寒くなってきました。フリース出しました。ホットカーペットはONです。温風ヒーターもONです。明日は多分灯油タンク2本でも買いに行くかな。
それはさておき!昨日の件ですが… どうにもこうにも全てが頭から離れません!いや、今これ書きながらめっちゃあくびが出た。なんて言うのかな、人間関係、特に親密な関係性って、ただ親密な関係になれればいいだけじゃない。これを履き違えるからおかしな結末がやってくる。本当に本当の親密な関係は、場所問わず状況問わず、変化しないのです。というか、変化すべきではないのです。例えば、親密な関係にある二人が、二人でいる時だけ心を開ける仲にあるとします。なのにも関わらず、そこに他者が介入すると、その親密感を隠すかのように別人と化してしまう場合、それは本当に親密な関係とは言えないと僕は思うんです。
なぜ他者が介入すると親密感を隠す必要があるのでしょうか?
親密感を他者に見せたくないのだと思います。親密感を他者に見せることを恐れているのです。これは残念ながら日本人特有の感覚であり、欧米諸国などではあまり見られません。なぜ親密感を他者に見せることを恐れるのか。それは、親密感に対して執着しすぎてそれが自我と同一化してしまっているため、親密感を他人に見せることイコール、自分の懐を見せると同じになるからです。
つまりその人にとって、自分が誰かと親密な関係になっていることは、一番隠したいことなのでしょう。
この隠れたがりな状態は、自分の意志までをも閉ざしてしまう力を持っています。自分がその瞬間に本当にやりたいことが、自分が今一番やってはいけないと思うことに変わってしまうのです。
この状態はマジでヤバいです。これから先もしその人と長いお付き合いをしていくのであれば、やはりお互いに、いつでも自分の感情に正直に生きれるようになっておきたいと思うのです。
なぜならば、相互の気持ちで成り立つ親密な関係ですから、相方が周りを気にして自分の感情に正直に生きれないとするのであれば、もう片方が感情に正直に行動した場合、すれ違いが起こります。「こっちはいつだってこうしたい」と願うことが、相方が無駄に気にしている他人のせいで、叶わなくなってしまうのです。
この状態をよく見ると、その制限されている方の人は、自分の感情に正直でないどころか、パートナーを思いやる気持ちよりも、自分の意志よりも、他人にどう思われるかの方が重要と感じているのです。これがNG。
そりゃそうです。自分の感情を抑え込み、他人にどう思われるかを優先して、自分の意志を閉ざす。この状態でふたりで先に進める訳がない。うちら二人だけの親密な関係性なのに、なぜそこに他人が介入する必要があるのか。なぜ他人にどう思われるかという概念に制限される必要があるのか。
他人を気にする必要はありません。ゼロです。これは自己中心的になれと言っているのではありません。自分に正直に生きろと言っているのです。
家なき子ですよ。「同情するなら金をくれ」という名台詞。他人を気にするイコール同情です。同情するなら、金をやるべきです。同情するなら、なぜ同情しているのかを考えて、それを解決できるよう、その人に自分を差し伸べるべきです。それが出来ないのであれば、あなたの同情こそ、あなたがその人にできる一番卑劣なことです。与えないのに与える素振りを見せる。酷いとは思いませんか。
あなたが思う一番の思いやり(人を傷つけないようにすること)こそ、結果一番人を傷つけることとなるからです。
とにか〜く!おれは自分に正直に生きる。無理なものは無理!好きなものは好き!したいことはするし、したくないことはしない!