12時を回ってからの投稿です。というか、もう12時を気にするのも何だな、と、今日12時ちょっと前に思ったのです。要は毎日こうやって何でもいいから記事を書き続けることに意味があるわけで、別に12時を切ったからって、今日は投稿無しと言っては、ブログを書いている続けている意味が無いです。ということで、今日は1時38分から執筆をスタートです。この仕事をしていると、たまに徹夜をする時があります。お客様にお約束した納期は必ず守る、ということを第一にお仕事をしていますし、折角信頼を寄せてくれたお客様から、納期がずれただけでマイナスに見られては、頑張ったかいがなくなってしまいます。明日の朝提出のサイトがあったので、今日は黙々と制作に取り組んでいました。今朝は8時半に起きたからか、さすがに12時を切った辺りは睡魔に襲われましたが、12時半頃からレッドブルが効いてきたのか、覚醒して集中することが出来ました。そしておかげ様で任務はほぼ完了。この仕事をやり終えた時の安堵感とすっきり感は、自分に負けずに頑張ってよかった!と心底から思える瞬間であります。とにかく今月は今までで一番の踏ん張りどころです!明日は朝から流山にて新規のお客様と打ち合わせで、午後からまたどしどし仕事再開です。自分に勝つって、気持ちいいね!人生は誰との戦いでもないですよ。自分に勝つことが出来れば、それなりのご褒美が天から落ちてくると思います。物ではない、心だけで感じることの出来る「勝利」の感覚が!
月: 2015年2月
ピアニスト
お仕事も沢山いただいているということで、自分のWeb制作技術のスキルアップを行い、より精度の高いウェブサイトをお客様にご提供したいと思い、午後からレスポンシブウェブデザインについて書かれている本を読み始めました。しかしながら僕は小さなころから読書が大の苦手で、何を読んでも途中で眠くなってしまう。興味があるかないかは別として、とにかく文字を追っていると眠くなるのです。ということで、今回も全く同じで、本を読み始めたら数十分で睡魔に襲われ、午後からまんまとデスク上で昼寝をしてしまいました(笑)全く勉強にならん!そこで以前調べてお気に入り登録していたダートマス大学のラーニングセンターのページを開き、一流大学に通う生徒が実践している読書法について、再度復習してみることに。まず最初に読んだドキュメントが「Six Reading Myths」というもので、「読書に纏わる6つの神話」という題のドキュメントです(要は、読書に関して大衆が勘違いしていること、という意味)。内容はA42ページ強で、全然長くありません(内容はここでは省きますので、興味のある方はこちらから参照下さい)。その6つの神話の中に、自分の心にグサッと刺さる一節がありました。これです。
読書というものには、最低限の時間を費やし、学んだことの実践に最大限の時間を費やすべき
僕はこの発想を読んだ時、アウェイクニングです。全くもって正しすぎるこの一文に絶句してしまったわけです。そりゃそうですよね、フィクションでもない限り、読んだことを自分の人生に取り入れなければ、読書はただの暇つぶしになってしまいます。この一節については、母由紀子にも教えましたが、ちょうど読書をしていたらしく、これを意識して読書をしてみたら、通常の約5倍ほどの理解度を感じられたそうです。ポイントを意識するのか、ただ単に読んで「ふ〜ん、なるほどね〜」と思うのかでは、理解度は雲泥の差です。
この一節について考えていたら、ある比喩が閃いたのですが、この読書というアクティビティをピアノの演奏に喩えてみるのです。読んだことを実践しない読書をピアノ演奏に喩えますと、こんな感じです。譜面を眺めて、「ほうほうなるほど、ここにドがあって次にファのシャープが2回、ふむふむ、ここでキーチェンジでリピートか、ふむふむ」と、永遠に譜面を追っているだけの状態で、ピアノに全く触っていない状態なのです!なんということでしょうか!譜面はピアノで弾かんと意味無いでしょ!!譜面だけ集めて読んでいるピアニストなんて、ピアニストじゃないでしょうに!!!
読書も、特に勉強するような読書は、これと全く同じなんですね。内容を実践しないのであれば、ただの譜面コレクターで終わるのです。かなり残念というか、うん、残念ですね。今まで何をやっていたんでしょうか。今日から、ピアニスト式読書を開始します!ッシャ!
