2022/9/26

悔しすぎる

ある時期は夜寝る前にしか書いていなかったこのブログですが、朝一番に書くのも良いと思いました。どこかで聞いたことがある、朝起きて一番に自分の思考を3ページほど書き出すと、頭がクリアになって一日の創造性が増すんだとか。ということで本日起床してトイレ歯磨きを済ませて早速書き出します。

この思考ダンピングについては詳しくはわからないのですが(The Artist’s Wayを読みます)、思うこと考えていることを思いっ切り書きなぐるのが基本のようで、書き出す内容にルールはない。ただ思ったのが、朝起きて一番に最初に考えることって今一番自分が恐れていることに関連しているのかもということ。ある時期は、朝起きて一番に考えることは納品したシステムのことで、バグ修正に追われることが嫌になってて、いつもそればっかり心配して考えていた。んで今朝は?う〜ん昨日は晴れたから昼に1時間の散歩&日光浴をしたこともあって、めちゃくちゃよく寝れたんだけど、ひとつに自分の弱さをちょっと前(1週間前)くらいより受け止められるようになったのか、夜の考え事みたいなものは減って、寝付きも良くなった感じ。昨夜は結構遅くに寝たのにも関わらずスッキリ起きれたし、感覚的には優秀。じゃあ思考は?う〜ん、やっぱりなんか、ここ何年は感じなかった自己嫌悪感が出てきますよね。いや本当に自分で言うのもなんだけど、そこまで自分の嫌いなとこってなくて、結構何事も自分でしょーき素晴らしい!っていう風に思えてたんだけど、それが一切思えない場所があった。あったというかずっと目をつぶってきたんだと思う。イメージ的には、めちゃくちゃ良い家なんだけど、なんか長い間向き合ってなかった部屋の存在を忘れてて、いざ向き合ってみようと思ったら、クソ汚くて臭くて散らかってて、おまけにその部屋のせいで家全体が否定されかねない状況になったみたいな感じ。否定ではないか。ガサ入れ入って手錠くらったみたいな感じかな?そんな変なものをあなたが所持してるとは思いませんでした!みたいな。

ヒッキーの最近のインタビュー(BADモードのやつ)で、ヒッキー本人も自分が恐れていたことに立ち向かっていくことしか自分を知る術はないって言ってたのを思い出して、いや本当にそれじゃんって。

あとあれ、自己否定感を出したがるおれってマージガキだなってw でもしゃあない。自分の弱みと向き合うことはそんな簡単じゃない。言われて凹んだものは凹んだ。紛うことなき事実。吐き気しかしない。けど絶対変わってみせる。悔しすぎる。

2022/9/25

初戦敗退

当たって砕けろと言わんばかりに初日から粉砕されて参りました。う〜ん、やっぱり苦すぎる。効く薬はやはり苦すぎる!おぅえ〜!って感じ。全部が全部わからなすぎて、やること言うこと全部がマイナスに作用してて、マジ超ライフレッスンの塊。まず第一に自分の勝手な想像で生きすぎ。次に結果求めすぎ。三に自分雑魚すぎw

いや、なんかこれ以上怖いものないってくらいの恐れを感じた。恐れというか、ボロボロ。1ラウンド27秒KO負け。話にならない。試合になっていないw そういう感覚になりました。何やっても避けられるし、何やっても効かないし、当たらないし、ボーッとしてたら顔面にストレート喰らってKO。タオル投入TKO!笑 いやぁ過去一で心へし折られた感じ。なんか、本当になんでも出来そうな気がしてきた。マジでこれ以上失うものはないと思うwみたいな感覚。なんか仕事でやってみたいこととか、YouTubeで配信してみようとか色々とやってみたいことがあるんだけど、昨夜感じたREJECTIONは自分のしてみたいプロジェクトに感じてた恐れに比べて天文学的に莫大。マジREJECTIONラスボスw もう死ぬより死んだw 天心がメイウェザーに負けた時、タケルが天心に負けた時、敗者は自分の全てを出し切ったけど負けて、死ぬより死んだと思う。こんな自分みたいな馬の骨と比べるのはあれだけど、人にREJECTされるってこんなにも辛いんだなって。DIE BEFORE YOU DIEっていうね。まだまだおれはただ千が欲しいカオナシなんだなって。さすがに自分でも呆れた。

