2020/9/16

天からの仕え事

人生不思議なもので、なんだかよくわからないけど頭が冴えない日がたまに訪れるものです。今日はそんな日だったような。いや、こう書いてみると別にそうではない気がしてきた。ワーカホリック発症なだけかもしれない。というか朝庭の草むしりをしていて、蚊に刺されたあたりから1日が面倒になり始めた?(笑) 僕もようわかりませんが、今日は久々に新しいお仕事が決まり、久々にZoomでクライアントミーティング。クライアントと言ってもLAの友人のパパなのですが。いつこうご縁があるかはわかりません。

ただ本件、面白い発見、というか実験?をしてみた案件なのです。もしです。あなたの稼ぎは、働いた分だけ収入があるのではなく、あなたの今のヴァイブレーション相応の、つまり意識状態が許す収入となる、という宇宙の法則があるとしたらどうでしょうか。もちろん働いた分だけ収益になるというのは間違っていないと思いますが、自身の定義する価値は普遍であり、それらに基づき収入が決まるのではないか、と思ったのです。この宇宙の法則が本当に適用されるのか否か、自分で試して実証してみたかったのです。

具体的な数値の公表は控えるものの、僕の会社はここ半年間ほど、毎月ほぼ同じ額の売上を達成していました。僕の会社は営業会社ではないため、仕事を得る手法は様々というか、来たものを拒まず対応するのみ、つまり天から任された仕事のみで回しているのです。紹介、知り合い、またはSEO対策の一切なされていない僕の会社をWebでたまたま知った人の3パターンしかないのです。仕事発注サイトでの受注提案などは一切していません。

そんな中僕の会社は珍しくも(2,3年に一度訪れるのですが)、来月から先の仕事が一切決まっていませんでした。この忙しい時期と、暇、と言ったら失礼ですが、ちょっとスローペースな時期の差が激しく、忙しい時期は半年先まで受注ストップ!のような時もあれば、今みたいに、ヤベェ仕事ねぇ!みたいな時期もあるわけです。

しかし今回の場合、実験的に「ヤベェ仕事ねぇ!」と思わないでみようと思ったのです。そう思って焦ったところで何も変わらないし、仕事が舞い込んでくる訳でもない。敢えて落ち着いて今進行中の仕事を淡々と進めたり、ブレイクスルーの記事を書いたり、家の断捨離、庭の手入れでもかましたろうとか、普段というか今までの精神的な癖を意識的に捨て(無駄な抵抗の断捨離か!)、お金だけでなく、仕事、人生の流れは天に任せよう。自分でどうにかできるものではない。そうスイッチを切り替えていました。

売上の数値の話に話を戻します。そう、だから我がバスティル株式会社は、ボク個人がこれだけの収益を上げたいと思い、努力した上で毎月の数字を達成している訳ではないので、これは僕がどうにかできるものではないという事は、火を見るよりも明らかでありました。そんな中新しいお仕事のお話が舞い込んで来ました。なんでこの人からこのタイミングで?理解不能!というような感じはいつも同じで、常々天からの仕え事をいただいているのです。そして10月の確定売上があまりにも少なかったので、最近の平均からその確定金額を差し引き、マジでテキトーに「この金額がお見積りになります!」と提示したら、すんなり通った。というお話でした。無論、そのレベルのお仕事でありましたがね… フフフ

面白いですね〜。人生。

2020/9/14

生き方のお話

2020年9月14日。昨日は死んだ親父の誕生日でした。僕は今31歳ですが、最近のぼくはと言いますと、完全OFFに近い状態の感覚で日々を過ごしています。近い状態と敢えて言うのは、何もしたくないバケーションモードの完全OFFのそれとは類の違う完全OFFなのです。私たちの身近なツールに喩えてみると、スマートフォンの中には沢山のアプリがあるかと思うのですが、このアプリがすべて起動していなく、ただスマートフォンが起動している状態のような感じです。電源は入ってます。フルチャージです。自分が最高の精密機器であることは自覚しています。でも肝心のアプリが起動していないのです。アプリなくしてスマートフォンの利便性や可能性は語れないですよね。でも今はアプリを起動する気分にもならない。どんなアプリでも起動できると知っています。敢えてアプリを起動していないと言ったらいいでしょうか。逆にスマートフォン周りの片付け(断捨離)や、オレは一体どんなアプリを起動したいんだ?なんて考えながら、このスマートフォン(自分自身)の使い方ないし活用方法を考えている感じです。

