが心地よいでしょうか。人を認めた方が心地よいのです。

実用的に協力をお願いする

消極的な人には、実用的に協力をお願いしましょう。ポイントは「何もしないあなたを見てるとムカつく」から依頼するのではなく、事実ベースで「今日はやることが多くて手が付けられないから、やっておいてくれない?」という風にアプローチすることです。あくまでも、あなたの感覚を変えたい故の依頼ではなく、事実ベースです。

あなたのイラつきやムカつきは、やるべきこととは別物です。それらの自分を惨めにしている感覚はあなたの問題で、人生におけるすべきこととは無関係です。自分に全ての責任があると思うことも勘違いですし、内面的に抵抗しているのもあなたである事を心得て「人に変化を求める」という肩荷を下ろしてしまいましょう。

どのような感覚を持って生きたいのか。そしてその感覚は自分で選択できる、ということも覚えておきましょう。

関係をやめる

その人を許容することも出来なくて、実用的に協力もしてくれない、そしてあなたの内面的な感覚も冴えない。ここまでの状況であれば、さっさと関係をやめましょう。人生一度きりです。なぜ泥沼にはまったまま動かないのでしょうか。選択を持って生きましょう。

関係がやめられない・環境的に制限されている場合

特に家族関係、親子関係など、切っても切れない関係の場合は、その人を認めてあげるしか他ありません。

人生における第一優先の事柄は、私たちの内面的な感覚です。他人や外的要因がたとえ理想とかけ離れていたとしても、事実と内面的な感覚は別物であることを心得なければなりません。

例えば刑務所に収監され、3年の懲役で服役しているとします。3年もの間、出たいと抵抗しつづけるのもありですが、抵抗する意味はあるのでしょうか。今この瞬間はこの状況であり、認めるしかないと思ったほうが、内面的には断然平穏でいられるはずです。外的要因が究極の制限である場合でもです。

自分の感覚を制御できた時、初めて自分の人生が始まる

人を変えようとする時、変化を期待する時は、他人に問題があるのではありません。他にやりたいことがあるのに、違うことをやらなくてはならない、どうにもこうにも調子よく自分と向き合えない、などの自分の感覚の問題です。人のせいする時は、大体自分のせいなのです。

まずやるべきことは、なぜ自分はこのような感覚を感じているのかを、自分に問いかけることです。自分の感覚(感情と思考)は他人の言動とは無関係です。自分の感覚と向き合うことが出来るようになれば、人に変化を期待することもなくなります。

一度きりの人生、他人のせいにしている場合じゃありません。他人を変えようとしている場合じゃありません。自分の描きたい人生を自由に描けるのが人生です。自分の全ての感覚に責任を持てて初めて、あなたの思い通りの人生を生きることが出来るようになるのです。