自分の恐れていたことにチャレンジすることが一番スピリチュアルレッスンを含んでいると思った。自分が恐れていない、日々の慣れている行動からスピリチュアルレッスンがあるわけない。だってそれは惰性だから。さらにそのスピリチュアルレッスンから得るものが、何になるかも想像しえないということ。要するに自分はその行動をスピリチュアルレッスンと思ってやっていないし、その行動から何か学びを得ようとも思っていない。とにかく自分の思うままにやってみよう。それしか動機になっていないわけですから、途中に用意されている試練に驚くのは当たり前です。さらにその試練の間の最後に表示されるというか自分に感じるメッセージこそが私のスピリチュアルレッスンな訳ですが、その内容にさえも驚くというか、自分に嘘ついてたなとか、表面的だったなとか、自分の動機と思っていたけど実は自分の動機でもなんでもなく、過去にコンディショニングされた思考とトラウマや弱みをカバーするためのFAKEだったのかなとか。またはこれも全部思考か!とか(笑)
昨日改めてKSHMRのMasterclassを観ました。目から鱗でした。KSHMRが言ってました。
Fake it till you make it.