2015/2/6

Clair de lune

先日、お客様のHPリニューアル案件を通して新しい音楽に出逢うことが出来ました。ドビュッシーの月の光という曲です。お客様からのご要望の中に、サイトを閲覧した時にその曲を再生したいというものがあり、サイトに実装した時に初めて耳にしました。それがまた極めて美しい曲で、心の中のどこかと共鳴しているような感情に変えてくれるのです。曲を聴いて僕に見えてきた景色は、夜の月の光ではなく、昼間の病室でした。
天井が高い病室で、初夏の暖かい晴天の日に、病室の窓からそよ風と一緒に日差しが入っている。空は雲ひとつない青空。部屋の階は1階ではなく2階。地面から力強く伸びている桜の木の枝が窓を覗き、風になびく木の葉が太陽をキラキラさせて、この世に生まれてきた喜びを感じると同時に、完治しない病との闘病に嫌気が差しているようなジレンマが。午前中に見舞いに来た家族と友人も去り、昼食も終えた13時頃、孤独に静寂を感じている。このまま生きていけるのだろうか。今のなす美しいひと時と裏腹に、生死をさまよう苦しみの発作がいつ来てもおかしくない。希望はあるように見えるが、心底救いの手はないことは分かっている。だから全てを手放すしかない。一瞬一瞬が創りだす美しさを、初めて感じられた午後だったのです。
そんな感じの景色でしょうか。もちろん僕が体験したものではありません。ドビュッシーの月の光を聴くと、そんな感じのイメージが浮かび上がってくるだけです。中学か高校で見た、アルジャーノンに花束を、というドラマのストーリーの葛藤に、少し似ている感じがします。しかし月の光というタイトルなのに、全くもって夜のイメージが浮かび上がりません。不思議です。いつかまたピアノを手に入れたら、一番に弾きたい曲だと思いました。美しすぎる。さすがクラシック。

2015/2/5

A day of Feb

久々に(2週間ぶり)にジムへ行ってきました。2週間は、ウェイトトレーニングの観点からすると、そこまで筋力に影響が出ない期間ではありますが、実際にやってみると、バリバリやっていた時とくらべて、体力が少しだけ落ちているような気がしました。なんせ継続が一番大切ですし、今年の抱負にも入っているものなので、またこれから徐々に頻度を上げていきたいと思います。これは英語で書くと、LAの野郎どもにバレてしまうのですが(普通に日本語で書いていますが)、多分5月頃に、念願のLAに行けるかもしれない流れです。ですのでそれに向けて、サザンカリフォルニアの場に相応しいカラダに仕上げなくてはです!現在は変わらず68キロ近辺をさまよっていますが、あと3ヶ月バッチリやれば、71キロくらいまではいけそうですので、ボディビルモードをONにしていきます!
以下、その他近況報告です。運営している会社ですが、おかげ様で数多くのお客様から受注をいただけており、感謝の気持でいっぱいです。レッサー君、ルーちゃんともに健康。家族一同、由紀子もハルトも洋樹もティビティも元気ハツラツ。もちろん僕も元気で、ブリブリです。早起きの実行は、う〜ん完璧とはまだ言えませんが、8時台起床を、ここ6日間くらいは出来ています。気持ちのよい起床は、やる気に満ちた、元気の良い起床だと思うのですが、目が覚めてもまだまだ寝たいという気持ちの方が強いのが玉にキズです。変な癖に関しては(無駄なネットサーフィン)、Firefoxのアドオンで、LeechBlockという、特定のサイトをブロックしてくれるアドオンを導入。アクセスしてもGoogleに飛ぶので、結構重宝しています。
今日は珍しく10分前に書き始めたので、もう時間切れです。また明日!

