無理と決められるのは自分だけ

目標達成のことではありません。

ごく普通な日常的な選択のことです。

例えば、とあるイベントがあるとします。

そのイベント行きたいとします。

行けばいいだけなんですが、この選択、つまり自分の選択を優先をすることができない人がいます。

自分ではなく、自分が自分に持つイメージが大切な人たちです。

自分の選択を突き進むよりも、他人の顔と自分の立場を優先してしまう人たちです。

これを普通を思う人もいるかもしれません。

しかしこれは日本人に非常に多い性質です。

自分を優先できないという性質は、国民的な性質であり、相対的なものです。

絶対的な性質ではありません。

ではこの自分の選択ができない理由は一体何故でしょうか。

ビビっているからです。

怖いんです。

あなたの顔が汚れるのが怖いんです。

更に言うと、こういう人に限って、他人にも厳しい性質があります。

他人にも常識を押し付けるし、自分にも常識を押し付けている。

だから自分が常識を破るなんてありえない。

だから嫌でも自分の嫌な道を進む。

笑っちゃいます。

「不可能はない」なんていう言葉はちゃっちいですが、別に大谷翔平になろうしているわけではありません。

日々の些細な自分の希望を尊重する選択をするだけです。

そんなことでさえも、無理と決められるのは自分だけなんですね。

人を気にしている場合じゃありません。

自分の人生を生きるべきです。

夢を見るのは気持ちいいが、夢を生きるのは難しい。

憧れはありますか?

夢はありますか?

こんな風に生きてみたい。

あんなように生きてみたい。

あの人みたいな人生を送ってみたい。

そんな夢はありますか?

そんな夢を見ているばかり、今が嫌になってしまってはいませんか?

そうです。

夢を見るのは気持ちいいんです。

寝ている時の夢じゃないですよ。

寝ている時の夢も気持ちいいですが、ここで言う夢とは、期待することです。

自分の人生が、自分の描く夢の人生に変わった時に、ようやく自分の人生を愛せるようになるのではないか、という期待です。

夢を見るのが気持ちいいと言いましたが、これは実は錯覚です。

「夢を見る」と書くと、いかにも幸せそうに聞こえますが、ただの想像です。

イマジネーションしているだけで、体験は何も変わっていません。

もしあなたが夢を見るのが好きなのであれば、一旦夢を見るのはやめて、夢を生きるにシフトしてみていただきたいです。

実際に行動に移そうということです。

夢を生きるのは難しいんです。

なぜならば、夢を生きるということは今と自分と一騎討ちすることだからです。

そこに誰も救いの手を差し伸べてくれる人はいません。

褒めてくれる人も励ましてくれる人もいません。

自分が選んだ道を、自分の意志で、自己責任で進んでいくことこそが、夢を生きるということなのです。

他人を気にしている場合じゃありません。

生きたい夢を生きるのは、自分次第です。

ビビる必要なし

それが何であろうと、誰であろうと、ビビる必要はないです。

ビビるとは、自分の懐(ふところ)に触れられることです。

自分の恐れていることが起こるかもしれない時に、人はビビるのです。

しかしビビるという反応を俯瞰してみると、ビビるという反応そのもにには、全く意味がないことが分かります。

意味がないとは、ビビってもビビらなくても変わらないということです。

ではなぜビビってしまうのか。

記憶です。

心地よくない体験をしたという記憶が残っているからです。

ではビビることを無くすことはできるのか。

YES & NOです。

記憶は無くせないため、答えはNOになるかと思いきや、記憶は記憶に過ぎず、良くも悪くも記憶は今を歪ませているだけなので、それさえを理解して、ビビる反応が浮上した際にその感覚は幻想であると自分自身を俯瞰できれば、YES、無くせるという答えになります。

ビビるだけであれば可愛いもんです。

自分がビビらないようにするためだけに、人生における様々な選択をしてしまうのが一番厄介です。

ありもしない幻想を避けようと生きることとなり、目の前に本来であれば何もないのに何かがあるように見えてしまうのです。

一番もったいない生き方です。

ビビる必要なし。

意味があるかどうかなんて関係ない

一生懸命な取り組みに、意味があるかどうかなんて関係ない。

その取り組みがいつどこで何に繋がるかなんて未知数だし、その時に正しいと思えた取り組みであれば、意味があるかどうかなんて関係ありません。

たとえば、あなたがプロ野球選手であるとします。

そしてスランプに陥っているとします。

不振で、スタメン落ちして、2軍かベンチ入りなのか分かりませんが、とにかく自分の不調、または自分の取り組みの問題点を見つけることが出来ずにいるとします。

第一前提に一生懸命である必要がありますが、その不振脱出という取り組みの中で、一体何をすればいいか分からないとします。

何をすればいいか分からないというよりは、自分のどこに問題の原因があるのかが分からないとします。

この状態であなたのできることは一体何でしょうか。

そうです。

意味の感じられないことをひたすら、がむしゃらにやり続けることが、あなたにできることです。

意味の感じられないこととは、例えば、こんなに練習しても意味ないよな、とか、この練習は意味ない、これをやっても意味ない等など、自分の思考、つまりマインドが拒否している取り組みのことです。

