あなたの夢は何ですか?達成したいもの、目標は何ですか?そもそも夢、目標はありますか?あるのであれば、それらは本当にあなたの「夢」なのか、「目標」なのかを、今一度考え直すべきです。
もしあなたの夢が、エベレストの頂へ達することであるとしましょう。小さいころからの夢で、学生時代、そして大人になった今に至っても、ずっと頭をよぎっているあなたの「夢」、それが「エベレストの頂上へ行くこと」です。素晴らしい景色、この世のものとは思えないほどの絶景があなたを待っているだけでなく、エベレストに登った際には周りの人から尊敬され、有名になり、例えばですが仕事も増え、お金持ちになって、理想の人といつか出会って幸せに暮らせる。あなたは「エベレスト山頂へ行くこと」こそ、自分の人生を切り開いてくれることだと信じています。
でもまだその夢は達成できていません。何十年も経ったのにも関わらず、達成できていない。小さいころからの夢だったのにも関わらず、時間はたっぷりあったのにも関わらず、なぜ行動にさえ移せていなかったのでしょうか。
その理由が、今日の記事のミソです。
理由は、あなたが欲しかったのは「ゴール」で、「経過(プロセス)」は欲しくなかったからです。山頂に達することだけが夢で、登山することは夢ではなかった、登山はやりたいことでなかったのです。もしくは頂上に達することを想像して、想像だけで満足してしまっただけとか、最初から別に夢でもなんでもなかった、夢と錯覚していただけ、という可能性もある。
イイ体になりたいなら、筋トレや食事制限という茨の道。理想の人と付き合いなら、拒絶や感情の嵐という茨の道。独立して自分のビジネスを始めたいなら、不確実性とリスク、数え切れない失敗という茨の道。茨の道を歩く「痛み」を痛みとも感じないくらいの気持ちがないのであれば、あなたの「夢」は偽物です。錯覚です。幻覚です。
あなたの本当の夢は、おそらく「今」既に実現されている可能性が高いです。
あなたが本当にしたいことは、何ですか?
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英語がわかる方であれば、こちらの記事を御覧ください。今日綴ったことについての、オリジナルポストです。
http://markmanson.net/question
投稿者: shoki
分岐点
今日は成人の日。成人の皆様、成人化おめでとうございます!実は僕の弟がちょうど今年で成人で、昨日成人式に参加してきたようでした。兄弟揃って準備は締め切り間近で、先日夜は式に着ていくスーツをタンスから探して当てるのでテンヤワンヤ。結局親父のお下がりで残っていたスーツは全て合わず、当日の朝にスーツを調達する羽目になったようです。優しい叔父さんが出世払いで良いということで、一緒にスーツ屋に行って買ってくれたそうな。恵まれてます。そんなヒロキくんは今年の3月で2年の専門学校生活にピリオドを打ちます。とうとう弟も社会人ですか。みんなオッサンになったものです。気付けばこちらもアラサーということで、他人を気にしている場合ではありません。残る人生をどう広げていくのか。弟の将来や方向性も半父親として気になりはしますが、彼は彼でどうにかなると信じているので、彼よりも僕です。ぶっちゃけ人は自分のことしか考えられないし、自分のこと以外を考えても無駄です。自分はどんな人生を送りたいのか。誰にどう貢献したいのか。何を幸福の物差しにするのか。全てを定義する権限は自分にあるのです。
僕は2016年は「振り出しに戻る年」にしたいと言いました。何をする。これを成し遂げるあれを成し遂げる。そのような抱負は、常に変化するものであり、達成したところで自己満足にしか繋がらないアチーブメントであるため、敢えて自分の魂レベルに働きかけるような抱負を掲げた、ということです。僕が定義する「振り出しに戻る」は、意識状態や生活習慣を、僕がちょうど渡米した頃の年齢、すなわち12歳頃のスペックに戻ることです。僕はティーンエイジから、インターネットとパソコンに触れてきたため、脳がイカれてしまっているんですね。自分では意識がありませんが(ですがたまに気づくのですが)、ADHDらしき症状がごくたまに発症します。集中できない病です。自分を守るとかではなく、おそらくこれらはインターネット依存症という枠に入る症状で、僕以外にも多くの方が苦しんでいる症状だと思います。この病気が(実際に認められた病気なのかどうかは別として)発症する理由は僕も理解しているつもりでおりまして、何が原因かというとインターネットの「無限性」でないのかと思っています。情報過多、つまりコンテンツに終わりがないため、永遠に「何か」を求めてしまう癖がついてしまう。インターネット依存症は「永遠に何かを探してしまう病」なのです。