2015/2/4

お墓

今日はいとこの勇作と一緒に、多古町(成田空港の裏)までお墓参りへと行って参りました。小さい頃は、家族一同でよくお墓の近くにあるひいばあちゃんの家に遊びに行っていたので、このお墓も、もう何十年も前から訪れている場所です。お墓という場所は、私たち人間を、ある同じ場所へ戻す力を持っています。当たり前なんだけれども、お墓は動きません。しかし日々生きていれば、何かを得たり失ったり、歳をとったりと、全く同じ状況は続かないのです。でもお墓だけは変わっていない。実家を持っている方は、多分こういうこととはないと思うのですが、僕の場合何回も引っ越しをしており、マイハウスという家がないので、同じ場所へ戻れば誰かがいる、という場所がないのです。今日は、多分このブログを書き始めて、初めてのお墓参りだったと思います。考え方もブログ執筆と一緒に変わり始めていて、お墓参りという行事でさえにも、何か特別なことを感じられるようになりました。これから先、僕がどう変わろうと、どこに連れて行かれようと、お墓はずっとあの場所で存在し続けるのです。これは喩えるならば、我ら人間の持つ見えない部分(簡単に言えば魂)の存在感と同じだと思うのです。人生うまくいこうといかなかろうと、体を壊そうと壊さまいと、あなたはあなたです。僕は僕です。変わったのは、頭で理解できる「概念」でしか過ぎないのです。それがわかったからどうなるんだって?簡単です。ただ単に自分を生きれば良い!という結論に至るのです。だっていつだって変わらぬ場所に、どこにも動かない応援団がいるんだから。何をやらかしてもあなたを決して見捨てない愛があるんだから!それはお墓でもあり、自分の中にも、生まれた時からずっと心の中にあるものなのですよね。それが何かは、言葉で説明することは出来ません。目を瞑って静寂に耳を傾ければ、体感できるかもしれません。

2015/2/3

Gift

遅らせながら一昨日の有楽町ハングアウトのレポを記録します。やはりね、天下のフェリスを出たお二人は違いますよ。何を食べたとか何をしたかどうかというよりも、彼女らからいただくエネルギーの綺麗さに脱帽。汚れが一切ないもので、穢れた小生にとっては完全なるウェイクアップコール。感覚的には、自分の軸を調整してくれて、真っ当な意識状態に戻してくれる、まさしく僕の除光液のようなお二人なのです。以前はハングアウトが終わる時に、次回の予定を立てていたのですが、今回は特に予定も立てておらず、杏さん帰国からのリーチで、期日数日前に有楽町ハングアウトが即決。いつも会うのが待ち遠しい二人なので、今回のようにあっさりとミーティングが決まってしまうと、自分の中の整理が出来ず、凄く不思議な感覚に・・・。先月の会合から、色々なことが沢山あったからか(思い返せば1月9日)、小籠包ディナーがあったことさえも忘れてしまい、会ってすぐ「あけおめ」と言ってしまう始末。FML! Sorry. とにかくあっさりと会うのがおこがましいお二人なのです!だからこそジェムストーンズと呼んでいる訳ですから。そうは簡単に拝めないぜって。彼女らがどんな仕事をしているかとか関係なく、女子校を貫いた二人はやっぱり僕にとってキーパーソンだと思っています。何故かというと、ぶっちゃけた話、私立女子校を小学から大学まで貫いたということは、パンピー(一般ピープル)が普通と思っている日常的行事ができない修道院の中で、つい最近まで修行してきたようなものなのです。修行という表現が正しいか間違っているかは、僕の想像からの発言ですのでわかりませんが、要するに巷でパーティーガールと呼ばれているような女の子達(Absolutely no judgement intended)の持つ雑念と欲望が、彼女らの中には全く存在しないのです。母親に彼女らの話をしたら言われました、「大切にしなよ」って。M&Aガールズは、7年のLA借金完済のご褒美として、LAからの点(天)が僕に贈ってくれた、史上最高の2つの宝石だと思っています。買えないし会おうと思っても会えないし。これぞ出逢いであり、ギフトであります。ありがとう!

