成功は実感できるものではない。日々小さな積み重ねをするだけだから。

成功したいとか思う人がいると思うのですが、成功ってあんまり、というか実感出来るものではないんですよね。

競技で優勝した人がよく勝者インタビューで「実感ないですね」って言うのを聞いたことありませんか?

もしくは「まだ、実感が沸かない」とかというセリフを聞いたことがありませんか?

要するに、本人にとっては、ただやるべきことをやっただけの話。

本人が体感してきた事とは、成功というイメージとは真逆の「日々の小さな積み重ね」だけということです。

どうしても人間は結果を好む動物です。

自分のことであろうと他人のことであろうと、取り組みが結果に繋がることを求めるのが人間なのです。

ただ、その成果主義というアイディアが、日々の小さな積み重ねの体験よりも重要視されてしまうと、不具合が生じます。

日々の小さな積み重ねが出来なくなってしまうのです。

小さな積み重ねしかできないのに、成功のイメージが先行しすぎて、小さな積み重ねができなくなってしまうのです。

ですので成功は追わないでください。

勝ち負けか、成功か失敗かは、他者とあなたが決める結果論でしかない、ということ。

自分の取り組み重視で。

一生懸命に取り組みましょう。

今しかできることないんやで。だったら人生かけてみろ。

人生はいつまで経っても続くように感じるものです。

特に10代20代の頃、老いも老けも感じない時は、まだ自分が若いという感覚さえなく、何をしていてもいつかどうにかなる、というような感覚で生きているかと思います。

しかしそうダラダラしている内に10年が過ぎ、20年が過ぎます。

すると10年経っても、人生特に何も変わっていないように感じます。

どういうことか。

「いつかどうにかなる」は幻想だったということです。

人生は今が連続しているだけで、もし今、今日本気で生きれないとしたら、それはずっと本気で生きれないと一緒なことなのです。

ただ、その本気になれるかはいつ始まっても遅くはないということ。

一生本気で生きれずに死ぬ人がほとんどですから。

でももしあなたがこの事に気がつくことができたらどうか。

この人生は、この人間として体験する「今」という空間を生きることであり、今を生きる姿勢が人生を形作っていくということに気づくことが出来たのであれば、あとはひたすら静寂と共に事をこなしていくだけです。

そしてその本気で生きれる場所は、今しかない。

だったらあなたの一度きりの人生、この今にかけてみてはいかがですか?

