2015/9/30

ショートノート

今年で僕が本格的に事業を始めてから、4年目です。始めた当初は、どうなることやらと思いましたが、おかげ様で続けることが出来ました。しかし今だから言えますが、僕は初心を失いすぎました。図に乗りすぎました。というか語れば語るほど腐るような自虐的要素を羅列することになるので、あえてポジティブに表現してみますが、いい意味で、やっとビジネスとは何かが分かるようになってきた気がしています。結局、結果オーライってやつです。明日は引越し最終日で、10月1日から新居です。では

2015/9/28

ビジネスマンも演技だった・・・

僕は昔から、友達や親戚、家族から、常識がないと言われ続けてきました。そうです、僕は常識が大嫌いです。常識なんぞクソ食らえ。今でもそう思っています。しかしながら常識という概念は、長い年月を経て、大衆が「正当」を判断した上で定められてきたことです。大勢の人間が善し悪しを判断し、常識が形成された、ということになります。ということは、常識は別に悪いものではない、とも言えるということです。確かに考えてみれば、全ての常識が悪であることもなく、全ての非常識が悪徳ということでもないことが分かります。
まぁそれはそれで良いですが、時は変わり、僕はイチ社会人としての道を歩んでいます。するとどうなるか。非常識者は、ただ単に悪者扱いされるだけなのです。上記の通り、僕は常識が嫌いですが、常識を拒んでいるわけではありません。特に今の僕の立場的に、いわゆるビジネスにおける立ち位置の上だと、非常識に生きることを続けると、もちろん常識を超えた感性を極めることが出来ることはあっても、損を生み出す確率が高くなります。すなわち、自分の感性レベルでの常識を破ることにメリットはあっても、社会的には常識を破ることには、デメリット以外何も生み出されないのです。
ここで問題が発生します。自分は常識が大嫌い。しかしながらビジネスは非常識が大嫌い。ではどうすれば良いか。この問題へのソリューションは先ほど閃きました。シンプルで簡単です。常識を演じれば良いのです。礼儀作法?納期?ビジネスコミュニケーション?マネージメント?そう、これらをただ、戯曲として演じればいいだけです。
そして演じるのを好きになろう。演技を上達させるにはどうしたら良い?そう尋ねた吹石さんに福山くんが放った答えです。時事を織り込むブログ執筆、いいですね~、我ながら。ご結婚おめでとうございます。そして僕はiPhone6s Plusに乗り換えました。iPhoneくん、これからはよろしくね。

2015/9/26

スピリチュアルは毎日

何か心に触る時、何かよく分からない感覚や、例えば孤独を感じたりしてしまう時は、ただ単に「暇」なだけなんです。自分の人生、やるべき事をしっかりと生きていれば、そんな感覚になることはありません。ということは、人生は究極にシンプルであるという結論に至ります。頭の中で繰り広げられるストーリーは、想像を超えて複雑ですが、リアルライフはシンプルです。頭の中の思考、それらは何か意図を持たない限り、完全に無意味であり、なんの価値もないただのカスです。でも不思議な事に、人間はそっちのほうが重要と感じてしまう習性があります。理由はよく分かりませんが、とりあえず「自我」が関与しています。自分はこうで他人がこうと定義するから、よく分からない思考が回るんです。今日は久々にエックハルトの動画を2本観ました。エックハルトの教えには幾度も救われていますが、今日改めて観て思ったことは、彼の教えに限らず、自分と向き合うことは毎日気にしなければならないのだ、ということ。一度学んだからと言って、本を置いては事を忘れてしまうのと同じで、スピリチュアルも毎日鍛錬しなければならないのだと、気付かされました。

2015/9/25

常識とは一体

シルバーウィークは大鹿村にて過ごしました。家族友達含め、総勢15人くらい集まりましたが、楽しさもあり喧嘩もありの、人間らしい喜怒哀楽な長野遠征でした。それはともかく、色々と詰まりを感じている今日このごろです。気のせいかもしれませんが、必要であるものと不必要なものがハッキリとしてきているようです。特に人間関係になりますが、何故か僕は日本人にはあまり好まれる人間ではなさそうです。そもそも僕は、日本人の腐った常識並びに偏見に順応出来る人間ではないということを、帰国まもなく自覚したため、フリーという道を歩みました。それはそれで良いです。しかし残念ながら、平凡な常識バリバリの日本人にとって、僕は異常極まりない人間と映るらしく、同調出来ないメンツは自ら離れていってしまいます。これは非常に残念です。逆に言えば、僕のことを異常と思う人間のことを、癖のある人間だなと思ったことはあるにしても、そこまで不満に感じたことはありません。ここが不思議なところです。さすがに害を与える人間は避けますが・・・。ハートでの関係性ではなくて、人それぞれの定義する常識であったり、偏見、こうあるべき、とか、そういう上っ面のみで、人は人をジャッジするんだなぁと。同調出来ないのはごく普通な話だった、という結論です。