5分
面白い事に気づきました。時間の感じ方についてなのですが、例えば、同じ5分でも、何かを待っている5分と、何かに追われている5分では全く感じ方が違いますよね。前者は長く感じて、後者は短く感じると。もう一つ例をあげると、ネットサーフィン5分と、仕事作業5分の違いです。前者は、なにも考えていない状態で、ふわふわしている5分で、後者は、一生懸命稼働している5分です。これもまた感じ方が思いっきり違う。何故仕事作業の5分の方が、直視することが難しいのでしょうか。今日仕事をしていて思ったのです。「これ終わらせるの時間かかるなぁー」とか思うと、その作業から逃げたくなるので、ニュースとやらを開いて、今の紛らわしが始まります。ニュースを5分眺めるのは、容易いことです。それでもってその5分何を得たかというと、何も得ていません。ただ5分が過ぎただけです。なら最初からその5分を有効活用すれば良かったんじゃね?と思ったのです。要は「時間」という概念に負けると、逃げに出てしまうんですね。僕の癖です。僕の場合はこの程度の癖ですが、よく「時間がない」と言っている人は、この究極形と言えます。時間がないという人こそ、時間の無駄遣いを多くしているのです。時計という実用的なミディアムの上で時間を語るの良いですが、精神的な「時間」は無意味であり、存在しない。だ・か・ら、「時間」を考えると変になるんです。
Very first Keynote of my life.
昨夜は珍しく投稿をミスってしまいました。セミナー登壇用にKeynote(Macのパワーポイント)スライドショーを黙々と準備していたら、気が付いたら12時半過ぎで、まんまとミスです。ということで、今日は昨日の分まで記録したいと思います。
前述のとおり、今日は人生初のセミナー講師を務めてきました。場所は日本橋公会堂。日比谷線人形町駅、もしくは半蔵門線水天宮前駅から、徒歩3,4分のところにある、文化会館です。内容はクラウドソーシングについてで、3年前くらいからお世話になっている満木さん(中小企業コンサルタント)から、講師としての参加のお誘いをいただき、登壇する運びとなりました。クラウドソーシングは、ビジネスにおける経営側、もしくはマネージメントに関わりのない方には全くご縁がないと思われる「仕事発注のプラットフォーム」です。僕個人は、2012年の2月、ちょうど今から3年ほど前から、出展者側(受注者)としてクラウドソーシングを活用しており、クラウドソーシングを通じで色々な経験をし、知識を積み重ねてきました。黎明期とまではいきませんが、クラウドソーシングの認知度が大きくなり過ぎる前から利用していたので、クラウドソーシングの上手な使い方や、これから利用を考えている方にとって参考となるような事を、セミナーに集まってくださった方々に伝えられたのではないかと思います。
しかし人前で話すことは慣れないもので、緊張までとはいきませんが、また不慣れだなと感じることが、レクチャー1時間の中で数回感じられました。文章とは違って編集が効きませんから、即興で文法正しく話さなければなりません。どうしてもレクチャーとなると、スティーブ・ジョブスなどの「英語」を使ったスピーチが頭に焼き付いており、日本語のスピーチのクオリティを上げるテクニックといいますか、言い回しといいますか、が頭のなかのストックになく、ちょっと困りました。しかし自分の意見や、自分の持っている知識を、セミナー講師として人々に伝えられることは有意義に感じられました。何事もそうですが、自分が当たり前と思っていることでも、それが全く新鮮で新しく思う人もいる。そしてそれらをセミナーという場で共有することにより、参加者の方から、別の視点からの意見も聞くことが出来る。同じことに興味を持つ人々とコミュニケーションを取ることって楽しいんだなぁと、今日のイベントを通じて思いました。
すぐには形にすることが出来ないかもしれませんが、自分の専門分野であるWeb制作に関するセミナーも、人に情報を与え、コミュニケーションを取れる手段ということで、自ら開催しても面白いかもです。まぁそれにしてもスピーチは語学力が現れるものだと今日は理解できましたので、自らセミナーを開催し、人々に満足していただくには、もう少し日本語の文献に目を通すなり、家族にレクチャーをするなり、改善が必要だと思いました。スピーチは奥が深いですね。どれだけ人を退屈にさせず、心を惹くことができるか。どうやって話の流れを作るかなどなど、沢山の要素が組み合わさり、良いスピーチが出来上がるのだと思いました。
与える力
何度も書いていてうるさいかもしれませんが、本当に一日があっという間に過ぎていく毎日です。月曜日ということで、また世の中が動き始め、色々とまた有意義な一週間となりそうでワクワクしています。明日は一日中家でお仕事で、明後日水曜日は、人生初のセミナー講師としてのお仕事を日本橋にて。木曜日は神保町で新規のお客様と打ち合わせで、金曜日は何が起こるかわからないTGIFな日になるでしょう。ここ最近は、僕を必要としてくれている方々から多くのお問い合わせをいただいており、全力で貢献をしていきたい所存でございます。会ったこともない方から、大きな期待と信頼を寄せていただくことは、本当に愛あふれて嬉しい事です。それと同時に、前にも書いた通り、どんなに調子が良くて、流れが良くても、図に乗ってはならない。あとは金銭的なモチベーションを保たないということに関しても、抱負に挙げたことなので、実践する良い機会だと思っています。やっぱり人間、与えることが一番喜びを感じる時だと思うんです。もらうことももちろん嬉しいですけど、与えるには自分自身が愛でなくてはなりませんので、愛となれるということは、非常に心温まることなのであります。はい、多分3日連続の10分ライティングでした。明日こそ!