失礼、アプリという言葉を使うと少し語弊があるので説明し直します。言い換えると、オレとは一体全体なんなんだ?!というテーマに、自分の行動を外に向けるのではなく、自己の内面に意識を向け、そもそもお前はこの人生で一体全体何がしたいんねん?(どんなアプリを起動したいんねん?)って自問しているわけです。

答えは簡単に出てくるものではありません。簡単に出てきてもらっても困りますし、でもそろそろ答えに辿り着きそうな兆しも感じもしています。

ではこの自己探求の道のりを進む中で、何をすべきかというと、これは夏の大鹿の滞在時にインスピレーションをもらっていました。無意識を無くす、すべてを説明できるようにする、自分の世界を作る、の3つでした。これら3つのインスピレーションは、大鹿の山奥に住むイギリス人のティムを通じてもらったものです。彼は僕の1つ下で1990年生。5年ほど前にイギリスから大鹿に移住して来た面白いやつで、彼とは去年の春に繋がりました。その彼の生き様なのか方針なのかはわからないのですが、マジで自分の世界を創り上げているのです。無論僕のファミリーの大鹿チームも世界を創り上げていますが、ティムの場合は彼のイメージする世界が鮮明すぎて、それをタバコを交えながら熱心に語ってくれるのですが、我々都会人のもつ人生、いや幸せの定義から正反対の理想を掲げて生きているのです。無論、大鹿村という標高1,200mの山奥に住むレベルであれば、そのような理想、そして生きることへ対する熱意を持って生きているであろうことは僕もある程度は予測してはいたものの、今回始めてティムと多くを語ることが出来て初めて、彼のその熱意の熱さ、生きること、そして共同創造への覚悟、そして死へ向かうまでのジャーニーを考える様を知ることできました。すべてがショッキングな内容だったのです。

これを機に、私平山翔樹は岐路に立つこととなったのです。これは仕事やお金云々の話ではなく、お前の創りたい世界はなんなんだ?!という大きな張り紙のある岐路です。ティムの生き様からしたら、オレの生き様はなんて生ぬるいんだ。そう感じました。

お前の求めていたものはそれだけか?いや、お前は何を求めているかさえも分かっていないな?お前は何がしたいんだ?

そんな声が聞こえたのです。そのためには少しでもティムを見習い、お寺の修行と言わんばかりに、まずは形から入ったろう。そう思いました。僕がWeb制作会社を営み、どれだけの技術と経験と感性を兼ね備え、どんな大きな会社と取引できようと関係ないのです。そんな浅はかな、他人が定義できるようなレベルの話ではないのです。生き方のお話なのです。

翔樹よ、お前はどう生きどんな世界を創りたいんだ?

2020/9/10

背中を押される

Twitterを一時期熱心に更新していた時期があったのですが、最近は、自分が発信すべき内容を見直すという名目で、一旦は頻繁なツイートは控えています。ただこのツイッターというプラットフォームを通じて、自分はどのように人類に貢献できるのであろうか、ということをまだまだ考えている最中です。

そんな中、たま〜にTwitterは開くのですが、本日久々に開いてみると僕のこのブログで昔投稿した記事をどなたかが見つけ、なんとその記事を引用ツイートしてくれていたのです。まぁこれはツイッターの歴史上初の出来事だと思われます。Shoki.jpの記事が紹介された!というね。https://www.shoki.jp/balance-and-permanance/

もちろん自分の書いた記事を引用までしてくれて、インスピレーションを受けたというツイートは嬉しかったのですが、やはり私の方向性はこの方面にあるのではないかと。テックとか英語とかもやりたいんだけど、やっぱりインスピレーション(ライフ・レッスン)系のメッセージ発信に趣きを感じるわけです。

自分の書いたコンテンツが誰かの人生に少しでも良い変化を与えた。その歓びの一角を味わったような、そんな朝でした。そしてその人のフィードバックに背中を押され、さらに僕はその方向性に確信を持つのでありました。