2015/9/17

事実

今週ももう終わりですか。明日で木曜日ですか。(´Д`)ハァ…。時間があってもあっても足りません。こんなことを言ってしまうのは良くないことはわかっています。しかし僕の力量では、これは紛れもない事実なのです。時間が足りません。そしてお金も足りません!!事実!不満ではなく事実!←ここポイント。このままだと大鹿村でも仕事をすることになりそうです。あーあーあー。したくはなかったけれど、というかしなくても良いように、明日と明後日とで頑張るんじゃ(゚Д゚)ゴルァ!! エッセンシャル思考もクソもねーぜ。超ディーゼル思考でも構わんのだ!走らなきゃならんのだから走る!ただそれだけ!しかしこれはまだ一人で会社をしているから救われているようなものです。これが実際の組織として稼働していたのなら・・・、完全にブラック企業です爆笑 ホントにさー、シルバーウィークに大鹿村行って、本当の意味でのリセットができたら嬉しいです。できたらというか、リセットしたいです。てか僕なんか同じようなこと毎日書いていませんかね?大丈夫ですかね。ただ単にテープレコーダー回ってるだけじゃないですよね?いや、大丈夫です。事実を綴っているだけです。僕はまだまだビジネスマンじゃない。仕事に追われるだけの職人なのです。これは耳にタコが出来るくらい、そしてこのブログにタコが出来るくらい、自分に言い聞かせてやるつもりです。そうもしないとアヤツは変わらないので。明日は野暮用で朝から成田へ行って参ります。成田もやはり縁がありますね。人間縁のある場所にしか行けないんです。ではおやすみなさい。

2015/9/15

厳しさ

通常、ブログ記事のタイトルは、記事を書き終えてから適当な言葉を打ち込むのですが、今日は最初からお題を上げて書きたいと思います。「厳しさ」についてです。ここ最近、自分の教養のために、PRESIDENTというビジネス雑誌を購読しています。隔週の発行で、本日コンビニに行ったら、新刊が出ていたので早速買って読んでみました。一番気になったのが、京セラの稲森さんと、セブン&アイの鈴木さんの150分に渡る対談の部分でした。まだまだ流し読みをした程度なのですが、気づきというか、経営者はどうあるべきかを考えさせられました。それが今日の題の「厳しさ」についてです。
僕は幼少時代、母の影響で、エリートコースと言わんばかりに、まぁそれなりに厳しい教育を受けてきました。特に小4から始まった中学受験の時期が一番厳しく、それがトラウマになっているのかどうかわかりませんが、厳しさに対する変な免疫がついてしまったのです。厳しさを毛嫌いするというのでしょうか。自分が当時の厳しさを好んでいなかったがために、他人ないし自分に同じ思いをさせたくないという感覚が出来てしまったのです。自分で言うのもなんですが、ここ3,4年、仕事や自分の技量を高めることには注力してきましたが、自分に厳しくすることだけは避けていました。周りの人間からは、翔樹は凄いとか言われますが、別に自分からしてみれば凄くもなんともありません。普通です。自分は先天的に、何でも出来てしまうため、別に自分が努力したとか、自分だけが特別だとか、一切思ったことはありません。普通です。ただ単にそういう奴に生命を授かっただけで、自分は何の努力もしてないのです。
しかしここで問題が出てきます。厳しさへの免疫、言い換えるならば、変化への免疫があるのです。筋トレと同じです。自分の力を上げ、体を変えるためには、自分の力以上のことをしないと何も起こらない。なのにも関わらず、変に「厳しいことは良くない」みたいなことを過去の経験から決めてしまったがために、ずっと平凡な力量での毎日が続いていました。考えてみれば僕が10歳とかそこら辺からの感覚ですので、かれこれ16年もこの感覚で生きてきたことになります。なのでこれからは、自分がモットーとして掲げている「優しさ」と「許容」の中に、コントロール下に置く「厳しさ」を取り入れ、物事に取り組んでみようと思います。
以上。

2015/9/14

5DAYS TILL

本日13日は、亡き父繁昭の誕生日です。生きていれば73歳。考えてみれば凄いです。彼は他界しましたが、彼の他界なしに今の僕はありません。亡くなったことはもちろん残念です。しかし彼の死を境に、残された家族は変わりました。甘ったるい生活からの脱却を余儀なくされ、地に足を着かし、自らの意志で人生を創造することを学んだのです。まぁでもこの変化については過去の記事に腐るほど書いたと思うので、とりま繁昭ありがとう、って形で近況報告に移りましょう。
まず残っている仕事についてですが、思ったより多くて、以前50%終わったとかほざいていましたが、本日やっとガチで50%に辿り着いた感じです。(´Д`)ハァ… てかマジでどんだけの仕事を受注してたんだって話ですマジ。しかもどんだけ仕事しても金が一切残らない、というか足りない??のは何故なんでしょうか笑 まぁ一人で5人分稼いでいるから仕方ないんですが、それにしてももっと稼ぎたいです。というか稼がなければなりません!おいルフィしっかりしろよって感じ。てめぇ船長だろって笑 しかし宇宙の流れは信頼しています。新しい仕事が入らないのは、新しい仕事が入りこめるスペースがないだけ。だから今週の土曜日まで、月から金と5日間と、ちょうど作業が残っているプロジェクトが5つあるので、一日一個やっつけるスケジュールで行こうと思っています。
次に生活ですが、家族は皆長野にいるので、また以前と同じく自炊生活を送っています。一昨日は初めて麻婆茄子にチャレンジし、大成功。ひとつ料理のレパートリーを増やせてごきげんでした。ジムは先週の木曜日に行って、ペースはそこまで本格的ではないものの、まずは継続が出来ています。
レッサーくんもルーも相変わらず元気!季節はそろそろ本格的に秋になってきている感じですね〜。ひんやりとしていい感じです。ではまた明日から月曜日、連休前の5DAYS、身を引き締めて生きましょう。Have a great week folks.
(写真は大鹿村ではありませんが、大鹿村はこの写真のような場所です)

