何かがしたくないのは、その何かがしたくない、つまりその何かが嫌なのではなく、ただ動きたくないだけである

面倒くせー!とか、だる!とか言いますよね。

要は「やりたくない」という意味を遠回しで表現したものです。

でもこの「やりたくない」という気持ち、実は内容は関係なく感じるものだったのです!

つまりそのやりたくない事が、本当に面倒なことであろうとなかろうと、関係ない。

本当にだるいことであろうとなかろうと、関係ない。

その何かがしたくないのは、その何かしたくないのではなく、その何をジャッジ(判別)して「それは自分にとってやる価値がない」と決めつけているだけだったのです。

ただ単に動きたくない。

ただ単にその何かから価値を感じることが出来ない。

それだけだったのです。

人間の行動はただふたつ。

やるかやらないか。

やるならやりたいがのようにやれ。

やらないならただやるな。

いや本当に。

楽して生きたいと思っている限りあなたに成功は訪れない

楽して生きたい。

努力も挑戦もせず、ただただ楽に生きたい。

その気持ちはわからなくもないです。

奮闘せず、苦闘せず、誰にも文句を言われずに一定のお金が入ってきて、自分の好きなことだけして生きたい。

夢のようなお話です。

ただ、このように思う事は実は、一番つまらない人生を送りたいと言っているのと同じなのです。

もう一度「楽して生きたい」の定義をさらってみましょう。

「奮闘せず、苦闘せず、誰にも文句を言われずに一定のお金が入ってきて、自分の好きなことだけして生きたい」

これをよく読み解くと、または裏返すと、次のような定義になります。

「誰とも何とも関わらないため、自分は存在していないと同じ」

楽して生きたいは、生きているとは到底言えないということです。

死んでいるのと変わりません。

楽して生きたいは、生きているのに、一生懸命生きるべき人生なのに、生きたくないと言っているのと何ら変わりはないのです。

楽して生きたいなんて絶対に思わないでください。

人生どれだけ一生懸命生きることが出来るかです。

そして一生懸命は苦ではないことも覚えておいてください。

命ある限り生き尽くすことです。

楽して生きている自分を誇りに思わないでください。

一生懸命生きている自分を誇りに思ってください。

人生は今の自分の成長に必要な出来事を常に与えてくれている

人生は不思議なことに、あなたの内面的成長をサポートする出来事を常に与えてくれています。

どういう事かというと、あなたの人生における真実は、あなたに起こる出来事ではなく、あなたに起こる出来事から生じる、あなたの感覚だからです。

これもまたどういう事かというと、大勢の人間に同じ出来事が起こったとしても、その全ての人が同じ感覚、感情を感じるとは限らないということです。

どんな出来事も、あなたの内面と共鳴する仕組みとなっている。

その共鳴が起こらなければ、どんな出来事もただの風のように過ぎ去るだけとなるのです。

そしてこの共鳴は、あなたが、あなたに起こる出来事に抵抗すれば抵抗するほど大きくなる仕組みとなっています。

内面的抵抗です。

内面的抵抗があればあるほど、あなたの人生は窮屈に感じるようになっている。

内面的抵抗があればあるほど、あなたの持つ人間本来の創造力が封じ込まれてしまうのです。

この仕組みを心得ることが出来たら、あなたの人生で起こる全ての出来事を、あなたの成長のために受け止めることができるようになる。

全ての出来事が、あなたの内面的抵抗を減らし、あなたの持つ本来のチカラを解放するための試練となるのです。

これが分かれば人生で良いことも悪いこともないこともわかることでしょう。

人生は今の自分の成長に必要な出来事を常に与えてくれているのです。

YouTube動画を数本ガチで作ってみた感想

たまにはブログでも書いてみましょうかね〜。最近はと言いますと、う〜ん、ちょっとブログには書けないとある実験をしておりまして、それがようやく終わりそう、というところです。ライフ・レッスンの記事は気が付いた時に、そしてできれば毎日書いているのですが、こうして自分のTHE ブログを書くのはおしさしぶりです。いやもうようやく人間の生き方がわかってきたというか、このブレイクスルーにて表現したい「生きる事そのもの」が自分を通じて体現されてきている、というところでしょうか。今まで以上に感覚が統合されてきているのは間違えないのですが、まだまだ自己コントロールが難しいなと感じている今日このごろです。

さてブログらしい事を書こうかと思うのですが、マジで何もないです。毎日起きる時間も変わらないし、食べるものも変わらないし、することも変わらない。幸せを感じるわけでもないし、不満を感じるわけでもない、ごく中性な日々が連続しています。

