自己嫌悪: 酒タバコ運動不足より体に悪いもの

酒タバコ運動不足、ゲームや動画三昧より体に悪いものがあるのをご存知でしょうか。そう、それは自己嫌悪です。自分が自分を嫌うことが体に一番悪い。自己嫌悪が一番体に悪いんです。では自己嫌悪とは一体何なのか。「自分を嫌って悪く思う」と書きますが、そんな一言で表現できるほどシンプルなものではありません。

自己嫌悪とはずばり、小さな自己否定が年月をかけて積み重なったものです。自己否定が潜在意識と変わってしまった状態で、全てを「自分を嫌わないようにするため」という基準で生きるようになってしまっている状態です。

自分のここがダメでここが嫌い。だからそれを補うために何かをする、何かを得る。すべての行動が、中性(ニュートラル)な場所からの判断ではなく、負(マイナス)を埋めるための行動となってしまう。これが自己嫌悪という状態で伴う症状であり、自己嫌悪を無くしていかなければならない最大の理由です。マイナスや劣等感という感覚を起因とする行動に、良い結果が伴うわけがないのです。

お酒をたくさん飲んだり、タバコを吸ったり、一日中ソファに寝転んでダラダラしたり、一日中ゲーム三昧動画三昧でジャンクフードしか食べない。これら全てはかなり体に悪そうな生活習慣ですが、それをする自分が嫌いでなければ、身体的悪影響を除いて、何の問題はありません。

自分が自分を嫌うことが体に一番悪い。自己嫌悪が一番体に悪いんです。

いやいやいや、自分のことなんて別に嫌いじゃないし、自己嫌悪なんか自分には無関係、そう思われるかもしれません。しかしこの自己嫌悪は、自分で気づくことが非常に難しい意識状態なのです。自己嫌悪という状態が「普通」になりすぎてしまって、自分が自分を嫌っていることすらわからなくなってしまう。これが自己嫌悪の最大の問題であり、厄介なところです。

この記事では、自己嫌悪の仕組みの解説、そして自己嫌悪をどのように乗り越えて、どのように自分本来がもつクリエイティブパワーを取り戻していくことができるのかを解説していきたいと思います。

自己嫌悪の原因と最大の問題

自分を嫌ってしまう原因は、言い方がこれしかないのが歯痒いですが、ありのままの自分を認められないことに起因します。自己嫌悪は、どんなに人も、どんな状況下においても起こりうるものです。どんなスーパースターでも陥ってしまう可能性がある、ごく身近なものです。

ありのままを認められないということは、下記のいずれか、もしくはすべてが当てはまっているということと定義しています。

自分を認められない思考パターン

  • 自分はまだまだと思っている
  • 自分には欠落があると思っている
  • 他人と比べないと自分の価値を見いだせない
  • 自分の価値を自分ではないもので埋めようとしている
  • 勝手な思い込みで、勝手な常識を作り、勝手に自己否定している

これらが自己嫌悪の根本的原因となる思考パターンです。これらを、人それぞれが、人それぞれに頭の中でお話を膨らませて、自分で自分を勝手に嫌っているという状態が、自己嫌悪の根本的原因です。完全に自動で行われるので、自分が自分を勝手に追い込んでいることに気づけません。

自己嫌悪には2種類あります。プラスな視点から自分を嫌うパターンと、マイナスな視点から自分を嫌うパターンです。

プラス視点からの自己嫌悪

プラス視点からの自己嫌悪は、自分に厳しい完璧主義者や理想の高い人によく見られ、何を達成しようと自分に欠落を見出してしまう人が陥りやすい症状です。

  • 結果を残せていない自分を嫌う
  • 自分との約束事を守れない自分を嫌う
  • 他人と比較して自分を嫌う

マイナス視点からの自己嫌悪

マイナス視点からの自己嫌悪は、過去を手放せていなかったり、被害者意識の高い人によく見られます。過去を浄化できず、それに依存してしまっている自己嫌悪です。

  • あの時あれが出来なかった自分を嫌う
  • 過ちを犯してしまった自分を嫌う
  • 誰かに嫌な事された自分を嫌う

プラス視点もマイナス視点も、入り口は異なるものの、行き先は一緒です。多大なる自己否定です。これでは私たち人間が持つ可能性と創造性を表現できるわけがありません!繰り返しますが、自己嫌悪の最大の問題は、この自己嫌悪という状態が「普通」になりすぎてしまって、自分が自分を嫌っていることすらわからなくなってしまうことです。

