中毒は傷跡に塗る麻酔薬

傷跡と言ったら大げさですが、やはり誰でも弱みを隠したくなるもので、大人になるといつの間にか、どう自分の弱点を見て見ぬふりをするかを意識するようになります。

その見て見ぬふりをするために有効活用しているものが、中毒というものです。

何かに依存すると言ってもよいです。

何かに中毒になっている状態とは「自分の弱みが感じなくなるように、とある行動に依存すること」を言います。

ということは、何かに中毒になっている状態では、一生その心の傷跡は治らないということになります。

「自分の弱みが感じなくなるように」するということは、麻酔薬を塗布するようなものですから、治癒には繋がっていません。

あくまでも「感覚を鈍らせている」というものです。

自分が求める自由、本当の自由、心から解き放たれる開放感を持って生きる感覚を手に入れるには、どうにもこうにも中毒を脱却しなければなりません。

中毒に依存している限り、あなたの傷跡は癒やされないだけでなく、より手ごわい治りにくいものに変化してしまいます。

そしてさらなる依存が別の依存を生む可能性もあります。

中毒の状態で、あなたの体と心のエネルギーバランスがわかります。

あなたの思い当たる中毒は何ですか?

自分が信じ込むやるべきこと以外意味を持たなくなるというエラー

タイトルは少し難しいのですが、説明していきます。

要するに、自分のためになること以外、全て時間の無駄と感じてしまうということです。

自分が目指す場所があって、それに向かって突き進むということは素晴らしいことです。

しかしこの信念が、自分の行動、そして自分の可能性を封じ込めてしまう可能性がある。

自分の信じ込んでいる道から外れていたり、関係ないのことはすべて意味を持たなくなる、つまりは無駄に感じるようになってしまうということです。

これは自分の信念を生きているのではなく、無理やりに自分の信念と信じ込んでいる道を進んでいる状態で、本当の創造力を駆使できていない可能性があります。

結果への執着から生み出されるエラー、機能不全であるということ。

このエラーを持つと、人生の基本である「全体性」を無視するようになってしまいます。

そうなると、自分が信じ込むやるべきこと以外、物事から意味が消え去ってしまい、心で感じられる生きる歓びをもが消え去ってしまうことになる、ということです。

伝わりましたでしょうか。

「金銭で楽になれると思ってしまう」という罠

どうにもこうにも、「お金が増えれば楽になれると思ってしまう」という罠に引っかかってしまっている人が多く存在しているようです。

お金が本当にない状態の人がお金を求めるという事態は、この資本主義社会においては起こりうる事です。

この状態は「お金を手に入れて楽になりたい」などという、理想を思い描く話ではなく、お金がないと生活が回らないという実際の生活問題です。

お金を使った交換システムが適用されるこの資本主義社会において、この状態はどうにかせねばなりません。

仕事を探す、物価の安い街に引っ越す、最悪国に助けを求めるなどです。

この「お金の無い状態」と反対に、ある程度のお金を実際に手に入れた人々がいます。

数千万円レベルの大きなお金です。

いわゆる大金と言われるものです。

ではこの大金を手に入れた人が、お金のない人よりも、人生を豊かに過ごしているのでしょうか。

そうとは限らないのです。

「お金が増えれば楽になれると思ってしまう」という罠に引っかかってしまっている状態で大金を得てしまうと、逃れることの出来ない、「お金が無い」という状態よりも酷い状態に陥ってしまうのです。

「お金があっても幸せを感じられない」という行き止まりに突き当たってしまうのです。

お金がない状態の時は夢がありました。

お金を手に入れれば楽になれると思い、一生懸命頑張ったかもしれません。

お金は関係ないと言い聞かせ、自分なりの幸せを探していたかもしれません。

お金持ちになるというゴールに辿り着いても、人生あまり変わらないという現実を突き付けられるのです。

この罠は早く脱出した方が良いでしょう。

お金ではなく自分で自分生き甲斐を作り上げましょう。

何かがしたくないのは、その何かがしたくない、つまりその何かが嫌なのではなく、ただ動きたくないだけである

面倒くせー!とか、だる!とか言いますよね。

要は「やりたくない」という意味を遠回しで表現したものです。

でもこの「やりたくない」という気持ち、実は内容は関係なく感じるものだったのです!