2015/2/2

100の努力が真の努力

If you aren’t pissed off for greatness, that means you’re okay with being mediocre. – Ray Lewis

もしあなたが、Greatness(偉大さ)に対してにムカついていないのであれば、それは自分がごく普通であってもよいと認めているということになる。 -レイ・ルイス
このクオートは、昨夜有楽町からの帰りの電車の中で、友人が僕に送りつけてきたインスピレーションメッセージ動画の中で、アメリカの元プロアメフト選手である、レイ・ルイスさんがスタンフォード大のバスケチームに向けて放った言葉です。動画は約2分で、誰もが聞いたことのあるような言葉を言っていたのですが、それを完全に実践して貫いてきた人が言うと、説得力が凄まじいのです。
内容をざっくり書いてみます。一生は1度きりのチャンス。今この瞬間以外の全てを考えなくて良いとしたら、お前は何を今何がしたくて、今世何を残したいのか。何を伝承したいのか。ごく普通に暮らしてごく普通に人生を終えるのか。一体お前は誰のために生きているんだ。他人か?それともお前自身か?努力だ。努力が全てを物語る。努力というものは、誰にも偏見を持たれないものなのである。なぜならば努力は、お前とお前との勝負だからだ。もしお前が、Greatness(偉大さ)に対してにムカついていないのであれば、それは自分がごく普通であってもよいと認めているということになる。けれども、俺はお前らが「ごく普通」でありたいとはこれっぽっちも思っていないのは分かる。だからもっと努力して、偉大になれ!今のお前は、5分前のお前より強くなっていることを世に見せつけろ!
まぁそんな感じの内容でした。僕の努力は努力とは呼べないです。100の努力が努力だったら、1の努力もしてないと断言できます。もうそろそろ、「受験勉強」並みの「篭もり」に入るべきなんじゃないかと思っております。
今日は父繁昭の命日です。丸7年が経ちました。黙祷。

2015/2/1

Webデザイン

僕が一人で運営している会社は、現在Web制作事業のみで成り立っている会社です。Web制作、及びホームページ制作と言っても、大きなカテゴリですから、デザイン業務やシステム開発業務、サーバー管理保守業務など、業務内容は多岐にわたります。その中でも一番クリエイティブにならなければならない業務は、デザインです。デザインは、人の目に映るものですから、システムのコードなどと違って、わからないからと言って他人の作ったコードを流用するというようなことは出来ません。そのためか、自分の中では一番難しいと思っている業務で、自分のセンスが試されるような、ある種試練のようなお仕事なのです。コーディングなどのコンピュータ言語を使う業務も、もちろんクリエイティブにならなければ、効率がよく、無駄のないコードを書くことは出来ません。しかし正直なところ、素人、要はお客様にはわからない部分であるためか、そこまで深く考えなくても組めますし、やるべきことは決まっているので、試練とまではいかないんですね。あとは練習が難しいというところもあります。多分これは真のデザイナーさんに言ったら説教を食らうことになるとは思いますが、システムと違って、トラブルシューティングがないので、どこが間違っていてどこが良いのかが分かりづらいのです。練習方法は、ピアノの譜面と同じように、良いデザインを真似て、自分の神経に叩きこむのが一番なのだと思っていますが、それが中々難しい。今月は3件Webデザイン案件があるので、スキルアップの良い機会です。
今日はこれから有楽町へ行って参ります。ラテン系のレストランだそうです。レポはまた後日。地下鉄有楽町線、日比谷線はお乗り換えです!