次に自己嫌悪が私たちに及ぼす悪影響について掘り下げていきましょう。

自己嫌悪が及ぼす悪影響

自己嫌悪は、精神的、そして身体的に様々な悪影響を及ぼします。ただ自分を嫌っているだけという状態で済まされるものではなく、実感できる症状が伴うものが自己嫌悪なのです。慢性的な疾患と言えます。

精神的な悪影響「行動力の低下」

精神的な悪影響は、行動力の低下です。自分の思考で言葉になっていなくても、潜在的に「どうせ無理」「やっても無駄」という制限を自ら作り出してしまっている状態です。これは人間として生きる上でめちゃくちゃ勿体ない。

本当はできること、本来は楽しめることでさえも、自ら自分でSTOPをかけてしまい、一切取り組まなくなってしまう。これではせっかく生きているのに勿体ないとは思いませんか?あなたの勝手な思い込みが、あなたのハンドルさえも奪ってしまっているということです。

行動力低下は「あなたの夢に関わるものだけ」

ここで気をつけなければならないのが、この行動力の低下は、自分が本当に取り組んでみたいと思っていることへの行動力であるというところです。「あなたの夢に関わるもの」のみ、取り組むことができなくなってしまうということです。

嫌と思っていても、義務だからできる行動はある。しかし「あなたの夢に関わるもの」は一切の義務ではありません。あなたの夢を追えるのはあなただけなのです。

自己嫌悪は現実逃避への行動力を増幅させる

そして怖いことに、義務だからできる行動以外に、自己嫌悪を避けるための行動が増えてしまうのです。つまり、逆の行動力、自分を避ける力がみるみるアップしてしまうのです。

自己嫌悪を補うための自己破滅型の行動が増えてしまうのです。これが自己嫌悪の一番恐ろしいところかもしれません。おっかないです!

代表的な自己破滅型の行動

  • 中毒(酒タバコ過食インターネット)依存(過剰な刺激と現実逃避)
  • アンチ化(自己嫌悪のない人を嫌う)
  • 八つ当たり(嫌悪の行き先を親類に当てる)
  • 物欲の増加(物で自己嫌悪をなくせると思ってしまう錯覚)
  • 不自然な異性への求愛(自分を見なくて済む)

これらはどれも自己嫌悪を感じさせなくしてくれるものです。自己嫌悪そのものをなくすわけではなく、とある行動を通じて自己嫌悪という感覚を麻痺させているというもの。本人が気づいていなくても、これらの無意識なオーバードーズは、自己嫌悪から目をそらしている状態で、残念ながら自己嫌悪を増幅させてしまっています。

(だから何をしても満たされないし、ネットで調子よくやってそうなやつがムカつくし、唯一の本当の仲間であるべき家族を敵に回すし、物を買っても長くは幸せでいられないし、異性と付き合っても幸せが続かないのです)

身体的な悪影響「不調と怪我」

次に身体的な悪影響です。身体的な悪影響は、自分が嫌いな自分を、さらにもっと嫌いにしてくれるような症状が現れるということです。

これは全く科学的根拠のないお話で、あくまでも著者の実体験でしかないのですが、風邪などではない、慢性的な自己免疫疾患や自律神経失調症の起源には「こんな自分嫌だ!」という潜在的な感情が潜んでいるのではないか、と思うのです。

「自分が嫌いだったらもっと嫌いにさせてあげるよ」と言わんばかりに「こんな自分嫌だ!」という感情を増幅させる症状が現れるのです。

さらには定期的に怪我をするという事を引き寄せている人々もいるようです。体調不良と怪我さえあれば、行動しない言い訳にピッタリです。この身体的な悪影響も、結局は精神的悪影響に繋がっており、最終的には「自ら自分を思い通りにさせない」「自ら自分を行動から遠ざける」という行動力低下状態になります。

一番は精神的悪影響(行動力の低下)ですが、身体的な悪影響も、精神的悪影響と同じように作用することを覚えておきましょう。

自己嫌悪を越える方法

ではこの自己嫌悪に解決策はあるのか。この魂にこびりついた手強いフィルターをどう掃除すれば良いのか。自己嫌悪を越える方法はあるのか?

