2015/6/17

宇宙のプログラム

私たちが定義する自分は、本当にこの身体だけなのでしょうか。自分が「自分」と言う時、自分はこの身体を指しているのではなく、自分の意識、もしくは自分のハートを「自分」と定義しているはずです。ということは自分は形なき意識であり、イコール全宇宙の存在と同じ意識と繋がっているということになります。たまに誰かの夢を見ることはありませんか?海を越えた友達だったり、遠く離れた旧友だったりと、夢の中で会う夢です。誰かと会う夢を見ると、翌朝記憶に残っていれば、あっ、そう言えば誰々の夢見たなと振り返り、その人のことを思い浮かべるわけです。facebookやらLINEやらで誰とでも瞬時にコミュニケーションを取れる時代ですから、その人に久々に連絡してみたくなったりするわけです。実際に連絡を取ってみると面白いことに、その人も同じく翔樹のことをちょうど思い出していたんだよ!とか、こっちも翔樹の夢を見た!とか言ってくるんです。問題は、これらは単なる偶然に過ぎないのでしょうか?たまたまお互いを思い出していたからなのでしょうか?僕はそうとは思いません。喩え僕という意識の宿る身体が千葉にいても、意識そのものは無限に繋がる媒体であり、時空を超えて誰かに会いに行くことが出来るのだと思うのです。不思議だけど、本当の話。こうして綴ってみているけど、誰もが経験したことのある事だと思います。これは人間だけでなく、森羅万象が無意識に駆使している、宇宙の創造を支えてきた宇宙のプログラムです。

2015/6/16

目の前の試練を乗り越えることだけ

人生楽ありゃ苦もあるさですよ。しかし何が何でも生き続けなければなりません。僕はこの道を選んだ以上、もう後戻りは出来ないです。目の前の試練を乗り越え続けることだけ。でも人生には波があって、上もあれば下もあるんだけど、何故か下に来ると心地良くないんですよね。下に来ても淡々と物事をこなせるようになった人が、本当の意味でのプロなんだと思います。しかしこの人生の波は自分ではどうしようも出来ません。宇宙の流れですから、嵐のように過ぎ去るのを待つしかない。まぁこう書いてみると、なんだかんだこの流れを僕はちゃんと理解しているんだなぁと思うわけですが、まだまだエゴが抜けきっていないらしく、下に来ると色々なストーリーに飲み込まれてしまいます。わかってるくらいまだマシか。どうせというか、いつになってもこの波は収まらないんですから、この上下のアップダウンにちゃんと適応出来るように、もっと精神を鍛錬していくべきだと感じます。目の前の試練を乗り越えることだけだよ、本当に。それしか僕ができることはない。

2015/6/15

流れに身を任せる

今夜はモリ君に連れられて、西白井のアンの家というライブハウス兼カフェ的な店にひょっこり遊びに行ってきました。仕事ばっかりしていると、意図や目的がないイベントを極端に避けたくなってしまうので、無理矢理というか、流れに任せて気晴らしに出掛けることは、ある意味波動の調整になって、最初はめんどくせーなーとか、行ってもどうしようもないしな〜とか思ってるんですが、行って帰ってみると、あぁ行ってよかったなと思うわけです。本当に特に何かが在るわけでもないんですよ。一応ライブハウスですから、ライブイベントとかだったらまぁわかるかなと思いますが、到着したところでライブは既に終わったって言うし、人もそんなに集まっているわけでもない。でもやっぱり大切なのは、目的どうこういうよりも、行動に移せたということなんだなぁと。
しかしドライブは気持ちよかったです!ここ数日間は曇り続きで、そこまで暑くないし、寒くもない。ちょっと湿度は高めですが、行きも帰りも窓全開でいい感じに風を浴びれました。
たまには頭で考えることをやめて、流れに身を任せると軸が調整されるのだなと、新たな気付きがありました。