つまりそのやりたくない事が、本当に面倒なことであろうとなかろうと、関係ない。

本当にだるいことであろうとなかろうと、関係ない。

その何かがしたくないのは、その何かしたくないのではなく、その何をジャッジ(判別)して「それは自分にとってやる価値がない」と決めつけているだけだったのです。

ただ単に動きたくない。

ただ単にその何かから価値を感じることが出来ない。

それだけだったのです。

人間の行動はただふたつ。

やるかやらないか。

やるならやりたいがのようにやれ。

やらないならただやるな。

いや本当に。

楽して生きたいと思っている限りあなたに成功は訪れない

楽して生きたい。

努力も挑戦もせず、ただただ楽に生きたい。

その気持ちはわからなくもないです。

奮闘せず、苦闘せず、誰にも文句を言われずに一定のお金が入ってきて、自分の好きなことだけして生きたい。

夢のようなお話です。

ただ、このように思う事は実は、一番つまらない人生を送りたいと言っているのと同じなのです。

もう一度「楽して生きたい」の定義をさらってみましょう。

「奮闘せず、苦闘せず、誰にも文句を言われずに一定のお金が入ってきて、自分の好きなことだけして生きたい」

これをよく読み解くと、または裏返すと、次のような定義になります。

「誰とも何とも関わらないため、自分は存在していないと同じ」

楽して生きたいは、生きているとは到底言えないということです。

死んでいるのと変わりません。

楽して生きたいは、生きているのに、一生懸命生きるべき人生なのに、生きたくないと言っているのと何ら変わりはないのです。

楽して生きたいなんて絶対に思わないでください。

人生どれだけ一生懸命生きることが出来るかです。

そして一生懸命は苦ではないことも覚えておいてください。

命ある限り生き尽くすことです。

楽して生きている自分を誇りに思わないでください。

一生懸命生きている自分を誇りに思ってください。

人生は今の自分の成長に必要な出来事を常に与えてくれている

人生は不思議なことに、あなたの内面的成長をサポートする出来事を常に与えてくれています。

どういう事かというと、あなたの人生における真実は、あなたに起こる出来事ではなく、あなたに起こる出来事から生じる、あなたの感覚だからです。

これもまたどういう事かというと、大勢の人間に同じ出来事が起こったとしても、その全ての人が同じ感覚、感情を感じるとは限らないということです。

どんな出来事も、あなたの内面と共鳴する仕組みとなっている。

その共鳴が起こらなければ、どんな出来事もただの風のように過ぎ去るだけとなるのです。

そしてこの共鳴は、あなたが、あなたに起こる出来事に抵抗すれば抵抗するほど大きくなる仕組みとなっています。

内面的抵抗です。

内面的抵抗があればあるほど、あなたの人生は窮屈に感じるようになっている。

内面的抵抗があればあるほど、あなたの持つ人間本来の創造力が封じ込まれてしまうのです。

この仕組みを心得ることが出来たら、あなたの人生で起こる全ての出来事を、あなたの成長のために受け止めることができるようになる。

全ての出来事が、あなたの内面的抵抗を減らし、あなたの持つ本来のチカラを解放するための試練となるのです。

これが分かれば人生で良いことも悪いこともないこともわかることでしょう。

人生は今の自分の成長に必要な出来事を常に与えてくれているのです。

人に当たる時は自分に当たっている

人がムカつく時ありますよね。

何をしてもムカつく。

何をしてなくてもムカつく。

何を言ってもムカつく。

何も言わなくてもムカつく。

そしてその人にあたる。

自分の苛立ち、自分の怒り、自分の不満を人にぶつける。

そういう時ありますよね。

八つ当たりってやつです。

誰でも八つ当たりはしてしまうものです。

八つ当たりは人に迷惑だし、する側もされる側も心地よいものではありません。

される側も理解に苦しむと思いますが、実は人にぶつけている自分の方が末期なのです。

自分の苦しみを人のせいにするなんて、終わってます。

ですので、もしあなたが人に当たっているなと感じたのであれば、それをすぐさまキャッチする必要があります。

他人に当たる自分をキャッチして、すぐに軌道修正をしなければなりません。

自分への苛立ち、自分への怒り、自分への不満を、自分で消化せずに他人にぶつけている自分を正さなければならないのです。

でないとあなたのその苛立ち、怒り、不満は膨れ上がる一方。

人に当たれば当たるほど、どんどん負の渦に飲み込まれていくことでしょう。

自分の感覚は自分で責任を持ちましょう。

欲しがるのをやめると平安が訪れる

人間を生きる中で、不幸、不平、不満を感じる時は、何かを欲しているのにも関わらず、それが実現されない時です。

こうあって欲しい。でも実現されない。

これが欲しい。でも実現できない。

こうなりたい。でも実現されていない。

致し方ないです。

人間は無い物ねだりをしてしまう生き物です。

何を達成しようと、何を手に入れようと、追加できるものは無限に存在しますから、100を欲しがり、100を手に入れたところで、次は1000、その次は10000が欲しくなる。

