Breakthrough始動

今宵、21st night of Septemberでございます。Earth Wind and Fireです。Septemberと言えば初秋。ここ数日で長袖長ズボンデビューしまして、久々のひんやりモードです。

明日は粗大ゴミをなんと3つ出すということで断捨離も進んで明日からまた家の波長が変わること間違いなさそうです。

それよりも何よりも徐々に執筆活動が形になってきているのですが、やっぱり全部の記事をひとつのサイトにまとめようと今日結論付きました。テクノロジー、英語、自己探求、Web制作・マーケティングの4つのカテゴリーを別サイトに分けようと思っていたんです。それで今自己探求のサイトをBreakthrough(ブレイクスルー)と名付け、週1のペースで投稿を続けられているものの、実はそれ以外のカテゴリーの執筆も、大鹿から帰還以来、僕のEvernoteにガッチガチで書きまくっているのです。しかし本日とある問題点に気づきました。ひとつのサイトに記事をまとめていかないと、記事がサイトごとに分散されてしまい、アクセスも分散されるし、サイトオーソリティも分散されるしで、メリット無しだなと!

でです。このShoki.jpにまとめようと思っていたんですが、別にこのShoki.jpは誰かに読んでもらいたい訳でもなく、公開されているものの、半分僕のプライベートジャーナルになっているし、僕を思い切り出していきたいという訳でもないので、まとめサイトにShoki.jpを使う択は無くなりました。

では僕の会社のサイトか?いや、別に会社を広めたい訳でもない。Web制作の仕事を増やしたいという気持ちもない。vastill.co.jpでも無いなと。したらもうBreakthroughに全部まとめてやろうと!確約しました。

Breakthroughを運営する会社にバスティルがあると。納得です。

Breakthrough(ブレイクスルー)とは、打開、躍進などの意味を持つ言葉です。記事やコンテンツを通じて、読者にブレイクスルーしてもらいたい。そして運営執筆を行う僕もこのサイトを通じてブレイクスルーしたい。そんな思いを胸に命名したプロジェクトです。

ということでですね!Breakthroughの構想はなんと2012年くらいからあったのですが、ようやく始動ということで、これからもどうぞブレイクスルーをよろしくお願い申し上げますm(_ _)m

https://www.shoki.jp

人生で何をすれば良いかわからない人へのメッセージ

将来を考え、10年計画を立てる。これは素晴らしいことで、自己の拡大と人生をより豊かに生きるためのプランニングは、この有限である命を生きる上で必要なことだと思います。しかしこの計画の先にある結果が、人生で唯一感じられる今日という1日よりも重要、つまり今日という1日が、人生における支点(バランスポイント)ではなく、理想と現実の比較から生まれる不満の積み重ねとなってしまうと、いつまで経っても納得しない人生を送ることとなってしまいます。

これではせっかくの生きるという体験が勿体ないです。今日という1日を生きることこそが人生であり、その今日という1日を、自分の1日にしていければ良いのであって、今日という1日が、いかにも生きたくもない1日となってしまっては、本末転倒であります。

人生が楽しいとか楽しくないとかというレベルの話ではありません。生きたくも死にたくもないという非常に消極的な人生となってしまうことが勿体ないのです。

しかしこの人生に感じるその不満を消すことのできる方法があります。それは、今日1日を納得して生きるということです。この記事では、その納得して生きるということがどういう事なのかをお話したいと思います。

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CA99を弾き倒す!

さて今日は何について書こうかしら。何も書くことが無い時は、何も書くことがありません!と書くことで書くことで思い浮かぶという魔法がありますので、まずは何も書くことが無いと書いてみましょう。う〜ん、何も思い浮かばないですね!

今日はどんな事を感じながら生きていたのかを振り返ってみると、あーそうだ!ピアノを買ったんですよ。7月に!電子ピアノね。今まではハードオフで買った3万のRolandの2006?年モデル?を使っていたのですが、やっぱりタッチがクソだし、音はまぁ悪くはないけどそこまで良くはないしで、ずっと新しいピアノが欲しいなぁって思ってたんです。この5年間くらい。そして7月になんと念願の!KAWAIの!電子ピアノの最上級モデル!しかも2月に出たばっかりの最新の!CA99を手に入れたのでございます!これはビッグニュースです。

タッチは最高だし音は最高だしスピーカーはやばいしで、マジでときめきメモリアル。ピアノ練習のモチベーションが頂点に達しているのです。7月に買ってから数週間で大鹿行きとなりましたから、8月はほぼ弾けず、この9月に帰還してからガチでピアノの熟達プロジェクトを開始しようと心に決めていました。

高校の時に独学でピアノを始めたわけですが、ずっと曲しか練習していなく、ハノンやピシュナ、チェルニーなどはノータッチで、基礎ゼロで曲だけを弾けるようになって満足するという形でピアノを弾いてきたわけですが、いつかはしっかりとした訓練をしてみたいと思っていました。そしてその時が2020年の9月、ついにやってきたわけです!