2015/6/14

書ききれない

あー、何だかブログを書くことではなくて、濃ゆい内容をブログ記事に起こすのがめんどくさくなってきたぞ〜w いや、毎日生きてますけどね、1人でみみっちく生きていますけどね、まぁそれはそれは面白いこともたまに起こるわけですよ。というか結構頻繁にオモロイこと起こってますよ最近!やはり人生は何をどう達成するとかが一番ではなくて、対人関係が一番面白いし、心に響くのでしょうね。今夜は地元の自治会繋がりで、とある会合に誘われて夕方から出てたのですが、地元で地元愛のある人たちと非常に有意義な交流が出来ました。自治会繋がりと言っても、長老レベルのじっちゃんばぁちゃんじゃなくて、比較的僕の歳に近い30代40代の、熱いメンツが集まるハングアウトでした。しかしその内容が濃すぎて濃すぎて、全て書き出したら大変な事になってしまうくらいの濃いトーク。もうホントはブログにも記録したいけど、マジで長くなっちゃうから、いいハングアウトがありました、だけに収めておきます。とりあえずいつもの名ゼリフ、天は味方している!であります。
今日は一日中ずっと曇りでジメジメだったので、身体もベトベトです。シャワって水浴びて寝るのじゃ〜!おやすみんぐ〜

2015/6/13

ペヤング復活

なんだか毎日が直ぐ過ぎていくなぁ〜。今週も頑張りました!ちょっと今日はお疲れモードなので、ツイートだけにします。ペヤングが復活したので久々に食べてみたけど、やっぱり昔ながらの味で美味しかった!大変だったと思いますが、頑張っただけあります。ちなみにペヤングって何でペヤングって言うか知っています?ヤングなペア(カップル)に仲良く食べてもらいたくてペヤングなんだそうです。ペ・ヨンジュンじゃないけど、オーナーがペ・ヤングンさんだからだとずっと思っていましたw では今日はさっくり失礼します。おやすみ〜

2015/6/12

特殊が特殊に出会う

自分で言うのもどうかと思うのですが、自分はかなり特殊な人生を送っていると思っています。5歳前の幼少時代も、公に出来ないくらいの出来事がかなり詰まっていますし、その後よく分からない感じで渡米とかがあって、もうごちゃごちゃです。僕の人生を時代で分けると、港区横浜世田谷時代から始まり、次に鹿浜時代、LA時代、そして現我孫子時代に至るのですが、今日記録したいのは、LA時代から我孫子時代にかけて僕が思った、帰国子女というテーマについてです。帰国子女というと一応僕もその部類に入りますが実のところ、僕にはそんなシャレオツな言葉は似合いませんし、巷で定義される帰国子女とは人生の流れがかけ離れ過ぎていますから、帰国子女ではなく、恐らく僕はただ単に海外生活経験がある人間という風に認識をしています。まず帰国子女は、ある程度の企業の駐在員として海外で働く親を持ち、そして高校を卒業したらそのまま現地の大学に進学するか、もしくは帰国子女枠で日本の私立大学に進学するパターンが一般的です。一般的かどうかはわかりませんが、とりあえず僕の周りの日本人組は全員そうだったんです。LA高校時代の日本人友達とは、今でも数年に一回程度ですが、まぁたまに合うくらいの仲をキープしてるんですが、合計12人位いるのかな?同じ学年ではなくて、同世代で。それでね、マジでこれ笑い話じゃなくてガチな話なんですけど、僕だけ唯一高卒www 僕だけですよ!オンリーユー!あり得ないです。まぁ別に学歴を気にしているとかではなくて、特殊です。
それで何でこの話を僕が持ってきたかといいますと、先日とある僕のビジネスパートナーとなった方がいるのですが、彼も面白いことに僕みたいな人生を歩んできた方で、6つ上の方なのですが、バイリンガル以上にバイカルチャルな方なのです。早速新しいプロジェクトに関するメッセージのやり取りをしているのですが、日本人なのに英語と日本語ごちゃ混ぜのコミュニケーションで、それが凄く面白い。まだお会いしたことはないのですが、何か将来を共に出来そうな予感がしています。これも天の計らい。ご縁に感謝いたします。これから恐らくかなりのプロジェクトを彼と一緒にぶっかまして行くので、このブログにも多く登場してくると思います。新たなスタートです。