僕の仕事は特に環境が悪く、インターネットブラウザを常に開かなくてはならない仕事、イコールワンクリックで生産性を崩壊させるコンテンツに遷移でき、さらに一人会社なため、ブラウザ上で何をしてようと注意してくれる人もいない。
人生うまくいってます。仕事もうまくいってます。家族関係も友達関係もうまくいってます。それには凄く感謝しています。おかげ様で世に貢献できる身になりました。しかしそれらを達成する以上に、遥かに難しい使命が僕には残っているのです。それが、今年の抱負である「振り出しに戻る」、言葉を変えるのであれば「自分を愛す」ことです。僕がさらなる飛躍をするには、この抱負の達成がまずは必須となります。これが出来るか出来ないかで、僕がAの道を行くのかBの道を行くのかが決まってしまう、長い人生でもあまり数を見ない、僕平山翔樹の大きな「分岐点」です。
UPSET?
そして今夜は久々にスピリチュアリティを語りましょう。久しぶりにエックハルトのフィードが上がっていたので、その件について語るとします。今日のエックハルトのフィードに載っていたものがこちら↓
Upset = Lost Touch with Who You Are
訳しますと、
がっかりしたり、怒ったりする時 = 本当の自分を見失っている
というものです。
がっかりする、怒るなど、感情が乱れる時の症状は大抵の場合、自分が予想していなかった惨事が起こった時に発症します。「え、なんで?」「は、なんで?」「ふざけんな」「バカ野郎」「おい!」「殺す」などなど、なんでもいいですが、そのような言葉が喉から湧き出て来そうになる時の感覚が、英語で言う「Upset(アプセット)」です。アプセットという感覚は、物事を自分のコントロール下に置けなくなった時、つまり無力になった時に感じるものですが、そもそも物事をコントロール下に置こうとしているのは一体誰・何なのかを考えなくてはなりません。考える以前に、これらはすべてあなたがしようとしていることではなく、エゴ(自我)がしようとしていることなのですが、エゴはある意味常に危険に晒されているのをご存知でしょうか。エゴは「アプセットにしてくれるもの」を永遠と探しています。ですが「アプセットにしてくれるもの」が見つからないとします。「アプセットにしてくれるもの」を餌にして生き延びているエゴちゃんは、「アプセットにしてくれるもの」がなければ生きていけないので、「アプセットにしてくれるもの」が周りに存在しないという状況は、エゴちゃんにとって「脅威」なのです。しかしエゴちゃんはそんなすぐにくたばるような甘い奴ではありません。悪知恵であればIQ250並の知能指数を誇ります。「アプセットにしてくれるもの」をどんな手法を使ってでも探し当てる、いや、創り上げるのです。どんな些細なことでも、「あ、この状況は餌に出来るかもしれない」と、普通の出来事でさえも最悪の事態に変換してしまうのです。たまにいますよね、どう見ても自ら混沌を創りあげている人。器がちっちゃい、って言うじゃないですか。器が大きければ、どんなことでも受け入れられる。実はエゴちゃんは器に入りきらない「食べ物」が大好物なため、自分で自分自身の器を小さくしちゃっているんですね。面白くないですか?エゴちゃんが大きければ大きいほど、器がちっちゃい。ってことですね。ですがこのエゴちゃん、かなり気まぐれです。人を選ぶんですよ。とある人の前だと、「あ、行儀良くしなきゃ!」って言って、急に器からこぼれたものを食べるのをやめ、器を大きくしたりするんです。まぁ長くなるんでこの程度にしておきますが、エックハルトの警鐘は毎度アッパレ。ごもっともです。
結論:
あなた自身は、アプセットになることは出来ない。なぜならば、アプセットはエゴ(自我)が駄々をこねて、床を足でドタバタさせている衝動派であり、あなた自身がなれるものではないから。つまりアプセットになるイコール、本当に自分を見失っている。です。
ちゃんちゃん
Confessions, Pt. II