先週までは大鹿から戻ったばかりということもあり、自己の周波数を関東に馴染ませるというか戻すという期間だったのですが、1週間位前からガチでピアノの練習に取り組んでいます。まずはハノンを弾き倒そうというプランで、テンポ60の16分でハノンの練習をこの1週間、日曜日のドラムラインの練習の日以外、毎日1時間ほど取り組んでいます。

するとどうでしょう。指さばきの感覚が明らかにパワーアップ、特に薬指と小指のパワーアップを人生で初めて実感しているのであります!ぶっちゃけ、薬指と小指ってこんなにちゃんと動くんだ!ってほどに、サクサク動き始めている。まだハノンと言っても8番までしかやっていないのですが、これまでに効果があるものかと、我ながら驚いています。

無論、腕から手首、そして指にかけての力のかけ具合、指へ伝達される力の重心を動かす意識など、まるで打楽器の要領で言うフォームや脱力、トランペットで言うアンブシュアを作り上げる感覚など、自分の持つ全ての知識と経験を練習に取り入れ、それらも上達スピードを上げる要因となっていることは紛うことなき事実でしょう。

書くことあんじゃんね!

給料と年収を上げるために知っておきたいお金との付き合い方

自分の稼ぎに満足していない。自分の稼ぎでは足りない。好きなことが出来ない。このような問題はどう解決していけばいいのでしょうか。これはただ転職して給与の高い仕事に就けば良いという問題ではありません。そしてこの記事はネットで稼ぐ方法を紹介するものでもありません。

あなたが感じるその不満という感覚そのものを、お金ではない別の角度から立ち向かう心得を紹介するものです。

給料が年収が低いから感じる不満は、実はお金が原因ではなく、お金が理由で自分が制限されてしまうことにあります。つまり年収と給料を増やしたいという気持ちがあっても、自分がどのようにお金で制限されているかを真っ向から理解できれば、お金よりも日々過ごす感覚のほうが大切であることがわかるようになります。

お金の性質を理解し、お金に支配されるのではなく、お金との健全な付き合い方を心得る。お金がすべてという人生ではなく、お金は人生体験の一部であること心得る。これがお金を越えて生きるためには必要となります。

本記事では、お金を越えて生きるための心得を5つ紹介していきます。これらの感覚で日々取り組んでいけば、自ずとお金のフローが生まれることでしょう。ポイントは、お金を稼ごうとするのではなく、意識を変えていくということです。

お金の仕組み
ありがとうの数値化

まずはお金の仕組みを見ていきましょう。
私たちががお金を使うときはどのような時か。一番身近な支払いを何点が挙げてみると、水道光熱費とスーパーでの食費でしょうか。これらの消費は普通すぎて何も感じないかもしれませんが、これらはすべて生活の基礎となっていることです。どんな消費の先にも必ず、どんなに小さくとも「ありがとう」があるはずです。

ではこのありがとうをもっと感情レベルで感じられるシーンを挙げてみましょう。ずばり命に関わるシーンです。家族や飼っているペットの命が危ない時、そして私たち素人には何も出来ない時、医師に救急をお願いし、一命を取り留めた時には、莫大な感謝の意が込み上げてきます。

上記2つは極端に異なるシーンですが、ありがとうというジャンルに変わりはありません。 このことから、「お金はありがとうが数値化されたもの」ということがわかります。

心得1: お金はありがとうが数値化されたもの。忌わしいものではない。

Breakthrough

全世界共通お金を味方にする方法

さて本題です。 この記事は、お金を稼ぐ手段や職業を紹介するものではありません。どんな人生、どんな職業、どんな人生にでも適用することのできる、法則と心得の紹介です。法則はルール。心得はお金に対する考え方と言えば良いでしょうか。稼ぐ方法(仕事の種類)を紹介するのは簡単ですが、それ以上にしなければならないのは、自分の人生においてお金とどう付き合っていくのか、という万人共通である内容について理解を深めることです。
お金を越えるための5ヶ条

  • 給料以上の仕事をする
  • 自分以外にお金を使う
  • 貯金よりも貢献や投資を意識する
  • お金での競争をやめる
  • お金は幸せではなくツールである

これらを心得て、これらを基礎に行動していけば、自ずと給料や年収はアップするに違いありません。それぞれの内容を具体的に見ていきましょう。

給料以上の仕事をする

野球選手の年俸のイメージです。期待値としての年俸がありますが、その期待値以上の仕事をそのシーズンで成し遂げない限り、翌シーズンの昇給は見込めません。その反対に、期待値以下の仕事しか出来なければ減給です。それは誰でも分かっていることですが、この法則をもう少し詳しく掘り下げてみましょう。

給料が低いからモチベーションが上がらないならやめた方が良い

高卒新人のルーキーが、年俸が安いからと言って練習にも真面目に取り組まず、いざスタメンに起用となってもテキトーなプレイをしていたらどうなるでしょうか。即座にクビでしょう。なんのために野球選手という職に就いたのか。そんなやる気がないなら、みんたやめた方が良いと思うと思います。

どんな仕事も同じです。 給料のせいで一生懸命に働けないのであれば、さっさとやめて一生懸命に働ける別の職に就きましょう。もしくはいっそのこと独立して、無理矢理にでも一生懸命働けるような環境を自分に課すべきかもしれません。どんなことでも一生懸命やる。これが人生を切り開くための四大原則のうちのひとつです。