でもじゃあそのREJECTIONを引き寄せたのは誰だっつー話。紛れもなく自分。自分自身。なぜこうなったか。いや自己中だからでしょw 自分のことしか考えてないからでしょう。バカだからでしょう。ガードの上から昇龍拳ぶっ放したところで確定反撃ですよ。自分の勝ちしか考えていない。試合になってない。相手の動き、相手の考えを尊重した上での行動が一切できていない。もはやゲームの仕組みさえわかっていないオワコンな訳です。なんか情けなかった。おれガキだわって。将棋でひたすら王手しか打たない小学生みたいだなってw 草付いてるけど笑い事でもない。

TKO喰らってもちゃんと連絡続けてくれるんだもんな。やさしいよな。

2022/9/24

人は愛したいし愛されたい。

久々ですね〜本当に久々です。ん、どうだろう多分だけど6年ぶりw いや何がって?う〜んいやなんつーの、恋愛ってやつ?w いやマジで誰も読まないブログだから書けるけど、内面が大きく変化している今だから気づいた最近の学びについて綴ってみたいと思う。

まず第一に、恋愛は求めるものではなく、天から降ってくるっていう印象。要するに色々な要素が組み合わさりすぎてて、ただ単に人を好きになるとか以上に「起こる」のかなって。異性を好きになるなんて簡単じゃん?かわいいなとか。優しいなとか。バイブスいいなとか一緒にいて相性良さそうかなとか、一緒にいて楽しそうだなって思えたら、それは人を好きになるっていう入り口を越えて、全然次に発展できる状態になっている「人を好き」だと思う。でも恋愛レベルの「人を好きになる」状態って、双方の全てのタイミングがマッチしないと実現しない。

例えば、先程述べた異性を好きになる要素があったとしても、相手が同じページ(状態)にいない場合です。例えば、双方の気持ちが合致していたとしても、どちらかに恋愛に踏み込む勇気がない場合(関係性に発展させることすら恐れている場合)は、恋愛は成立しません。←結構これ一番残念でもったいないやつ。あとはどちらかに既にパートナーがいる場合などはもちろん実現しません。

あとは、本当に、出会う人出会う人とで、奇跡的に出会っているわけだから、普通に出会って恋愛までに発展できるって、マジで奇跡中の奇跡だと思うんです。

だからその奇跡が起こって、その奇跡に気づいたのならば、僕はノーガードで打ち合いすべき(とことんお互いを愛しまくるべき)だと思うんですよ。失うものなんて何もない。この宇宙、そして地球、そしてこの時代この瞬間にあなたと僕がこの奇跡を一緒に見ることになった。その奇跡を思いっ切り感じて、恐れることなく愛するし、愛してほしい。

人を愛し尽くしたことはありますか?そう聞かれたら「はい」とは答えられない。おれはまだ人を愛し尽くしたことがない。多分今までは人を愛することさえも考えたことがなかった。そして33歳になった今、なぜか人を愛してみたいと思った。その人に出会った。でもやり方はわからない。自分が思う愛しか伝えられないけど、とにかく恋愛に億劫になって、頑なに異性との関わりを避けてきた僕にとっては、この「愛」という自己表現は不器用なものになるのかもしれない。もしかすると人を傷つけてしまうかもしれない。

でも自分の感覚的には、もうひとりの俺にプールに蹴り飛ばされた気分で、もう自分で水を体験するしかない。ずっと泳ぎたいと言っていたのに、頑なに拒み続けてきた自分に別れを告げ、次に進みたいのです。

