時差ってます。約4時間遅れの就寝時刻なので、インドあたりですか。せっかくついこの前朝型人間になれると思ったのに、太陽光が気象の関係で浴びれなくなり、さらに仕事も重なりこのざまです←太陽光と仕事のせいにするアホ。しかし弟のヒロキくんの彼女がワイハに行ってきたそうで、おみやげにあの誰もが知っているグァバジュースを買ってきてくれたのですが、いやぁ早速飲んでみると海外旅行の味がするではありませんか!ラウンジ?機内サービス?なんでもいいです。とにかく海外旅行という記憶の一部分になっていて、アメリカ便の記憶が蘇ります。来年の頭に久々にロス行きたいなぁって思ったけど、う〜ん、際どい感じです。行きたいのは山々ですが、30歳になるまでは遊んでいる暇などありません。体力があるうちにガッツリ働いて、30になるまでに一旗揚げる!家族そして世を潤わせる。これが先決です。それにしても来年は楽しみだなぁ。だって2015年は学びの年だったから、来年はこの学びを全て糧にして実践できるんですよ!?どれだけぶっ飛べるのか、自分でも楽しみであります。そんなこんなでとうとう11月も明後日で終わり。12月に入ったとしても、気付けばヒロキの誕生日←気付けばチーハタ、気付けば中盤、気付けばクリスマス、気付けば大晦日であります。2015年、悔いを残さず終えられますか?僕は終えられそうです。失敗やミスは沢山犯しましたが、いずれの失敗からも、失敗の苦以上の学びがあったので、結局は失敗ではないんですね。空気を吸えているだけで幸せではありませんか。そろそろギアチェンジして年末ぶっちぎりモードに切り替えます。
月: 2015年11月
疑え
我々が必要なもの、それは事を疑う目です。メディア(テレビやニュース)、人から聞くこと、自ら得にいく情報などなど、全てを一度必ずフィルタリングする必要があるということです。メディアを喩えにしてみると簡単です。なぜならば我々庶民は、情報が本当に正しいかどうかを検証する能力がないのです。ニュースは一方的に情報を発信していますが、それが本当に事実なのかどうかがわかりません。ですから私たちは、「へぇそうなんだ」から、「そうらしい」という解釈に変える必要があるのです。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、本当にそうです。メディアは人間の思考をコントロール出来る力を持っています。世界で最大の宗教はテレビであり、テレビが世界を支配するとも言われているくらいです。ここで面白いのは、コントロールされるかどうかは本人次第で、メディアには全く非がないということ。メディアはとある会社の事業であり、事業目的に沿って淡々とことをこなして(コンテンツを配信)しているだけですし、しいて言えば、メディアの制作者は、上層部からの指示を行動に移しているだけです。一生懸命仕事をしているだけです。すなわち、映るものをどう解釈するかは自分次第。常に疑いの目を持つことが大切です。医療のセカンドオピニオンに似ています。一人から言われたことを100%信じてはならないのです。反対に自分は100%信じる必要があります。自分の中で疑いが浮上してきたら、その「疑い」を疑うべきです。結局自分であろうと外部のものであろうと、まずは疑って検証しないといけないってことですね。人を疑えとは言っていません。自分の解釈を疑えと言っているのです。
プレッシャー
昨夜はエンプティランプ点灯で何も書けなかったので、今日は倍書くとしましょう。
そうですね〜、なんでしょう、何日か前にこのブログにはもう何も書くことがないとか書いたと思いますが、なんだかんだ書き続けられそうです。多分ですが、自分の中の何かに変化が起こっていた最中だったのだと思います。最近は仕事に関することで毎日奮闘していますが、どうにもこうにも先が真っ暗にしか見えなかったんです。先の見えないことをやり続けるのは、普通の人間にとって苦痛以外の何物でもありません。何を何のためにやっているのかわからないから。自分のためでもなければ他人のためとも感じられない。さらに仕事上のプレッシャー、所謂外圧とボリュームに押されると、空腹時に頭が冴えてくるように、プレッシャーに耐え切れんばかりに、逆にHighになってくるのです。
さてここで疑問が残ります。よくスポーツ選手等のインタビューなどで、「プレッシャー」の話になりますが、この「プレッシャー」とは一体なんなのでしょうか。巷における「プレッシャー」の定義は、たぶん恐らく「周囲の期待に応えなければならないという義務感」です。野球に喩えればわかりやすいです。日本シリーズ第7戦、9回裏2アウト満塁の場面でもし僕がバッターボックスに立ったとしたら、僕は莫大なプレッシャーを感じることになります。ではこの9回裏の同じシチュエーションが敗戦処理的試合であったら、そこまでプレッシャーは感じないでしょう。ダーツの試合でもそうです。名手フィル・テイラー(←神)は、自分の試合映像に後付けで解説をするとき必ず「相手にプレッシャーを与え続ける」と言っていますが、周りの期待や自分自身の自分自身への期待や約束がなければ、プレッシャーなどは存在しません。
そう、プレッシャーを与えるのは自分自身の他あり得ないのです。でもプレッシャーは感じて当然です。自分の更なる向上を目指すのであれば当たり前。そして他人の歓びのためならばそれも当たり前だし、原動力にもなります。結論、プレッシャーを感じるのも感じないのも自分次第。プレッシャーを感じても感じなくても、全力を尽くすしかない。しかし目指すところはプレッシャーを一切感じること無い精神力と意識状態、ですね。プレッシャーなんて要らないです。全身全霊で事に取り組む以外術はないのですから。
ちなみにあの新庄剛志はプレッシャーを全く感じることがないそうです。どんな重圧に置かれる場合でも、緊張を全くしないようで、もっと緊張しなきゃ、と思ったくらいだとか。
色々と書いたけど、結局人生ずっとプレッシャーですよ。これからも圧力鍋に強火をかけ続けていく所存です。プレッシャーかけてかけまくって、最強になればそれで良いんです。
いつかは大爆発しますから。
K.O.