2020/7/2

自分が納得行くまで

今は2020年の7月2日。木曜日。長かった一つのWebプロジェクトが、今週末で完了、納品となります。その翌週には別プロジェクトの納品があり、並行しているプロジェクトも数件、新しい仕事の話も数件。貯金は今までの人生で一番ある。でも全然楽しくない。

人生に文句がない。それがつまらなさすぎる。と書いて気づいたが、この甘ったるいというかなんというか、新しいことにチャレンジせず、今までに積み上げてきた技術と信頼に胡座をかき(もちろんクライアントワークは全力を尽くしていますが)、わかりました、事が問題なく進むことはデフォルトになったようなのですが、新しい挑戦に怖がる自分に嫌気が指してきているのです。だから人生に文句はない。自分には文句があるわけです。

ゲーム・オブ・スローンズのシーズン2、7話を見終わったばかりなのですが、どうも僕のエゴを見ている気分になるのです。名声を博したい。自分の王国を制したい。そんな欲望なのか、自分への怒りなのかが、浮上してきます。馬の骨と同義である今の自分を認められないようなのです。

ということは何なのかというと、何を僕が企もうと、それは企みであり、その行動そのものではなく、その行動の先にあるものを求めていることが伺える訳です。我ながらお恥ずかしい事実であります。

ただ、少しずつですが出口は見えてきたような気がしているのです。暗い洞窟の中で迷走している訳ですから、気分が良くないのは当たり前かもしれません。しかしこの暗い洞窟に出口があるのかさえ、わからないと言えばわかりません。

今日の記事の目的は、自分の内面を文章化することにあります。そうすることで自己との切り離しを試みる。そんなところです。

もう少し汚れを絞り出してみます。そもそも自分の納得を外的要因に委ねているのがおかしいのではないか。例えば、自分の今の望みを書き出してみると、もっと自分を知ってもらいたいのです。世界にです。そしてこんな変な人間、そして変な物語を持った人間も元気に生きているのだ、と世界に伝えたいのです。そして色々な境遇を越えてその境地にたどり着いた人々に、どんなストーリーを歩み、どんなライフレッスンがあったのかを聞いて回りたいのです。

そしてその一つの数え切れないストーリーが、数え切れない人々にインスピレーションを与え、この美しい地球を皆で共有できるような世界に変えたいのです。

そのためにはまずはある程度のフォロワーが必要なのです。そのために何をすべきなのか、マジで考えているのですが、まずは自分が見本にならなければならないのです。自分が最初のモニターであり客であり、フォロワーであったら、オレは翔樹の何が見たいのか。これに納得が行くまで、模索し続けていきます。

もっと書けるけどダルいんで落ちます。

2020/6/27

井上功大

ここ最近の僕の人生で一番の不思議が彼とのコラボレーションです。彼は今はプロフェッショナルカメラマンとして活動しており、僕の手掛けるサイトの写真や、僕のプロフィール写真を依頼したりなど、今では必要不可欠となった僕の人生における唯一のカメラマンです(中目黒の萱野さん覚えていますか)。

彼は僕がロサンゼルスに住んでいた頃の高校の同級生で、同じ日本生まれの日本人として、外国の地で共に闘った盟友(聞こえは偉そう)であります笑

彼は生後間もなく親の仕事の関係でアメリカに移住したらしく、僕よりも断然アメリカ歴が長いのですが(僕は7年彼は23年)、どうしても日本語で僕と会話したいらしく、高校時代も今も、ほぼほぼ彼の英会話を聞いたことがありません。

まあそんなことはどうでも良いのですが、功大と将来一緒に仕事をすることとなるとは、お互いこれっぽっちも想定していなかったことでしょう。

彼のような変人と、この最強になりつつある翔樹のこれからの人生でコラボしていける事実は、改めて凄い幸運なことだなとただただ思うわけです。

彼と居て感じたことは「目に見えなく、かつ複雑で重要な、価値と意味を創造し、世の中に我々の爪痕を残していきたいという願望なのか価値観なのか、そのセロハンほど薄くかつ重く、計り知れない熱を帯びた思い」が我々の共通点であり、それ以外は全くもって真逆の人間であるということ。