ここまでを読んで、もしあなたに、長い期間自己嫌悪を続けてきてしまった、というお心当たりがあるのであれば、それは今日明日に自己嫌悪を手放せるというものではありません。冒頭にもあるように、自己嫌悪は慢性的な意識状態で、自分を嫌っていることすら気づかなくなってしまうことがあります。

第一に、自己嫌悪は結果であることに気づくことです。気づいたら自分を嫌いになっていた。ということは、自分を嫌いでも好きでもなかった、元の状態が必ずあるということです。

つまりは、自己嫌悪は越えるものではなく、気づくだけでいいのです。気づくだけでいい。気づけないから負のスパイラルに入ってしまうわけで、気づくことができれば、そこから自分の本来の意志に耳を傾けて、行動に変えていけばいいのです。

自己嫌悪に気づく方法

自己嫌悪にどれだけ私たちがコントロールされているかは、どれだけ前述の「自己嫌悪感をなくすための代表的な行動」をしてしまっているかが指標となります。「自分が本来持っている意志がどれだけ消されてしまっているか」の大きさです。

ということは、自分が目指す自分の最高の姿から遠ざけている行動パターンに気づくことができれば、それは自己嫌悪に気づくことと同義であると言えます。

自分はどのような時に自分から逃げたくなるのか。自分はどんなシチュエーションで自分から逃げたくなるのか。その逃げたい感覚こそ、あなたの自己嫌悪ということになります。

常にそのアンテナを張って、自分に自己意識の光を当て続ける。それが自己嫌悪に気づく唯一の方法です。

さいごに

人生は人として生きると書きます。人として生きているのに、その本人を嫌っていては本末転倒。自己嫌悪は私たちの人生の豊かさを阻んできます。

自己嫌悪を一瞬で手放せることが出来たらそれがベストですが、自己嫌悪は慢性的な意識状態です。自分が日々生きていく中で、どのように自己嫌悪が自分を制限し、コントロールしてしまっているかを、まずは自己観察できるようにならなければなりません。

観察できるようになるにはまず、自分が自分を嫌っていることを認めることからスタートです。成長は自分を認めることからスタート。自分が下手であると認められない人は、何事も上達できないのと同じです。

人生、結局自分自身と一生生きるのです。自分との関係性が結局一番大切、ということ。自分を愛せ、自分を好きになれとは言いません。ありのままの自分を認めて、自分なりに一生懸命生きればいい、ただそれだけです。

あなたの行動力を封じ込めている本当の原因をあなたは知っていますか?

私たちが動けない理由

私たち人間はやってみたい事が沢山あります。人間として生きている以上、常に体を感じて体験、そして創造力を通じて創作をしたいと思うのはごく普通なことです。

しかし色々な事を理由に自分を制限し、行動に移せるのに移していない人が多くいます。これは一体何故か。どんな原理が働き、私たちを止めているのか。

私たちが動けない理由は「評価」です。評価と聞くと、他人からの評価と思いがちですが、評価は他人からに留まらず、自らを判断する評価も含まれています。

自己評価と他人からの評価の仕組みを理解すれば、この評価という概念は何の役にも立たないただの幻想であることが分かることを理解し、批評に左右されずに行動できるようになるでしょう。しかしその幻想が見えてしまう仕組みを理解しなければ、自分を制限している評価を越えることはできません。

評価という概念を越えると、自由な体験、そして自由な創造が出来るようになります。本記事ではあなたがより自由に生きて、自由に表現できるよう、あなたの行動力を封じ込めている本当の原因について解説していきたいと思います。

行動力が封じ込められる原因1: 他人からの評価

まずは評価の基本である「他人からの評価」について解説していきます。他人からの評価を恐れる時、実際は何に恐れているのか、またはどんな言い訳を作り上げ、その恐れから背いているのか。根本的な原因について探っていきます。

他人からの評価と、後述の自分からの評価で共通となる重要なポイントは、批判と好評も含まれているという事。批判への恐れと好評への欲望は表裏一体。恐れと欲望の原理です。批判を恐れると同時に、好評を欲する。これは重要なポイントなので覚えておきましょう。