ダメだ!寝る!1時半!
エスプレッソ企業
I NEED SUN! 太陽光不足の平山です。マジで洒落になりません。太陽光がないと本当に鬱になってきます。仕事の量からしても鬱になりかけてるのに、太陽光まで浴びられないとか、リアルにエネルギー不足になります。というか僕は仕事に追われるために独立しているのではありません!自由に、そして自分を大切にして、自分のペースで仕事をしたいから独立しているのです!このままでは、というか現にブラック企業化してますw 笑い事ではありません。完全にブラック企業です。自分が代表だから誰にも迷惑を掛けてはいないものの、同じ仕事量を雇用者に与えていたとしたら、ブラックもいいところ。う〜ん、そうですね、アルティメットブラックです。わかりました、エスプレッソです。エスプレッソ企業。はい、弊社はエスプレッソ企業です(爆)やってんらんねっつの!なんて言えません。誰だっけな、サイバーエージェントの藤田さんか誰かの本で(読んだことはありませんが)、「憂鬱でなければそれは仕事ではない」みたいな本がありました。それって本当なんですかね。もう魔の11月ですよ。マジで憂鬱。とは言っても、仕事以外は全く憂鬱ではありません。体の調子も良いし、ご飯もしっかり食べてるし。仕事が憂鬱だと言ってはいますが、仕事が苦であるわけではありません。ただ単に多いんです。しかもほぼ全てが11月納品。これで神が僕に華を持たせてくれなかったら、う〜ん、宇宙はどうにかしてるとしか言いようがありません。まぁいざとなったらクソ喰らえって形でレッドゾーンで仕事します。エンスト覚悟で。
MON CAFE、ハマってます。とうとう出会いました。最強のインスタントドリップコーヒー。
掃除機と炊飯器
2008年に帰国してからの7年間、我が家には掃除機がありませんでした。埃は箒とちりとりで、仕上げは雑巾をつけるタイプのモップがけです。そんな我が家に、先日掃除機がやって来ました。親戚の家からのお下がりです。お下がりと言っても、当時は4,5万したらしいくらいの物で、吸引力や使用感は申し分ありません。ただ、吸い取る部分の頭の付け根の何かが壊れてしまったらしく、それ以来使わずに押入れの中に入っていたというのです。直せば使えるということで、お下がりとしていただき、破損物修復担当に任せたところ、無事修復に成功。ついに我が家にも掃除機という代物がやってきた、という訳です。やはり箒で掃いていた時とくらべて、掃除の面倒くささがまず違う。気軽に掃除できることは素晴らしい発明であります。仕事はハイテクでも日常はアナログな我が家ですが、もう一つ。どんな家にもあるであろう物が我が家にはありません。炊飯器です。掃除機はさすがにアメリカ時代とその前の東京時代にも家にありましたが、炊飯器だけは、僕が記憶する限りでは、我が家で一度も見たことがありません。聞いた話によると、母方の三姉妹の各家庭には、炊飯器がないそうです。いとこのRちゃんは、ご飯は鍋で炊くものだとずっと思っていたらしく、友達の家で初めて炊飯器を見た時、さぞかし驚いたとのことです。逆から考えれば、炊飯器を知らない人に遭遇したほうがよほど驚きますがねw ってことで、掃除機を掛けてスッキリして、圧力鍋でご飯を四合炊いた翔樹でした。てか最近ELTにハマってます。ハマってるというか、もともとファンですが、久々に聴いてやっぱり良いなと。特にいっくんのギターソロは鳥肌モン。
1ヶ月半限定のジャパニーズミドルスクール
まだ書いたことのないとある昔話がありました。中学校体験入学のお話です。僕は小6の終わりからLAに渡り、高校卒業までLAにて現地校に通っておりましたが、実は中学3年の時に日本の中学校に1ヶ月半ばかり体験入学というものをしたことがあったのです。アメリカの夏休みは2ヶ月半くらいありますから、その長さを活用して、6月の中旬から8月に入るまでの1ヶ月半、日本の中学校に行ったんです。期間限定で、最初で最後の日本の中学校体験。タメのいとこが居て、そいつの通っている中学の同じクラスに入っちまうという、まぁ気楽な体験入学です。誰も知らなかったらそりゃフィール・ソー・エイリアンですから。しかも、いとこん家にはもっと小さい頃から訪れていたし、そいつの友達も数名知っていました。だから僕はラッキーな事に、「K介(いとこ)のクールないとこ」という待遇を受け、それはそれは楽しい1ヶ月半を過ごしたのでした。そのお陰で帰国した今も、たま~にコンビニとかで中学校の時の友達とばったり会って話したりするんです。地元じゃないけど全く知らない場所よりは地元、みたいな。やはり住む場所はご縁ですね。今日コンビニでその中学校の時に友達と会ったので、あっそういえば的な感じで綴りました。Have a nice weekend folks!
