さくらと言ったらウグイスです。聞きました。今日。公園で。ウグイス。ホーホケキョ。かなり連発してましたw しかし和菓子屋の孫として生まれた僕は、やはりこのシーズン、和菓子を食べずにはいられません。さくらもちとウグイスもち。最高です。さくらもち、実は2種類あるってご存知ですか。生地にあんこをくるんだタイプと、道明寺餅(写真左)の2種類です。僕のおじいちゃんは通常のさくらもちしか作っておらず、道明寺餅は実は帰国後に知ったのですが、皮肉なことに道明寺餅が僕のFavoriteなのです!道明寺作っててくれよーってぶっちゃけ思いました。何故作っていなかったかは謎です。それにしてもこのさくらもち、皆様さくらの葉は食べる派ですか?取る派ですか?取る派の方、出直してくださいw あの塩分を含んだ葉とあんこが絶妙なハーモニーを生み出すのではありませんか!あーこんな事を考えていたらリアルに和菓子が食べたくなってきました。もしかしたら明日の昼にでもちょちょいと和菓子屋ドライブに出掛けてしまうかもしれません。ちなみにこの我孫子の地から最寄りで我が家が唯一認めた和菓子屋は、龍ケ崎市にある国華堂というお店です。かりんとう饅頭とどら焼きもオススメですね。ちなみにこの国華堂、あの鈴木奈々ちゃんのサインが飾ってありましたw そういえば鈴木奈々さん、龍ケ崎出身だそうですw 茨城の宝や!マジでウケちゃいますね。ということで和菓子が本当に食べたくなってしまったところで失礼します。
カテゴリー: ブログ
歯を磨く感覚で行っている毎日のジャーナリングです。その日に何を考えて生きてたかが主な内容ですが、出来事や気分も綴っています。
さくら
今日から1週間前にインフルエンザに感染しました。潜伏期間は約1週間らしいので、本日でようやくウィルス全退治というところでしょうか。今日は月曜日ですし、4月になりましたし、気を取り直して人生取り掛かりたいと思います。このブログ執筆も一緒にね!ったく人生本当に大丈夫かって気がしてきますが、どうにもこうにも生きなければなりません。文句を言うのはタダ。死ぬのはダメ。ただそれだけです。それにしてインフルエンザで寝込んで、復活した頃には外がもうそれは別世界、そう、春が来たのであります。公園の桜は満開。今日は夕方から風が冷たくなってきましたが、あの薄ピンクの桜、やはり日本人の心になにか語りかけてくるのでしょうか、心が和みます。卒業シーズンはもう終わってしまいましたが、さくらのシーズンは正に今ということで、森山直太朗のさくらを久々に弾いてみました。2003年リリースの曲ですから、10年以上経っているものの、比較的新しい曲なのですが、さすが森山良子の息子だけあって、いつ聴いても古くなりません。完成度が高過ぎるのです。他にもケツメイシのさくらとか、いいですね。あとはガチ日本民謡のさくらも好きです。やっぱり日本人はなんだかんださくらなんですね。さくら国家ですよ。さくらバンザイ!
インフレ
インフルエンザやりました。月曜日、病院から戻った午後から本日昼まで、寝込んでました。今も関節・筋肉痛がありますが、やっとデスクに座れるくらいに復活してきました。インフルエンザ、言うのは簡単だけど、実際にやると、そりゃ地獄ですね。辛かった。とりあえず復帰目前の投稿です。
誰でも長く生きたい
やべぇやべぇ。記事アップが出来ておりませんでした。いやしかしここ最近は本当に命と健康の大切さに気付かされる事や、その他気付きを伴う出来事が多々起きております。まず僕の鼻炎と逆食から始まり、今度は母由紀子のインフルエンザに、ハルトの発熱です。人間、どんなに良心的に生きていようと、病からは逃れることが出来ないのですね。さらに人生何を成し遂げようと、体調が良くなかったらやっぱりダメなんです。実は今日、僕の逆食の症状が収まらないので、我孫子市役所の隣にある名戸ヶ谷あびこ病院に行ってきたんです。名戸ヶ谷あびこ病院は昔は東邦病院だったのですが、ここ最近リニューアルオープン。施設も綺麗で、僕の病院エクスペリエンスの中では良好な方でした。それよりも何よりも、自分の体調が本当に悪くなるまで、人は病院なんていらねーなんて言うんですね。人って僕のことです。僕は昔から病院嫌い薬嫌い。薬局嫌いでした。でもそれは僕自身がそこまで致命的な体調不良に陥ったことがないからで、これと言った理由なしに、嫌いと言ってきたのです。おそらく10歳の時になくした爺ちゃんが入院した時の思い出が、悪影響だったのかもしれません。病院なんてロクなもんじゃねーと。今日は久々に病院に行って、血液検査・心電図検査など色々としてもらって、結果全く異常なしで、月曜日に胃カメラを飲むことになったのですが、こう思ったんです、人間は誰でも健康で在りたいと思うんだなって。人間は誰でも長く生きたいって思うんだなって!これからは散歩から帰ったら手洗いうがい、消毒、そして部屋には加湿器を設置などなど。しっかりと健康に気をつけるようにしたいと思えるようになりました。僕は変わりました。