給料以上の仕事をする、の本当の意味

もっと感謝されるような言動を心掛けることです。お金はありがとうの数値化である点を思い出してください。お客様にありがとうと言ってもらえるような対応をする。そこまで求めてなかったのにそこまでやってくれたのですか?ありがとうございます!と言われるように頑張る。これはお客様への対応だけに留まりません。同僚や上司、取引先の人。すべての人から感謝されるような人になれるように行動を変えていくのです。

人からどう思われるかどうかは気にするべきではないものの、人があなたを思い出した時、どんなことが思い浮かぶでしょうか。

彼は良くやってくれた。彼女は素晴らしい対応をしてくれた。一生懸命やってくれた。

もしくは、

彼は適当で雑だった。彼女からは思いやりを一切感じられなかった。もう頼みたくない。

逆の立場であればどちらを思いたいのか。熱心で、思いやりを感じる体験をしたいとは思いませんか。これを続けていけば、必ず道は開けます。そしてあなたの仕事相応のお金が必ず入ってくるようになります。

期待値以上の仕事をし続けるという問題ではありません。自分の感覚が第一にあるということです。この感覚を続けていると、必ずチャンスは訪れます。

心得2: お金から得られる感覚ではなく、日々仕事をしている時の感覚を整える。感謝されるためではなく、自分ができる最大限のことをしよう。

Breakthrough

自分以外にお金を使う

ちょっとでも良いから、周りの人にお金を使って振る舞うことしてみていただきたいです。人のためにお金を使って、そのお金で人の笑顔を見ることは、稼ぐことよりも嬉しいこと。その振る舞うという行動は、お金の量には関係なく、お金に対する意識の問題です。今振る舞う気持ちがなければ、お金が増えても振る舞うことは出来ないのです。
私たちがお金持ちになりたい本当の理由は、人に見せびらかしたいからではないはずです。自分の可能性を広げ、家族や友人とより良い体験をしたいからだと思うのです。私たちの気持ちを分かち合う。生きる歓び、お金でできる体験をより多くの人と共有したいからだと思うのです。

お金は薪と一緒。薪を割るのは一人でも、暖を取るときはより多くの人と分かち合えたらいいですよね。

心得3: お金を共有できる感覚は、持っているお金の量とは関係ない。自分以外にお金を使って、お金でできることを共有しよう。

Breakthrough

貯金よりもどうお金を使えるか

次に浪費、消費についてです。当たり前ですが、お金は使って初めて効力を発揮します。もしあなたが、とある物を買うため、もしくは旅行のために貯金しているとします。それは素晴らしい貯金だと思います。しかし目的のない「よくわからないけど貯金をしたほうが良いと思うからする貯金」の場合、貯めるまでは良いものの、使ってはならないというような感覚に陥りがちです。

つまりお金持ちというのは、たくさんのお金を持っている、という意味ではなく、どれだけのお金を使えるか、で計れるという事になります。ただ単にたくさんのお金を持ちたいだけなのか、それともそのお金を活かせるような本当の意味でのお金持ちになりたいのか。
稼ぐスキルも大事ですが、上手に使えるスキルの方がもっと大事です。

お金を使うときの感情のお話

お金を貯金して、ちょっと大きな買い物をするとします。例えば30万円の新しいパソコンを一括で買うとなれば、それはもう思い切らないと買えません。しかしここで着目していただいたいのが、お金を使う時の感情です。

「あ〜こんな高い物買っちゃった。お金が減っちゃったよ〜。でも欲しかったし〜。うはー!」のような場合、購入という行為とは別に、預貯金が減ったという事実と連動して、自分の懐(ふところ)にダメージを感じるということがあります。特に誰かがあなたを傷つけたわけでもなく、脅迫されたわけでもないのに、お金が減ると、何故か自分の大切な何かまでもが減ってしまった。そんな感覚に陥ってしまうのです。欲しかったものが手に入れられたのにも関わらずです。

これはお金とあなた自身が同一化してしまっている証。お金を使うときの感覚、感情を意識して、自分とお金が一緒になっていないか、観察するようにしましょう。

心得4: お金が使えて初めてお金持ち。お金が減ると同時に、自分の感覚も減らないように注意しよう。

Breakthrough

お金での競争をやめる

いつから年収や所持金額の背くらべが始まったのかはわかりませんが、お金で競争や比較をするという感覚を捨てなければなりません。そもそも競争するようなものではないですし、競争したところで上には上がいます。友人や知り合いの稼ぎと自分の稼ぎを比べたところで、得るものなど何もありません。競争があるべき場所は(競争という言葉は相応しくないかもしれませんが)、自分自身との競争です。競争というよりは、より良い人生を送るための取り組みと言ったほうがいいかもしれません。

つまり自分の取り組みの質を上げることや、自分の人間力向上を意識して、昨日の自分と比較、競争しながら生きることが出来れば、どんどん自分が成長していっている事を感じられると思います。それが人として生きる生きがいのひとつでしょう。