いやしかし、今まで直視してこなかった恐れの塊を感じるので、もちろん覚悟が必要だって思っています。恐れの塊とはって?例えば、やっぱり否定されることは怖い。別に野郎共に否定されるのは怖くない。なぜかって自分には関係ないから。でも愛する人に否定されるってやっぱり怖い。起こらないとわかっていても、怖い。多分これは母親に愛される愛されないの感覚に似てると思う。母親からの否定イコール死。そう幼少時代思って生きていたのを彷彿させることが、やはり愛する人に否定されることなのではないかと。

それにしてもそう容易く人を愛することなんてできないと思うし、一ヶ月数ヶ月で成し遂げることができるものでもないと思うから、せっかちな自分には一番イヤなスロースピード感で少しずつ人を上手に愛せる練習をしたいなという所存でございます。

お互いを完全に信頼し、自分の恐れを手放し、互いの弱みを共有し、互いに完全に認め合い、愛すると愛されるの量がちょうどお互いでバランスが取れた時、この奇跡の100乗世界を一緒に見ることができるんだと思った。

人は愛したいし愛されたいのね。がんばる。

2022/9/13

Fake it till you make it.

自分の恐れていたことにチャレンジすることが一番スピリチュアルレッスンを含んでいると思った。自分が恐れていない、日々の慣れている行動からスピリチュアルレッスンがあるわけない。だってそれは惰性だから。さらにそのスピリチュアルレッスンから得るものが、何になるかも想像しえないということ。要するに自分はその行動をスピリチュアルレッスンと思ってやっていないし、その行動から何か学びを得ようとも思っていない。とにかく自分の思うままにやってみよう。それしか動機になっていないわけですから、途中に用意されている試練に驚くのは当たり前です。さらにその試練の間の最後に表示されるというか自分に感じるメッセージこそが私のスピリチュアルレッスンな訳ですが、その内容にさえも驚くというか、自分に嘘ついてたなとか、表面的だったなとか、自分の動機と思っていたけど実は自分の動機でもなんでもなく、過去にコンディショニングされた思考とトラウマや弱みをカバーするためのFAKEだったのかなとか。またはこれも全部思考か!とか(笑)

昨日改めてKSHMRのMasterclassを観ました。目から鱗でした。KSHMRが言ってました。

Fake it till you make it.

2022/9/11

Logic画面がほぼデフォに変わりつつある

昨夜ブログを書こうと思っていたのですが、書こうと思った時にはまぶたに1トンの重さを感じており時遅し。起床して朝から作曲のお勉強をしていた訳ですが、MIDIキーボードを叩きながら異変に気づきます。ピッチベンドを触っていないのに音が曲がっとるんです。トランペットラインで一人だけチューニングバルブガン締めのやつの音(OUT OF FUCKING TUNE)が聞こえるみたいな感覚です。調べてみたらプロジェクト設定のMIDIのインプットフィルターからバイパスできるとのことで一件落着しました。

やっぱり独り言って大事だよな〜と思い、またブログを書き始めようと思った次第です。独り言って言ったって自分との対話ですからね。ぶっちゃけ対話はそれぞれの中で起こっている訳ですから、独り言だってそれは立派な対話であると思うわけです。

さて音楽制作を真剣考え始めて数ヶ月ですが、やはり物事真剣に考えていると宇宙が道標を用意してくれるようで、自分が今まで考えて疑問に感じていたことが徐々に解明されていっているような気がします。例えば、トランスミュージックが好きだし、HIPHOPやEDMも好き、クラシックも好き、LoFiとかも好きだしボカロもゲームミュージックも好きなんですが、いざ音楽制作となると、ましてや自分ひとりで制作する訳ですから、全部を欲張って作っていられる訳ではないわけで。あとは自分の将来を見据えることも重要になってくる。自分の聴きたい音楽と、自分の創りたい音楽と、大衆の聴きたい音楽、という3つの輪が重なるところを戦略的に作っていきたいなと思う。

とりまこの発想まで辿り着けたことすら奇跡。ではLogicへ戻ります。