4日ぶりの晴れの日。すべての洗濯物を干して気分爽快。今は庭で日向ぼっこをしながら記事を書いています。最近、細胞レベルから生まれ変わろうとしておりまして、今までにやったことのないようなことを人生に取り入れています。まずは今実際にやっている日光浴。日光浴からはビタミンDを得られるだけでなく、自律神経を調整をしてくれます。ずっと夜型人間だった僕ですが、意識的に日光浴をし始めてから体内時計も調整され、徐々に徐々にではありますが、昼型人間に戻りつつあります。そう。僕は振り出しに戻りたいのです。ティーンから今までの10何年間、パソコンの電磁波を浴び、夜と昼がひっくり返ってしまいました。さすがに10何年も経つと、体がエラー信号を発し始めるんですね。このままいったらマジで癌になるぜ、みたいな。気にすべきポイントは、このような生活習慣だと、いきなり極度の症状が現れることはないのです。しかし最高に優れているのかと聞かれれば、全くそうではない。これが生活習慣病の怖いところです(生活習慣病ではありませんが!)。自分にエラーがあることにさえ気が付けない。そして気がづいた時にはもう遅いのです。
日光浴の他にも、冷水シャワーとか太陽凝視とか、今まで嫌いだった生トマトを毎朝食べるようになったとか。色々あります。とにかく人類代表を目指しているので、これからも地道なことを地道にこなしていきたい思います。
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歯を磨く感覚で行っている毎日のジャーナリングです。その日に何を考えて生きてたかが主な内容ですが、出来事や気分も綴っています。
読破という達成感
僕の癖、というかパターンというか、別に悪いことではないとは思うのですが、僕は少なからず完璧主義者です。ヤルならとことんやる。120%やる。中途半端で終わるならやらないほうがマシ。そんな考え方です。完璧な人間になれないことはわかっていても、完璧を目指したくなります。なんでもいいんです。とにかく自分のスペックをオールMAXにしたいのです。その願望が強いがために、僕は本から知識を吸い上げようと試みました。自分のスペックを上げられるのであれば、書籍費なんぞ気にしない。気になる本をアマゾンでポチポチ買うわけです。しかし問題がありました。4分の1位読んですぐに他の本に移ってしまうために、どの本も最後まで読み通せていない、という致命的な問題です。これは今に始まったことではありません。独立して自己流でWebの勉強をし始めた頃くらい、遡って4,5年前くらいでしょうか。当時から本の数だけがかさばり、完読した本がほぼゼロ(唯一読破したのはA Power of NowとA New Earthの2冊のみ)。別に何の問題もないっちゃ問題ないですが、勿体無いし、なんか自分の生き方や在り方が読書という行動に現れているようで、ずっとこの事実は嫌でした。しかし変化の時は訪れるもので、色々と勉強をしたり情報収集をしていくうちに、小さな事を積み上げていく大切さが分かり始めてきて(先日も綴った計画性とかもそう)、本日、先程述べた本2冊以外に1冊、読破することに成功しました!本を買ったら完読する、これはごく当たり前なことですが、僕にとっては難しい、というか、あまり達成したことがありませんでした。なので今、僕は清々しい気分です!もっと本を読んでいきたいと思います。ありがとうございました。
Only one
何で人間は他人と比較してしまうのでしょう。今日もまた親戚の家に行ってご飯を食べ、TVを見ていたのですが、何故かまだ僕は人と比較してしまう癖が抜け切れていないようです。というか、その後母方の叔母である”みーちゃん”と色々と話していて、自分で勝手に気付いてしまったのですが、自分のありのままを生きるべきが人生なのに、それをしないから(他人のようになりたいなど)変な感覚になるのだなぁと。その前に、みーちゃんが僕にとある心理テスト?みたいなものをしてくれました。名前は忘れてしまったので後日アップデートするとしますが、今の感覚を5感を使ってイメージし、そのイメージしたものから気付きのメッセージをいただく?みたいな本があって、それを使った心理テスト、というかなんというか、現状の内面把握というか。まぁ言いたいことは分かると思います。んで結局、自分は自分を認められない、ということがわかり、そのテストの後も、みーちゃんと色々と語り合っていました。そんな中で閃いたのが、やはりこの感覚は他人どうこうではなくて、全て自分が持っている、もしくは創造している感覚である、ということ。すなわち、自分が勝手に他人と比較して、勝手に凹んで、勝手に拗ねているだけなのです。わお。ソー・ステューピッド。それに気付いた時、心が軽くなりました。自分は自分の信じる道をただ進めばいい。ただそれだけなんですね。人間はそもそもそれぞれ個別の使命を持って生まれてきているので、自分を愛さないとまず事は始まらねぇと。
