2019/10/28

発信を3週間強続けて思ったこと

自分が生む価値は何なのだろうか。ここ最近になって意識し始めている事柄です。自分が一番長けていることは何か、そしてどう他の人類に好影響を与えられるのだろうか。静かに激しく伝導する叡智の響きに日々耳を傾けています。
自分自身で創造し、かつ自分自身で完結する価値があるのであれば良いのですが、せっかくならばそれらを使って、他者にも僕を通じて表現されている叡智を知ってもらいたい。色々な人に僕の定義する生きる価値を分かち合いたい、と思うようになった、と言えば良いでしょうか。自分の感じていることをいざ文字に起こしてみると非常に難しい感覚であります。
ここ数週間でまずは発信できるようになりました。発信を通じて自分を知れるようになりました。最初は自分でも実はよくわからなかったんです。自分がまさかこのような感覚(発信したいと思う感覚)を持つようになる事さえも想像できませんでしたので、まさに天に動かされているような感覚なのです。だからこそ自分でも正直驚いていました。え、ショーキお前いきなりどーした?的な感じです。泳げないというか水さえ知らないのに、プールに突き落とされた感じ!でも前から泳ぎたかった自分もいて・・・。
そして自分が何を発信したいのか。何を宇宙の叡智の一部として発信すべきなのか、少しずつですが理解できて言ってるような気がします。
あーあとひとつ、あのね、SNSで影響力を持つには、やっぱり内面と外面のバランスが必要不可欠みたい。無駄なのに、ビュー数とか誰が観てるとか意識しちゃってた時があったんだけど、これはかなり人生の質を下げるみたいw 数を追うのは良い。でも打つ手打つ手ひとつひとつを、打った後には手放していく、ということが大切だと思います。
昨日LA時代の高校の同級生の良太の結婚式に行ったので画像も載せときまーす。






結婚おめでとう良太!

2019/10/15

自分以外に自分は探せない

今日が終わる前に、今日寝る前に、今日のことを書けと。はあちゅうが言うならそうするよ。というかそうしてたんだけど、なぜかここ最近記事を書いたのは全部朝起きて直後の8時頃。それ以外の過去の記事はほぼほぼ全部寝る前か大体夜に綴っていました。では、はい、本日のことを忘れないうちに綴る。そして明日それを読み返すと。読み返すのはしてなかったから、やってみようと思う。多分最近やってるインスタストーリー上げの動画を全部自分で見直すって感じだろうね。だから書いている時と、読んでいる時は意識状態が違うから、行間が読めるようになるということだと。まぁそれは技術的な話であって、本題はこれからです。
要はこの毎日における学びと拡大が尋常じゃないレベルのスピードで成されていっており、正直ブログになんて書ききれたもんじゃないんです。もう深すぎ。まぁ何が起こったかを簡単に言うと、I amとmy selfが隔離されて、その新システム(新というか永遠のシステム)に機種変し、自分との統合性を高めるフェーズに入ったのですが(10月4日辺りから)、そのフェーズがヤバいんですとにかく。今までの30年間の人生で築き上げた全てのルールが覆されている感覚で、自分単体ではなく、意識体としての自分がこの媒体(翔樹)のマスターとなって再スタートしたイメージ。内面的な変化は言葉に表せられないけど、気付き的な?閃き的な?翔樹の名言集はツイッターに上げていますので見てみて。
じゃあ何を書きたいかって?「自分以外に自分は探せないよ」って事かな。あとは「自分が目指すものにはなれない」事とかも。だってもう自分は完成しているのに何かを目指すことなんかは出来ない。ただ最善を尽くせば良いだけ。そして全ての出来事に影響されないこと。
この曲聞いて、一緒にアセンションしちゃいましょ?

2019/10/6

本日はお日柄もよく 原田マハさん著のスピーチ小説

What a beautiful day!

原田マハさんのお仕事小説、「本日はお日柄もよく」を読み終えました。27歳かな?OLからスピーチライターという天職に転職した二ノ宮こと葉のストーリー。参院選に立候補することとなる幼馴染のスピーチライティングを任される、というお仕事がメインディッシュとなる小説です。こう書くと如何にもつまらなさそうな説明であります!(笑)ぶっちゃけ僕も最初の半分はマジでつまんねぇって思いました。この30歳としての翔樹の魂レベルでの親父として君臨しているオノさんから推薦を受けた時は、オノさんが勧めてくるのだから読むしかないと思うわけですが、最初の半分は本当に苦痛でした。そもそも僕が本を読まなさすぎってのもあるんですがね。読書家の叔父からも言われましたが、どんな小説を読んでても、どんなに読書歴が長いからと、どんな小説は冒頭は「闘う」必要があるのだとか。だから最初の半分がつまらないと感じるのはどんな小説でも同じなのかもしれません。いわゆるビルドアップが必要なだけなのですが。

