久々ですね〜本当に久々です。ん、どうだろう多分だけど6年ぶりw いや何がって?う〜んいやなんつーの、恋愛ってやつ?w いやマジで誰も読まないブログだから書けるけど、内面が大きく変化している今だから気づいた最近の学びについて綴ってみたいと思う。
まず第一に、恋愛は求めるものではなく、天から降ってくるっていう印象。要するに色々な要素が組み合わさりすぎてて、ただ単に人を好きになるとか以上に「起こる」のかなって。異性を好きになるなんて簡単じゃん?かわいいなとか。優しいなとか。バイブスいいなとか一緒にいて相性良さそうかなとか、一緒にいて楽しそうだなって思えたら、それは人を好きになるっていう入り口を越えて、全然次に発展できる状態になっている「人を好き」だと思う。でも恋愛レベルの「人を好きになる」状態って、双方の全てのタイミングがマッチしないと実現しない。
例えば、先程述べた異性を好きになる要素があったとしても、相手が同じページ(状態)にいない場合です。例えば、双方の気持ちが合致していたとしても、どちらかに恋愛に踏み込む勇気がない場合(関係性に発展させることすら恐れている場合)は、恋愛は成立しません。←結構これ一番残念でもったいないやつ。あとはどちらかに既にパートナーがいる場合などはもちろん実現しません。
あとは、本当に、出会う人出会う人とで、奇跡的に出会っているわけだから、普通に出会って恋愛までに発展できるって、マジで奇跡中の奇跡だと思うんです。
だからその奇跡が起こって、その奇跡に気づいたのならば、僕はノーガードで打ち合いすべき(とことんお互いを愛しまくるべき)だと思うんですよ。失うものなんて何もない。この宇宙、そして地球、そしてこの時代この瞬間にあなたと僕がこの奇跡を一緒に見ることになった。その奇跡を思いっ切り感じて、恐れることなく愛するし、愛してほしい。
人を愛し尽くしたことはありますか?そう聞かれたら「はい」とは答えられない。おれはまだ人を愛し尽くしたことがない。多分今までは人を愛することさえも考えたことがなかった。そして33歳になった今、なぜか人を愛してみたいと思った。その人に出会った。でもやり方はわからない。自分が思う愛しか伝えられないけど、とにかく恋愛に億劫になって、頑なに異性との関わりを避けてきた僕にとっては、この「愛」という自己表現は不器用なものになるのかもしれない。もしかすると人を傷つけてしまうかもしれない。
でも自分の感覚的には、もうひとりの俺にプールに蹴り飛ばされた気分で、もう自分で水を体験するしかない。ずっと泳ぎたいと言っていたのに、頑なに拒み続けてきた自分に別れを告げ、次に進みたいのです。
いやしかし、今まで直視してこなかった恐れの塊を感じるので、もちろん覚悟が必要だって思っています。恐れの塊とはって?例えば、やっぱり否定されることは怖い。別に野郎共に否定されるのは怖くない。なぜかって自分には関係ないから。でも愛する人に否定されるってやっぱり怖い。起こらないとわかっていても、怖い。多分これは母親に愛される愛されないの感覚に似てると思う。母親からの否定イコール死。そう幼少時代思って生きていたのを彷彿させることが、やはり愛する人に否定されることなのではないかと。
それにしてもそう容易く人を愛することなんてできないと思うし、一ヶ月数ヶ月で成し遂げることができるものでもないと思うから、せっかちな自分には一番イヤなスロースピード感で少しずつ人を上手に愛せる練習をしたいなという所存でございます。
お互いを完全に信頼し、自分の恐れを手放し、互いの弱みを共有し、互いに完全に認め合い、愛すると愛されるの量がちょうどお互いでバランスが取れた時、この奇跡の100乗世界を一緒に見ることができるんだと思った。
人は愛したいし愛されたいのね。がんばる。