ましてや「私はあなたよりお金があるから偉い」なんて思っている人がいたら無礼極まりありません。お金がないから私はお金のある人とは対等に話すことができないとか、お金がないからお金のある人の言うことは聞かなければならない、お金がないからお金のある人の前では自己表現を遠慮してしまう等など、お金が自分より上等となってしまうことは最大級のエラー(機能不全)です。

逆もそうです。お金が増えたら偉そうな態度を取るとか、人を見下すとか。お金で人を判断するような人にはならないでいただきたいです。お金での背くらべは資本主義における「都会病」です。日々やるべきことをやって、美しく生きる。お金で競争したって何ひとつ良いことはありません。

心得5: お金で優劣を決めるのはやめて、お金で自分の価値を計らないこと。

Breakthrough

お金は幸せではなくツールである

お金があったところで、お金が使えなければそのお金の意味はなさないわけで、使えるからこそお金に価値が生まれます。あるものがお金と引き換えに入手できる、という法則が根本にあるわけです。

ということはお金持ちになったらいいな、とか、お金に追われなくなればいいな、などの「たられば」の感覚でお金と付き合っていると、お金の本当の役割を忘れてしまいがちです。等価交換で使えるツールというよりも「自分を救ってくれる魔法の何か」と感じてしまうようになるのです。

お金がないのであれば、ただ単にお金がない。それ以上でもそれ以下でもありません。なかったらないなりに、買えるものが買えない、旅行に行けない。それだけです。しかしその事実や、お金が自分と同一化してしまっていると、お金がなくなると不幸に感じ、お金が増えると幸せを感じるという、外的要因に自分が振り回されるようになってしまいます。

薪で暖を取るのお話と同じです。真冬に薪がなかったら寒い!金がなかったら金で買えるものが買えない!ただ単に向き合うべき事実です。落ち込む必要はありません。落ち込んだところでお金が増えるわけではありません。お金が無いならそれに伴う事実を受け入れる。買ってあげられないのであれば、それをただ伝える。

「お金がないんだからそんな事言わないでよバカ!」
「誰のお金で生きてると思ってるの!?ワガママ言うんじゃない!」

など、感情的になる必要はありません。

「今それを買えるお金がないんだ。ごめんね。」

ただそれだけで良いのです。

心得6: お金は幸せではなく交換のためのツール。感情と繋げる必要はない。

Breakthrough

この法則はお金にだけ適用されることではない

私は理想の彼女・彼氏が出来たら幸せになれる。お金持ちになったら幸せになれる。あれやこれを達成したら幸せになれる。こう思うことはすべて、外的要因(自分以外の何か)に自分の幸せが振り回されているということになります。

想像してみていただきたいのが、今この瞬間、あなたがこの記事を読んでいるこの瞬間ですが、上記のすべてをもうすべて手に入れたとしましょう。理想のパートナーと出会いました。お金持ちにもなりました。色々なことを達成して、多くの人に認められるまでになりました。すべて手に入れました。だとしてもです!今あなたが家でひとりでネットサーフィンしているのか、通勤通学の最中にこの記事を読んでいるのか、どんな状況でこの記事を読まれているのかはわかりませんが、この今という瞬間は、あなたが手に入れたすべて(パートナー・お金・実績)があろうとなかろうと、変わらないのです。

いる場所も同じ。吸う空気も同じ。理由は簡単で、あなたがそのすべてを手に入れた瞬間、それは過去となるからです。ですがここで矛盾が生まれます。私たちが期待しているのは、将来に起こる出来事に自分を救ってもらうということです。パートナーに出会うこと。お金持ちになること。実績を積み上げること。それらが自分を救ってくれることを信じて突き進み、手に入れた瞬間過去となり、あなたを救うことはなくなる。

これらの理想は、頭で作り上げる漠然としたイメージであり、実体験とは全く別なのです。何かを追い求めるのではなく、今日という1日、今というこの体験を自分の支点、言い換えるのであれば、自分の幸せの基礎をイメージではなく、生きていることを感じられる今日の実体験にしていくということ。

お金以外にも、自分はどんな概念とくっついてしまっているのか、同一化してしまっているのかを是非観察してみてください。それに気づいて、自分とその思い込みを切り離すことが出来れば、本当に大切なものは「自分が大切に思っていたもの」ではなく、「自分の揺るぎない感覚」であることが分かることでしょう。

命とアライン

書くことの歓びを感じている今日このごろであります。僕の母方の祖母は詩を書くのが好きだったそうで、それを継ぎ母親も文才高く、その遺伝子を継いでいる僕も文章を書くことが好きなようです。一時期はこのブログを毎日書いていましたが、特に何も意識することなく続けていて、夏の大鹿滞在から戻った今、またこの日々のジャーナリングの効果を感じ始め、前もどこかで綴った記憶がありますが、歯を磨くような感覚で、日々の感覚のリセットに非常に良いことなのだと再認識しています。

