まだ始めてから数週間しか経っていませんが、このブログ執筆を始めてから、僕の人生は変わり始めています。別に今までが悪かったわけではありませんが、やはり18の時に帰国して、そこから日本、それも東京近辺という地で社会人として生き始めてから、それまでは見えていた平山翔樹という魂の力が、どんどん隠れてなくなっていっていたのでしょうね。その魂の力が、このブログ執筆によってまた顔を出し始めてるんです。自分にとっては懐かしい感覚とでも言えるでしょうか。お久しぶりって感じです。小学、中学、高校生の時と、この熱狂的な魂のエネルギーには、必要な時にだけ何度も何度もお世話になっていましたが、2008年に帰国してからは、その感覚と触れ合うことは一度もなく、ほぼ忘れかけていたのでした。でも忘れてはいましたが、自分の中では、何かが足りない!何か歯車が合わない!という不可解な気持ちがずっとあったのは確かです。
魂の力と言いましたが、それは誰もが経験したことのある、「自分である喜び」のことです。僕の魂の力、もしくは生命力は、多分東京の排気ガスに黒く染められてしまったのでしょう。
排気ガスってのは冗談ですが、一人の一般人として2008年に帰国してから、生まれて初めてのことが多すぎて、自分なりに対応してきたつもりなんだけども、全てが全て心地良いものではなかったんだと思います。親父という大黒柱の遺失を筆頭に、数日前の記事にも書いた通り、自分で自らお金と付き合わなければならなくなった。さらには社会的地位・責任と向き合わなければならなかったり、高卒の馬の骨にとって、多分荷が重すぎたんだと思います。しかし荷が重かろうと過ぎていくのが時間というもので、どこへ向かっている訳でもなく焦りが生じ、自分が一体何を抱えているかさえわからなくなってくる。完全なマテリアリズム(唯物論)に埋もれ、自分が本当は腐っている方向に向かっているのにもかかわらず、しかもそれを成長と捉えていたわけです。
そんな中始めたブログ執筆。自分を自分で書き出すことにより、自分ひとりでは見えなかった自分の何が見えてき始めているのです。それは言葉にすれば、前述の通り「魂の力」だったり「生命力」になるのですが、決して言葉に表せる何かではありません。
日々の学び、そして人生の学び、さらに自分の成長は、永遠の課題です。
2014/10/8