しかしここで理解しなければならないのは、マインドの拒否すること、マインドが意味ないと感じることは、魂、つまり生命力に繋がっているということ。

これをやっても収穫にならないから、これをやっても無駄だから、これをやってもお金にならないから、これをやる時間がないから。

これらは考えは成果主義の産物です。

人間の生命力と行動力を下げているものです。

あなたの一生懸命な取り組みに意味があるかどうかなんて関係ない。

意味ないことを、ひたすら、がむしゃらにやり続けた人のみが到達できる次元があるということを覚えておいてください。

追われる人生ではなく、自ら動く人生へ

追われる人生とは一体どんな人生でしょうか。

追われる人生とは、逃げ回る人生です。

その名の通りですね。

では逃げ回る人生とはどんな人生でしょうか。

逃げ回る人生とは、いつか辿り着くことを永遠と願いながら生きる人生のことです。

何度も繰り返して申し訳ないですが(これで最後)、いつか辿り着くことを永遠と願いながら生きる人生とはどんな人生でしょうか。

いつか辿り着くことを永遠と願いながら生きる人生とは、今あなたのやっていることが、手段となっている人生のことです。

まだ分かりづらいです。

「今していることが手段になっている」とはどういうことでしょうか。

今していることが、あなたの理想に辿り着くための手段、つまり、あなたが得たいと思っている何か、それがお金持ちになるためであれ、成功するためであれ、誰かを見返すため、有名になるためなど、何も付け加えなくても既にあなたは完璧であるにも関わらず、それを忘れ、より自分を武装するための付加価値を追い続けて生きている状態のことです。

あなたの人生は今であり、今日です。

今日あなたは完璧だし、今あなたは完璧です。

なぜ名だたるものを負い続け、自分とこの美しい人生体験を消耗するのでしょうか。

追われる人生から、自ら動く人生へとシフトしてください。

自ら動く人生とは、今自分が完璧であることを心得、今あなたに与えられている全てのことが完璧であることと知り、今を一生懸命生きる人生のことです。

何も追うことはありません。

今を一生懸命生きる以外は。

全て自分がやりたいかのようにやらなければならない

例えば、今の仕事が嫌だとします。

今の仕事が嫌で、本当は今日も行きたくないとします。

でも思考はこう言います。

「仕事を辞めたらお金が入ってこないし、生活が回らない」

「だから嫌でも仕事をしなければいけないんだ」

「仕方ないんだ」

いいえ。

そんなことはありません。

仕方ないことなどひとつもありません。

しなければならないことなんてひとつもありません。

誰かが文句を言うかもしれません。

払うべきお金が払えなくなるかもしれません。

でも心得なければならないのは、しなければならないことは、この世にひとつもないのです。

それ相応の結果が訪れるだけで、絶対にしなければならないことなんてないのです。

仕事の話に戻ります。

もしあなたがお金のためと言って、やりたくもない仕事をしているとしましょう。

いいえ。

それはお金のためではありません。

あなたのためにやりたくもない仕事をしているのです。

ということは、やりたいもやりたくないも関係ないのです。

あなたのためなのですから!

本当にやりたくなかったら、やらないはずです。

すること全て、自分がやりたいかのように取り組む。

自分の選択であるということを心得て取り組まなければなりません。

すべては自分のためですから。

今しか先に進めない

インターネットを通じて多くの人々の人生を見れるようになった今、多くの人は、多くの人の人生を見るだけという人生になってしまっています。

理由は簡単で、見る方が簡単であるのももちろんなのですが、他人の人生を見ると、他人がどうにも先に行っているように見えて、自分には手遅れ、自分には時間がないというような、自己否定ではないのですが、悲観的な考え方になってしまうからです。

その他人が努力したということもわかる反面、その人が実施してきた努力の量を自分に重ねると、自分には無理と思ってしまうような錯覚です。

しかし心得なければならないのは、あなたが今何歳であれ、あなたが今どんな状況に置かれていようと、あなたがあなたの人生を歩めるのは今しかない、または今日しかないのです。