2015/1/31

8時なのに眠い

20時を回った所です。この時間帯に記事を上げたことは今までになかったと思います。今日から早寝早起きをチャレンジするということで、もう布団も敷いて、あとはこの記事を書いて、風呂に入って寝るだけです。明日から2月だし、ちょっとした区切りにもなるので実践してみます。うまくいくかどうかはわかりませんが、とりあえず早く寝れば早く起きれるであろうと思うので、まず早寝です。そもそも生活規則を変えるのは大変なことですから、本当に気合を入れないといけないということは分かっています。けれどもこのままいけば、自分のパターンは一生変わりません。就職するわけでもないので、早起きをしなくても良い環境下での自己コントロールが出来るようになることが、自分の課題なのだと思っています。早起きだけに限らず、日常的なことでも、同じくです。
それはさておき、昨日の気付き以降は、何も語る必要がなくなってしまったようです。探求は永遠ですが、永遠は今ですので、スピリチュアリティの話題はしばらく棚にしまっておくとします。今日はこれから「カラマーゾフの兄弟」を読んで、風呂って寝るとします。明日は2015年第一号のダブルジェムストーンミーティング in YURAKUCHOです!!明日はどんな世界を見せてくれるのか、楽しみにしておりますぜ・・・ヘッヘッヘ

2015/1/30

完全なる自由

昨夜はなんだかんだ2時位まで起きていましたが、今朝から早起きを意識して、8時半に起床しました。そこまで早くないものの、自分にとっては十分早いのです。徐々に朝を取り入れられるようにしていきたいと思います。
今日は昼からハルトと二人で、柏駅まで車で行ってきました。目的は毎月恒例の月末の支払いラッシュの退治です。その前退治へ繰り出す前に、二人で柏・我孫子近辺で僕が一番推しているラーメン屋「大勝(だいかつ)」へ行って参りました!今年一番のだいかつラーメンでしたが、いやぁ~そりゃまぁうまかった!シンプルな支那そばという感じで、今風のこだわりラーメンとは正反対で、万人受けのザ・しょうゆラーメンです。魚介豚骨も美味しいし好きだけど、昔ながらのようなシンプルで美味しいラーメンも、たまには良いですよね。先日シブタニムラで舞たんと行った「喜楽」とか、伸光叔父に薦められた銀座の「共楽」、どちらも昔ながらの支那そばでマジで最高です。これが日本人のDNAレベルに叩きこまれているラーメンであり、食べた時には凄まじいエネルギーがDNAの螺旋の隅々にまでが染みわたることでしょう(注:崖の上のポニョ)。
ラーメンの話をしてたらまたラーメンが食べたくなってきました!わー!さてさて、月末の支払いは無事終了。しかし相変わらず厳しいのは変わりないです。ですが全て無事支払えたということで感謝感激雨あられです。4桁から始まった月とは思えません!今月もありがとうございました。また来月末まで気合を入れていくとします。
あと、クレジットカードは持てば持つほど貧乏になる気がしたので、おとといAMEXビジネスゴールドを解約しましたw クレジットカードも一種のドラッグですよ。絶対に。お金を使ってる感覚にならないのは当たり前ですけど、それがやっぱり罠ですね。AMEXは個人の一枚で十分です。しかしクレカ及びカーローンの返済は今のところ2012年以降延滞ゼロのパーフェクトスコア!これはなんだかんだ自分を褒めてあげたい事実だと思います。個人信用情報は大切ですからね。特にリーマンじゃない僕なんかは、軽く住宅ローンなんか組めないし、4,5年に渡る堅い実績と信用がものを言うわけです。だから何がなんでもねじ伏せる!という言い方は嫌な感じがしますが、必ずミスらないようにしています。
AMEXの話しに戻りますが、AMEXは使う使わないに関係なく、ちょっとしたモチベーションにするために持っているような気がします。まず、審査もロクにしないようなカードを持つなんて自分の中ではありえないので、せっかく持つならAMEX、というスタンスですね。あとは頑張れば辿り着くであろうセンチュリオンカードですよ!使い続けて経験値を貯めて、レベルアップしていくカードってなんかいいじゃないですか、ただ使うだけより。進んで使おうと思いますし(使い過ぎは厳禁ですが)、支払いからも逃げなくなって、良い成績が残せると。でもまぁ結局自己満足的な話なんですけどね!それでもちょっとした価値があると僕は思っているので、AMEXはずっと持ち続けたいと思ってます。30前までにプラチナインビ!頑張るぞ!
今日は沢山書いていますが、自分の中で凄く軽くなった部分があったからか、書くのが楽しいです。それは月末の支払いが終わったからでもなく、週明けの200万の融資返済準備が整ったからでもなく、仕事の依頼を沢山いただいているからでもなく、それは、僕の大好きな世界No.1スピリチュアルティーチャー、エックハルト・トールの本、「The Power Of Now」の最後のセンテンス(文)、「When you no longer need to ask the question.」という部分を、さっきたまたま読んだからなのです。その文は「答え」で、質問は「How will I know when I have surrendered?」で、「自分が全てを受け入れるようになったということを、どのような形で知ることができるのでしょうか?」というものなのですが、この問答は人間として生きていく上での、究極の問答です。私たちは日々疑問を抱えて生きています。どうしたら良いのだろう。どのようにすればもっと幸せになれるんだろう。なんであの人は。このままで大丈夫なのだろうか。いつまでこれは続くのか。なんで私は生まれてきたのか。などなど、挙げればこれこそキリがありませんが、疑問や質問があるわけです。ではこれらの疑問が全くない状態を想像してみてください。それは完全なる自由です。会社とかに束縛されてることから逃れる自由じゃないですよ。自分という自我からの完全なる自由です。僕も色々と疑問があったので、これを改めて読んだときは、本当に悟りました。僕の天職はなんなんだろう。このままでいいのだろうか。いつ報われるのだろうか。全く意味の持たないものが、それらの疑問という訳です。僕はもうさっきの時点で開放されました。凄く軽くて心地が良いです。だって人生は今なのだから、今にないことを考えてもどうにもならない。今を感謝して今とベストフレンドになることこそが、生きる真髄である、そう悟りました。
もしあなたが、「人生どうにもならない(Life isn’t taking me anywhere.)」と思っていたら、下記の問答を振り返って見て下さい。
– How will I know when I have surrendered?
– When you no longer need to ask the question.