他人からの批判

人からの評価を恐れる原理は、自分で自分の価値を決めることが出来ていない場合や、価値が定まっていない時に、他人からの評価に自分の価値を頼ってしまう事にあります。

評価に左右されるという事は、自分の取り組みに自分が納得できていない証。つまり他人にどう見られるか、どう思われるかが動機になっており、自分主体の動機がない状態を指します。

例えば、下記のような思いがあるとします。いわゆる承認欲求と呼ばれているものです。

  • 人から凄いと思われたい
  • 認められたい
  • 一目置かれたい

何事に取り組むとしても、自分第一ではなく、人からどう思われる第一になっている状態と言えます。人にどう思われる第一だと、承認欲求の反対の側面である恐れも同時につきまといます。

  • 見下されたくない
  • 見捨てられたくない
  • バカにされたくない(日本人特有のみっともない精神)
  • 変に思われたくない
  • 偏見の目で見られたくない(もしかするとこんな風に思われるかもしれないなど、実は自分が持つ自分への思考または自分が他人へ持つ思考)

これらも自分第一ではなく、他人ありきの思考である事が分かると思います。

承認欲求の3つはポジティブな要素で、基本的には誰でも持っている感覚ですのでそこまでの問題はありません。しかし問題になってくるのは、承認欲求の反対の側面である批判への恐れの部分です。

批判への恐れの正体

5つの批判への恐れを挙げました。

  • 見下されたくない
  • 見捨てられたくない
  • バカにされたくない(日本人特有のみっともない精神)
  • 変に思われたくない
  • 偏見の目で見られたくない(もしかするとこんな風に思われるかもしれないなど、実は自分が持つ自分への思考または自分が他人へ持つ思考)

これらは一見、人にされたくない事、要するに自分が避けたいような事柄であるかのように聞こえます。ですがここで重大なからくりがあります。この自分がされたくないことですが、実は自分が他人にしてしまっていること、と言ったら驚かれるでしょうか。驚いてください。そうなのです。

恐れるもの、それは自分がすでに持っているものにしか恐れられないのです。

これらに恐れを感じるのであれば、あなたは恐れの内容を無意識に他人にしてしまっているのです。

  • 見下す
  • 見捨てる
  • バカにする
  • 変に思う
  • 偏見の目で見る

自分の思考や感情をよく観察してみてください。するもされるも表裏一体。いずれかの感情が浮上した場合は、自分の中に他人への批判の種を持っているサインです。中性(ニュートラル)に生きる事が大切です。批判をしている暇はありません。自分が自分を第一に考える、自分主体の意識に変えていきましょう。

他人からの評価を越えるために

他人第一意識の仕組みが分かったら、ここで一旦ストップ。大きく深呼吸をして、自問してみましょう。

他人からの評価は本当に意味のあるものなのか。 他人からの評価は、喜び、価値、そして納得を自分に本当にもたらしているのか。 自分はその取り組みに励むのは他人からの評価のためのか。

他人からの評価は他人が決めるものであり、さらに大抵の場合は一瞬で過ぎ去るのが大衆の評価です。それが良いことであろうと悪いことであろうとです。

自分の価値は自分で決める。そうすれば何を追い求めることなく、何に恐れることなく、一生懸命に自分のプロジェクトに取り組むことが出来ます。是非一度自分で答え合わせをしていただきたいと思います。

行動力が封じ込められる原因2: 自分からの評価

他人から評価の仕組みの次は、知らぬ間に自分を制限している自分から自分への評価です。自分を動けなくするような理由をどんどん作り、自分の行動の停止を正当化する。他人からの評価に制限されるよりタチが悪いのが、この自己評価です。勝手な思い込みと決めつけで、あらゆる挑戦を遠ざけるようになってしまいます。

ここからあなたの行動力を封じ込めている本当の原因について探っていきます。自分を制限させてしまう自己評価には2種類あります。幻想型と比較型です。

幻想型

まだ体験したこともない事を頭の中で再現し、勝手なストーリーを作り上げ、それを信じ込むのが幻想型です。そして大抵の場合、作り上げられるストーリーはネガティブな事が多く、行動を制限させてしまうストーリーが多いのが特徴。モチベーションを上げるストーリーはほぼ一切作られないと言ってもいいでしょう。