人間の仕組みですので、否定する必要もありません。

そういうものです。

しかし、この欲求を上手くコントロール出来ないと、QOL(Quality Of Life = 人生の充実感)が著しく低下します。

何を達成しようと、何を手に入れようと次が欲しくなっては、いつまでたっても欲望を追うだけの人生になってしまうのです。

欲しがることは悪いことではありません。

しかしこの欲しがることをやめると、自然と不幸が消え去り、幸せというポジティブな高揚感ではなく、ニュートラルで中性な平安が訪れます。

あなたの感じる原因不明の不満、不幸は、あなたが実際に不幸というわけではなく、あなたの人生が特別に不満なことでもなく、ただ単に欲望という幻想を追ってしまっている無限ループから抜け出せない、というだけかもしれません、というかだけです!

まさかあなたの感じる不幸、不平不満の原因がそれだったとは、驚愕の事実です。

他人の特定の行動に繰り返し気付く場合、その行動に何かヒントが隠されている可能性がある

職場でも学校でもどこでもいいです、家庭内でもいいです、誰かの行動が気になる時ってありませんか。

嫌な行動、やめてもらいたい行動とか、変えてもらいたいこと、やけにうざく感じること等、人の行動が気になって気になって仕方がない時ってありませんか。

そう思うことが一般常識からの判断なのか、あなたの個人的な価値観からなのかはさておき、なぜあなたはその人のその行動が気になるのでしょうか。

大衆的に見ても、その気づいた行動はおかしい行動かもしれません。

百歩譲ってもその人のその行動は異常な事かもしれません。

しかしそれに気づく人と気づかない人がいるということは、それに気づいたあなたは、その行動がもたらす感情に共鳴する何かを持ち合わせていたということになります。

例えば、著者の経験からすると、初対面なのにも関わらず、私はその初対面の人と話したこともなく、一言も声をかけていないのにも関わらず、後々聞いてみたら、その人は自分(著者)のことをうざい、むかつく、気に食わないと感じ、話しかけることができなかった、という言われたことがあったのです。

よくよく話を聞いてみたら、その人は私を見てすぐに、このような感情が湧き出たといいます。

「自由に振る舞っているのがムカつく」

しかしこの思考、共鳴は、その場にいたその人にしか起こらなかったです。

つまりこの共鳴は、自分が自分に与えている制限を、他人(今回の場合は私)を通じて知ることとなった、という現象になるのです。

他人に思うことは自分に思うこと。

いえ、思うことは自由ですが、他人を通じて感じる感情は、あなたの真実なのです。

だからこそ、人は全員神様であると言われるのです。

あなたの真実を見せてくれるからです。

他人がもう既にやってるからとかマジで関係ない

あなたが例えば何かにチャレンジしてみたいとします。

行動に移してみたい、自分もやってみたいと思うとします。

なのに、こう思ったりして自分の行動を制限してしまう時があります。

もう誰かがやってるし。

そう思う気持ちもわからなくもありません。

自分がやっても意味がないとか、もう始めるのには遅いとか、自分にはその誰かにはなれない、とか思ったりする。

なぜそのように思ってしまうかと言うと、取り組みの内容よりも結果が優先してしまっているのです。

ただやってみればいいものを、その誰かにみたいに出来ないし、と思ってやらなくなってしまう。

しかしその「誰かにみたいに出来ないし」という発想は、良くも悪くも正しいのです。

なぜかというと、そのあなたがチャレンジしてみたいことは、その人にしかできないこと。

つまり、まだ「あなた」によって成されていないのです。

色々な人、多くの人が同じことをしていたとしても、まだ「あなたバージョン」は実現されていないのです。

ということは、あなたが何をしようと、あなたが何にチャレンジしようと、あなたが何を創造しても、それは前代未聞のことなのです。

ですので、他人がもう既にやってるからとかマジで関係ないんです。

あなたがまだやっていないのですから。