あの世へは何も持って帰れない

あなたの大切なものは何ですか。車ですか、資産ですか、家族ですか。

色々なものに執着したくなる気持ちはわかります。縋り付きたくなる気持ちはわかります。自分が積み上げた資産。自分がコツコツを集めたコレクション。自分の大切な人や仲間。失うのは怖いですし、奪われるのは嫌です。

でも何一つあの世(故郷)に持って帰ることは出来ないのです。

そんなの分かってるって?

だからこのひと時ひと時を、もっとエンジョイしようよって。

真剣に生きる、一生懸命に生きることは素晴らしいです。でも人生を深刻に捉えてしまうと、人生を楽しむどころか、苦しくなってしまう。

長いようで短い人生。地球旅行です。

お土産は持って帰れないので、出来るだけ体験を増やして、お土産話だけは沢山ボストンバッグに詰め込んで帰ってくださいね!

他人は時に神となり学びを与えてくれる

私たち人間は、一人ひとりが繋がっています。

繋がっているとは、もちろん魂レベルで繋がっていることはもちろんですが、己を知り、己を超越して生きれるようになるため、お互いがお互いに影響を与え合っているという意味で繋がっているのです。

例えば、見知らぬ人や仕事の取引先の人とのやり取りで、苛立ちを感じたり、自分のみぞおち辺りの反応を感じたしましょう。自分の中で思う「理不尽な事」や「理解できない事」が、他人を通じて現れるのです。

するとその認められない感情を他人のせいにしがちです。家族や友達であればまだしも、見知らぬ人や仕事の取引先の人であれば尚更です。

うざ!きも!最低!常識はずれ!ありえない!

などなど、自分の中で納得いかない感覚が浮上します。

ですがそれらは自分の中にあったからこそ浮上してきた感覚。他人が鏡となり、今の自分を見せてくれるのです。

他人は時に神となり学びを与えてくれる。神とは自分自身のことです。他人が自分を見せてくれる。他人がいるようで、他人が創り上げた感覚のようで、それらはすべて自分のものなのです。

We are all one. 起きることは全て必然であり、全て意味がある。

格闘家の須藤元気が掲げていたスローガンです。

すべては繋がり、すべては自分の成長のためにある。それを認められれば、どんな出来事も自分を味方してくれるのです。

現代病は呼吸が出来ていない病

呼吸が乱れると体の機能も乱れていきます。ここで言う現代病とは、数百年前には存在していなかった病気を指します

例えば花粉症。私の母親は昭和35年生まれ(2020で還暦を迎えました)ですが、花粉症という言葉は昔は聞いたことがなかったようです。

うつ病、パニック障害、躁うつ病、自立神経失調症、自己免疫疾患などなど、明らかに人間の生活習慣と意識状態に起因したと思われる病気はすべて現代病と言えるでしょう。

私は医師でもなく医学を勉強したわけではありませんので、私の勝手な解釈にはなりますが、これらはすべて呼吸が出来ていない病ではないのかと思ったのです。出来ていないとは、呼吸が浅いということ。

この現代のようなストレス社会、テクノロジー社会に生きる人は皆、呼吸に意識もしなければ、肺の容量の20%しか使っていないかのような浅く短い呼吸をしてしまっているのです。

これは体に大きな負担となります。酸素を取り込み、神経を整える役目のある呼吸を、本来のキャパシティのたった2割しか活用出来ていなければ当然です

酸素が取り込めなければ疲れやすくなりますし(走ると息が上がるのと同じ)、神経が2割しか整わないとなれば、体の機能は大きく歪んでいきます。

あなたは1日にする呼吸の何呼吸数えたことがありますか?呼吸の深さを意識して息を吸ったことはありますか?あなたのその不調、呼吸からかもしれないですよ。

競争ではない事柄での勝ちは無駄

決勝トーナメントまで勝ち上がりました。TOP8です。優勝してください。勝ってこそ意味がある。もちろん勝ちに執着せず勝ちに行くことが重要ですが、あなたが負ければ誰かが勝つ。あなたが勝てば誰かが負ける。ということは別に誰が勝っても負けても良いんです。だったら勝ちに行ってください。ということです。

しかしです。勝ち負けの無い事柄なのにも関わらず、勝ち負けという概念が離れずに、苦しんでいたことがあります。例えば、お金持ちの方が勝ち。自由な方が勝ち。理想のパートナー、理想の人生を送っていた方が勝ち。それ以外は負け、のような具合です。