そうだ、YouTubeね、実際に何個か上げてみた感想は、う〜ん、YouTubeは内容よりも継続性かなという結論。どんな番組でもいつ放送されるかわからない番組だったら視聴者は困るし、もし登録者が本当に僕の動画アップを心待ちにしているとしたら(僕も動画アップを心待ちにしているチャンネルが何個かあるので)、動画アップの感覚が空きすぎると、マジで次いつあげるの?って思っちゃったりして、IR(Investor Relations)と言わんばかりに、VR(Viewer Relations)、つまり視聴者との関係性(信頼関係)が重要なんだと感じました。継続性というか、そう、ここですね。関係性をどれだけ保つかという結論。結局ビジネスと一緒です。連絡遅い人は話にならないし、コミュニケーションが取れない人も話にならないわけです。

やっぱり最初はYouTubeを始めるにあたって、少なからずヒットしたいなとか、次のスーパーユーチューバーになりたいなとか思ったりしてたのですが、やはりそれでは続かないなぁと。当たり前だし、モチベーションの保ち方としては完全に宝くじマインド。当たれ!ではダメ。モチベーションが外に向いてしまうと、絶対に続かない。これはYouTube活動以外にも言えることだと思います。ということでやはり思い切ってガチで動画を数本(米語レッスンだけですが)作ってみて、動画のクオリティもさることながら、マインドセット的にも確実に学びがありました。結局は自分がやりたいかどうか。自分のためにやれるかどうか、ということですね。また創作活動がんばりまーす。

人に当たる時は自分に当たっている

人がムカつく時ありますよね。

何をしてもムカつく。

何をしてなくてもムカつく。

何を言ってもムカつく。

何も言わなくてもムカつく。

そしてその人にあたる。

自分の苛立ち、自分の怒り、自分の不満を人にぶつける。

そういう時ありますよね。

八つ当たりってやつです。

誰でも八つ当たりはしてしまうものです。

八つ当たりは人に迷惑だし、する側もされる側も心地よいものではありません。

される側も理解に苦しむと思いますが、実は人にぶつけている自分の方が末期なのです。

自分の苦しみを人のせいにするなんて、終わってます。

ですので、もしあなたが人に当たっているなと感じたのであれば、それをすぐさまキャッチする必要があります。

他人に当たる自分をキャッチして、すぐに軌道修正をしなければなりません。

自分への苛立ち、自分への怒り、自分への不満を、自分で消化せずに他人にぶつけている自分を正さなければならないのです。

でないとあなたのその苛立ち、怒り、不満は膨れ上がる一方。

人に当たれば当たるほど、どんどん負の渦に飲み込まれていくことでしょう。

自分の感覚は自分で責任を持ちましょう。

欲しがるのをやめると平安が訪れる

人間を生きる中で、不幸、不平、不満を感じる時は、何かを欲しているのにも関わらず、それが実現されない時です。

こうあって欲しい。でも実現されない。

これが欲しい。でも実現できない。

こうなりたい。でも実現されていない。

致し方ないです。

人間は無い物ねだりをしてしまう生き物です。

何を達成しようと、何を手に入れようと、追加できるものは無限に存在しますから、100を欲しがり、100を手に入れたところで、次は1000、その次は10000が欲しくなる。

人間の仕組みですので、否定する必要もありません。

そういうものです。

しかし、この欲求を上手くコントロール出来ないと、QOL(Quality Of Life = 人生の充実感)が著しく低下します。

何を達成しようと、何を手に入れようと次が欲しくなっては、いつまでたっても欲望を追うだけの人生になってしまうのです。

欲しがることは悪いことではありません。

しかしこの欲しがることをやめると、自然と不幸が消え去り、幸せというポジティブな高揚感ではなく、ニュートラルで中性な平安が訪れます。

あなたの感じる原因不明の不満、不幸は、あなたが実際に不幸というわけではなく、あなたの人生が特別に不満なことでもなく、ただ単に欲望という幻想を追ってしまっている無限ループから抜け出せない、というだけかもしれません、というかだけです!

まさかあなたの感じる不幸、不平不満の原因がそれだったとは、驚愕の事実です。

他人の特定の行動に繰り返し気付く場合、その行動に何かヒントが隠されている可能性がある

職場でも学校でもどこでもいいです、家庭内でもいいです、誰かの行動が気になる時ってありませんか。

嫌な行動、やめてもらいたい行動とか、変えてもらいたいこと、やけにうざく感じること等、人の行動が気になって気になって仕方がない時ってありませんか。

そう思うことが一般常識からの判断なのか、あなたの個人的な価値観からなのかはさておき、なぜあなたはその人のその行動が気になるのでしょうか。

大衆的に見ても、その気づいた行動はおかしい行動かもしれません。

百歩譲ってもその人のその行動は異常な事かもしれません。

しかしそれに気づく人と気づかない人がいるということは、それに気づいたあなたは、その行動がもたらす感情に共鳴する何かを持ち合わせていたということになります。

例えば、著者の経験からすると、初対面なのにも関わらず、私はその初対面の人と話したこともなく、一言も声をかけていないのにも関わらず、後々聞いてみたら、その人は自分(著者)のことをうざい、むかつく、気に食わないと感じ、話しかけることができなかった、という言われたことがあったのです。