あなたの人生を変えることが出来る、唯一のゲートウェイ:今という空間です。

何もやりたいことがないなら、他人の人生をどう良くすることができるかをやってみよう。

生きていても何もする気が起きない。

何もかもが無意味に感じてしまい、何もやりたいことがない。

そんな時は人の役に立つことをしてみましょう。

他人の人生をより良くする何かをしてみるのです。

その何かが大きなことだろうと些細なことであろうと関係ありません。

自分に出来ることは何か。

自分がこの人類という全体性に貢献できることは何か。

そう考える必要は全くありません。

何でも良いんです。

気になったこと。

出来ると思ったこと。

自分に出来ることであれば何でもやってみる。

なぜこの他人の人生に貢献することをオススメするのか。

それはズバリ、あなたの人生は他人の人生と同じであり、他人の人生をより良くすれば自分の人生もより良いものと変化していくからです。

宇宙の仕組み、というか私たち森羅万象に共通する意識体としての法則です。

そのため、自分の行いがどのようにあなたの人生を良くするのかなんてことは考えなくて良いです。

理由は2つ。

ひとつは、人に尽くせない人は自分に尽くせないのです。

自分を生き尽くすことが人生ですが、人に尽くすより自分を生き尽くす方が遥かに難しいのです。

ふたつは、人に尽くしていれば宇宙は、あなたが想像する以上の豊かさを四方八方から恵みを与えてくれるからです。

見返りを求めての尽くすはダメですよ。

なぜかと言うと、大事なのは尽くす感覚であり、尽くす内容でないからです。

エゴは何をやらかしたよりも、何もしてないということを嫌い、反応する

エゴって一体なんなのって話ですが、自分を見ることが出来ず、他人からの反応を常に伺い、他人に自分の幸せを委ねてしまう、あなたの中に住む、意識体?です。

エゴは英語でEGOと書きますが、辞書で調べてみると「自我」などという意味が出てきます。

自分を自分と思える意識のことです。

このエゴさん、自分のルールに反する行動や出来事に対して文句を言う癖があります。

いわゆる面倒くさいヤツほどエゴが強いのですが、エゴが実はルール違反以上にもっと嫌うことがあるのです。

「特に親密な関係にあればあるほど」という条件の上でなのですが、「あなたが何もしていない」ということをエゴは一番嫌うのです。

しかし面白いのが、この「何もしていない」というのは、その人のエゴさんの錯覚に過ぎず、本当のところは、「何もしていない」ように見える、というのが正解です。

つまり、エゴの文句たれモードがONになってしまっている人が「あなたは何もしていない」という風に言ってきたら、それは実はこういう意味なのです。

「あなたは『私の満足させること』を何一つしていない」

ですので、エゴの文句たれモードがONになってしまっている人には残念ながら、何をしても、その人満足させることが出来ないということです。

謝っても謝っても、謝罪しても謝罪しても許さないし、気分が変わらないのはこのためです。

その人が創り上げている世界だからです。

仕事と遊びの区別があるから常に今が今じゃなくなる

今が今じゃなくなるとは、意味が分かりにくいかもしれませんが、要するに今しかない人生なのに、今ではない将来の方が何故か重要に感じてしまう、ということです。

お題の通りですが、仕事と遊びの区別とは何か。

仕事はしなければならないこと。

遊びはしたいこと。

このように分けていると、仕事とは、したくはないけどしなければならないことで。

遊びは、したいけど仕事をしているときには我慢しなければならない、という感覚的な差別が生まれます。

これをしていると、何したいが、仕事はしたくない、でも仕事をしなければならないから遊ぶこともできない、という「行動には移せないものの、行動をしなければいけない」と思う葛藤が内面に生まれることになります。

つまりは、ただ単に行動に移せば良いだけなのに、すべきこととしたいこと、仕事と遊びに区別をつけ、どちらにも手を付けることができないという状態に陥るのです。

このような状態にしがちなのが、YouTubeをエンドレスに観たり、SNSの無限スクロールなど、何かをしている気になってしまうことに時間を費やしてしまうのです。

これが一番の時間の無駄です。

仕事と遊びの区別はせず、ただ行動に移すだけで、人生の生産性は著しく上がることでしょう。

自分のことを、この世の誰とも比べてはいけない

あなたの体験だけが唯一の真実だからです。

比べる時は他人と比べているようで、実は自分の体験を否定しているという、比較ではなく自己否定という感情を伴うということです。

あなたの人生はダメで、あの人の人生は良いとか、マジで錯覚もいいところ。

あの人の人生を体験したわけではないのです。

あの人の人生の方が良いものに見える、という思考が生まれているだけで、比較はナンセンス(無意味)。

なぜかと言うと、あなたしかあなたの体験はできないし、あの人にしかあの人の体験はできない。

となると、何をどうしても比較することができないのです。

どちらかの人生の方が良いものであるという事が立証できないのです。

比較してる暇があったら自分の人生生き尽くしましょう。

それがあなたの人生をより良いものに出来る唯一の出来ることです。

命ある限り生き尽くす!

