エゴは巧みにあなたを翻弄する

エゴは欲望と恐れを餌に生きています。

千と千尋の神隠しのカオナシ、あいつが宮崎駿が表現したエゴです。
千は「今を生きる象徴」として宮崎駿が表現したと見ています。

カオナシは千を見た目でしか判断することが出来ません。
カオナシは千を求め、強引にも狂気を纏い千を捕まえに動きます。
金を無限に手から出し、それを餌に千を奪おうと試みるのです。

しかし千はカオナシの金になど一切興味を示しません。
何故ならば千には欲望も恐れも無いからです。
彼女は今やるべきことを実施しているだけなのです。

カオナシの言動を見れば火を見るよりも明らかなのは、欲望(千を求めること)と、恐れ(千を得られないこと)に翻弄されているということです。自己を失い、狂気を帯びた負のエネルギーとしか言いようのない有様となり、最後には自分を破滅に追い込む。

馬鹿な話です。

翻弄されぬよう、気を引き締めて息ましょう。

真似(マネ)することは学びの最大の近道

どんどん真似してください。マネが悪いという人が居ますが、それは盗作のことです。盗作はいけません。でも真似は進んでやっていいと思います。

なぜかと言うと、真似をすることで、その真似た何かが生き続けることが出来るのです。誰も真似しなかったら、その人でその知恵またはクリエイティビティは終わってしまいます。

その上ショートカットになります。
同志である人類が既に時間をかけて成し遂げたことをわざわざゼロから作り出す必要など無いのです。
電子工学の仕事で、高度な仕事が出来るのに、既に開発されて何百年も経っている電球をわざわざ作らなくても良いのです。

さらにです!100%のマネなど出来ないのです。
あなたがやった時点で、それは何かからインスピレーションを得た立派な取り組み、そして作品となるのです。

盗作はいけません。

優越感と劣等感は表裏一体

誰を見ると強さを感じますか?貧乏人ですか?独身の人ですか?年老いた人ですか?頭の悪い人ですか?

誰を見ると弱さを感じますか?有名な人ですか?お金持ちの人ですか?あなたの理想を生きている人ですか?あなたより賢い人ですか?

優越感と劣等感はどちらかが無いと成り立たないのです。比較が優劣を生むのです。

そして優劣の根本的な原因は、実は他人ではないのです。自分の中で自分で勝手に優劣をつけているのです。

高みは外に見い出すことは出来ない

あなたが何に取り組んでいようと、自分の描写する世界に高み、すなわち上達や成長を見出すことは出来ません。
要するに他人の評価で自分の高みを測るなと言いたいのです。

外(他人・世俗)があなたをどう見ようと、どう評価しようと関係ない。

自分の高みは自分で決めろ。
そして自分の納得と自分の体験、経験に高みがあることを肝に銘じよう。

自分が感じる嫌悪感を書き出す

自分がムカつく事、ムカつく人を書き出しましょう。そして何故ムカつくのか詳細に理由を書いてみましょう。そうするとその事柄や人物がムカつきの真の原因では無いことがわかるでしょう。

嫌悪感は全て自分の中で起こっていること。
嫌悪感を書き出すことで、嫌悪感を客観視し、嫌悪感と自分を切り離すことができるのです。

そうするとあら不思議。その「ムカつき」は消えてなくなったことでしょう。

酒は人間の可能性を封じ込める

“大量摂取は”です。ウォッカやジン、テキーラなどの酒がスピリットと呼ばれるのには訳がある。あなたの魂(霊《読み同じ》)に蓋をしてしまう事が出来る効力を持っているのだ。酔っ払う、人が変わる、記憶が飛ぶ。霊に間違いなく作用していることがわかる。

では何故人間の可能性を封じ込めるのか。簡単である。酒を飲みながらクリエイティブなことは出来ないのである。マリファナやLSDなどを用いた幻覚系アーティスト(アレックス・グレイ Alex Greyなど)の存在はたまに目にするが、酔っぱらいアーティストなど聞いたことがない。

私自身は酒を受け付けない体に運良く生まれたが、もし飲めてしまったら毎日でも浴びるように飲みたいくらい酒は美味い。そりゃ居酒屋やバーは繁盛するわけである。

飲酒を反対するわけではない。私もごくたまに日本酒をお猪口に1cm、ビールをコップに3cmは家族との会食の際に頂戴する。決して自らは購入しないが…

人生をデザインする事

創造とは絵画や物作りをやれという事ではない。あなたの宇宙を創造することだ。そしてまずは思考の正しい使い方をマスターすることだ。

行動(現実化)と計画(プログラム)は別物だ。行動にはできるだけマインドを持ち込まない事だ。そして時間と心にスペースを持つことだ。

期待や不安に溢れたプランニングではなく、ジャッジメントの無いタスクリスト、行動の順番を考えるだけだ。

余計なマインドが発生しない空間作り。

「行動にマインドを持ち込まない事」
「全ては幻想。ならばその幻想を最高のものにしてはどうかね」

by 世良健一

呼吸が浅いと、食事、サプリは意味がない

これはもう耳にタコができるくらい聞いた事があると思いますが、呼吸は人間の機能の中で、唯一、自動で行われるかつ、コントロールできる動作です。これは何を示すかというと、自動で運転している人間の機能(臓器や循環)を、呼吸を通じて調整、改善、修復できるということです。

つまりです。健康に気をつけるという名目で食べ物を変えたり、サプリメントを摂取したりするということは、呼吸が浅かったり、呼吸を意識的に行えていない場合、栄養の100%の効力を発揮することができないのです。

息を吸えないところまで吸いましょう。吐けなくなるまで吐きましょう。そしてこの呼吸に感謝しましょう。食べていかなくてはならないとか言いますが、食べるよりも、息していかなければならないのです。

息してる?(shoutout to chintem)

人はそれぞれ学びの段階が違うことを受け入れる

あなたは感じない何かを、他の人は感じる場合があるということ。あなたにとっての当たり前は、その人にとっては当たり前ではないということ。

当たり前とは、魂レベルの学びにおけるその人の立つ現在地のことです。色々な出来事に揉まれながら生きると、些細な事に気にならなくなることがありますが、この原理と一緒です。

すなわち自分がどれだけ自分の感情をコントロールできているか、どれだけ自己とエゴの分別が出来ているかという部分がまだ未熟な人にとっては、どうでも良いことでも重大事に感じてしまう訳です。

その人はあなたを攻めてくるかもしれません。あなたのせいにしてくるかもしれません。でもそれはその人のスピリチュアルジャーニーの道のりで現れている、その人の感情。

人が無意識に陥ってしまっている事に気づいたら、それを認め、受け入れてあげる必要があります。その人が、その苦しみは「自身の無意識、またはエゴの仕業である」と気づくまでは、そっと見守るしか無いのです。その無意識な状態にあるその張本人を、お前の無意識だ!と責めることはご法度であり、無意味なのです。

人はそれぞれ学びの段階が違うということを受け入れなければなりません。

人への態度は自分への態度

パートナー、家族、友達、取引先。相手が誰であろうと、自分の発する態度は自分のものである。例えば、あなたが誰かを見下すのであれば、その見下すという行為は別として、その態度を作り上げているのは自分である。

誰を見下しているのか。相手だ。
誰が見下しているのか。自分だ。

そして人生という体験は、自分の中で全て描写されるという絶対的ルールがあるため、何を感じようとそれは自分の中での創造になる。
ということは、人への態度は自分への態度ということである。

「自分にされたくないことは人にするな」とは言うが、それはもちろん人のためでもあるが、一番のところは自分のためなのである。