  • やっても無駄
  • どうせ無理
  • まだ無理

比較型

優越感と劣等感の2つが表裏一体として存在しており、自分が優越と劣等の2つに割れ、比較の意識に留まってしまうことにより行動が制限されるのが比較型です。

  • 自分は優れている/自分は劣っている
  • 自分には能力がある/自分には能力がない
  • 自分は恵まれている/自分は恵まれていない

幻想型: 挑戦を破棄する仕組みを理解する

やっても無駄/どうせ無理/まだ無理 挑戦する前から諦めている時の思考です。挑戦してみたいことがあっても、やる前から諦めてしまうのは何故なのでしょうか。よく考えてみるとおかしな話です。

原因はシンプル。自分を失いたくない。大切な自分の懐を守りたいのです。自分を失うとはどういう事か。まず挑戦を放棄するということを別の言葉で表してみると「現状維持」です。挑戦をしないわけですから、今の状況が続くだけです。

でもここでまた矛盾が出てきます。やってみたい故の挑戦なのに、やりたくない自分も居る。

原因は失敗という幻想です。

失敗すれば大切な自分にダメージ。自分に損傷。自分の喪失ということになります。

自分の喪失に繋がる失敗のダメージとはずばり

自分の行動が報われなかった時のダメージ

です。

自分が覚悟を決め、気合を入れて挑戦するわけです。この取り組みが失敗するとなればこの取り組みが水の泡。自分の取り組みが報われないと言う結果になるのが、自分にとって一番の大ダメージであり、一番に避けたいシナリオになるわけです。

幻想型の自己評価を越える方法

ではこの幻想型の自己評価を越えるためにはどうすれば良いか。

ただ一生懸命に取り組むだけです。何もないところから挑戦するわけです。失うものなんて何もないではありませんか。やりたいならやれ。やりたくないならやるな。やってみたきゃやるだけ。

人生は人として生きると書きます。人にはやりたいこと、してみたいことが沢山あります。それをやることが人生です。実行して初めて見えてくる景色を皆さまにも是非見ていただきたいと思います。

比較型: 行動を制限させる優越感と劣等感の仕組みを理解する

自分は凄い↔自分には何の取り柄もない

誰かより優れていないといけない。誰かより劣ってはならない。これらは優越感と劣等感が生み出す偽装されたモチベーションです。長続きもしなければ、この動機でなされた行動には負のエネルギーが付きまとい、どこか力に欠ける作品となる傾向があります。

宇宙という全体性から創造されたものではなく、自己という断片的な場所から生まれたものは、クオリティというよりも、心に響く「何か」に欠けてしまうのです。

優越感と劣等感を感じる原因

優劣の差を感じることは、他人との比較に起因すると思われがちですが、優越感と劣等感はすべて自分の中で行っています。優越感だろうと劣等感であろうと、他人と比較しようと自分で思うだけだろうと、優劣は自分でしか感じることが出来ないのです。

では優越感と劣等感を感じてしまう原因は何か。答えはずばり、自分と結果が同一化してしまっている事が原因です。「あなた」が残した「結果」は、誰かより優れていた。誰かより劣っていた。それと同一化しているから、勝ち負けがある。勝って嬉しい。負けて悔しい。優越感と劣等感は、勝ち負けです。

実際、優れるや劣るなどの概念は、この物理世界では避けることが出来ません。あなたはウサイン・ボルト(陸上100m世界記録保持者)より絶対に足が遅いし、ウサイン・ボルトより絶対に日本語が上手です。

しかしこれは概念に過ぎず、優劣(勝ち負け)を決めているのは自分。その結果と自分が同一化しているために、優越感や劣等感を感じるわけです。

自分が足の速さを追い求めていなければ、事実負けていても特に劣等感は感じませんし、日本語が上手な件も事実勝っていても優越感は感じないのです。

比較型の優越感と劣等感を越える方法

ではここで言う「同一化」という言葉はどういう意味か。同一化とは、あなたではない何か、要するに結果が、あなたの一部となってしまい、結果の内容で自分が大きくまたは小さくを感じてしまうという状態。つまり結果で左右される意識状態という事を「同一化」と言っています。

優越感と劣等感は、優劣という事実が問題ではなく、それと同一化してしまっている意識の問題。

優越感と劣等感を越えるためには、自分が何を同一化しているかをまずは見極めること。何かが分かったら、少しずつ自分と結果を切り離していき、一生懸命に自分に取り組むという、結果ありきではなく、自分主体の取り組みに変えていくことです。