2015/1/29

THINKING MAN

一曲いきましょう。今年に入ってからずっと曲を紹介していなかったのですし、今日はラジオ番組投稿です。とか言って!全くもって極普通の投稿です。最近は毎日が学びなんだけれど、やっぱり学びと言ってもそれは頭の中の概念でしか過ぎなくて・・・。学びがあって色々なことに気づけたとしても、それを自分にちゃんと取り入れることができなければ、ただ単の思考で終わってしまいますよね。なんだかんだこのブログを書くことによって、自分の気付きだったり学びだったり、閃きだったり、記録することは出来ても、それが実際実行されているのかどうかと言ったら、あまり出来ていないのが正直なところです。何遍もfacebook見るなとか書いてるし、何遍も早起きしろとか書いてるし、何遍も仕事を引き伸ばすなとか書いてるのに、全く出来ておらん!けしからん!だから気づきも大切だけど、それよりも意志の強さですよね。タバコの禁煙に例えると、身体にも習慣的にも悪いって気づいている、それがダメなことは知っている、タバコを通して多くを学んだ、けれども意志がないから止められない。なにやってんねん!って普通はなりますよね。なんの学びやねん!ってなりますよ。んなホンマはなんも学んでないんとちゃう?って喝入れられるレベルです。
なので今記事を境に、「何を実行したのか」に注目し、これからまた自分の人生を綴っていきたいと思います。でないと口だけ男プラスよおわからんTHINKING MANで一生を終えてしまいます。かー!アイディアは実行しないと意味がない!コンニャロ!
はい、曲の紹介でしたね。
GotyeのSomebody That I Used To Know、どぞ!