今日感じた事は、1日のルーティンが人生を創り上げていくということ。聞こえは単純ですが、日々生きる中で、一瞬一瞬に自分の感覚に耳を傾け、その時その時に何をすべきかという命の声を聞き、行動に移すということは凄まじい充実に繋がり、さらに事がパーフェクトに流れていくという、正に命とアライン(align = 揃う・整う, alignment = 整列)しているという感覚になるのです。

さて今日も生き尽くしました。しばし故郷に帰りたい(寝たい)と思います。ぐっすり寝れそう。

天からの仕え事

人生不思議なもので、なんだかよくわからないけど頭が冴えない日がたまに訪れるものです。今日はそんな日だったような。いや、こう書いてみると別にそうではない気がしてきた。ワーカホリック発症なだけかもしれない。というか朝庭の草むしりをしていて、蚊に刺されたあたりから1日が面倒になり始めた?(笑) 僕もようわかりませんが、今日は久々に新しいお仕事が決まり、久々にZoomでクライアントミーティング。クライアントと言ってもLAの友人のパパなのですが。いつこうご縁があるかはわかりません。

ただ本件、面白い発見、というか実験?をしてみた案件なのです。もしです。あなたの稼ぎは、働いた分だけ収入があるのではなく、あなたの今のヴァイブレーション相応の、つまり意識状態が許す収入となる、という宇宙の法則があるとしたらどうでしょうか。もちろん働いた分だけ収益になるというのは間違っていないと思いますが、自身の定義する価値は普遍であり、それらに基づき収入が決まるのではないか、と思ったのです。この宇宙の法則が本当に適用されるのか否か、自分で試して実証してみたかったのです。

具体的な数値の公表は控えるものの、僕の会社はここ半年間ほど、毎月ほぼ同じ額の売上を達成していました。僕の会社は営業会社ではないため、仕事を得る手法は様々というか、来たものを拒まず対応するのみ、つまり天から任された仕事のみで回しているのです。紹介、知り合い、またはSEO対策の一切なされていない僕の会社をWebでたまたま知った人の3パターンしかないのです。仕事発注サイトでの受注提案などは一切していません。

そんな中僕の会社は珍しくも(2,3年に一度訪れるのですが)、来月から先の仕事が一切決まっていませんでした。この忙しい時期と、暇、と言ったら失礼ですが、ちょっとスローペースな時期の差が激しく、忙しい時期は半年先まで受注ストップ!のような時もあれば、今みたいに、ヤベェ仕事ねぇ!みたいな時期もあるわけです。

しかし今回の場合、実験的に「ヤベェ仕事ねぇ!」と思わないでみようと思ったのです。そう思って焦ったところで何も変わらないし、仕事が舞い込んでくる訳でもない。敢えて落ち着いて今進行中の仕事を淡々と進めたり、ブレイクスルーの記事を書いたり、家の断捨離、庭の手入れでもかましたろうとか、普段というか今までの精神的な癖を意識的に捨て(無駄な抵抗の断捨離か!)、お金だけでなく、仕事、人生の流れは天に任せよう。自分でどうにかできるものではない。そうスイッチを切り替えていました。

売上の数値の話に話を戻します。そう、だから我がバスティル株式会社は、ボク個人がこれだけの収益を上げたいと思い、努力した上で毎月の数字を達成している訳ではないので、これは僕がどうにかできるものではないという事は、火を見るよりも明らかでありました。そんな中新しいお仕事のお話が舞い込んで来ました。なんでこの人からこのタイミングで?理解不能!というような感じはいつも同じで、常々天からの仕え事をいただいているのです。そして10月の確定売上があまりにも少なかったので、最近の平均からその確定金額を差し引き、マジでテキトーに「この金額がお見積りになります!」と提示したら、すんなり通った。というお話でした。無論、そのレベルのお仕事でありましたがね… フフフ

面白いですね〜。人生。

生き方のお話

2020年9月14日。昨日は死んだ親父の誕生日でした。僕は今31歳ですが、最近のぼくはと言いますと、完全OFFに近い状態の感覚で日々を過ごしています。近い状態と敢えて言うのは、何もしたくないバケーションモードの完全OFFのそれとは類の違う完全OFFなのです。私たちの身近なツールに喩えてみると、スマートフォンの中には沢山のアプリがあるかと思うのですが、このアプリがすべて起動していなく、ただスマートフォンが起動している状態のような感じです。電源は入ってます。フルチャージです。自分が最高の精密機器であることは自覚しています。でも肝心のアプリが起動していないのです。アプリなくしてスマートフォンの利便性や可能性は語れないですよね。でも今はアプリを起動する気分にもならない。どんなアプリでも起動できると知っています。敢えてアプリを起動していないと言ったらいいでしょうか。逆にスマートフォン周りの片付け(断捨離)や、オレは一体どんなアプリを起動したいんだ?なんて考えながら、このスマートフォン(自分自身)の使い方ないし活用方法を考えている感じです。

失礼、アプリという言葉を使うと少し語弊があるので説明し直します。言い換えると、オレとは一体全体なんなんだ?!というテーマに、自分の行動を外に向けるのではなく、自己の内面に意識を向け、そもそもお前はこの人生で一体全体何がしたいんねん?(どんなアプリを起動したいんねん?)って自問しているわけです。