breakthroughというか、僕の人生のテーマです。

やる気、モチベーションが上がらないのは、どこかで不可能と思っている自分がいるから。

どうせ無理と思っている自分がいると、行動に移すどころか、行動に移すことすら無意味と感じてしまいます。

つまりは、モチベーションが上がらなかったり、やる気が出ないのは、自分で自分を勝手に決めつけている可能性があるということです。

やってもいないのに、挑戦もしていないのに、私には向いていないと思ったり。

自分はやりたいと思っているくせに続かなかったり。

さらにこの状態は、自分で自分のハードルを上げすぎている可能性もあるということ。

理想を高く持つことは良いものの、理想と自分を比較してしまう悪循環に陥ってしまうのです。

一生懸命に、そして継続すれば自然と辿り着けるであろうゴール、いや、そのゴールはただの通り道に過ぎないのにも関わらず、自分の中で設定したゴールという概念が、自分自身を苦しめることになってしまうのです。

不可能と決めつけているのは、唯一あなたが出来る取り組み(一生懸命に継続すること)から逃れようとしているだけです。

どんな取り組みも、どんな華やかに見えるものでも、地道な作業でしか無いのです。

やる気やモチベーションという仮想的な燃料に頼らず、自らの足で進み続けることが、どんな大きな壁をも乗り越えるための唯一の手段なのです。

エゴには完璧なタイミングが存在しない。エゴはいつも今じゃない。

今じゃないんだよね。

いやちょっと待って。

明日やる。

今忙しいんだよね。

急に言われても。

エゴは一体なんなのかという話にはなってくるのですが、要は今から逃げたくなる感覚の源となる、あなたの中に住んでいるお猿さんのことです。

今と向き合うより、楽で受動的なことを選ぶのがエゴです。

さらにエゴは、今じゃないと言っておきながら、明日明後日来週来月来年になっても行動に移さないということです。

なぜなのでしょうか。

それは、エゴは時間という概念で生きているからです。

今じゃないと言えるのは、時間という概念なしでは言えないことなのです。

なぜならば、時間という概念がなかったら、明日も来年も何も無いわけです。

やるかやらないかだけなので。

ですので、明日やると宣言してもいいですが、結局のところ、行動に移せる時は今しか無いんです。

どうします?

やりますか?

やめますか?

自分の喜びの共有は自分だけで十分

子供の頃は新しいことが出来るようになる度、母親や父親に「ねぇ見て!」と言って、自分の感動の共感を求めてたことかと思います。

その感動の共感は素晴らしいことです。

なんら問題はありません。

子供の時はです。

大人になってからは、この自分の感動、または自分の取り組みを他人に共有することが、承認欲求になってしまうことがあるため、要注意ということです。

ただただ共有することになんら問題はありませんが、凄いと思われたいとか、良いフィードバックを期待するなどをしてしまうと、ただの共有ではなく、承認欲求となってしまうのです。

これをしている限りは、そのあなたの取り組みは、自分が本当にしたいことではなく(または自分が自分のためにしていることではなく)、自分を誰かに認めてもらいたいがために行っている手段となっていることでしょう。

なのでどれだけ自分が自分で終わらせることができるか。

どれだけ自分の納得だけに留められるか。

それがあなたの取り組みの質を決めることとなるでしょう。

大切なのは何をするかではない。どれだけ夢中になれるかだ。

生きていると、自分を幸せにしてくれるものは何か、自分を満足させてくれるのは何か、を求めるのが人間の性です。

自分の天職は何なのか。

自分の好きなことは何なのか。

自分のしたいこと、やりたいことは何なのか。

つまりは、「何」という内容に意識が向きがちです。

しかし、これは人間の仕組みなのですが、その「何」という内容が我々人間を満足させることはないのです。

私はこれは嫌。

だから違う好きなことをする。

これはこれで素晴らしい選択です。

しかしその好きなことが、生きる上での「自分の満足」に繋がるとは別であると理解する必要があります。

さらにその「自分の満足」は、手に入れるものではなく、体験するものであるということです。

ではどのようにその「自分の満足」を体験することができるのか。

簡単です。

夢中になればいいのです。

夢中になっている時、あなたは幸せを求めていません。

夢中になっている時、あなたから時間という概念がなくなっています。

それです。

だから子供は何でもすぐ状態するし、何にも執着せずに今を楽しめているのです。

夢中になっちゃえ!