Breaking Bad
久々の雨でしんみりです。新しい家には車庫の屋根がないので、マイカーはびしょぬれです。夜も露が降りたりと、屋根の大切さを感じております。
屋根はお金が溜まったら業者に依頼しようと思いますが、自分の目標達成に、お金が一体いくら必要なのかを考えたことはありますでしょうか。先日、親戚の家でテレビを見ていたら、爆買いなんちゃらとかいう番組が流れていたのですが、彼らのお金の使い方を見て、また改めてお金とは一体何なのだろうと思ってしまいました。
正直申し上げて、まだ僕にはどうお金を使っていくのか、どう世に還元していくのかがわかりません。これは唯一、僕にまだお金のフローが流れてこない原因であると自覚しています。億とまではいかなくでも、じゃあ1000万くらいなら頑張って貯めれば達成できそうですよね。はい、ではこの1000万が手元にあったら僕は一体何をするのでしょう。はい、翔樹くん、答えてください。はい、答えられません。パッと出てくるのは、500万の新車が買いたい、という願望がありますが、SO WHAT! んなの誰も得しない。どーでもいいです、車とか。
お金を稼ぐことに注力することは大切です。でも「どう稼ぐか」ということだけしか考えていないから、本当のお金持ちになれないのかもしれません。本当のお金持ちになるには、お金の使い方を勉強、もしくは使い道を熟知しなければならないかもしれません。アメリカのドラマ、Breaking Bad(ブレイキング・バッド)、ご存知でしょうか。最近見始めて、今日シーズン1を見終わったのですが、このお金の話がBreaking Badに出てくるのです。使い道です。目的です。パーパス(PURPOSE)です。物理的世界には目的が存在しなければならないのです。私たちは何故電車に乗るのですか?行き先があるからです。行き先には目的があるからです。
Breaking Badの主人公ウォルトは、高校の化学の教師です。肺がんと診断され、余命宣告とまではいかないものの、死が近づいてきていることを意識し始めます。ウォルトは、妻のお腹の中にいる我が子が使う一生分の金を、命掛けで稼ぎ始めます。化学の知識を駆使し、覚醒剤の製造販売を・・・。
マイナンバー制度
本日、法人のマイナンバー通知のお手紙が届きました。個人のものはまだ届いていませんが、日本はようやくシリアルナンバー制度を取り入れたのか、というのが率直な感想です。アメリカでは、ソーシャルセキュリティーナンバーという形で戦前から導入されていました。ソーシャルセキュリティーナンバーは、社会保障番号という位で、社会の一員として生きるために必要不可欠なものです。アメリカ以外の制度はよく知らないので、多くを語ることは出来ませんが、アメリカではソーシャルセキュリティーナンバーがないと、まず職につけません。どこの誰なのかが法的に証明されていなければ、一般的な信用以前に、社会に出ることさえ許されないのです。日本でのマイナンバー制度においては、多くの事が懸念されています。職業や年収を始めとする個人情報が関連付けられるため、特にプライバシーに関することが重点的な論点になっているようです。確かにそのような意見には一理ありますが、僕はただ単に、国民が法の「変化」に一時的に抵抗を感じているだけだと思います。前述の通り、アメリカでは当たり前の制度ですし、日本のマイナンバー制度導入意図(国民管理の効率化)からしても、「そもそも何故今まではなかったの?」とまで思ってしまうほどの、ごく当たり前で利便性に優れた制度であると思います。個人が力を持ち始めているインターネット時代です。さらに、自分を自分らしく生きるためにも、自分個人の力を再認識するためにも、肯定的に新しい制度に応じていきたいと思います。情報漏えいだけは嫌ですけどね。そこは政府のアマチュアサイバーチームになんとかしてもらいましょう。