答えは簡単に出てくるものではありません。簡単に出てきてもらっても困りますし、でもそろそろ答えに辿り着きそうな兆しも感じもしています。

ではこの自己探求の道のりを進む中で、何をすべきかというと、これは夏の大鹿の滞在時にインスピレーションをもらっていました。無意識を無くす、すべてを説明できるようにする、自分の世界を作る、の3つでした。これら3つのインスピレーションは、大鹿の山奥に住むイギリス人のティムを通じてもらったものです。彼は僕の1つ下で1990年生。5年ほど前にイギリスから大鹿に移住して来た面白いやつで、彼とは去年の春に繋がりました。その彼の生き様なのか方針なのかはわからないのですが、マジで自分の世界を創り上げているのです。無論僕のファミリーの大鹿チームも世界を創り上げていますが、ティムの場合は彼のイメージする世界が鮮明すぎて、それをタバコを交えながら熱心に語ってくれるのですが、我々都会人のもつ人生、いや幸せの定義から正反対の理想を掲げて生きているのです。無論、大鹿村という標高1,200mの山奥に住むレベルであれば、そのような理想、そして生きることへ対する熱意を持って生きているであろうことは僕もある程度は予測してはいたものの、今回始めてティムと多くを語ることが出来て初めて、彼のその熱意の熱さ、生きること、そして共同創造への覚悟、そして死へ向かうまでのジャーニーを考える様を知ることできました。すべてがショッキングな内容だったのです。

これを機に、私平山翔樹は岐路に立つこととなったのです。これは仕事やお金云々の話ではなく、お前の創りたい世界はなんなんだ?!という大きな張り紙のある岐路です。ティムの生き様からしたら、オレの生き様はなんて生ぬるいんだ。そう感じました。

お前の求めていたものはそれだけか?いや、お前は何を求めているかさえも分かっていないな?お前は何がしたいんだ?

そんな声が聞こえたのです。そのためには少しでもティムを見習い、お寺の修行と言わんばかりに、まずは形から入ったろう。そう思いました。僕がWeb制作会社を営み、どれだけの技術と経験と感性を兼ね備え、どんな大きな会社と取引できようと関係ないのです。そんな浅はかな、他人が定義できるようなレベルの話ではないのです。生き方のお話なのです。

翔樹よ、お前はどう生きどんな世界を創りたいんだ?

背中を押される

Twitterを一時期熱心に更新していた時期があったのですが、最近は、自分が発信すべき内容を見直すという名目で、一旦は頻繁なツイートは控えています。ただこのツイッターというプラットフォームを通じて、自分はどのように人類に貢献できるのであろうか、ということをまだまだ考えている最中です。

そんな中、たま〜にTwitterは開くのですが、本日久々に開いてみると僕のこのブログで昔投稿した記事をどなたかが見つけ、なんとその記事を引用ツイートしてくれていたのです。まぁこれはツイッターの歴史上初の出来事だと思われます。Shoki.jpの記事が紹介された!というね。https://www.shoki.jp/balance-and-permanance/

もちろん自分の書いた記事を引用までしてくれて、インスピレーションを受けたというツイートは嬉しかったのですが、やはり私の方向性はこの方面にあるのではないかと。テックとか英語とかもやりたいんだけど、やっぱりインスピレーション(ライフ・レッスン)系のメッセージ発信に趣きを感じるわけです。

自分の書いたコンテンツが誰かの人生に少しでも良い変化を与えた。その歓びの一角を味わったような、そんな朝でした。そしてその人のフィードバックに背中を押され、さらに僕はその方向性に確信を持つのでありました。

怒りとムカつきを減らして人生のクオリティを上げる方法

怒ることって悪いこと?

怒りとムカつきはあなたの力を封じ込める

喜怒哀楽の中の一つである「怒り」という感情。人間だけでなく、自然界の生き物にはこの怒りという感情は誰もが持っています。そして人間の持つ怒りには2種類あります。ひとつは全ての生き物に共通する、威嚇や自己防衛としての怒り。そしてふたつは、何の目的を果たすこともない、自分の中で感じる他人や出来事への苛立ちです。この記事では後者の怒りについてとなります。

この考察における興味深い事実は、後者の場合、その他人がその場に居なかったり、その出来事が過ぎ去ったとしても、怒りを継続して感じる人がいるということです。つまり、その怒りを感じたところで、今この瞬間を脅かす出来事を回避できるわけでも、シチュエーションを変えることが出来ることもない「怒り」があるということです。果たしてこの怒りを感じることに意味や目的はあるのでしょうか。

さらに面白いのが、この怒りは自分で抜け出すのが困難であるという点です。なぜ自分が奴にムカついているのか、そしてなぜ自分は正しくて相手は間違っているのか等など、自分の思考で自分の怒りを正当化しようと、頭の中で架空のストーリーを語り始めます。その架空のストーリーは「自分」にとってのお話で、誰もが同じことを考えない可能性もあるのですが、怒りの行き先が無いため、「とにかく自分が正しいことを自分に繰り返し言い聞かせる」という罠にハマってしまいます。この罠こそ、「目的を果たさない怒り」の正体なのです。

POINT: 目的を果たす怒りなのか、ただ単に自分の正当化したいだけなのか。その違いを意識!