思考回路も異なっているし、窓(視界)から見える景色の着眼点も全く別。ただ、上記の思いが共有しているため、ところどころで意味不明な共通点が存在しているという、当事者である自分も異色にしか感じられない二人なのである。

彼に撮ってもらった2019年翔樹の写真集はこちら

んでヤツのサイトは沖縄のカメラマン

2020/6/17

人生のテーマ

なつかしいなぁ〜ブログを毎日書いてた日々。3日連続でブログ書くの何年ぶりだろうってくらい思っていますが、2014〜2015年くらいかな、毎日ブログを書いていた時期があったんです。でも当時ってただ日記を書くだけで、自分の中での方向性というか、人生のテーマがそこまで決まっていなかった。もちろん、毎日書いていたので、書くそのものの行為は上達しましたし、自分が書くことが好きであるということも知ることができました。要はこのブログ立ち上げから2016年半ば頃まで熱心に何の目的もなく日々思ったこと感じたことを綴ってきたのです。

そして2016年半ば、ジェイとの出会いを境に、一旦このブログから距離を置くことになります。ジェイと出会ったのは2016年の7月ですから、もうすぐで4年ですね。4年もの間、言い方は変ですが、自分の表現?というか自分の内面の整理?要するにアウトプットをしない訳ですから、インプットもままならない訳です。どんな形であれです。

しかし決して自分の探求をないがしろにしていたわけではありません。その時その時に自分の正しいと思ったことを実施し、経験から学ぶスタイルは変わらず貫いていました。そして地獄も見ました。一度地獄に足を突っ込むと、この他愛のない日常がヘブンでしかなく感じるとか、色々と人生という体験への見方も変わりました。

3日目ということで執筆のエンジンもかかってきました。多分この家に引っ越してきてからここまで会社のブログ以外で書いたことは無いレベルかもしれません。ジャーナル以外の記事創作のアイディアを練り始めるとします。色々な人から影響を受け、会ったこともない人に恋をし、人生のテーマが決まってきました。

2020/6/15

その足していく1(イチ)

何故人は(というか俺は(爆))近道をしたくなるのでしょう。近道をしようとして10年間、結局どこにも進まずwww やっと目の前のその一歩が全てであることに気づき、進めるような気がしてきました。

しかしそれに気づけたのは幸いですが、逆に言えばもう夢を見ることは出来なくなってしまったため、かなりキチィ茨の海(shoutout to Chihiro Onitsuka)を歩み始める羽目となりました。要は昔は今より将来のほうが大切だったんです。俺は将来こうなってやる。俺は将来BIGになってやる。俺は絶対…などなど、多数のデイドリームをビリーブするデイ・ドリーム・ビリーバーだったのですが、その叶わないかつ見るのが楽しい夢をもう見ることが出来なくなってしまったのです。これは大問題、というか、致命的です。この「今」という誰もが逃れられない空間(生きている限り続く)と真っ向勝負しなければならなくなってしまったのです。

となると真っ先に浮上する試練が、自分の今の状態を認めざるを得ないということです。どういう事かと言うと、自分が何を今まで達成していようと、何を達成していなかろうと、おそかれはやかれ、今の自分は今の自分なので、そこに少しでもいいから、今生授かった人間という体験をより良くするための成長を、少しでもいいから日々足していかなければならないということです。

昔はその足していく1(イチ)が小さく見えすぎて、その1の意味が理解できなすぎて、足すそのものの行為ができない。でも最近、その1しか足せないのがやっとわかって、その1の大切さがやっとわかって、今まで見ないふりしてた自分にやっと足していけるようになったんです。

でももちろん、無意識に足してきた1はたくさんあるのはわかっています(それ無くして今の僕はいないですから)。でもそれを意識的にして、さらに意識的にその一歩を踏み込んで行かないと、自分の残したい足跡が残せるようにならないし、更には自分が本当に見たい景色が見れないんだなってわかったんです。

2020/3/8

大阪遠征 JAN 2020

2020年の活動は大阪出張からスタートしました。大阪に本社を構えるオーケー化成株式会社様を訪問するため、遥々千葉から大阪まで遠征です。オーケー化成様のアメリカ支部であるOK COLOR AMERICAという子会社があり(所在地が奇遇にも僕の住んでいたTorrance, CA)、そのサイト制作の打ち合わせです。