2015/6/11

610

6月10日。今日から15年前、愛する祖父が他界しました。母方の祖父で、僕のことを一番可愛がってくれたじいちゃんです(通称だんごじい(和菓子屋だったので))。2000年5月下旬に腸にポリープが出来て入院してから、2週間位であっさり逝ってしまいました。当時10歳ですね、翔樹くん。愛する人の死に初めて対面し、大きな衝撃を受けたのを覚えています。当時は中学受験準備の真っ只中で、週3で啓明舎という塾に通っていました。塾の場所は御茶ノ水。JR王子駅まで母か父に車で送ってもらい、王子から京浜東北で秋葉原へ出、総武線各駅停車に乗り換えてひと駅の所です。今思い返すと、もうその頃には携帯電話の技術が発展し始めていて、最初の携帯P204からP502iに乗り換えて、ショートメールからimodeにメール変わったくらいの時代です。塾に出る度、外出先からimodeメールで、母か父にじいちゃんの血圧を確認していました。お見舞いには毎日のように行っていましたから、血圧の重要性を理解していたのだと思います。いつもなら、「だんごじいの血圧はいくつ?」ってメールすると、比較的早く返信が来ていたのですが、2000年6月10日の日、僕が啓明舎から送った血圧確認メールには、返信が一切ありませんでした。まぁメールを見落としているのだろうと思い、帰ってパパに直接聞けばいいかと思っていました。いつも通りに順天堂病院の坂を下り、外堀通りを駅方面に歩き、お茶の水橋を渡って、改札を通り、御茶ノ水駅特有の階段を下り、帰路につきました。記憶ではその日の帰りに王子まで迎えに来てくれたのはパパです。黒のクラウンのロイヤルサルーン。長男指定席の助手席に乗り、直ぐに言いました。「ただいま。だんごじいの血圧は、どう?」。
僕はパパがメール返信をしたくても出来なかった理由を、王子から鹿浜までの中盤、北本通り途中で知ったのでした。そこから先は、死に初対面する翔樹にとって、いや、大好きなだんごじいの死に対面しなければならない翔樹にとって、それはそれは悲しい現実が待ち受けていました。じいちゃんの家に着けば親戚一同は集まっているわ、同じ商店街の人達も集まっているわで、「これは紛れも無い現実」であることを受け入れざるを得なかったのです。
まぁストーリーテリングはこの辺にしておいて、とにかく15年、早かったなと!ちなみにだんごじいが他界したあと、僕は莫大な精神的ダメージを受け、かなりの間、立ち上がることが出来ませんでした。中学受験へ費やすパワーも気力も失せ、中学受験プロジェクトは却下となります。中学受験勉強、本当に本当に嫌でした!!もうじいちゃんに救われたわホンマに、って感じ。僕は私立の器じゃなかったんですよ、結局は。鹿浜のDNAが私立に行けるわけがないってのね!
まぁいいんですが、中学受験プロジェクトが却下となりまして、そこから今度はLA移住プロジェクトが稼働するのです。だんごじいが他界して1年4ヶ月後、LA移住はなんと本当に実行されたのです。移住するとなれば、いずれは訪れることであろうことは帰国ですが、翔樹くんはその帰国の理由が、またもや残酷なものになることとは全く予想していませんでした。

ハルト3歳、ルビー8歳、誕生日おめでとう!!

2015/6/9

自分を見れるのは自分だけ

ここ最近ずっとなかった情熱が戻ってきた気がちょっとだけします。特に何に情熱をつぎ込むわけではないんですが、生きるそのものに情熱を感じてきているって感じ。まだAKB総選挙のスピーチが頭から離れていなくて、特にたかみなのスピーチが脳裏に焼き付いています。努力は必ず報われる!と。彼女はもう今年で卒業するということで、登壇の際には、ファンへのメッセージの他に、現メンバーへのメッセージも語っていました。大量のメンバーがいるAKBグループの中で、今回は272人総選挙へ立候補したらしいのですが、開票当日にあのステージに立てるのは、その内の80人だそうです。たかみなが言っていたのは、努力しても、本当にその努力が正しい方向に向かっているのかどうかもわからない中で努力するのは凄く虚しく感じるということ。確かに考えてみれば、あの大勢のグループの中で、無名の一般人出身の子が、どう努力してどう頑張ったら知名度アップに繋がるのかがわからず、さらに喩え努力して頑張っても、本当にその努力が自分の求める夢へ近づいているのかさえもわからなければ、努力をやめてしまうのも無理もないと思います。ですが国民的アイドルグループに所属できたからには、向かう先もわからずに、がむしゃらに努力していることは間違いありません。さらに鬼畜なのは、グループ内では、みんな仲間であると同時、周りにいる全てのメンバーが、「競合」という扱いになることです。どうしても比較をせざるを得ない環境にいますから、彼女ら葛藤は、何度も言いますが、僕達庶民が思うほど、華やかなものではないことは確かでしょう。
たかみなは、「努力を誰も見てないなんて思わないでください。努力は一瞬ではなくて、続けてください」と言っていました。これはもちろん模範解答的名言ですが、「誰も見てないと思わないで」という部分に、僕はもう少し深い意味があると思ったというか、僕なりのアイディアがあったので記録させてください。僕のアイディアを簡単に言ってしまえば、「誰も見てない」という事は嘘であるという事です。何故ならばですよ、自分自身が見てるからなんですよ!自分自身は全てを見ている。いつも見ている。どこでも見ている。そして唯一自分を見続けられることが出来るのは、自分しかいないということです!人が見てないから努力しない?人が見てないからポイ捨てする?人が見てないからホニャララ?自分が見てるだろー!YOU SEE EVERYTHING! 何も隠すことも出来なければ、自分の生き方に嘘を付けなくなります。自分は常時自分に見られているということを心底理解できたのであれば。