ぶっ叩き続ける
12時20分です。感覚的には夜中の3時です。不思議です。ようわからん感じで時差ってます。てか今日思ったんですが、僕のミッションは欲を無くすことなのでしょうか?金銭的なです。お金が出て行く度に「あー」とか思っていたら、アホみたいですよね。というか実際そうなんですが・・・。いや、半々位です。せっかく頑張って稼いだのにーって思うと同時に、払う分だけ稼いでて良かった〜って思うこともあります。いやぁしかし平成元年生まれは遅咲きであることを願うばかりです。なーんか無限ループみたいな人生送ってるし、生きてる意味あんのかなとか思うこともあるし。でも死にたくはないし!笑 でも思うんです。人生やめたくなるってことは、一生懸命生きている証拠なんだと。だって目の前に越えなきゃならない壁が無い人だったら、別に人生嫌にならないと思います。のほほんと生きれているから。でも目の前に達成しなければならないことがあって、切磋琢磨しながら生きていれば、そりゃなかなかうまく行きませんから、そりゃ人生嫌になるわけです。はい、ただ単に自分を肯定したいだけです。僕は頑張ってるよね、って。でもガチで頑張ってます!胸張って言えます!毎日をクソ思いっきり生きることが成功への近道だと信じて、ひたすら壁を叩きまくるしか無いんです。叩き続けるしかありません。松岡修造の言葉、
100回叩くと壊れる壁があったとする。でもみんな何回叩けば壊れるかわからないから、99回まで来ていても途中であきらめてしまう。
はい。ぶっ叩き続けます。
課題
何も書くことありませんけど、とりあえずというか、人生と同じで先の見えないこのブログですが、書き続けます。やっべぇホントに書くことないですw まぁもう仕方がないので自分の内面をまた書き出すとしましょう。ここ数日は今まで通り黙々と仕事をこなしておりますが、やり方を変えないとこれ以上の仕事は出来ないかなぁ、というのが正直な感想です。まず、一人ではもう限界と感じていますが、これは効率的に事をやっていないからで、一人が限界だと言っていても、この状態で誰かを雇ったりパートナーを得たりしても何も変わりません。携わる人が増えるだけで、内容が何も変わらないのです。そうです、これが今の僕の問題点です。「何」をするかが問題なのではなく、「どう」するかが問題なのです。せっかくなので会社の組織を掘り下げてみましょう。社長、ディレクター、プロジェクトマネージャー、デザイナー、エンジニア、管理部、営業部、広報部、経理部、社員食堂部、掃除・雑用部、音楽部、動物お世話部、技術研究部。この位でしょうか。書いて良かったです。それぞれの部署を極めていかなければ、良い組織、良い会社にはなれません。現状は、それぞれの部署がアップアップしていて、どれもごちゃまぜ。全ての部署がしっかりと循環し機能するためにはどうすれば良いか、これが今の僕が考え、解決していかなければならない課題であると認識しています。
Shoki.jpとは一体
とうとうネタ切れか。自分の内面に関することも十分書いたし、ビジョンややりたいことについても書いた。精神論も大いに語った。多分僕が今まで学んだ人生論は、一年に渡るブログ記事執筆で、全て書き出してしまったのかと思います。本にすれば150ページ位の文庫本くらいにはなるんじゃないでしょうか。もう何も書くことはないです、自分については。書けるけど、ただ繰り返しになるだけだし、書いたところでどうにもならない。これから先は、自分自身へ自ら語った生き方を、どのように実践し、それらを別の形に変えていくかが問題になります。ブログを書き始めて1年ちょい、最初の一年は、過去に何も書いてこなかっただけに、自分の表現をひたすら書き出すだけでしたが、これから先も同じ事をタラタラと書き出していくのであれば、ブログを書く意味はないと思われます。気付きを記録すると言ってもね、もう気付き果てたし、日常的な近況報告をしてもどーでもいい。だから今、このShoki.jpは何故存在しているのか、宇宙全体からしてどのような位置付けで、どのような役割をもっているのかを、問いただすべきだと思うのです。別に俺は有名人でもないし、個人的な事を書いたところで、どこの馬の骨かわからんやつの個人的な事なんて誰も興味を持つわけがないのです。