あなたの行動力をアップさせるための心得まとめ

  • ただ一生懸命に取り組む
  • 失うものは何もないと知る
  • 評価や比較よりも自分の納得を第一優先とする
  • 結果が自分と同一化しないように気をつける

さいごに

インターネットが普及した今、今までは映像でも見ることの出来なかったような、地球の反対側の人までを見れる時代になってしまいました。それは素晴らしいことで、凄い時代に生きているわけですが、それよりも何よりも怖いのが、インターネットで「生きること」が奪われていってしまっていることです。

人生の一部のインターネットではなく、インターネットが人生になってしまっている。せっかくの人間体験、体を使って感じるべきものが、コンピュータスクリーンに張り付き、行動が制限されてしまっている。さらにそこに映る様々な人を見て比較し、批評に恐れ、劣等感を感じ、行動力が奪われていく。

インターネットは便利なものですが、インターネットがなかったら、もっとみんなは活力に溢れていたのではないかと思ったりもします。しかしこれは「たられば」のお話。インターネットと共存していくため、そしてインターネットで私たちの人生をより豊かに、そして行動力に溢れたものにするため、本日も一生懸命に生きたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

怒りとムカつきを減らして人生のクオリティを上げる方法

怒ることって悪いこと?

怒りとムカつきはあなたの力を封じ込める

喜怒哀楽の中の一つである「怒り」という感情。人間だけでなく、自然界の生き物にはこの怒りという感情は誰もが持っています。そして人間の持つ怒りには2種類あります。ひとつは全ての生き物に共通する、威嚇や自己防衛としての怒り。そしてふたつは、何の目的を果たすこともない、自分の中で感じる他人や出来事への苛立ちです。この記事では後者の怒りについてとなります。

この考察における興味深い事実は、後者の場合、その他人がその場に居なかったり、その出来事が過ぎ去ったとしても、怒りを継続して感じる人がいるということです。つまり、その怒りを感じたところで、今この瞬間を脅かす出来事を回避できるわけでも、シチュエーションを変えることが出来ることもない「怒り」があるということです。果たしてこの怒りを感じることに意味や目的はあるのでしょうか。

さらに面白いのが、この怒りは自分で抜け出すのが困難であるという点です。なぜ自分が奴にムカついているのか、そしてなぜ自分は正しくて相手は間違っているのか等など、自分の思考で自分の怒りを正当化しようと、頭の中で架空のストーリーを語り始めます。その架空のストーリーは「自分」にとってのお話で、誰もが同じことを考えない可能性もあるのですが、怒りの行き先が無いため、「とにかく自分が正しいことを自分に繰り返し言い聞かせる」という罠にハマってしまいます。この罠こそ、「目的を果たさない怒り」の正体なのです。

POINT: 目的を果たす怒りなのか、ただ単に自分の正当化したいだけなのか。その違いを意識!

怒りをなぜ減らしたいのか

邪魔だからです。その感覚を持って生きることが、私達の創造活動にとって邪魔でしか無いのです。別の言い方をするのであれば、目的を果たさない怒りは全て無駄なエネルギーの消費、エンジンの空ぶかしとなってしまうということ。自分の燃料を使うと同時に、エンジンにもダメージがある。良いこと一つありません。そのエネルギーを別の創造に使えるのに、意味のない怒りで消耗してしまっては本末転倒。我々は他にすることが山ほどあるのです。

スティーブ・ジョブズがあの有名なスタンフォード大のコメンスメントのスピーチで「他人の人生を生きている暇はない」と言いましたが、今回のお話に通じるものがあります。それは、他人を自分の中で作り出し、それに怒っている暇などない、ということなのです。どう考えても無駄な消費であることが分かります。他人への怒りを減らすということは、より自分の人生を生きれるようになること、とも言えます。

感情に負けない自分を作る

感情は思考に対する体の反応です。思考と体が同一化している場合に、感情に飲まれてしまうという現象が起こります。しかし「負けない」という表現になると、感情と戦わねばならないという風に捉えがちですが、ここで言う負けないは「感情と同一化せずに、感情を俯瞰できるようになる」ということです。本記事にで取り上げている感情は「怒り」ですが、怒りという感情はどんなシチュエーションにおいても、取り組みの質を下げてしまいます。