怒りをなぜ減らしたいのか

邪魔だからです。その感覚を持って生きることが、私達の創造活動にとって邪魔でしか無いのです。別の言い方をするのであれば、目的を果たさない怒りは全て無駄なエネルギーの消費、エンジンの空ぶかしとなってしまうということ。自分の燃料を使うと同時に、エンジンにもダメージがある。良いこと一つありません。そのエネルギーを別の創造に使えるのに、意味のない怒りで消耗してしまっては本末転倒。我々は他にすることが山ほどあるのです。

スティーブ・ジョブズがあの有名なスタンフォード大のコメンスメントのスピーチで「他人の人生を生きている暇はない」と言いましたが、今回のお話に通じるものがあります。それは、他人を自分の中で作り出し、それに怒っている暇などない、ということなのです。どう考えても無駄な消費であることが分かります。他人への怒りを減らすということは、より自分の人生を生きれるようになること、とも言えます。

感情に負けない自分を作る

感情は思考に対する体の反応です。思考と体が同一化している場合に、感情に飲まれてしまうという現象が起こります。しかし「負けない」という表現になると、感情と戦わねばならないという風に捉えがちですが、ここで言う負けないは「感情と同一化せずに、感情を俯瞰できるようになる」ということです。本記事にで取り上げている感情は「怒り」ですが、怒りという感情はどんなシチュエーションにおいても、取り組みの質を下げてしまいます。

情緒を安定させる

思考がブレるならまだしも、感情が不安定になってしまうと、体の機能そのもの、人生そのものが不安定と感じてしまいます。怒りの根本は自分を自由にさせていない場合や、とある状況を勝手な決めつけで悪者扱いしている場合が挙げられますが、四六時中何かにムカついていたら、物事が捗るわけがありません。生活的な安定の前に、感情的な安定を維持することが、健全な生き方の基礎となります。

人や物事に左右されなくなる

自分の人生、自分の取り組み、自分の体。一番知っているのはあなた本人です。怒りは大抵、外的要因、つまりに他人や出来事によって引き出される感情ですが、この怒りが全くもって意味をなさないことが分かれば、人や物事に反応しなくても良いことがわかるようになります。外的要因は外的要因に過ぎず、それらにトリガー(引き起こ)されるのが「怒り」の感情になります。些細なことで振り回されていた時の自分は、それを無意識に「気になるものリスト」に追加していたのです。この気になることがどうあなたの人生に役立つことなのか、振り返ってみてください。役に立つことはないでしょう。

怒りとムカつきの根源

ではこれらの感情はどこから発生しているのか。それがわかると怒りという感情の正体がわかるようになります。仕組みが分かれば良いのです。どういうプロセスで怒りという感情が発生するのかがわからないから、戸惑い、怒りに乗っ取られてしまいます。

無力感

むりょくかん。これは自分に現状を変える力が無い時に感じるものです。自分ではどうにもすることが出来ない。だから怒るしか出来ない。さてその怒りに実用性はあるのでしょうか。怒っている先は大抵の場合人になりますが、その人に怒り、なぜそうなってしまったのかを問い詰めたくなるようです。問い詰めたところで、時遅しであったのであればどうでしょう。果たしてその怒りに意味はあるのか。もし現状を変えられる、または打開策があるのであれば、怒らずに交渉すれば一番健全です。

高慢・傲慢

人は大抵、目上の人や、立場的に上の人には怒らないものです。この場合、どうにかして怒りの感情を言葉に変えて、感情をぶつけるのではなく、論理的に言及をすることでしょう。ということはです。怒りを誰かにぶつけている場合、あなたは勝手に上下関係を作り上げているのです。私のほうがあなたよりは上であるという幻想を作り上げています。それが友達同士であろうと関係ありません。あなたはその人より偉いから、その人に怒りをぶつけられる。そう思ってはいませんか?

過去の再生

これは共通の原因からトリガーされるものではなく、人それぞれがもつ過去の実体験やトラウマによってトリガーされる怒りです。そして注意しなければならないのは、これらの怒りは怒りの感情そのものが再生されている(繰り返されている)のではなく、自分が特定のイベント(出来事)と「自分」が同一化してしまっているためにトリガーされているということです。

「またか」「何度も言ってるじゃないか」などの思考が出てきた場合は要注意です。その出来事と怒りは別物で、そう感じるのは、出来事の内容からではなく、出来事どう捉え、どのような解釈をしたから、その怒りが浮上したのかを観察しなければなりません。

演出

自分と相手二人だけでいるときは怒らないのに、観客(家族のメンバー、友達、通行人など誰でも)がいる場合に怒りを見せびらかしたくなるようです。「見たまえ!『私』は『コイツ』のした『悪い』ことに腹が立っている!『みんな』見ろ!『コイツ』は許せない!『私』が『正しい』ことを証明してやる!」