ネットで会議など出来てしまうこのご時世、出張はあまり多くはないのですが、この度、THE 出張というで大阪、行ってきました。この出張に合わせてカメラを5DからRに変えたこともあり、写真や映像を残していきたいなぁと思ったわけです。大阪は人生2度目で、せっかくの遠征で日帰りはきついし勿体ないということで、道頓堀付近で一泊しました。

ちなみに行きは飛行機、帰りは新幹線という選択。人生で何百回と飛行機に乗っているのにも関わらず、なんと30歳にして初の国内線!さらに夢にまで見た羽田−伊丹であります(飛行時間が40分だったのは大分草)。動画多めで撮影した遠征だったので写真は少ないのですが、撮った写真をどんどんポストして消化していかなければならないので、ようやく溜めに溜めた写真をアップです。

行きの飛行機座席から。もちろんDNAに記録されているJALで。プラン名は忘れましたが気持ち広めの席でした。
戎橋からの一枚。あれ戎橋だっけ?うん、橋の上から。
十八番というたこ焼き屋で食べた後に、十八番の兄ちゃんに勧められたたこ焼き屋。結局食べれず。1泊しかしないんだからたこ焼きばっか食ってられんてことで!
DOTON CRUISE
光が反射して非常にクールな絵
一応撮った。
デザインは好きよ。磯丸水産。デザインはね。
千日前!地理マニアからするとやっぱり大阪の地名が面白すぎる。Thousand days before? You mean three years ago? lol
花より団子のおれには胃袋が足りなさすぎた。
夜の難波を散策。このレトロな看板は老舗のキャバレーなんだとか。
ホルモンね。放る物。捨てる物ということでホルモン。昔は何でHORMONE食べなきゃあかんねんって思ってた普通に。
上野か歌舞伎町か道頓堀か
天井の模様の奥行きやばくね?
大阪に住むLA時代の同級生(ヒロキ)と10年ぶりにあって新世界と飛田新地DEEP大阪ツアーしてくれたよ。通天閣は文明社会の象徴に感じた。
日本中で米津くんのLemonが街中から聴こえる… よねっちゃんすごいよなぁ。
アーケードはあんまり東京には無いよね。まぁしかし道頓堀付近はいわゆる渋谷って感じね。
CROSS HOTEL OSAKA.
泊まったホテル。チェックインしてから気づいたんだけど、外国人向けっらしくてなんか大阪なのに異国な雰囲気だった。

ちなみにこの記事は僕の持っているすべてのサイトをVASTILLに統合させて初めての記事です。色々とサイトを運営しようと思っていたんだけど(5つくらい)、どうも多くのサイトの面倒を見ようとすると、どれも疎かになってしまって、どれも形にならないという悩みがありました。色々と考えた結果、すべてをVASTILLにまとめることに。

breakthrough, shoki.jp, themeland, vastill, techsavvy, engrish-okなどなど、ぜーんぶVASTILLのコンテンツとして配信していきます。

今後ともどうぞよろしく。

2019/11/8

パニック障害奮闘記 「はじめに」

パニック障害は今や「流行り」とまで言われるほどの疾患となってしまったようです。私の場合、2018年の9月の頭から予兆(前震)が始まり、同月9月の末に、長野の1,200mの山村の家に滞在中、最大級のパニック発作に襲われました。1年ちょい経った今、どのように私がこの疾患と向き合い、今に至ったのか。どのような事を試し、何を学び、何を感じながらこの1年を過ごしたのか。自分の記憶が許す限り、すべての考察を書き出したいと思います。さらに可能なのであれば、パニック発作当時の自分と全国のパニック障害と向き合う勇者に何を伝えたいかなども、綴ってみたいと思います。
簡潔に書いて終わり、と思ったのですが、自分の体験の整理のためにも、最初から詳しく思い出して書き出してみたいと思っています。長いシリーズになるかと思いますが、ハッピーエンドなストーリーかつ、現在進行系でパニック障害と向き合う方々のお役に必ず立てる内容になると思いますので、ぜひ読んでいただけますと幸いです。