NO ROBOT
最近は新しい案件がある度、今日のように対面での打ち合わせをするようにしています。もちろん首都圏の方に限るのですが、やはり先日も綴った通り、喩え数十分しかかからない内容の打ち合わせであっても、会ったほうが確実に良いコミュニケーションが生まれます。もう雲泥の差レベルです。あと、スカイプにて打ち合わせをする方も、メール応対だけよりは全然良いですね。やはり人間はどう考えても魂の生き物なのです。半沢直樹のお父さんが、直樹に繰り返しこう伝えるシーンがありました。「ロボットだけにはなったらあかん」と。ビジネスはコミュニケーションであり、貢献であります。人が人に貢献すること、それがビジネスです。無論、お金は信用という相対的な価値でしかありません。だからこそ、ロボットだけにはなったらアカンのです。どんなにロボットのようなお仕事をしなくてはならない仕事でも、この事を意識するだけで全然違う結果が生まれます。これもまた雲泥の差の違いです。まず、ロボットとして働いてしまうと、殺さなくても良いはずの「自分」を殺してしまう、という無意識に至ります。そうなるとどうなるかというと、自分は何でこの仕事をしているのだろう?という疑問が浮上し始めます。そしてこの疑問が浮上するとどうなるかというと、この疑問が浮上してしまった状態はもう手遅れで、鬱になり始めます。つまり、「生き詰まる」のです。この状態は、来て去る嵐と同じように、負の感覚が去るのを待つしかありません。そのような状態の時は、状況を変えても感覚は変わらず、もがけばさらに苦しくなるだけです。ここで適用すべき名言をご紹介します。確かスターリンかな、いや、チャーチルです。ウィンストン・チャーチルの名言。「If you are going through hell, keep on going!(地獄の真っ只中にいるのなら、そのまま突き進め!)」というもの。正にその通り。思いっ切り「ふざけんな!」を味わい尽くせば良いのです。ぶっちゃけた話、人生の7割以上は、失敗などの人間が定義する「あまり良くない出来事」で成り立っています。んなマイナスになったって良いんです。ネガティブになって良いのです。それが人間として生きている証です。美しいではありませんか!数日前に続く、世界は残酷、です。
書いていたら深イイ話に進んでしまいましたが、何を言いたかったかというと、やっぱり心で通じ合うことが、人間として生きる醍醐味なのではないかな、ということ。テクノロジーが発展したおかげで、利便性は急激に向上しましたが、今回挙げたハートでのコミュニケーション能力は、資本主義さることながら、年々退化し続けています。人とのお付き合い、話し合い、ハングアウトをする時は、極力人と会いましょう。愛ましょう!
クッキング
やっぱりたまにありますね。何を書いていいかわからん日。そういう時には、敢えて何も書けないと宣言します。すると何故か書けるようになる。おまじないです。そうだ、久々に料理の話でもしましょう。今まで通り自炊は続けておりまして、少しだけレパートリーが増えてきたのでアップデートです。まずは大根の葉、またはカブの葉を活用した料理をひとつ知りまして、えぇとまずはごま油を引いて、1センチ弱間隔で切った葉っぱを炒めます。葉に火が通ったら、ここで必殺技。茅乃舎だしパックを開いて、中の粉末をぶち込むのです。そこに醤油と味醂を一周して強火でガツッと炒め、水分を飛ばします。そこに白ゴマを振ったら完成。ごはんがめっちゃ進むおかずの完成です。他にも色々とあるのですが、最近特に感動したのは、至って普通な魚の煮物を学んだ時です。なんでこんなにも簡単だったのに今まで知らなかったのだろう!と思ってしまうほど、簡単で美味い。例えばスーパーでたまに出る天然のメカジキ2枚を煮物にするわけなんですが、平らな鍋に酒と醤油、砂糖を入れて沸騰させ、そこに魚をチョイチョイと敷くだけ!あとは数分おきにひっくり返して、両面に染み込むように工夫です。ひっくり返すのを繰り返していると、自然とタレにとろみが付いて来ます。ちなみにお好みでみりんも入れてもOK。これまたご飯の進むおかずの完成です!
ハイ。明日は久々にニューアコモデーションです。略してニューアコ。(ΦωΦ)フフフ… 新宿です!