不必要な怒りです。

ここで注目すべきは二重括弧の部分です。
『私』『コイツ』『正しい』『悪い』『みんな』

怒り演出のプロセスのひとつに、
「正しい私 対 悪い相手」
という式があり、さらに周りの人々(みんな)の同調を求めるという傾向があるようです。

欲望

欲望の裏にあるものが奪取です。半沢直樹1の東大阪スチール社長の東田がクラブで追い詰められたシーンを覚えていますでしょうか。東田は不正取引で12億円を溜め込み計画破綻。しかし半沢はそれを突き止め、その12億円を回収します。それが分かった東田は取り乱し、怒りの感情を半沢にこうぶつけました。

「オレの金返せぇ!」

欲望とも言えますが、自分以外の何かが「自分」と同一化してしまっていると(この場合はお金)、その対象が無くなると、自分がなくなったかのような喪失感に駆られ、怒りとして現れるようです。

自分を生きれていない

自分を生きるの意味は一体何なのか。自分の言動が下記のいずれかに該当すれば、自分を生きていない可能性があり、その自分への嘘が怒りの原因となる可能性があります。

  • 誰かを見返すために物事を選択している
  • 誰かの期待に応えようとしている
  • 今の私は不十分で、完成するには何かを達成しなければならないと思っている

時間の幻想

あなたが追われているその時間は、実在する期限に基づいたものでしょうか。例えば、明日16時のフライトが決まっていれば、その時刻には確実に遅れてはならない、実在する期限であると言えます。もしそのフライトに間に合わないようなことがあれば、怒りとは関係ないレベルで「私は今行かなければならない」という選択ができます。切迫した状況でも冷静に決断できるのです。

しかしこれが時間の幻想となると「私には時間がない」という思考が、実用性のない怒りを浮上させ、あなたをコントロールし始めます。特にこの怒りは、想定外の出来事が起こった時などによく現れるようで、この仕組みを理解するためには、まずこの「私には時間がない」という感覚は、常に起動しているがとある出来事が浮上するまで感情がトリガーされれない、潜在意識的な状態であるということを理解しておかなければなりません。

この「時間の幻想」についての考察は、ここでは到底書ききれるものではないので、別の記事で改めて解説するとしますが、「こんなことやってる場合じゃない」とか「なんで今?」のような、心理的な時間からトリガーされる怒りが浮上した場合は、とあるあなたの決める重要なことを今やらなかったとして、本当に重大な損失があるのか?もしくは、本当にそこに「時間」はあるのか?自問してみると良いでしょう。

怒りを減らす方法

ここまでに書いた内容が理解できれば、どのように自分の怒りと付き合っていければ良いのかがわかるはずですが、怒りの感情コントロールをさらに上手に行うための心得を別の角度から見ていきましょう。

内容と感情を分けて捉える

内容とは、出来事のことです。同一の出来事を10人が経験したら、10人全員が同じ感情を感じるとは限りません。ということは感情はあなただけのもの、という方程式が成り立ちます。怒っても怒らなくても状況が変わらないのであれば、感情を切り離してその問題に向き合ったほうが楽だとは思いませんか?怒りそのものには役割はありません。そして怒ることが悪いというわけでもありません。

一人で怒ったところで何も得られることは無いと知る

これを心底から認めることが、怒りという感情を越えるために必要となります。自分の怒りを人のせいにして、一体何が得られるのでしょうか。相手も自分も気持ちよくはないでしょう。その上何が残りますか?気持ち悪さだけです。それよりも、なぜ今自分に怒りの感情が浮上したのかを掘り下げてみましょう。決して相手のせいではないと思います。自分が勝手に作り上げたルールを守れていない自分に嫌気が指しているだけだと思います。

怒りは自分の中からしか出てこないと知る

感情のスイッチは自分の中にある。この事実をあなたは認められるでしょうか。感情の仕組み自体はこちらの記事にて解説していますが、感情は思考と体がぶつかったときに発生する波動です。とある出来事を見て、感じて、初めて感情の波が出来上がります。怒っているのは相手のせいだ、と言いたくなるのはわかります。しかし本当のところは、相手の言動もしくは出来事を通じて、自分の中の怒りが浮上した、というのが正解になります。

さいごに

私自身も多くの怒りに悩まされてきました。自分の場合、大半の怒りはやはり、自分が自分を自由にさせていないことが一番だったと思います。さらにもう一つ重要なポイントとして、自分自身への怒りがほとんどであるということです。これはどういうことかと言うと、自分の持っている思考や、自分の持っているルール、自分の持っている善悪など、自分が決めつけたことが怒りの原因となっているということです。

さらに、まだ起こってもいないことに怒りを感じることもあります。これも自分が勝手に未来がこうなると決めつけ、存在もしていないその「確定したと見える未来」に怒りを感じたりと、巧妙なまでにこの怒りの感情は私たちを追ってきます。

しかし大丈夫です。この怒りの感情があるからこそ、私たちは私たち本来の姿に気づき、人間として成長できるようになります。この感情をコントロールし、自分を生きるためのアラート(目覚まし時計)と捉えることが出来れば、怒りは怒りではなく、本当に大切なこと(心から自由に生きること)のサインポスト(道しるべ)となってくれることでしょう。