自己紹介の前に

まずは自己紹介をして、どんな人間がパニック障害に至ったのか、という背景を知ってもらいたいと思いますが、読み進める前に全国のパニック障害と向き合う勇者に伝えたいことがあります。それは、

マジで大丈夫だから心配しないで!パニック障害っていうのは、錯覚というか、脳が誤作動を起こしてしまう疾患なだけ。発作が起きると困るし面倒だし、生きる気力も下がってしまうかも知れないけど、マジで大丈夫。もうね、とにかく大丈夫。

ただ、一番酷かった時を思い出すと、そんな事言われても、っていうくらい厳しい感覚の時もありました。でもどんな病気でもそうだけど、患ってしまった以上、調子が悪い時があるのはしょうがないこと。インフルエンザにかかったら、1週間とか調子悪いでしょ?でもインフルエンザは風邪の症状に似てるし、体は調子悪くても、精神的には別に「嵐が過ぎ去るのを待つしか無い」って感じてると思うの。ただパニック障害の場合は、明確な終わりも見えないし、症状も良くわからないから、体的な症状よりも、どうやってこの疾患と向き合えば良いのだろう?という疑問と、私がこんな風に壊れてはダメだ!という自己否定が回ってしまうかと思います。
でも大丈夫なんです。そういう疾患なんです!インフルエンザは熱と倦怠感とかあるじゃないですか。パニック障害は、パニック発作という症状に加えて、不安・自己否定・ネガティブ思考の思い込みが消えない、という症状を伴うんです!あなたのせいじゃないんです。それが症状であると認識してください!まずはそうなってしまった自分と、そういう症状を認めること。それが改善への第1ステップです。
その症状を認められないと、改善どころか、さらに悪化します。なので僕自身も、最初は何の症状かわからなくて、その症状を精神的に拒否してしまうがために、さらにそのパニック発作が悪化してしまう、というサイクルに入ってしまったことを覚えています。
激しいパニック発作に対する処置も後のシリーズで解説していきますが、とにかく患ってしまった以上時遅しなので、その自分を受け入れ、許容することからスタートしていただければと思います。
長いシリーズにはなりますが、僕の体験と考察が皆様のお役に立てることを願い、ゆっくりじっくりと綴っていきたいと思います。

2019/10/28

発信を3週間強続けて思ったこと

自分が生む価値は何なのだろうか。ここ最近になって意識し始めている事柄です。自分が一番長けていることは何か、そしてどう他の人類に好影響を与えられるのだろうか。静かに激しく伝導する叡智の響きに日々耳を傾けています。
自分自身で創造し、かつ自分自身で完結する価値があるのであれば良いのですが、せっかくならばそれらを使って、他者にも僕を通じて表現されている叡智を知ってもらいたい。色々な人に僕の定義する生きる価値を分かち合いたい、と思うようになった、と言えば良いでしょうか。自分の感じていることをいざ文字に起こしてみると非常に難しい感覚であります。
ここ数週間でまずは発信できるようになりました。発信を通じて自分を知れるようになりました。最初は自分でも実はよくわからなかったんです。自分がまさかこのような感覚(発信したいと思う感覚)を持つようになる事さえも想像できませんでしたので、まさに天に動かされているような感覚なのです。だからこそ自分でも正直驚いていました。え、ショーキお前いきなりどーした?的な感じです。泳げないというか水さえ知らないのに、プールに突き落とされた感じ!でも前から泳ぎたかった自分もいて・・・。
そして自分が何を発信したいのか。何を宇宙の叡智の一部として発信すべきなのか、少しずつですが理解できて言ってるような気がします。
あーあとひとつ、あのね、SNSで影響力を持つには、やっぱり内面と外面のバランスが必要不可欠みたい。無駄なのに、ビュー数とか誰が観てるとか意識しちゃってた時があったんだけど、これはかなり人生の質を下げるみたいw 数を追うのは良い。でも打つ手打つ手ひとつひとつを、打った後には手放していく、ということが大切だと思います。
昨日LA時代の高校の同級生の良太の結婚式に行ったので画像も載せときまーす。






結婚おめでとう良太!