2015/1/28

谷と峰:頂上と麓

世界は性エネルギーで創造されています。現代人でこの事実について知っている人は少なく、性と聞くとハレンチだったり、人前では話してはいけない下ネタとしてでしか捉えることが出来なくなっているようで残念極まりありませんが、性は創造に関連する一番重要なファクターです。性は陰と陽があって初めて成り立つ方程式で、どちらか無くして性(創造)は成り立たちません。このどちら無くして成り立たない方程式は、性エネルギーによって創造されたもの、つまりこの世に存在するもの全てに適用されており、それは私たちの人生の流れにおいても例外はないのです。
セクソロジーについてはまた後日ブログにて綴るとしますが、今日はその方程式についての学びがあったので記録したいと思います。
僕は会社経営しているためか、上に行きたいという願望が大きくあります。上とは何かと言うと、ずばり、億万長者になる、成功する、有名になる、影響力を持つ、とか、そっちの事です。でもそれらが僕を幸せにしてくれるかどうかとか、そんな期待は全くしていなくて、ただ単に人生ゲームという課題を天から授かったのだから、全身全霊を持って取り組んで、行けるとこまで行ってみたいな、っていうだけです。登山家に何故山に登るのかって尋ねるのとほぼ同じです。「そこに山があるから」登るんです。何故僕は上を目指すのか、「そこに山があるから」です。
しかし山には見えない山を登っているので、上下感覚がないのが難しいところです。現代社会では、輝かしい出来事(頂上到達)だけがメディアに取り上げられ、それまでの苦悩(険しい山道との戦い)が全くフィーチャーされない。そのためか、周りにいる起業家(登山家)たちの頭の中には、頂上の事(成功像)しか入っていなく、現状の苦悩や努力を避けたくなってしまう癖がついてしまい、悪循環を生んでいるように思えます。
では今度は登山ではなく、自分自身を山に喩えてみましょう。山になることが成功だとします。そして頂上からの景色を眺めたいとします。でももし自分自身には頂上しかないとしたら、それは頂上ではなくなってしまいます。ただの平地です。だって頂上しかない頂上なんて、頂上なんて言えませんし、それが頂上であるかどうかもわからないからです。ではどう考えるべきなのか。それは僕が何度も語っている、「負」を味方にしなければならないということになります。山が成り立つ方程式を考えれば簡単な事です。山には谷(負)がつきものです。谷がない山はありません。ということは山の価値は、谷がないと成り立たない。だから何故「負」をネガティブに捉える必要は全くないし、影のある谷は、一見「負」に見える、同じ「山」なのではないのでしょうか。逆に谷(負)を芸術として売りだして行くべきではないのでしょうか。人間が好きなものは山だけではありません。僕の故郷カリフォルニアに隣接しているアリゾナ州にあるグランドキャニオンを思い出してみてください。それ以外にも、アンテロープ神殿やブライスキャニオンなどなど、全て、陸地が凹んでいる「負の芸術」ではないのでしょうか!?
だから、自分の人生における負を隠すこと無く公表することが、本当の「山」になるために必須なのかも知れないと思ったのです。
ドン底から這い上がった実業家や芸術家、著名人は、何故そこまでBIGになったのか。もう理由を語る必要はありませんよね。負を味方にしているんです。どんなに偉大であっても、ただ「実力があった」だけでは、人の心を動かすことは出来ません。その人に深みをもたらす、グランドキャニオンのような莫大な渓谷という負が、あなた、そして僕を大きくしていくのだと思うのです。
全てを吐き出そう。隠すメリットもなければ、公表したほうが宇宙のためです。共感は、自分との共感が出来、初めて起こせるもの。公表が怖ければ、それは過去に囚われている証拠です。過去は忘れてはならない、しかし囚われてはならない。自分を100%表現し、宇宙の使命に協力するために、負を公表し、現代社会の腐った偏見という壁をぶち破ることを、自分、そしてこれを読んでいるあなたに、是非!お奨めしたいです。