2015/6/8

バカが成長する

成長の機会を天から頂いている今日このごろでございます。普通であればバカは相手にされませんが、ありがたいことに、僕のようなバカにちゃんと正当な指摘をしてくれる方がいます。正直僕は説教というか怒られるのがあんまり得意ではないので、まぁまぁ凹むんですが、それがなかったら俺は一体どうなっちまうんだって話です。会社にもまともに務めたこともなければ、上司もいない日常で、誰が僕にアドバイスをしてくれるでしょうか。NOBODY! ですからその時は嫌に思っても、こうして落ち着いてみると、やはり感謝の気持ちしか残らないんですね。本当にありがたいです。
てか昨日一昨日とレッサーくんと一緒に寝たからか、ダニに首の周りを大量刺されてしまいました。めっちゃ痒い!
明日は6時起きだ!ヤバイ!何をするかって!?ゴミ出しですよ!

2015/6/7

涙は海へ

AKB総選挙、終わりましたね。1位は予想的中でしたが、それより今回の総選挙で語られるべき存在は、総監督高橋みなみでしょう。我が家にはテレビがないもので、中継では見れませんでしたが、後にYouTubeで上がった高橋みなみのインタビューを先ほど拝見しました。初期メンバーであり、10年に及びAKBの歴史の全ページに携わった彼女から語られたスピーチには、それ相応の重みがありました。彼女自身も理解しているはずです。自分はアイドルの器ではないと。しかし努力だけは誰にも負けてないことは確かでしょう。努力の精神をAKBグループ全域に浸透させ、今のAKBを確立させたのは、高橋みなみの仕事のお陰だと言っても過言ではない、そう秋元康は語っていました。語るまでもないビッグビッグキーパーソンです。
アイドルという職業は、世間が思うほど華やかな仕事ではないということも、スピーチからにじみ出ていました。甘ったるくないでしょうね。本当に。自分への評価がマスメディアから下されるのですから、かなり恐ろしい仕事だと思います。僕の仕事がみみっちく見えましたよ。ショボイ世界だなって。でもAKBグループは、AKBグループの使命を達成していると思います。指原も言っていました、私たちが皆に元気や勇気を与えられることほど、嬉しい事はないと。嬉し泣き、悔し泣き、人の努力のストーリーを、AKBグループは僕達に与えてくれているのだと思います。僕も泣けるまで努力したいと思いましたよ。嬉し泣きであろうと、悔し泣きであろうと、泣けるまで努力している彼女たちは素晴らしいです、本当に。泣けるというのは、毎日を全身全霊を使って生きてきたという証ですから。
しかし島崎は悔しそうでした。前回7位からの9位降格。僕にはわかります、彼女には人一倍大きな苦悩があるということを。宇宙人ですよ。ぱるるは普通の人間じゃない。人間に見える宇宙人。普通の人間の思考回路と違いすぎる。人類の創りあげた文明に上手に対応できるわけがないです。辛いと思いますよ〜かなり。でも大和魂はありますから、将来かなり有望だと見ます。デビューしたてのマー君がソフトバンク打線に撃破され、号泣した時と同じように、ぱるるの涙は将来大海原になるための、大河の一滴であったのだと思います。前回の7位は完全なるマグレ、ということが本人もわかったのではないでしょうか。