久々にラジオチャンネルで行きましょう。さぁ2016年も最初の週を終え、皆様徐々に仕事などにエンジンがかかってきたかと思います。僕の方もね、水曜日くらい?一応月曜日から仕事はスタートしたのですが、水曜日くらいまでなかなかエンジンがかかりませんでした。これが休み明けの後遺症でしょうか。それにしても去年と比べてベターな年のスタートを迎えられてホッとしております。今日ご紹介する楽曲は、最近はあまりお目にかからない、あのアッシャー様の曲です。Usherは僕が高校一年くらいですかね、ロスで僕がソフモア(Sophomore = 向こうの高校で言う2年目)くらいに一世を風靡しておりました。アッシャーを聴くと蘇る僕の中で一番の記憶は、マーチングバンドの演奏旅行で訪れたNEW YORKなんですよね。その時のiPodにConfessionsのアルバムが入っていて、飛行機やバスの中で全曲リピートで聞いていたんです。その中でも一番好きな曲が、今日ご紹介する曲、CONFESSIONS PART.2でございます。Yeah!もカッコイイんだけど、こっちのコンフェッションズはね、なーんかストーリー性の高い楽曲で、聴いていた当時の記憶へのリンクが強いんです。聴くとタイムズスクエアが映し出されてね、なーんかいい気分になるんです。好きな子もいたんですけどねー。高校一年くらいの時は、まだまだ「ニホンジン」が抜けていなかったので、そこまでアプローチすることも出来ず、変に意識しただけで終わりました。特に悔いもなく嫌な思い出もなく。確か当時くらいから英語力がグーンと伸びてきたのかな。帰国直前のSHOKIは完全にアメーリカンでしたがw 今は「お世話になっております」とか、「お疲れ様です!」を連発する「ニホンジン」ではなく「日本人」ですw 僕のタレコミニュースはこの辺にして、さぁ行ってみましょう。さむ~いニューヨークに合う曲。さむ~い中でスタバのキャラメルマキアートを飲みながら聴くともっと染みる曲、アッシャーでコンフェッションズパート2。Enjoy!(本曲再生は1分19秒辺りから)
ベッキーは一流です
人生何が起こるかわからないですね。どのニュースを開いてもベッキーだらけです。大丈夫かなと心配になります。僕的には、宇宙はとうとうベッキーを通じて人類の醜さを表面に浮上させたか、という感じですかね。男と女、不倫、金、見栄、契約、世間、法律、罰則、批判、メディア。挙げたらキリがないです。これが人類が自ら選んで進んでいる、地獄への道でございます。Road to hell is paved with good intention. そのまんまです。ベッキーだって人間ですよ?マスコット人形じゃあるまいし、他の人間と同じく、異性に惹かれて当然です。惹かれなかったら逆に人間としてどうなのかと思います。ポラリティです。陰と陽。水と炎。HOT&COLD。男と女。宇宙の法則であります。
ベッキーがどれだけ今まで人類に貢献してきたかを考えれば、今回の報道などは、なーんの問題もないと思います。10年以上スキャンダルなし?CM10社以上?好感度も高い?なーんの問題もないじゃないですか!こういう子にこそ自由をさせろって僕は逆に思います。ベッキーの印象でどれだけの人々に影響を及ぼしたのかを考えてみてくださいよ。僕らの10の10乗以上の人々に影響を与えてきた日本の国宝級ハーフタレントです。本当にみんな優しくない。本当に大切なことにはブラインドで、一時的で表面的なことしか見えてない。つまり幻想しか見えてないんです。うーむ残念。
みんな本当に大切なことをわかっていない。どれだけのものをベッキーが積み上げてきたのか、ほんのちょっとも理解できてない。だから軽率な発言しかできない。例えばですよ、あのイチローが今スキャンダル起こしたらそれはまた大騒ぎになりますよね。理由は簡単です。彼は誰もが認める「一流」だからです。でもですよ。面白い話があります。一流まで達していない二流の某野球選手がいます。一応一軍スタメンで出場して活躍しているような方なのですが、彼は夜の三冠王と呼ばれ、東京遠征の際に、3夜連続で違う女をホテルに連れ込んだという現場をキャッチされ、週刊誌等に大々的に取り上げられました。でも所詮彼は二流。二流が何をしようと、世間は笑い話にしかせず、二流が何をしようと、SO WHAT!?で終わりなんです。
これが一流と二流の違いです。ベッキーは今回の報道で、「世間が「一流」と認めていた」ことを証明したのです。
ベッキー、あなたならまた別の居場所を見つけるでしょう。あなたに合った。
If you’re going through hell, keep going!