この勝負、あなた以外誰が気にすることでしょうか。決勝トーナメントで優勝すれば、応援してくれた観客は祝福してくれるかも知れません。ですがこの競争ではない勝負であなたが勝利を収めた時(その勝利を決めるのは皮肉にもあなた自身しかいないのですが)、祝福してくれる人は誰もいません。自分の中でそれが勝ちなのか負けなのかもわからず、それを追い求めてしまうのです。

無駄な勝敗を自分で勝手に決めて、勝手に自分を敗者にしないでください。勝手に自分を勝者にしないでください。

生きていることをまずは感じる

あなたが今生きていなければ、現状の善し悪しは別にして、何もかもの存在が皆無となります。この森羅万象が無くなるのです。ということは、人生、人として生きることのファンダメンタル(基礎)、ないし生きる上で必要不可欠な感覚は、紛うことなく、生きていることを感じることにあります。

あなたが生きているからこそ今がある。

生きていることを感じてください。幸せになるために生きるのではない。生きているから幸せだ。どこかで聞く言葉です。

意見への別意見は反論、反対ではない

別の意見が届くと、あたかも反論された、反対されたと感じてしまうことがありましたが、これは実は自分が自分の持つ意見に執着を持っているから起こる現象で、残念ながらその状態は別意見を受け入れようとしておらず、自分の意見が絶対である、という非常に幼稚な意識状態が存在していることを証明しているのです。

反論、反対は、その意見そのものの逆、すなわちその意見の存在そのものを否定することであり、別意見とは別物です。

別意見は、同じ人間として感じる、改善のための提案であり、「より良くする」という意味が込められているのです。

私たちがマスターすべき唯一の精密機械、それは人間という名のマシンである。

これは私が実施していることです。非常に難しいです。どんなゲームより難しいです。特に、思考と感情の完全なる支配はかなりレベルの高い無理ゲーレベルの難易度を誇ると思います。

私は多くのスキルを兼ね備えますが、スキルを習得しようとしたことは一度もなく、どう人間というマシンを操作したら、そのスキルを使えるようになるか、というスタンスで何事も取り組むようにしています。

例えば楽器演奏であれば、私はピアノとマーチングスネアドラム、トランペット、そして次はギターを習得しようと考えていますが、どの楽器を練習するにしても、その楽器そのものの上達は意識していません。どのように自分を手先(体)を操作し、支配するかを意識しています。

人間の仕組みを掘り下げていくには、ノートカテゴリーでは膨大になりすぎてしまうため割愛しますが、人間の操作には多くの知識と実験と失敗の繰り返しが必要不可欠です。

人をお金だけで判断する人は最低最悪

人は人であるのに、人の持ち物で人を判断しているのですから、最低最悪以前に、よくわからない勘違いをしてしまっている状態です。

さらに残念なのはその人本人であり、他人にすることは自分にしている、という普遍的な人間の性質がありますので、自分の本質をお金というコンセプトで置き換えてしまっているということになるのです。

お金で判断され、それがその人をトリガーさせてしまう(ムカつかせてしまう)場合は、ミラーニューロン(お互いの痛みの浮上)となり、お互いのための出来事になりますが、それ以外の場合は、判断している人のみがコンセプトの渦に溺れてしまっている状態となります。

お金は使うものです。あなたではありません。お金から自由になりましょう。

人それぞれ人生における役割がある

あなたの今日の行いが、たとえ無意味に感じたとしても、あなたのその行いがなかったら、起こらなかったことは必ずあります。

そして覚えておかなければならない事があります。我々人間は誰一人、無意味ではなく、私たちそれぞれの役割があるということです。

さらにこの役割という言葉の意味にも注目です。これは実際に役に立つとか立たないとかという意味ではありません。

あなたが家族に乱暴に振る舞っているとしましょう。それにさえも役割があるという意味です。乱暴が良いことであると言っているのではありません。その行為が周りの人間のアウェイクニング(意識的目覚め)を引き起こすための引き金、着火になる可能性があるということです。

人生は競争ではない

競争したいですよね〜。どうにかして奴を越え、ヤツを負かしたいですよね。
負かしてどうなるんですか?
それがあなたの定義する価値ですか?

あなたが勝とうと、私たちは同じ飯を食べ、用を足し、寝て起きて、ヤッて年老いて死ぬんです。

それよりも何よりも、「自分」という作品を仕上げていってはいかがでしょうか。

勝ちは一瞬ですが、その作品を仕上げていく過程は一生で、その作品と一生共にあれるのです。

勝ち負けを伴う競争をするのではなく、自分をただただ極めていけば良いのです。