今日少しでも前に進むことができれば良いのです。

実際、先に行っているように見えていたその他人は、一日でそこに辿り着いたわけではなく、ただ毎日歩き続けていただけなのです。

そしてその人達は別に先を目指して歩いていた訳ではないということです。

他人が進んだ道のその距離を見て、何もしていない、何も行動に移していない、もしくは錯覚に負けて行動に移すことができなくなってしまった人は、その長い距離に圧倒されてしまいます。

いやいやいや私にはそんなに進むことはできない、自分には手遅れ、時間がない、自分には無理という風に決めつけてしまうのです。

これは人生という体験を生きる上で非常にもったいないのです。

今とは言いません。今日でいいです。今日行動に移しましょう。そして今日、一歩進みましょう。

それこそが、あなたの人生が、あなたにしてもらいたい、一番のことです。

今日も生きましょう。(行きましょう)

学び続け、頑張り続けられる仕事を選ぶ

好きなことを仕事にしたいと言っても、仕事は学び続け、頑張り続ける必要があります。

ということは、ただ好き、ただやってみたい、ただ今とは別の仕事がしたいと思っていると、実際に理想の職に就いた時、今と同じ壁にぶち当たります。

「学び続け、頑張り続ける」という壁です。

好きなことでも、やってみたいことでも、今とは別の仕事でも、この要素は変わりません。

つまり、もし今の仕事、今与えられている仕事を避けているのであれば、それは別に仕事そのものが嫌いであったりするわけではなく、ただ単に「学び続け、頑張り続ける事」から逃げているだけという可能性があるのです。

もし胸を張って、私はこの仕事が合わない!というのであれば、次の職場では一生懸命やることです。

なぜならば、一生懸命やるということと、仕事の内容が好きか嫌いかは別だからです。

あなたはどれだけ自分をその仕事に捧げることが出来るのか。

どれだけ学び続け、どれだけ頑張り続けることができるのか。

それが続けられる仕事こそ、あなたの天職と言えるのかもしれません。

それに出会えた時こそ、あなたが人類に真の貢献が出来る時でしょう。

YouTube見れません、さぁ何します?

巷ではYouTubeという動画サービスが流行っているようです。

私自身ももちろん観ていたYouTubeですが、最近になって違和感が出てきました。

どんな違和感かというと、自分の人生なのに、なぜ人の人生を見る、という人生を送らなければならないのか?

という違和感です。

違和感というか疑問でしょうか。

気晴らしや好きな番組の視聴、勉強のための視聴は素晴らしいと思うのですが、YouTube鑑賞が惰性となってしまい、とりあえずYouTubeとなってしまう状態は人間としておかしいと思うのです。

暇を埋めるための行動がすべてYouTube鑑賞になってしまうのは、この人生体験を送る人間としてもったいないと思うのです。

この違和感を無くすために思いついたのがこのライフ・レッスンです。

はい、今日からYouTube見れません!と言われたとします。

どうしよう!?って思いましたか?

そう思ったらヤバい状態です。

YouTube見れません。さぁあなたは何をしますか?

繰り返す思考パターンを見つけよう。多分その思考をやめても人生は変わらない。

私たち人間の持つマインド、思考は非常に便利です。物事を論理的に考え、問題を解き、事を予測することができます。

しかしこの思考の利便さは、私たち人間がこの思考を上手に使えている時だけです。

大抵の場合、私たちの思考にはパターン、つまり変わらない繰り返す法則があって、昨日考えたこと、一週間前に思ったこと、1年前に思ったことを、本日も思い考えてしまっています。

同じことを繰り返し思い考える意味はあるのか?

ありません。

では何故同じことを繰り返し思い考えるのか?

理由は2つあります。

ひとつは、同じことを繰り返し思い考えないと、それが自分の人生が悪い方向に流れてしまうと勘違いしている。

ふたつは、同じことを繰り返し思い考えないと、自分が誰かわからなくなってしまうからです。

一つ目は、繰り返される心配事などが挙げられます。

心配をやめるとその心配していることが起こってしまうのではないかと信じ込み、同じ思考を繰り返してしまう。

二つ目は、自分ではない何か、例えば立場や役割、勝手に創り上げているイメージなどが、自分と同一化してしまっている状態です。

これはアイデンティティと呼ばれるものなのですが、これらを手放すと自分が誰だかわからなくなってしまうため、自分を失う恐れを起因とする繰り返される思考です。

いずれにせよ、繰り返される思考パターンは、恐れを起因とするものです。

思考を止めても人生変わりません。

思考を止めてもあなたは変わりません。