GOOD LUCK!
適当にね
う〜ん、やはり僕には情報収集の意味が分かりません。ホリエモンしかりマネックスの松本さんしかり、好奇心旺盛であれ、情報収集を怠るななどのアドバイスをされていますが、どうも僕には合わないようです。合わないのか正しいやり方が分からないだけか、ニュースを見れば見るだけ、どんどんどんどん自分自身がおかしくなっていってるように感じます。そもそも僕はもともと起業家の器じゃあないんですね。だから世間のあれに全く興味がない。失礼な言い方かもしれませんが、僕にとってニュースはどーでもいいです。でも先輩達?というか僕より長く生きている人たち?は世間の動向を知れって言ってくるんですよね。同世代には言われたことがありません。記憶にある限りでは、僕より一回り上の連中に言われてきたような気がします。ふ。これだから1989年生はエイリアンだったってことか。ふふふ。
インターネットはツールであり、本来であれば必要な時に使い、必要でない時には箱にしまっておく、という形であるべきだと思います。しかし誰もがスマートフォンを持っている時代ですから、インターネットと自分が同一化してしまっていると言っても過言ではないご時世です。必要でない時にも、つい見てしまう。見たいとも思わないのに通知が鳴る。特にあのiPhoneの通知音。ド・ミ・ソ。ですか?あの音に過敏に反応してしまう症状さえも発症しているこのインターネット・スマホ時代ですから、人間がインターネットを使うのではなく、インターネットに使われる人間が増えているのです。
人生嫌になってくる人が多い理由が、まさにこれです。ネットに使われてるから嫌になるんです。僕もニュースとか見てるとマジで嫌になってきますから。だからなに!?どーでもいいし!ってね。20年前はスマホもネットもなかったんですよ?それでも人類は全く問題なく生きてきました。だからスマホがなくたって、ネットがなくたって死にやしないんです。
ネットでお仕事をしてるのでネットには感謝しています。でも使い方を間違ってしまうと、F*** internet!ってなってしまうんですね。てかネットだけじゃないか。何でも適当がいいんです。適当が。
FMLからのパンでラブライブ
いやマジで今日はもう朝からテンションガタ落ち。8時半起床のつもりが10時半起床www FMLですよ本当に。そんでもって13時から打ち合わせに行ってきまして、気付けば夕方の散歩の時間。何を言おうと自己管理は難しいです。本当に永遠の課題ですよこれは。特に自営業だったら誰にも怒られないですしね。まぁ怒られたところでもっとモチベーション下がって更なる悪循環になるので、自営業だったから救われているようなものです。
今日の打ち合わせは、以前からうちの家族の連中がお世話になっている某パン屋さん。その某パン屋さんの店主のKさんは、僕と同じで1人で事業を営んでおられて、1人で事業をしている者同士ならではのトークが仕事の話以上に面白かったです。実際に僕もそこのパン屋さんのパンを何度も食べたことがありますが、ぶっちゃけ舌の肥えた僕でさえも、このレベルのパンは他では食べれない、と思ってしまう程のクオリティで、しいて言うならば、代官山か自由が丘辺りの人気パン屋で買ってきた、と言われてもわからないくらい質の高いパンを提供されています。いつも食べると思うのですが、レベルが高すぎて、どのように評価していいのか分からなくなってしまい、いつも「よくわからないけどとりあえず美味い」という風に評価しています。サイトが公開されたらリンクを張りますので、是非一度オーダーして食べてみてください。「よくわからないけど美味い」と口ずさむと思います。
そう言えばそう言えば!Breaking Badを見終えて、次は何を観ようかなと考えていました。Game of Thronesか、Walking Deadか、進撃の巨人の続きかなどなど。なんですが弟にも影響され、あのラブライブ!観てしまいました。ファーストシーズン。はい、観終わりましたw てかBreaking Badからの〜ラブライブで、ジャンルが地球の裏側レベルで違うため、観ている自分もなんだか非常に変な感じでしたが、一応これで一世を風靡したラブライブを抑えたということで、まぁ満足です。大体いつも僕は時代に遅れてそういうのを観るんです。半沢直樹しかり、Breaking Badしかり。いずれも終了から1年以上後に観ています。これで僕もラブライバー。なーんてね!GO μ’s!
