今日はノーブラデーだったらしいです。イヤらしいです。ということで今日は性について綴る良い機会とします。たまにというかいつもというか、何故に現代文明はセックスに関する話題をエッチだからと言って避けるのかと疑問に思います。もっと性と性エネルギーについて話し合うべきなのではないかと思うわけです。話した方がいいと言っているのに、自分が話していなかったらそれは矛盾してしまうので、今日今ここで僕の性に関する考えを綴りたいと思います。
まず第一に、私達人間はセックスの産物です。それを変態とかイヤらしいとか思うかどうかはあなた次第ですが、事実であり真実です。ということは、私達の存在イコール、セックスということになります。私達人間が創り上げた文明であれ、世界は、そうです、全てはセックスが源なのです。こんなにセックスという言葉を連発することもないので、書きながらニヤニヤしてきていますが、真面目な話です。セックスがなかったら人間の存在は成り立たない。人間が成り立たないイコール、人間の創造性ないし創造物も成り立ちません。すなわち、セックスは全ての原点であるという結論に至ります。これは誰がどう考えても認めざるを得ないのではないでしょうか。
次にです。宇宙の創造力が性エネルギーであるということを話す前に、現状分析論をお話しましょう。現代文明についてです。何故現代文明は、我々人間の存続にとって重大な要素であるセックスを、「公には話してはならない」と軽蔑するのでしょうか。もしかすると、人間の持つ最強エネルギーである性エネルギーへのアクセスを誰かが阻止を試みているのではないか?とまで思ってしまうレベルの現実です。文頭の通り私たちはセックスそのものですから、セックスを否定するのであれば、自分自身を否定することと変わりませんし、周りの全ての人間を否定しているのと変わりません。性教育の甘さ、メディアやAVを通じて生じる誤ったセックスの常識、そして歴史的にまだ少なからず続いてる性差別のお陰で、人間はセックスを悪者扱いしているのです。人間は人間を悪者扱いです。
明日に続く…
2015/7/10