いってきま~
牡蠣はBer月に喰え
なぜか明日はもう木曜日な今週です。なんかこの前もあったよね、月曜日が祝日的な週。んで今週は昨日が祝日だったわけなんだけど、1日なくなるだけでかなり週が短く感じるとは思いませんでしょうか?んま当たり前なんだけどね(笑)そんなこんなで今日はカキフライを夕食にいただきました。亡き父が良く口にしていました、BERの付く月は牡蠣が美味いと。BERとは一体何かと言いますと、英語では9月から12月まで、月の名前にBERが付くのです。9月から、September、October、November、Decemberの
順ですね。牡蠣は今が旬でございます。ちなみに数日前にノベンバーに入りましたね。サンクスギビングの月!とうとう今年もジ・エンドが見えてきてしまいました。とかはまぁまだ少し話が早いんですけど、僕の唯一の食わず嫌いが生牡蠣であります。実は一度取引先の方と一緒に某水産系企業を訪問するため、築地市場に出向いたことがありました。取引先と言っても、僕的にはフィーリングが凄く合うし、気軽に話せるので一種の友達みたいな方(Mr.O)なのですが、打ち合わせの帰り際、彼になんと生牡蠣を食わされるというハプニングが!笑 要は市場内を通って帰るので、「じゃあ平山さん、ちょっと海鮮でも摘んでから帰りましょうか〜」みたいな感じになったのは良いんですが、一番最初に通った路地に生牡蠣専門店みたいなところがあって・・・汗笑
Mr.O「平山さん、生牡蠣いける?」
しょうき「え、あの、あ、まぁ、はい、えっとー、まぁ食べたことはあの」
Mr.O 僕に耳を傾ける気配も見せず魚屋のオッサンにピースサインをしながら「2つ」と言って、お金を渡す
しょうき「・・・」
いやね、この後僕はしっかり食べましたけど、ほぼ丸飲みwww Mr.Oみたいな先輩に強制されなかったら絶対食わんかったわ!!
カキフライは好きなんですけどね〜。不思議ですね〜
Whatever arises, love it!
今月こそは毎日書く!日々の生活で何があろうと、エブリデイブログポスト!を静かに熱く誓いました。今日は終日クレーム対応。マジで1日潰れました。人生何が起こるかわからないってこのことよ。予定は未定。結果はオーライだったんですけどね。今回のクレームはデータベース関連、と思ったら、エンドユーザーブラウザのクッキーとセッションが最終的な原因。クレーム対応とかクレームの詳細は別として、クレーム対応の時の本気をいつも出せよって思いました。なぜならば、クライアントが悲鳴を上げていれば、こちらも身を削って事に取り組まなければなりません。こんな時には、自分の現実逃避的な思考や言動を追っている(ようつべとかニュースね笑)暇は全く無いので、脳を120%回転させ、1on1で事と直面する必要があります。そうするとどうなるかというと、極限にまで自分の思考回路が強制的に回るようになるのです。ぶっちゃけた話、クレーム奪回の作業をしている時は、マジで人生やめたくなります。他にやることあるし、悪意があって問題が発生してわけではないのに、クライアントは容赦なく人を人とも思わないような態度を取って迫ってきます。でも逃げ場はどこにもないのです。対応しなければ信頼を失うどうこうの前に、クライアントへのソリューション提供が、事業主の掲げるプライオリティNo.1事項なのです。結局、というかもちろん問題は解決したのですが、私個人には、相手は納得しているようには映りませんでした。しょうがないです。ビジネスは打率10割が当たり前の世界。1ミスれば、それ以前に積み上げた15がなくなるとも言われています。恐ろしい事実です。そう。世界は残酷・byミカサ。でも美しい!!生きれば色々な体験があるんです。Whatever arises, love it.(何が目の前に現れようと、それを愛せ)
会う力
今日は数カ月ぶりに電車に乗り、新規案件の打ち合わせに行って参りました。対面での打ち合わせも、同じく数カ月ぶりです。しかし人と会って話すのはやはり良いですね。人間、言葉を通じたやり取りは、コミュニケーション全体の10%にも達さないということも証明されているように、やはり人間は会ってなんぼなんです。メールとかLINEは特にダメ。実用性のある情報のやり取りのみ、メールかLINEです。電話はテキストよりはまだマシですが、結局は音声です。ビデオ通話は、唯一良いのではないかと、僕は実は思っておりまして、結局は音声と映像なのですが、表情が分かることは大きいのです。でも実際に会えば、表情以上に「フィーリング」であったり、魂と魂のコミュニケーションであったりと、全ての機微がコミュニケーション材料になります。それこそ真のコミュニケーションであります。ビジネスミーティングに関わらず、人と会うことは、良いですね。寒くなってきましたが、明日からまた一週間、頑張りましょう。