RIP Tetsuo
同じビーグルを飼っている友達、ミネキさんから連絡がありました。14歳、4月で15歳を迎えようとしていたビーグルのテツオが、今日の昼、お亡くなりになられたのだと。あと数年はいけるんじゃないかと僕は思っていたのですが、案の定の本日逝かれたそうです。死。それは生命を司る生き物は、誰として逃れられたことのない絶対的なエンディングです。死は悲しいと捉えられがちですが、ある国では、死は生無しにはありえないことであるため、死と生は同義とされ、死を盛大に祝賀する、という文化があると聞いたことがあります。そして僕も何回か述べたことがありますが、自分以外の死は、残された生命にとって、人生の分岐点となる可能性を秘めています。今夜は黙祷です。Rest In Peaceテツオ。
「僕の東京」
未来は過去のレプリカであり、過去も未来のレプリカであるらしいです、今に生きない限り。それが真実かどうかは別として、やはり好き嫌いはかなり過去に左右されているものだと思います。たまに聞きますよね、女の人が好む男性はその子の父親に似てるとか、男なら母親とか。今日は連休明けそうそう都内へと出向きまして、六本木一丁目駅下車の、地図上の赤坂一丁目にある赤坂アークヒルズのアーク森ビルに行ってきました。少し歩けば溜池山王駅に届く場所なのですが、この溜池山王近辺、僕にとって想い出深い場所なのですが、どうも溜池山王近辺、2006年来久々に訪れましたけど、最高ですね!観光やクラブ、そして六本木ヒルズなどの繁華街から離れた「六本木」で邪念が少なく、国会議事堂方面ということもあり、磁場が洗練されているので本当に美しい街なのですが、それ以上に、自分の中ではやはり特別な場所。でも今日、ああそう言えば自分って溜池山王近辺も好きだったなぁって改めて思ったら、別に本当に好きかどうかは別として、あることに気付いたのです。つまり上野〜有楽町近辺もそうですけど、ただ単に自分が過去にお世話になった場所が好きなだけ、ただそれだけなんではないかということ。上野〜有楽町、新橋も小さい頃に親父に連れ回された場所。赤坂〜六本木も親父に連れ回された場所。広尾麻布は生まれた場所。秋葉原〜御茶ノ水、恵比寿は自分が塾で通っていた場所。鹿浜は育った場所。ご縁のあった都内の箇所が自然と自分の「東京」となっていたのです。面白いですよね〜。要するに想い出のある場所に行くと過去のメモリーとリンクして、その場所が一段とビビッド、つまり鮮明に見えたり、過去の感情が蘇ったりして、余計「好き」だったり、特別に感じてしまうのでしょう。この気付きには我ながら驚いた。人間って面白いねー。
BBQしました
春の3連休。月曜日の今日は、親戚揃って近くの河川敷でBBQ大会がありました。叔母さんも叔父さんも、イトコ共も、ずーっと昔から知っていますが、この2016年になった今も繋がりがあると、リアルに不思議に感じてきます。まぁ普通なんですけどね。僕の何度も言う、いわゆる別の人生で再会しているような感覚になるのです。それにしても、みんな大人になりました。アラトゥウェ(アラウンドトゥエンティ(20))に来てる奴らは、さすがにその歳にもなると大人としての個性が現れてくる頃で、昔の奴らとはまた違った何かが見え出すのです。物の見方であったり、話し方であったり。その変化が著しくて、一応兄貴である僕もビックリするどころか、想定外なことも多くて、大いに笑わせていただきましたw マジでみんなユニークで最高。そろそろ全員ハタチ超えになるので、みんなどう羽ばたいていくのか、非常に楽しみです。
しかし久々のBBQは楽しかったです!陽に当たって食べるご飯って何故か普段より数段美味しいし、みんなと野球したりサッカーしたり、身体を動かすのも最高でした!土日も全く休日らしくない土日を過ごしているので、今日は僕にとって、ザ・休日でございました。感謝申し上げます。充電完了です。明日からまた頑張れます!いざ世間の年度末の大詰めタイムへ!(3月末も何気にバタバタな世間なのです)
エネルギー漏洩の原因
