あなたが何に取り組んでいようと、自分の描写する世界に高み、すなわち上達や成長を見出すことは出来ません。
要するに他人の評価で自分の高みを測るなと言いたいのです。
外(他人・世俗)があなたをどう見ようと、どう評価しようと関係ない。
自分の高みは自分で決めろ。
そして自分の納得と自分の体験、経験に高みがあることを肝に銘じよう。
あなたが何に取り組んでいようと、自分の描写する世界に高み、すなわち上達や成長を見出すことは出来ません。
要するに他人の評価で自分の高みを測るなと言いたいのです。
外(他人・世俗)があなたをどう見ようと、どう評価しようと関係ない。
自分の高みは自分で決めろ。
そして自分の納得と自分の体験、経験に高みがあることを肝に銘じよう。
自分がムカつく事、ムカつく人を書き出しましょう。そして何故ムカつくのか詳細に理由を書いてみましょう。そうするとその事柄や人物がムカつきの真の原因では無いことがわかるでしょう。
嫌悪感は全て自分の中で起こっていること。
嫌悪感を書き出すことで、嫌悪感を客観視し、嫌悪感と自分を切り離すことができるのです。
そうするとあら不思議。その「ムカつき」は消えてなくなったことでしょう。
ここ最近の僕の人生で一番の不思議が彼とのコラボレーションです。彼は今はプロフェッショナルカメラマンとして活動しており、僕の手掛けるサイトの写真や、僕のプロフィール写真を依頼したりなど、今では必要不可欠となった僕の人生における唯一のカメラマンです(中目黒の萱野さん覚えていますか)。
彼は僕がロサンゼルスに住んでいた頃の高校の同級生で、同じ日本生まれの日本人として、外国の地で共に闘った盟友(聞こえは偉そう)であります笑
彼は生後間もなく親の仕事の関係でアメリカに移住したらしく、僕よりも断然アメリカ歴が長いのですが(僕は7年彼は23年)、どうしても日本語で僕と会話したいらしく、高校時代も今も、ほぼほぼ彼の英会話を聞いたことがありません。
まあそんなことはどうでも良いのですが、功大と将来一緒に仕事をすることとなるとは、お互いこれっぽっちも想定していなかったことでしょう。
彼のような変人と、この最強になりつつある翔樹のこれからの人生でコラボしていける事実は、改めて凄い幸運なことだなとただただ思うわけです。
彼と居て感じたことは「目に見えなく、かつ複雑で重要な、価値と意味を創造し、世の中に我々の爪痕を残していきたいという願望なのか価値観なのか、そのセロハンほど薄くかつ重く、計り知れない熱を帯びた思い」が我々の共通点であり、それ以外は全くもって真逆の人間であるということ。
思考回路も異なっているし、窓(視界)から見える景色の着眼点も全く別。ただ、上記の思いが共有しているため、ところどころで意味不明な共通点が存在しているという、当事者である自分も異色にしか感じられない二人なのである。
彼に撮ってもらった2019年翔樹の写真集はこちら
んでヤツのサイトは沖縄のカメラマン
“大量摂取は”です。ウォッカやジン、テキーラなどの酒がスピリットと呼ばれるのには訳がある。あなたの魂(霊《読み同じ》)に蓋をしてしまう事が出来る効力を持っているのだ。酔っ払う、人が変わる、記憶が飛ぶ。霊に間違いなく作用していることがわかる。
では何故人間の可能性を封じ込めるのか。簡単である。酒を飲みながらクリエイティブなことは出来ないのである。マリファナやLSDなどを用いた幻覚系アーティスト(アレックス・グレイ Alex Greyなど)の存在はたまに目にするが、酔っぱらいアーティストなど聞いたことがない。
私自身は酒を受け付けない体に運良く生まれたが、もし飲めてしまったら毎日でも浴びるように飲みたいくらい酒は美味い。そりゃ居酒屋やバーは繁盛するわけである。
飲酒を反対するわけではない。私もごくたまに日本酒をお猪口に1cm、ビールをコップに3cmは家族との会食の際に頂戴する。決して自らは購入しないが…
創造とは絵画や物作りをやれという事ではない。あなたの宇宙を創造することだ。そしてまずは思考の正しい使い方をマスターすることだ。
行動(現実化)と計画(プログラム)は別物だ。行動にはできるだけマインドを持ち込まない事だ。そして時間と心にスペースを持つことだ。
期待や不安に溢れたプランニングではなく、ジャッジメントの無いタスクリスト、行動の順番を考えるだけだ。
余計なマインドが発生しない空間作り。
「行動にマインドを持ち込まない事」
「全ては幻想。ならばその幻想を最高のものにしてはどうかね」
by 世良健一
これはもう耳にタコができるくらい聞いた事があると思いますが、呼吸は人間の機能の中で、唯一、自動で行われるかつ、コントロールできる動作です。これは何を示すかというと、自動で運転している人間の機能(臓器や循環)を、呼吸を通じて調整、改善、修復できるということです。
つまりです。健康に気をつけるという名目で食べ物を変えたり、サプリメントを摂取したりするということは、呼吸が浅かったり、呼吸を意識的に行えていない場合、栄養の100%の効力を発揮することができないのです。
息を吸えないところまで吸いましょう。吐けなくなるまで吐きましょう。そしてこの呼吸に感謝しましょう。食べていかなくてはならないとか言いますが、食べるよりも、息していかなければならないのです。
息してる?(shoutout to chintem)
Or not how much you can make within a year.