一番印象に残ったシーン

由比ガ浜公会堂の最終決戦シーンですよねもちろん。いやマジでこれ打ち込んでから初めて気づきました。そりゃ最終決戦印象に残るだろボケ!みたいな。その最終決戦前、あと20分で最終のスピーチが行われるという時、主人公こと葉のライバルから電話があります。今すぐ会って話がしたいと。そのライバルは同じ選挙区の敵陣立候補者のスピーチを書いているライターで、同じ会場(由比ガ浜公会堂)に居たのですが、そのこと葉とライバルが会話するシーン、マジで号泣。内容は複雑すぎてここには起こしませんが、こんなメッセージを僕は感じました。

自己の先入観から悪人と決めつけてしまう人間の性、でもそれは先入観と自己完結的な頭の中のストーリーであり、先入観の裏側には本当の愛がある。だから苦境の時こそ耐えて!苦境には一番の打開策、チャンスが隠されている!

今後に役立つと思ったこと

一番は言葉の使い方次第で相手の感じることは変わる、ということ。当たり前に聞こえますが、意図的に行わないとこれは難しいスキルです。常に聴いてる側の気持ちを忘れずに、エンターテインさせつつ、愛を感じさせるように話す、事を書くことが1人間として出来る最高の表現であること間違い有りません。特にクライアントとのメールでのやり取り、電話での通話、打ち合わせでの対話が多くある仕事ではかなり役立つことだと思います。

初めて知ったこと

選挙がテーマであるため、選挙活動の裏側について少し知ることが出来ました。もちろんこの小説で出てきた選挙活動の描写は氷山の一角に過ぎないのは承知ですが、特に政界の善と悪の描写が印象に残っており、政界での大きな勢力と対峙することがどれだけ険しい戦いなのかも知れました。さらにスピーチが人の心を掴めるということ。そしてスピーチ力がこの人間界において評価されるスキルであり、極める価値のある技術であるということ。

こんな人にオススメ

気持ち恋愛小説感も入ってて、バリバリの仕事だけじゃないのが本当に良かったと思う。やっぱり人間には対極となる性エネルギーが創造の鍵となっていることも感じる一冊でした。じゃあ誰に読んでもらいたいか。う〜ん。間違いなく、大鹿村に住んでいる連中にオススメは絶対しないです(笑)次のキーワードに何か共鳴するのであれば読んで良いと思います。
仕事 スピーチ 選挙 スピーチライター OL 広告代理店 政治 出馬 お仕事恋愛 結婚
こうキーワードを書いてみると、やっぱ僕みたいなハタチから10年間仕事してきたアラサーあたりの人には結構面白い小説になるのかなぁと。

2019/10/2

自分の考えを記事として言語化することで初めて自分のものとなる。

アウトプットを語る前に、まずはインプットって一体何やねんって話です。インプットを意識するのと意識しないでは、日々の生活においての意識状態が変わります。インプットを意識しなければ、人生をどう生きたいのかという自分に課す根本的な課題もおろそかになりますし、惰性で時間が過ぎ去って行ってしまいます。僕的には、1年前にパニック障害なのか適応障害なのかわかりませんが、それを通じて体を壊してから感覚が変わり、1年経った今は、もっと人生体験を楽しもうという感覚に変わりました。そしてこの感覚になった今、この人生体験をより充実させるために、今までは出来なかった色々なことにチャレンジ出来るようになりましたし、自分の感覚以外のものから満足感を得ようとすることもなくなりました。未来や過去に執着せずに、様々な情報を入手(インプット)し、それらを満足感と切り離した状態で、この美しい人生体験に活用してみようという感覚になっているのです。
このインプットという行動に関しては、今年の8月に30歳を迎えましたが、20歳から今まで、クライアントワークに直結する仕事に役立つこと以外のインプットは全くと言っていい程してませんでした。インプットさえしていないのだから、アウトプットなど出来るわけ有りません。しばらく書かなかったこのブログですが、1年半くらいほぼ毎日書いていた時期がありました。まぁアウトプットとなるかもしれませんが、インプットがあったアウトプットというよりは、自分の人生における気付きや考察が主で、自分の情報収集の整理からのアウトプットではありませんでした。別にそのスタイルが悪かったわけではないです。自分の感覚を言語化する練習になりましたし、ただただ書き続けるという習慣を実現できたということが残ったからです。
そして今約1年半ぶりにこの2段落を書いてみたわけですが、わかりました、ブログを書く意味。アウトプットをする意味。人のためなんかじゃないです。自分の中の情報を整理するためだと思います。だって、一応書いてみたかったことは「なぜインプットの後はアウトプットをすべきなのかを考えてみた」というタイトルに基づく内容なのですが、いざ書いてみると自分の頭の中で色々なことがごっちゃになっているのが良くわかるのです。上手に言語化出来ないから。んで結局この記事を書き終えて、タイトルを「自分の考えを記事として言語化することで初めて自分のものとなる。」としました。