Slow start!
今年の営業日2日目、年が変わろうと昨年と相も変わらない感じの一日でした。当たり前か。えぇまず今年のやるべきことの一つとして、本社の移転があります。現在の本社所在地は我孫子市内ですが、2月2日から渋谷区広尾に移転です。自分の生まれた場所に事務所を構えるということで、ある意味原点回帰。これからのモチベーションアップにも、良い転換期になりそうな2016年です。まぁ別に広尾に勤務するわけじゃないですけどね。登記の場所が変更になるだけです。今の事務所は今後も千葉制作所としてあり続けます。
とはいえ営業開始と言っても、やはりすぐにエンジンは温まりません。昨日は良い仕事をするための準備、掃除だったり食料品の調達であったりをして、本日から徐々にギアアップです。睡眠サイクルもズレているし、この時期は特に朝が寒いし・・・。今日は昨日より1時間早い9時半に起床。明日はまた1時間早めて8時半を目指します。読書も勉強も開始して、あとは徐々に会社のメディア構築の癖をつけていくだけかな。色々と考えるときは考えるんだけど、結局目の前のことしか出来ないので、ブツブツ言わずにパソコンに向かえ、って話です。
しかしここ数日は晴れが続いていて気持ちが良いです。毎日布団が干せるなんて最高。というか1月のくせに暖かいですね。クリスマス辺りのほうが寒かったような気が。まぁどうせすぐ寒くなるんだろうけど。
さぁ今日も何を書きたいのかよくわからない翔樹でした。
※2016のテーマのデザインが気に入らなかったので、2015に戻しました。
唯一の財産
新年明けましておめでとうございます。今年はよろしくお願いいたします。
さて2016年、何をしましょう。年始2日に僕と同じ事業主として頑張っている横浜の叔父さんと、車の購入やお金について色々と話を聞きましたが、やはりそれらの達成はゲームや自己満足に過ぎず、結局は「自分はどう在りたいのか」を追求することが大切なのだと改めて感じました。いとこの姉ちゃんの旦那も外車に乗りたいとか言ってて、旗から見るとまぁそれもそれで求めることは良いことなんだとは思ったけれど(実際に僕も乗りたいと思うから)、やはり人生一度しかないし、物欲以上の何か、要するに生きがいを見つけることが大切であり、それを今年の生き方のベースにしたいと思った年始でした。面白いのは、自分一人で何かを欲しがっている時はなんとも思わないのですが、他人のそのような発言を聞くと「そんなものを追っかけていて子供だなぁ」とか思うんです。つまりこのように思うイコール、自分自身の物欲もぶっちゃけ「子供」ってことになるんです。あー情けない。自分の私生活であれ、仕事の内容であれ、何も執着せずにただただやり続けたから今の形があるわけで、欲しい欲しいって言ってたら多分事は逃げていってしまうのではないのでしょうか。あれが欲しい、これが欲しい。別にOKですよ?でも最終的にはすべて関係なくなるんです。なぜならば、あなたはあなたで、僕は僕、つまり心で感じ取れる静寂のみが、僕達生命の唯一の財産だからです。
ありがとう2015年!
ミッションコンプリートだぜ!うぇーい!今年やるべき仕事は全てやっつけました。これで気持よく新年を迎えられそうです。明日30日から年末年始のお休みに入ります。電磁波を落としに長野の山奥へ行って参ります。
おそらく長野に行ったらパソコンには触れないと思うので、今ここで一年を終えるご挨拶をさせていただきたいと思います。
今年一年、皆様にお世話になり本当にありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えください。
2016年に会いましょう。
4日からブログ&仕事を再開しますので、よろしくお願いいたします。