生きていく上で、多くの行動の動機が「自分の存在意義を誰かに示す」ということが、つい最近の僕の中であったような気がします。自分でも乗り越えていたように感じていたのに、まだまだ全然あった。それこそ将来に救われたいような期待だってあったと思います。まだこれが達成できていないから俺はダメだとか、自分の描く成功に到達してない自分はダメだとか、結構ありました。その成功に近づくためにあれをしてこれをしてみたいなね。ていうか、なんだろう、実際の行動よりもイメージ先行みたいな。んで実際やってみるとだるかったり。
ここで面白い考察ですよ。じゃあその「成功に近づく」とか「自分の存在意義を誰かに示す」ですけど、別にそれらを思うことになんら問題は無いわけです。そしてそれらを思って行動に移すことだってなんら問題はないわけです。
じゃあここでの一番の問題は何なのか。
だるさです。
行動に移した時に感じるだるさ、すなわちその唯一の積み上げの作業にいざ取り掛かった時に感じるその「だるさ」は、生きることへの拒否反応他ならないのです。
何を求めようとそれは人の自由。ただ、求めるがゆえに自分が決めた行動がだるいと感じるなど決してはあってはならない!