Real implies to those things we could see, feel and touch. Everything else, are illusions.
私たちは、毎日インターネットを利用しています。パソコンであれスマホであれ、インターネット接続がないと、ほぼ使い物にならないと言っても過言ではありません。ですがインターネットがなかったら生きていけないのかと聞かれれば、生きていけます。では、日々利用するインターネットの量を数値化し、一日の利用を100としたら、一体その内のどれくらいが実際に「自分の役になっているもの」なのか、分析してみたいと思います。皆さんがどんなネット癖やアプリ癖を持っているかはわかりませんが、僕のネット利用状況は大体次のような感じです。
ニュース(Yahoo! JAPAN、Huffington Postなど),facebook,LINE,Eメール,Instagram,Twitter,YouTube
まず本題に入る前に、今日の題が思いついた背景を。今日はハルトと一日お留守番だったこともあり、あまり仕事に集中出来ずにいました。ハルトとお留守番の日は、OFFの日としているので、別に仕事に支障をきたすわけではありませんが、だる~い一日を過ごす中、上記のようなことでインターネットを利用していると、「一体何をしているんだろう?(What the fuck am I doing?)」という風な思考が回るわけです。では上記の中で、本当に本当に必要なものはあるかと聞かれれば、う〜ん、YESではないでしょう。
本題に戻るとします。ネット上に存在する様々なサービスは、個々の人生を豊かにするために存在していますが、使い方次第では、個々の人生を奪ってしまう可能性も秘めているように思えるわけです。結論から申し上げると、僕の場合、実際に必要なのは、仕事に必要なEメールだけです。ではその他に使っているツールや情報はどうでしょうか?一番目のニュースの閲覧を例に分析してみます。最近の大きなニュースは、イスラム国の人質事件でありますが、これらのニュースを読むことで、僕ら庶民に何らかのメリットがあったでしょうか?これらは役に立つ情報だったのでしょうか?同国民として、知らなければならないニュースでありながらも、事件を知ったからと言って、何か力になることも出来なければ、恐れが膨れ上がるだけではなかったのでしょうか。このような事を書くのは、日本人として無礼極まりないことは百も承知でありますが、やはりそれらを知っても私たちは全くどうにもならないですし、できないのではなかったのでしょうか。誰の人生においても、親族の望まない死が訪れます。それが病気であろうと、震災であろうと、交通事故であろうと、自殺であろうと、死は死です。すみません、これ以上は死については語れません。興味のある方は今度僕に会った時にでも聞いて下さい。
なんだかよくわかりませんでした。とりあえず言いたいのは、上記のサービスを使うのであれば「本気で使え!」ということです。「暇だから使う」のはやめろということです。
2015/1/25