猫にごはん
明日から月曜日。明日から新しい週が始まります。今週から多くの仕事が走り始めるので、今日日曜日は、それに向けた最終リラックスDAYとなりました。昼間はテキトーに何をやったのかも忘れてしまう感じでぼーっとしてて、6時頃から暇だったのでまたジムへ行ってきました。今日は脚中心のトレーニングで、歩けないくらいになるまで脚をボコしてきました。帰りにジュースを買いに最寄りのセブンに寄ったら、野良猫が一匹、店の前でフニフニ言っているのを発見。話しかけてみると、お腹が空いてたらしいので、中に入ってマグロ缶を買ってきてあげました。勢い良く平らげてしまったので(結構大きめな缶)、相当お腹が空いていたのでしょう。うちのレッサー君以外に、あまり猫と触れ合う機会がないのと、野良猫に餌をあげたこともないので、元気よく食べる猫ちゃんを見て心が暖かくなりました。生きるって大変だなぁ、とか、与えるって愛だなぁ、とか、言葉に表せない感覚で、宇宙に貢献した感もありました。人を救うのも、その猫ちゃんにご飯をあげる感覚があればいいのかなぁ。本当に心の底からサービスしたい、って思えたこと、初めてでした。待ってろよー、今買ってくるからなーみたいな。ただ猫ちゃんにご飯をあげただけだけど、何か知るべきものを宇宙から見せられた気がしました。感謝。
10mins write up
またやっちまったよ10分前投稿。はぁ。とりあえず即興も即興で思いっきりタイピングを開始します。今日は雨が途中から降ってきましたが、気温は本当に暖かくて、2月とは思えないくらい。去年の2月の今日は、大雪が降ったのを覚えています。あのくらい降ってくれると気持ちいいのですが、今シーズンは未だに大雪が来ていません。僕みたいに通勤もクソもない仕事をしていると、雪とかにまったく影響されないので(電車とかの交通の便ね)、家にこもって雪を見ながらぬくぬくと仕事が出来て楽しいのです。まぁでも3月まで雪の油断は出来ませんから、あと1ヶ月ほど、大雪を待つとします。昨日一昨日と連チャンで筋トレをしたせいか、食欲がアップして気持ちが良いです。あと今日YouTubeで動画を漁っていたら、僕の尊敬する人リストに入っているGreg Plittさんが、37歳の若さにして亡くなったという訃報が・・・。彼はモチベーショナルビデオで有名で、特にフィットネス界における動画が有名でした。僕も彼の動画を見てから筋トレに励んでいたので、彼が若くして亡くなってしまったことを非常に残念に思いました。R.I.P。読書はちょっとサボリ気味です。カラマーゾフの兄弟を読み始めたのですが、小説の読書にまだ慣れていないせいか、面白いところまでいくまでの序文が長く感じてしまい、なかなか先に進めない。ある程度のところまで行ってしまえば、もっと読みたくなってしまうのが小説だと思うのですが、最初の部分はまだまだ我慢です。ビルゲイツのGatesnotesのサイトを見たら、彼も読書家ということで、僕もやっぱり読まないといけないのだと思ったのでした。9分でこれだけ打てました!YES!
