今日はいとこの勇作と一緒に、多古町(成田空港の裏)までお墓参りへと行って参りました。小さい頃は、家族一同でよくお墓の近くにあるひいばあちゃんの家に遊びに行っていたので、このお墓も、もう何十年も前から訪れている場所です。お墓という場所は、私たち人間を、ある同じ場所へ戻す力を持っています。当たり前なんだけれども、お墓は動きません。しかし日々生きていれば、何かを得たり失ったり、歳をとったりと、全く同じ状況は続かないのです。でもお墓だけは変わっていない。実家を持っている方は、多分こういうこととはないと思うのですが、僕の場合何回も引っ越しをしており、マイハウスという家がないので、同じ場所へ戻れば誰かがいる、という場所がないのです。今日は、多分このブログを書き始めて、初めてのお墓参りだったと思います。考え方もブログ執筆と一緒に変わり始めていて、お墓参りという行事でさえにも、何か特別なことを感じられるようになりました。これから先、僕がどう変わろうと、どこに連れて行かれようと、お墓はずっとあの場所で存在し続けるのです。これは喩えるならば、我ら人間の持つ見えない部分(簡単に言えば魂)の存在感と同じだと思うのです。人生うまくいこうといかなかろうと、体を壊そうと壊さまいと、あなたはあなたです。僕は僕です。変わったのは、頭で理解できる「概念」でしか過ぎないのです。それがわかったからどうなるんだって?簡単です。ただ単に自分を生きれば良い!という結論に至るのです。だっていつだって変わらぬ場所に、どこにも動かない応援団がいるんだから。何をやらかしてもあなたを決して見捨てない愛があるんだから!それはお墓でもあり、自分の中にも、生まれた時からずっと心の中にあるものなのですよね。それが何かは、言葉で説明することは出来ません。目を瞑って静寂に耳を傾ければ、体感できるかもしれません。
2015/2/4