2015/9/11

粉骨砕身

8月は、月の半分以上ブログ執筆を怠ってしまいましたが、今月9月の18日で、このブログ開設一周年を迎えようとしています。こうほぼ毎日記録していると、この一年間で物凄く沢山の出来事が起こったんだなぁと、振り返りながら思うわけです。たったの一年とは思えず、一年と云えど、一年は記録してみると身がぎっしり詰まっています。むしろ書ききれないくらいでしたし、たった一年でこれだけの出来事が起こったことが不思議でなりません。強いて言えば、同じ人生とは思えないような展開。特に、何年も前から人生を共にしている人間と、このように毎日織り成す新しい一瞬一瞬を共にすることは、言葉に言い表せない感動があります。弟の洋樹を例にしてみましょう。洋樹とは、もう19年間、彼がこの世に生を受けてから、ずっと一緒に暮らしています。6つ歳が離れていますから、僕は洋樹が生まれた頃には物心がついていましたし、彼の成長を全て見届けてきました。小さい頃は、ポッチャリとした小さな洋樹でした。幼稚園に通い始め、気付いたらロサンゼルスに移住。7年の月日を経て、慣れたと思ったら日本に帰国。逆カルチャーショックを乗り越え、中学を卒業し、第一志望の高校に編入。高校を卒業し、自らの意志で某専門学校を選び、夢に向かい歩み始めたのです。小さな洋樹は、人間はここまで変わってしまうのかと思ってしまうくらい(いい意味で)、立派な大人になりました。そして僕は、そんな洋樹と、本日2015年9月11日に至るまで、そしてこれからも、共に人生を歩んでいます。彼を見て思うのです。これは本当に同じ「一つの人生」なのかと。彼は洋樹であり、僕が過去に見てきた洋樹です。しかし織り成されている人生、そして洋樹が変わりすぎてしまい、本当にこれが同じ人生であることが、不思議でならないのです。母の由紀子とも同じ感覚になります。現実が変わりに変わりすぎて、別の世界、もしくは別の次元にて、皆と再会しているような感覚。今年で26歳になった僕ですが、これから先、凄まじいスピードで変わりゆくこのライフが、楽しみで仕方ありません。現在は少しピンチを迎えていますが、ピンチはチャンス。他の言葉が見当たりませんが、反骨心と言わんばかりに、9月、20日近辺にまた長野へ行く前に、上げている炎のブリブリ度をさらに上げ、粉骨砕身したい所存です。

2015/9/10

ダメ出し

意思決定。これは経営における重大要素です。そんなことはわかっていますが、意見が一致しないことこそスッキリしないことはありません。もちろん皆の意見は尊重します。というかこんな事書いていて思いましたが、ただ単に僕の無力さに嫌気が差しているだけなのかもしれません。この意見の交差は、僕の会社のWeb関連の話ではありません。ミネキさんと一緒に計画している、新木の気象台記念公園で行う、クラフト音楽祭の企画の話です。まぁとにかく僕の昔からの癖ですが、自分が良いと思うものに(今回の場合はイベントの告知ポスターに)口を出されると、全部ダメ出しに聞こえてしまって、もーうなんだかヤル気が失せるんです!とは言ってもこれは僕の問題です。ダメ出しに感じるイコール、自分の無力さに嫌気が差しているだけなんです。だから僕はもっと成長しなければならない。他人に別の意見があるイコール、その人の中ではありえない何かがあるから、そのような意見を発するわけで、自分の考えは100%正しいと言い張ることも出来ますが、少なからず改善できる点があるはず。それか自分の中でも100%納得していないから、他人からキツい言葉をいただく、のだと思います。しかしそれに関しては僕は断言出来ます。ここ一年間のWebデザインの仕事でもそうですが、自分が100%納得する作品を提案することに専念してから、クライアントからのダメ出しが100%消え、逆に褒めのお言葉しかいただかないようになりました。だからどんなことにおいても、今回のようにダメ出しに聞こえてしまう言葉を他人から受けたのであれば、自分の内面的に100%納得しているのかしていないのかを、見直してみるべきなのです。無論、例外もありますが・・・。