情緒を安定させる

思考がブレるならまだしも、感情が不安定になってしまうと、体の機能そのもの、人生そのものが不安定と感じてしまいます。怒りの根本は自分を自由にさせていない場合や、とある状況を勝手な決めつけで悪者扱いしている場合が挙げられますが、四六時中何かにムカついていたら、物事が捗るわけがありません。生活的な安定の前に、感情的な安定を維持することが、健全な生き方の基礎となります。

人や物事に左右されなくなる

自分の人生、自分の取り組み、自分の体。一番知っているのはあなた本人です。怒りは大抵、外的要因、つまりに他人や出来事によって引き出される感情ですが、この怒りが全くもって意味をなさないことが分かれば、人や物事に反応しなくても良いことがわかるようになります。外的要因は外的要因に過ぎず、それらにトリガー(引き起こ)されるのが「怒り」の感情になります。些細なことで振り回されていた時の自分は、それを無意識に「気になるものリスト」に追加していたのです。この気になることがどうあなたの人生に役立つことなのか、振り返ってみてください。役に立つことはないでしょう。

怒りとムカつきの根源

ではこれらの感情はどこから発生しているのか。それがわかると怒りという感情の正体がわかるようになります。仕組みが分かれば良いのです。どういうプロセスで怒りという感情が発生するのかがわからないから、戸惑い、怒りに乗っ取られてしまいます。

無力感

むりょくかん。これは自分に現状を変える力が無い時に感じるものです。自分ではどうにもすることが出来ない。だから怒るしか出来ない。さてその怒りに実用性はあるのでしょうか。怒っている先は大抵の場合人になりますが、その人に怒り、なぜそうなってしまったのかを問い詰めたくなるようです。問い詰めたところで、時遅しであったのであればどうでしょう。果たしてその怒りに意味はあるのか。もし現状を変えられる、または打開策があるのであれば、怒らずに交渉すれば一番健全です。

高慢・傲慢

人は大抵、目上の人や、立場的に上の人には怒らないものです。この場合、どうにかして怒りの感情を言葉に変えて、感情をぶつけるのではなく、論理的に言及をすることでしょう。ということはです。怒りを誰かにぶつけている場合、あなたは勝手に上下関係を作り上げているのです。私のほうがあなたよりは上であるという幻想を作り上げています。それが友達同士であろうと関係ありません。あなたはその人より偉いから、その人に怒りをぶつけられる。そう思ってはいませんか?

過去の再生

これは共通の原因からトリガーされるものではなく、人それぞれがもつ過去の実体験やトラウマによってトリガーされる怒りです。そして注意しなければならないのは、これらの怒りは怒りの感情そのものが再生されている(繰り返されている)のではなく、自分が特定のイベント(出来事)と「自分」が同一化してしまっているためにトリガーされているということです。

「またか」「何度も言ってるじゃないか」などの思考が出てきた場合は要注意です。その出来事と怒りは別物で、そう感じるのは、出来事の内容からではなく、出来事どう捉え、どのような解釈をしたから、その怒りが浮上したのかを観察しなければなりません。

演出

自分と相手二人だけでいるときは怒らないのに、観客(家族のメンバー、友達、通行人など誰でも)がいる場合に怒りを見せびらかしたくなるようです。「見たまえ!『私』は『コイツ』のした『悪い』ことに腹が立っている!『みんな』見ろ!『コイツ』は許せない!『私』が『正しい』ことを証明してやる!」

不必要な怒りです。

ここで注目すべきは二重括弧の部分です。
『私』『コイツ』『正しい』『悪い』『みんな』

怒り演出のプロセスのひとつに、
「正しい私 対 悪い相手」
という式があり、さらに周りの人々(みんな)の同調を求めるという傾向があるようです。

欲望

欲望の裏にあるものが奪取です。半沢直樹1の東大阪スチール社長の東田がクラブで追い詰められたシーンを覚えていますでしょうか。東田は不正取引で12億円を溜め込み計画破綻。しかし半沢はそれを突き止め、その12億円を回収します。それが分かった東田は取り乱し、怒りの感情を半沢にこうぶつけました。

「オレの金返せぇ!」

欲望とも言えますが、自分以外の何かが「自分」と同一化してしまっていると(この場合はお金)、その対象が無くなると、自分がなくなったかのような喪失感に駆られ、怒りとして現れるようです。