Some people make a lot of money, but they are so afraid of spending that money. Because the concept money takes up so much of who they are, spending feels like as if something within themselves is taken away.
If you wanna become rich, learn how to spend money. So when you spend that money, there is no trace of regrets or feeling of you lost something.
Know that by spending money, there are people being saved off of it. Appreciate money, and give it out like you have unlimited money.
あなたは感じない何かを、他の人は感じる場合があるということ。あなたにとっての当たり前は、その人にとっては当たり前ではないということ。
当たり前とは、魂レベルの学びにおけるその人の立つ現在地のことです。色々な出来事に揉まれながら生きると、些細な事に気にならなくなることがありますが、この原理と一緒です。
すなわち自分がどれだけ自分の感情をコントロールできているか、どれだけ自己とエゴの分別が出来ているかという部分がまだ未熟な人にとっては、どうでも良いことでも重大事に感じてしまう訳です。
その人はあなたを攻めてくるかもしれません。あなたのせいにしてくるかもしれません。でもそれはその人のスピリチュアルジャーニーの道のりで現れている、その人の感情。
人が無意識に陥ってしまっている事に気づいたら、それを認め、受け入れてあげる必要があります。その人が、その苦しみは「自身の無意識、またはエゴの仕業である」と気づくまでは、そっと見守るしか無いのです。その無意識な状態にあるその張本人を、お前の無意識だ!と責めることはご法度であり、無意味なのです。
人はそれぞれ学びの段階が違うということを受け入れなければなりません。
なつかしいなぁ〜ブログを毎日書いてた日々。3日連続でブログ書くの何年ぶりだろうってくらい思っていますが、2014〜2015年くらいかな、毎日ブログを書いていた時期があったんです。でも当時ってただ日記を書くだけで、自分の中での方向性というか、人生のテーマがそこまで決まっていなかった。もちろん、毎日書いていたので、書くそのものの行為は上達しましたし、自分が書くことが好きであるということも知ることができました。要はこのブログ立ち上げから2016年半ば頃まで熱心に何の目的もなく日々思ったこと感じたことを綴ってきたのです。
そして2016年半ば、ジェイとの出会いを境に、一旦このブログから距離を置くことになります。ジェイと出会ったのは2016年の7月ですから、もうすぐで4年ですね。4年もの間、言い方は変ですが、自分の表現?というか自分の内面の整理?要するにアウトプットをしない訳ですから、インプットもままならない訳です。どんな形であれです。
しかし決して自分の探求をないがしろにしていたわけではありません。その時その時に自分の正しいと思ったことを実施し、経験から学ぶスタイルは変わらず貫いていました。そして地獄も見ました。一度地獄に足を突っ込むと、この他愛のない日常がヘブンでしかなく感じるとか、色々と人生という体験への見方も変わりました。
3日目ということで執筆のエンジンもかかってきました。多分この家に引っ越してきてからここまで会社のブログ以外で書いたことは無いレベルかもしれません。ジャーナル以外の記事創作のアイディアを練り始めるとします。色々な人から影響を受け、会ったこともない人に恋をし、人生のテーマが決まってきました。
Or I could say, how conscious you are, could be measured under pressure and under challenges. And around unconscious people.
Because these three things are challenging. They aren’t very easy to go through. So when one of these things occur, you are pretty much up to a test. A test to see whether you can stay calm and conscious. If you can’t, then that means you got lost. Lost in unconsciousness.
Think about it. If you take a closer look at whatever challenge that you are about to solve, there’s no need to tense up. Tensing up does not serve any purpose at all!
Back to the title though, it might be misleading to say that who you really are is under pressure. That’s not a correct way to put what I’m trying to say here. It’s better to say, you will know how detached you are of challenges, by how much of resistance you feel to challenges.
If you feel anger, jealousy, grievance or whatever kind of negative emotion due to a circumstance, then you have some work left to do. Some work left to take care of. As in your spiritual growth. To separate this movie and the watcher.