Clair de lune
先日、お客様のHPリニューアル案件を通して新しい音楽に出逢うことが出来ました。ドビュッシーの月の光という曲です。お客様からのご要望の中に、サイトを閲覧した時にその曲を再生したいというものがあり、サイトに実装した時に初めて耳にしました。それがまた極めて美しい曲で、心の中のどこかと共鳴しているような感情に変えてくれるのです。曲を聴いて僕に見えてきた景色は、夜の月の光ではなく、昼間の病室でした。
天井が高い病室で、初夏の暖かい晴天の日に、病室の窓からそよ風と一緒に日差しが入っている。空は雲ひとつない青空。部屋の階は1階ではなく2階。地面から力強く伸びている桜の木の枝が窓を覗き、風になびく木の葉が太陽をキラキラさせて、この世に生まれてきた喜びを感じると同時に、完治しない病との闘病に嫌気が差しているようなジレンマが。午前中に見舞いに来た家族と友人も去り、昼食も終えた13時頃、孤独に静寂を感じている。このまま生きていけるのだろうか。今のなす美しいひと時と裏腹に、生死をさまよう苦しみの発作がいつ来てもおかしくない。希望はあるように見えるが、心底救いの手はないことは分かっている。だから全てを手放すしかない。一瞬一瞬が創りだす美しさを、初めて感じられた午後だったのです。
そんな感じの景色でしょうか。もちろん僕が体験したものではありません。ドビュッシーの月の光を聴くと、そんな感じのイメージが浮かび上がってくるだけです。中学か高校で見た、アルジャーノンに花束を、というドラマのストーリーの葛藤に、少し似ている感じがします。しかし月の光というタイトルなのに、全くもって夜のイメージが浮かび上がりません。不思議です。いつかまたピアノを手に入れたら、一番に弾きたい曲だと思いました。美しすぎる。さすがクラシック。
A day of Feb
久々に(2週間ぶり)にジムへ行ってきました。2週間は、ウェイトトレーニングの観点からすると、そこまで筋力に影響が出ない期間ではありますが、実際にやってみると、バリバリやっていた時とくらべて、体力が少しだけ落ちているような気がしました。なんせ継続が一番大切ですし、今年の抱負にも入っているものなので、またこれから徐々に頻度を上げていきたいと思います。これは英語で書くと、LAの野郎どもにバレてしまうのですが(普通に日本語で書いていますが)、多分5月頃に、念願のLAに行けるかもしれない流れです。ですのでそれに向けて、サザンカリフォルニアの場に相応しいカラダに仕上げなくてはです!現在は変わらず68キロ近辺をさまよっていますが、あと3ヶ月バッチリやれば、71キロくらいまではいけそうですので、ボディビルモードをONにしていきます!
以下、その他近況報告です。運営している会社ですが、おかげ様で数多くのお客様から受注をいただけており、感謝の気持でいっぱいです。レッサー君、ルーちゃんともに健康。家族一同、由紀子もハルトも洋樹もティビティも元気ハツラツ。もちろん僕も元気で、ブリブリです。早起きの実行は、う〜ん完璧とはまだ言えませんが、8時台起床を、ここ6日間くらいは出来ています。気持ちのよい起床は、やる気に満ちた、元気の良い起床だと思うのですが、目が覚めてもまだまだ寝たいという気持ちの方が強いのが玉にキズです。変な癖に関しては(無駄なネットサーフィン)、Firefoxのアドオンで、LeechBlockという、特定のサイトをブロックしてくれるアドオンを導入。アクセスしてもGoogleに飛ぶので、結構重宝しています。
今日は珍しく10分前に書き始めたので、もう時間切れです。また明日!
お墓
今日はいとこの勇作と一緒に、多古町(成田空港の裏)までお墓参りへと行って参りました。小さい頃は、家族一同でよくお墓の近くにあるひいばあちゃんの家に遊びに行っていたので、このお墓も、もう何十年も前から訪れている場所です。お墓という場所は、私たち人間を、ある同じ場所へ戻す力を持っています。当たり前なんだけれども、お墓は動きません。しかし日々生きていれば、何かを得たり失ったり、歳をとったりと、全く同じ状況は続かないのです。でもお墓だけは変わっていない。実家を持っている方は、多分こういうこととはないと思うのですが、僕の場合何回も引っ越しをしており、マイハウスという家がないので、同じ場所へ戻れば誰かがいる、という場所がないのです。今日は、多分このブログを書き始めて、初めてのお墓参りだったと思います。考え方もブログ執筆と一緒に変わり始めていて、お墓参りという行事でさえにも、何か特別なことを感じられるようになりました。これから先、僕がどう変わろうと、どこに連れて行かれようと、お墓はずっとあの場所で存在し続けるのです。これは喩えるならば、我ら人間の持つ見えない部分(簡単に言えば魂)の存在感と同じだと思うのです。人生うまくいこうといかなかろうと、体を壊そうと壊さまいと、あなたはあなたです。僕は僕です。変わったのは、頭で理解できる「概念」でしか過ぎないのです。それがわかったからどうなるんだって?簡単です。ただ単に自分を生きれば良い!という結論に至るのです。だっていつだって変わらぬ場所に、どこにも動かない応援団がいるんだから。何をやらかしてもあなたを決して見捨てない愛があるんだから!それはお墓でもあり、自分の中にも、生まれた時からずっと心の中にあるものなのですよね。それが何かは、言葉で説明することは出来ません。目を瞑って静寂に耳を傾ければ、体感できるかもしれません。