自分を生きれていない

自分を生きるの意味は一体何なのか。自分の言動が下記のいずれかに該当すれば、自分を生きていない可能性があり、その自分への嘘が怒りの原因となる可能性があります。

  • 誰かを見返すために物事を選択している
  • 誰かの期待に応えようとしている
  • 今の私は不十分で、完成するには何かを達成しなければならないと思っている

時間の幻想

あなたが追われているその時間は、実在する期限に基づいたものでしょうか。例えば、明日16時のフライトが決まっていれば、その時刻には確実に遅れてはならない、実在する期限であると言えます。もしそのフライトに間に合わないようなことがあれば、怒りとは関係ないレベルで「私は今行かなければならない」という選択ができます。切迫した状況でも冷静に決断できるのです。

しかしこれが時間の幻想となると「私には時間がない」という思考が、実用性のない怒りを浮上させ、あなたをコントロールし始めます。特にこの怒りは、想定外の出来事が起こった時などによく現れるようで、この仕組みを理解するためには、まずこの「私には時間がない」という感覚は、常に起動しているがとある出来事が浮上するまで感情がトリガーされれない、潜在意識的な状態であるということを理解しておかなければなりません。

この「時間の幻想」についての考察は、ここでは到底書ききれるものではないので、別の記事で改めて解説するとしますが、「こんなことやってる場合じゃない」とか「なんで今?」のような、心理的な時間からトリガーされる怒りが浮上した場合は、とあるあなたの決める重要なことを今やらなかったとして、本当に重大な損失があるのか?もしくは、本当にそこに「時間」はあるのか?自問してみると良いでしょう。

怒りを減らす方法

ここまでに書いた内容が理解できれば、どのように自分の怒りと付き合っていければ良いのかがわかるはずですが、怒りの感情コントロールをさらに上手に行うための心得を別の角度から見ていきましょう。

内容と感情を分けて捉える

内容とは、出来事のことです。同一の出来事を10人が経験したら、10人全員が同じ感情を感じるとは限りません。ということは感情はあなただけのもの、という方程式が成り立ちます。怒っても怒らなくても状況が変わらないのであれば、感情を切り離してその問題に向き合ったほうが楽だとは思いませんか?怒りそのものには役割はありません。そして怒ることが悪いというわけでもありません。

一人で怒ったところで何も得られることは無いと知る

これを心底から認めることが、怒りという感情を越えるために必要となります。自分の怒りを人のせいにして、一体何が得られるのでしょうか。相手も自分も気持ちよくはないでしょう。その上何が残りますか?気持ち悪さだけです。それよりも、なぜ今自分に怒りの感情が浮上したのかを掘り下げてみましょう。決して相手のせいではないと思います。自分が勝手に作り上げたルールを守れていない自分に嫌気が指しているだけだと思います。

怒りは自分の中からしか出てこないと知る

感情のスイッチは自分の中にある。この事実をあなたは認められるでしょうか。感情の仕組み自体はこちらの記事にて解説していますが、感情は思考と体がぶつかったときに発生する波動です。とある出来事を見て、感じて、初めて感情の波が出来上がります。怒っているのは相手のせいだ、と言いたくなるのはわかります。しかし本当のところは、相手の言動もしくは出来事を通じて、自分の中の怒りが浮上した、というのが正解になります。

さいごに

私自身も多くの怒りに悩まされてきました。自分の場合、大半の怒りはやはり、自分が自分を自由にさせていないことが一番だったと思います。さらにもう一つ重要なポイントとして、自分自身への怒りがほとんどであるということです。これはどういうことかと言うと、自分の持っている思考や、自分の持っているルール、自分の持っている善悪など、自分が決めつけたことが怒りの原因となっているということです。

さらに、まだ起こってもいないことに怒りを感じることもあります。これも自分が勝手に未来がこうなると決めつけ、存在もしていないその「確定したと見える未来」に怒りを感じたりと、巧妙なまでにこの怒りの感情は私たちを追ってきます。

しかし大丈夫です。この怒りの感情があるからこそ、私たちは私たち本来の姿に気づき、人間として成長できるようになります。この感情をコントロールし、自分を生きるためのアラート(目覚まし時計)と捉えることが出来れば、怒りは怒りではなく、本当に大切なこと(心から自由に生きること)のサインポスト(道しるべ)となってくれることでしょう。