よくよく話を聞いてみたら、その人は私を見てすぐに、このような感情が湧き出たといいます。

「自由に振る舞っているのがムカつく」

しかしこの思考、共鳴は、その場にいたその人にしか起こらなかったです。

つまりこの共鳴は、自分が自分に与えている制限を、他人(今回の場合は私)を通じて知ることとなった、という現象になるのです。

他人に思うことは自分に思うこと。

いえ、思うことは自由ですが、他人を通じて感じる感情は、あなたの真実なのです。

だからこそ、人は全員神様であると言われるのです。

あなたの真実を見せてくれるからです。

他人がもう既にやってるからとかマジで関係ない

あなたが例えば何かにチャレンジしてみたいとします。

行動に移してみたい、自分もやってみたいと思うとします。

なのに、こう思ったりして自分の行動を制限してしまう時があります。

もう誰かがやってるし。

そう思う気持ちもわからなくもありません。

自分がやっても意味がないとか、もう始めるのには遅いとか、自分にはその誰かにはなれない、とか思ったりする。

なぜそのように思ってしまうかと言うと、取り組みの内容よりも結果が優先してしまっているのです。

ただやってみればいいものを、その誰かにみたいに出来ないし、と思ってやらなくなってしまう。

しかしその「誰かにみたいに出来ないし」という発想は、良くも悪くも正しいのです。

なぜかというと、そのあなたがチャレンジしてみたいことは、その人にしかできないこと。

つまり、まだ「あなた」によって成されていないのです。

色々な人、多くの人が同じことをしていたとしても、まだ「あなたバージョン」は実現されていないのです。

ということは、あなたが何をしようと、あなたが何にチャレンジしようと、あなたが何を創造しても、それは前代未聞のことなのです。

ですので、他人がもう既にやってるからとかマジで関係ないんです。

あなたがまだやっていないのですから。

成功は実感できるものではない。日々小さな積み重ねをするだけだから。

成功したいとか思う人がいると思うのですが、成功ってあんまり、というか実感出来るものではないんですよね。

競技で優勝した人がよく勝者インタビューで「実感ないですね」って言うのを聞いたことありませんか?

もしくは「まだ、実感が沸かない」とかというセリフを聞いたことがありませんか?

要するに、本人にとっては、ただやるべきことをやっただけの話。

本人が体感してきた事とは、成功というイメージとは真逆の「日々の小さな積み重ね」だけということです。

どうしても人間は結果を好む動物です。

自分のことであろうと他人のことであろうと、取り組みが結果に繋がることを求めるのが人間なのです。

ただ、その成果主義というアイディアが、日々の小さな積み重ねの体験よりも重要視されてしまうと、不具合が生じます。

日々の小さな積み重ねが出来なくなってしまうのです。

小さな積み重ねしかできないのに、成功のイメージが先行しすぎて、小さな積み重ねができなくなってしまうのです。

ですので成功は追わないでください。

勝ち負けか、成功か失敗かは、他者とあなたが決める結果論でしかない、ということ。

自分の取り組み重視で。

一生懸命に取り組みましょう。

今しかできることないんやで。だったら人生かけてみろ。

人生はいつまで経っても続くように感じるものです。

特に10代20代の頃、老いも老けも感じない時は、まだ自分が若いという感覚さえなく、何をしていてもいつかどうにかなる、というような感覚で生きているかと思います。

しかしそうダラダラしている内に10年が過ぎ、20年が過ぎます。

すると10年経っても、人生特に何も変わっていないように感じます。

どういうことか。

「いつかどうにかなる」は幻想だったということです。

人生は今が連続しているだけで、もし今、今日本気で生きれないとしたら、それはずっと本気で生きれないと一緒なことなのです。

ただ、その本気になれるかはいつ始まっても遅くはないということ。

一生本気で生きれずに死ぬ人がほとんどですから。

でももしあなたがこの事に気がつくことができたらどうか。

この人生は、この人間として体験する「今」という空間を生きることであり、今を生きる姿勢が人生を形作っていくということに気づくことが出来たのであれば、あとはひたすら静寂と共に事をこなしていくだけです。

そしてその本気で生きれる場所は、今しかない。

だったらあなたの一度きりの人生、この今にかけてみてはいかがですか?

あなたの人生を変えることが出来る、唯一のゲートウェイ:今という空間です。