身体のエラーは心のエラー!先ほど、やっとの思いで、ここ最近の不具合の原因を突き止めました。僕の弟であるヒロキに対する思考及び感情、が大の原因という結論です。まずヒロキは、おととい、つまり木曜日に専門大学生を終了しました。彼は声優・俳優志望で、2年間、専門学校に通いました。そしてこれは僕だけが思っていることなのかもしれませんが、声優・俳優を職業として成り立たせるには、狭き門をくぐらないくてはなりません。僕的には、狭いも良いところで、狭過ぎな門レベルの門です。なものですから、心配になるわけです。専門学校を終えて、どのような道を歩むようになるのかと。そしてこの卒業シーズンに、気付けば僕はする必要のないことをするようになっていました。それが、他人の問題への介入です。これが結果かなりのエネルギー漏洩をもたらし、体調不良に繋がったという見解なのですが、まぁ他人の問題への介入は、無駄以上の何事でもありません。弟にも、いつしか親のごとく、執着心が湧いていたのでしょう。彼の進路について僕まで気を配るようになってしまったのです。しかしよく考えれば、この執着心から出力される思考は、弟にしか思われないことです。つまり弟がたまに家に連れてくる同級生も、進路が危ういという観点からすれば、立場的には同じなのにも関わらず、彼らには何とも思わない。でも弟には思う。これはおかしいのです。これはいわゆるアタッチメントと呼ばれるもので、自分と他人が同一となってしまい、結果しなくてもいい他人の問題への介入に繋がるのです。そして他人の問題に介入するとどうなるか。波長がブレて、腐り始めるんです。ヒロキは弟だけれども、一人の人間であり、僕のものでもなんでもありません。彼には彼の人生があるのです。僕の仕事は、彼を100%信頼し、自分ができる範囲のことであれば、協力することです。僕はもう彼の兄でも親父でもなくなる、ということですね。
お金は錯覚を創る
日本国に住む私たちは、一応資本主義社会に住んでいるということで、生活のためのお金が必要です。お金が好きだろうと嫌いだろうと、資本主義を望もうと拒もうと、お金はつきまとってきます。それは置いといて、今度は大半の人々が望むことに、お金持ちになるということがありますが、どうもお金持ちになることが幸せに繋がるのだと勘違いしているようです。そして正直申し上げますと、僕もその勘違いしているひとりでした。幸せになれる、というのは言い過ぎかもしれませんが、まぁ稼げたらちょっと満たされるのかなぁ、みたいな期待はありました。しかし期待は裏切られるためにあります。案の定、稼いだところで、これっぽっちの意識的変化が見られないのです。リアルに。これはヤバいなと。ずっと信じ続けてきたものが、どうも真実ではないよう。いえ、もちろん真実ではないことはわかっていました。それにしても、本当に本当とはね。そして物理的に認識出来るもの全てが、これに当てはまることも真に理解できました。だからエックハルトは耳にタコが出来るくらい繰り返しているんです。自分以外の外的要因に満たされることは不可能だと。でも人間面白くてですね、実際にこういう風に綴ったところで、忘れた頃にはまた同じパターンが繰り返されるのです。ですので気をつけなければ。今週も一週間お疲れ様でした。
呼吸
ようやくようやく体調が復活してきました。本当に健康第一です。何を成し遂げようと、身体が優れてなくてはどうしようもありませんから。しっかりと鼻から呼吸して生きたいと思います。呼吸というキーワードが挙がったところで、呼吸の話でもしましょう。呼吸、この地球上に存在する全ての生命は何らかの形で呼吸をしています。呼吸なしで生命はなく、生命なくして呼吸はありません。この呼吸ですが、現代に生きる人々の中では、ごくわずかしか意識をしなくなってしまいました。と言いいますのは、呼吸は無意識でも自動的に行われる動作でありながらも、意識的、つまり意図的にもコントロールすることが可能な唯一の動作でございますが、この事実にやはりヒントが隠されているのです。呼吸を制するものは全てを制する、そういうことです。先人たちは、この大切さを理解していました。禅や仏教を始めとする私たちのルーツには、この呼吸の大切さが第一と伝えているのです。では何故現代社会では、呼吸を疎かにしてしまったのでしょうか。何回も述べたことがあるかもしれませんが、思考は人間が使うものではなく、人間が思考に使われてしまうようになってしまったことから、さらにこの呼吸への意識低下を招いたのです。呼吸なしに生命なし。ということは、呼吸なしに思考なしです。どちらが大切か。呼吸です。お前これからどうやって食ってくんだ。よく聞く言葉ですが、食うことも呼吸なしにありえませんので、食うより呼吸です。まぁ言いたいこと分かってもらえたでしょう。とにかく呼吸第一なんです!そして呼吸を意識すればするほど、呼吸は深くなる。呼吸が浅ければ浅いほど、身体にエラーが起きやすくなる。現代病は、おそらく全て「呼吸が浅すぎ病」かもしれません。